2011年10月24日

10月16日(日)奈良たび!日本最古の道・山の辺の道を訪ねて



昨年の5月から久々の 奈良たび です!
今回は「 日本最古の道・山の辺の道 」約 14km 近く歩くという散策。
みなさん、リュックにスニーカーと、万全の体勢で挑みます!

天理駅から長〜い商店街を歩き(この商店街、私は京都の三条商店街に似てるなと思いました)、その先には天理教教会本部が!
日本で唯一の宗教都市・天理ということで背中に「 天理教 」と書かれたハッピ姿の方がたくさんおられました。


巨大です!、一同ちょっと驚き!


さあ、いよいよここから山の辺の道へのスタートです。
まずは伊勢神宮と並び、日本最古の創建とされる神宮・石上神宮(いそのかみじんぐう)へ。


かつてはこの辺りの豪族であった物部氏の祖先が氏神として崇めていたこの石上神社を朝廷が武器庫として利用したことから、物部氏が武器の管理、やがては軍事全般を支配するようになったと考えられています。


そのことからこちらのご祭神のひとつ 都御魂大神( ふつのみたまのおおかみ )は、古代の鉄剣が神体である布都御魂剣( ふつのみたまのつるぎ )に宿る神霊だとか。
興味深い歴史です。


山の辺の道の途中、芭蕉や柿本人麻呂など、多くの歌人の歌碑が所々に点在します。


そしてこちらは今は無き 内山永久寺( うちやまえいきゅうじ )の広大な境内図。
永久年間( 1113年-1118年 )に鳥羽天皇の勅願により創建された大寺院。


かつては興福寺にも劣らぬほどの力を持ち、多くの伽藍を備える大寺院でありましたが、廃仏毀釈により明治期に廃寺となったそうです。現在は跡地の池が残っているだけで歴史のきびしい流れを感じました。

「 このお寺が現存していれば奈良の歴史も大きく変わっていただろう 」と
山村先生のお話が印象的でした。

スタートから約2時間が経ち、みなさん「お腹空いた〜!」とICON47
途中、無人の売店がたくさんある中、何も食べずに歩いてきましたがかなり限界・・・。


やっとのことで 空海創建の長岳寺を前にランチタイムICON157ICON59
それぞれの持参したお弁当を食べて、おかし交換なんかしてICON64
お腹を満たしたところで散策再開〜。

やってきました! 古刹・長岳寺(ちょうがくじ )。
天長元年(824)淳和天皇の勅願により弘法大師空海が 大和( おおみわ )神社の神宮寺として創建。


鐘楼門上層に鐘を吊った遺構がある
こちらは日本最古の鐘門で、空海が創建された当初から残る唯一の建物だとかICON35
なんと! 1180年以上も前とはすごいなぁface08


本堂前の広い庭は浄土式庭園になっており、四季折々の花が美しく咲くことから
関西花の寺・第十九番霊場となっています。


たっぷりと奈良の古刹を堪能した後は、のどかな山の辺の道を進み古墳群へと向かいます。


実在した初代の天皇とされている崇神( すじん )天皇陵や、景行( けいこう )天皇陵など巨大な前方後円墳を見学しました。

写真のこんもりとした木立が天皇陵。


航空写真から前方後円墳というのが見て良くわかりますね。


さていよいよ散策も終盤にさしかかり、檜原神社( ひばらじんじゃ )に到着!
この後訪れる大神( おおみわ )神社の摂社です。


しかし、歴史は深く、伊勢神宮に御祀りされている天照皇大神の御神霊はこちらから遷されたという史実が残っています。そのことから 元伊勢 と呼ばれているそうです。

こちらの鳥居は珍しい三ツ鳥居・・・神明鳥居が三つ横に並んでいます。
京都の三ツ鳥居と言えば蚕ノ社ですが、いろんな鳥居があるんですねICON116


少し日が暮れてきて、高台にある神社の注連縄越しに見える二上山のシルエットが美しいです。
この後の夕焼けキレイやろな〜ICON64


そして最後の目的地・大神神社( おおみわじんじゃ )へ。
大神神社は 【 大和国一宮 】 とされ、三輪明神、三輪神社とも呼ばれているそうです。


大物主大神( おおものぬしのおおかみ )がご祭神で、日本神話によると「日本最古の神社」と称されているとか。日本国内で最も古い神社のうちの1つであると言われてます。
三輪山そのものを神体( 神体山 )とした神社で、本殿を持たないので立派な拝殿から三輪山を仰ぎ見てご参拝し、今日の散策は無事におしまいface01

約14kmの散策、ほんとによく頑張りました!
これも皆さんと一緒だったから、途中脱落もなく楽しく歩けたんですね。

お天気にも恵まれ、心地よい風に吹かれて、最高の秋ICON122の散策でした。
皆さん、お疲れさまでした〜ICON59
次回のならたびが楽しみで〜す。

                                                          文・写真/らくたび会員 奥村なるみ












  


Posted by らくたび  at 21:00Comments(4)奈良エリア

2011年10月17日

10月9日(日)御室仁和寺と幻想の世界へ誘う梵燈の東林院へ



この日の京都さんぽは午後3時半スタート。
まずは、格式高い門跡寺院・仁和寺を閉門ギリギリまで、たっぷりと散策しました。

霊宝館で開催されている 秋季名宝展 を鑑賞。
国宝の阿弥陀如来座像をはじめ、ずらりと並ぶ貴重な寺宝は見応えタップリ!
霊宝館の中は若村先生の解説が響き渡ってましたよface02

そして、御所の紫宸殿を移築されたという 国宝・金堂( こんどう )、
弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像が安置されている 御影堂( みえいどう )を参拝して、御室御殿( おむろごてん )へ。

御室御殿は皇室ゆかりという格式の高さがうかがえ、ここに佇んでいると時空を越え私も皇族になったような気分です。日暮れてほんのり秋色に染まる雅な庭園にうっとりicon12


あっと言う間に時間が過ぎ、気がつけば閉門時間。
私たちが仁王門を出ると・・・すぐに扉は閉じられましたface08


さあ、ここからは京焼の祖 ・野々村仁清窯跡オムロン発祥の地 〜 徒然草の執筆の地・双ケ岡 〜 随筆家・吉田兼好が眠る長泉寺 〜 法金剛院ゆかりの待賢門院御陵妙心寺へと進みます。

妙心寺に到着する頃には、夕焼けが美しく幻想的な風景を見ることができました。


太陽が沈んだ宵の刻の境内に点在する塔頭寺院をめぐりながら、東林院へ向かいます。
広い境内をこんな時間ICON129に歩くことはまずありません。
みなさん、貴重な体験にテンションアップしてはりましたね〜icon14


そして、東林院に着いたころには日も暮れて・・・
この日はこんな素敵なイベントが行われています
梵燈のあかりに親しむ会


境内に手づくりの瓦製梵燈( ぼんとう )や、古瓦のうえに約400本のろうそくが灯り、幻想的な世界が広がります

このイベントは恒例となっているそうですが、今年は東北大震災で多くの方が犠牲になった方々の冥福を祈り、禅語の【 生死事大 】という文字が灯されていました。

生死事大 :しょうじじだい
  生死は重要で、生きている今に悟りを求めることが大事である 」の意。
               若村先生のブログより引用。



しばし煩悩を忘れ去り、灯りを見つめながら、静寂なひとときにひたりました。

夜のお寺をそぞろ歩く、一人ではまず来られない素敵な企画。
こんな京都さんぽも良いものですね。

ありがとうございました!

そして・・・。
夕刻近くのスタートだったので、みなさん「 お腹空いた〜!」と。
この後は急に現実的に〜。

解散後、若村先生と希望者の皆さんとのご一行はこの界隈の名物!
お好み焼き・ジャンボ に行かれました
その様子は、若村先生のブログ こちら をご覧下さいね。

                                                          写真/らくたび会員 五島千恵様
                                                          文・写真/らくたび会員 奥村なるみ


  


Posted by らくたび  at 11:32Comments(0)妙心寺~花園エリア

2011年10月07日

9月23日 千姫神輿・特別拝観 と 伏見桃山御陵を訪ねて

御香宮神社拝殿 屋根の下に施されている絢爛豪華な彫刻は必見!


「 千姫の金の神輿特別拝観と伏見桃山御陵を訪ねて 」 が開催されました。

まずは、日本第一安産守護之大神として広く崇められている御香宮神社を参拝。
豊臣秀吉が建てた伏見城の守護神とし、徳川将軍家からも厚い信仰を集め、幕末には、薩摩藩を中心とする官軍の陣地となり、鳥羽・伏見の戦いの最前線となったここ御香宮神社。


御香宮神社 小堀遠州ゆかりの名庭


その歴史深い神社に残る宝物を今回は特別に拝見させていただきました!


見よ! この荘厳豪華なのお神輿を
通称「 千姫神輿 」と呼ばれているこのお神輿は、徳川二代将軍・秀忠が長女・千姫の誕生を祝い、御香宮に寄進したものです。


日本一の重さでなんと 2.3t !
しかし担ぎ手が足らず、昭和36年(1961年)以降担がれていないそうです。


あまりの豪華さに「 おお〜っ!」と参加者の皆さんから驚愕の声が聞こえてきました。たっぷりと拝見させていただき私たちがその場を立ち去ろると・・・すぐに扉が閉じられました。それを見て「ほんとに特別に見せていただいたんやね〜っ!」と今度は喜びの声が聞こえてきました。


さあ、特別拝観を堪能したあとは、天皇陵のご参拝です。
まずは、乃木将軍( 乃木希典 )を祀る乃木神社へ。
明治天皇が崩御され、それに付き従うように夫人と共に殉死されたとは・・・昔の方はすごいなと感心することしかできません。


乃木神社から足を進めて数分、長〜い階段が見えてきました!
この上にある壮大な桃山御陵( 明治天皇陵 )へと向かいます。
このときは皆さんまだまだ余裕たっぷり!


明治天皇陵 階段を登り詰めると、神々しい空気に包まれます。


遥か先には京都市の南端が見えま〜す。


次ぎの天皇陵を目指し、天皇陵の森を進みます。


と、その道中にお城が・・・なんと伏見城です!
もちろん秀吉のお城でも、家康のお城でもありませんが、立派な伏見城です。


2003年までは「 伏見桃山城キャッスルランド 」として京都人にとっては数少ないプレイランドだったんですよ。私もお年頃だったころよく遊びに来ましたface02
現在はこの模擬天守を中心に運動公園や市民の憩いの場となっています。
桜の季節に来たらきっと綺麗でしょうね。

そして平安京を造営された桓武天皇陵の参拝です。
「京に都を遷してくださりありがとうございました」と心に刻みながらいにしえの栄華をしのびました。


天皇陵の参拝を終え、伏見の城下町を歩きました。当時はこのあたりは賑やかだったんでしょうね。そんな城下町にもたくさんのお寺が点在してます。

こちらは伊達政宗の伏見屋敷跡に建つ海寶寺( かいほうじ )
普茶料理や画家の伊藤若冲ゆかりのお寺としてもよく知られています。


境内には樹齢約400年とも言われている伊達政宗お手植えのモッコクが今でも健在です。


散策も終盤、あとは駅に向かうだけだと思っていたら、ここでサプライズ!
曹洞宗の栄春寺。なんとこちらでは貴重な伏見城の遺構を見ることができるんです!


本堂裏手の墓地には伏見城の土塁が一部残っているんです。


皆さん、 らくたびの ” 京都さんぽ ” だからこそのサプライズに興味津々♪
案内なしでは知ることもなく、もちろん見ることも出来なかったですよね〜。


この小高い墓地から遠くに伏見城が見えました。
お城の位置が少しは変わっていると言えど、伏見城ってこんなに広い敷地だったんですね。

今回の京都さんぽはよく歩きましたが、金の御輿に魅せられ、神妙な気持ちで天皇陵を参拝し、サプライズ的なこともあり満足感溢れる散策となりました。

ご参加いただいたみなさん、お疲れさまでした!

そして、秋本番!
散策が気持ち良い季節です。
次回はお会いすることを楽しみにしてま〜す。


                       写真/らくたび会員 岩崎 真紀枝様
                       文・写真/らくたび会員 奥村なるみ
  


Posted by らくたび  at 20:00Comments(0)伏見~深草エリア

2011年09月26日

9月17日(土)文化の秋に美の国宝探訪へ 仏像・建築・絵画

9月17日(土)
「 文化の秋に美の国宝探訪へ 」 が開催されました。

●智積院・大書院内 長谷川等伯・久蔵筆「 国宝 楓図・桜図 」(複製)


文化の秋!
この日はたっぷりと 仏像・建築・絵画 と、京都を代表する国宝をめぐりました。

京阪七条駅から出発〜。
川端通りを北へむかい、正面通りを東へ進みます。

このあたりは豊臣秀吉ゆかりのスポットでもあり、この正面通りも秀吉が建てた方広寺・大仏殿の正面にあたることから名付けられた古くから残る通りです。

こちらは、豊臣秀吉の数少ない史跡のひとつ「 耳塚 」
朝鮮出兵で多くの方が犠牲になった負の遺産ですが、現在では文化財に指定されています。
みなさん、若村先生の深い歴史のお話を熱心に聞いておられました。


そして本日最初の『 国宝・豊国神社の唐門 』です。


天下人・豊臣秀吉を祀るこの神社の唐門は、伏見城の遺構。
現在は西本願寺、大徳寺の唐門とともに『 国宝三唐門 』の一つとされています。


天皇家・菊の御紋と豊臣家・桐紋が配されるきらびやかさ、左甚五郎作と伝わる彫刻がとても豪華で国宝にふさわしい堂々たる構えに、一同感動〜。


続いて、方広寺へ。
かつて秀吉が建てた大仏殿がありましたが、現在は諸堂と梵鐘を残すのみ。
今回は鐘楼に入り豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘をじっくりと見学しました。

その後、秀吉の史跡・方広寺の巨大な石垣を横に見ながら三十三間堂へと進みます。

三十三間堂では
『 御中尊・千手観音坐像 』『 風神・雷神と二十八部衆 』と圧巻の仏像群!
そして120メートルもある世界一長〜い木造建築の 『 本堂 』
と多くの『 国宝 』を堪能しました!

こちらは三十三間堂の東にある法住寺
来年の大河ドラマにも登場する・後白河法皇ゆかりのお寺です。
早くもドラマの予習かな〜(笑)


最後に訪れた智積院では、安土桃山時代の絢爛豪華を伝える長谷川等伯・久蔵筆『 国宝・楓図・桜図 』に魅了されました。
収蔵庫にセッティングされている録音テープも良かったですが、それを補足する若村先生の解説が絶妙でしたよICON59

そしてこの頃には雨がシトシト。
「利休好みの庭」と伝えられる庭園に雨が落ち、しっとりとした風情を演出してくれました。


縁側で座する方、書院の奥で座する方、それぞれ庭園が美しく見えるお好みのポイントで、若村先生の説明を聞きながらゆっくりとお庭を鑑賞しました。


この界隈は らくたび で様々なテーマでツアーが開催されますが、何度訪れても新しい発見があり、奥深い魅力があります。
もちろん初めてお越しになった方は感動の嵐だったことでしょう♪

多くの『 国宝 』に触れて、
喜びいっぱい、感動いっぱい、文化の秋にふさわしい一日になりました。

ご参加いただいたみなさん、
お疲れさまでした & ありがとうございました!

                          文・写真/らくたび会員 奥村なるみ


〜次回の京都さんぽのお知らせ〜

10/9(日)15時30分スタート
   「御室仁和寺と幻想の世界へ誘う梵燈の東林院へ」

夏の夜さんぽとは、また違った風情のある夕暮れ時の京都さんぽになること間違いなし!
格式ある門跡寺院・仁和寺では、国宝・阿弥陀三尊像などを鑑賞し、
梵燈や古瓦にろうそくが灯り、幻想の世界となる妙心寺塔頭・東林院を訪れます。

ご案内はらくたび講師の若村です。

くわしくは こちら をどうぞ。

また、こちらも好評実施中!
〜らくたびガイドと歩く京都めぐり〜

おかげさまで大好評!!
★10月〜11月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 

前回大好評だった『 路地裏散策 』の第2弾!
★10月〜12月 毎週日曜  午後13:30 地下鉄今出川駅スタート
  必勝・開運・旅行安全・・・を願って!西陣路地裏散策

お手数ですが詳細はお電話にてお問い合わせください。
電話番号:075-257-7321(9:00~18:00)

ご参加をお待ちしております!

  


Posted by らくたび  at 22:00Comments(0)七条エリア

2011年09月15日

9月15日(木)京大ラトゥールランチ&駒井家住宅へ


この日の京都さんぽの行程は

 京都大学内レストラン「ラトゥール」にてランチ~百万遍知恩寺・手づくり市~
 京大構内さんぽ~京の夏の旅特別公開・駒井家住宅 


百万遍交差点に集合後、さっそくランチへ向かいます。

京都大学時計台の1階にあるレストラン≪ラトゥール≫優雅な雰囲気と手ごろなお値段、
もちろん、美味しいお食事で大人気です。


メニューは、スープ、メイン(お魚またはお肉)、デザート、コーヒー。

この日、初めて京都さんぽにご参加される方も多く、初めは少々緊張気味(?)
でしたが、お食事が始まると「おいしいね」「こんな風に盛り付けしたらきれいね」と
会話も弾みます。

なかでも、一番、盛り上がったのが、デザートのシャーベットが何なのか?

「色はイチゴや」、「いや、酸味があるからな・・・」、「ブドウと違うかな?」
お店の方に聞いてみましょう!
正解は・・・「すもも」でした。 「あぁぁ~、そうか!」(笑)

お食事を楽しんだ後は≪百万遍知恩寺・手づくり市≫へ。
創建は平安末期、法然上人が現在の京都御所の北に結んだ草庵に始まります。
法然上人亡きあと、弟子・源智が「師(法然)の恩を知る寺」として「知恩寺」に。
鎌倉時代に都で疫病が大流行した時に、善阿空圓が「南無阿弥陀仏」の念仏を
「100万遍」唱えて疫病退散を祈願したことから「百万遍」の号を受けました。
現在では、毎月15日に境内で手作り品を販売する「手づくり市の百万遍さん」と
して大人気。境内には400店の店が並び、遠方からバスツアーで来られるほど!

普段はこんなに広々とした境内

15日になるとこの賑わい!

時間をとって、お買いものタイム~♪


再集合のあとは、「何、買った?」と見せあいっこです。

続いて、≪京大農学部・理学部エリア散策≫
入口の門は大正13年に建てられました。国の登録有形文化財に
指定されています。和の瓦屋根にツタが絡まって、どことなく洋風に。

さらに進むと胸像が。
「この方、どなたかわかりますか?」

「あっ、湯川秀樹さん!」
大正解~。

湯川先生は京大の理学部で学ばれた後、京大の教授に。
昭和24年、日本人として初めてノーベル賞を受賞されました。
当時の日本は終戦を迎えたばかりでアメリカの占領下にあった頃。
生きる自信をなくしていた日本人に「日本人だってやればできる!」と
大きな夢と希望を与えてくれたそうです。

と、言っても私は当時の事を知らない訳ですが、参加者のお一人が
「昭和24年やったん?子供の頃やけど、すごくよく覚えている」と。
湯川先生はその後、「核兵器撲滅」を目指して平和運動にも力を
そそがれます。湯川先生が残された言葉、

 「一日生きることは、一歩前に進むことでありたい。」

簡単なようですが、なかなか実現できないこと。それをわかっていらした
からこそ、あえて、言葉として口に出しておられたそうです。

農学部らしく、周囲の景観に合わせたこんな建物も。

また、周辺には研究に使われる木々が植えられており、とっても気持ちのいい
散策道(大学構内ですが)になっています。

農学部を抜けると御影通にでます。
この辺りは大正から昭和初期にかけて開発された住宅地。
京大から近いこともあって、多くの先生が住まわれ「学者村」とも呼ばれて
いたそうです。
そんな「学者村」の中に現在も残るのが≪駒井家住宅≫です。

京大の理学部教授・駒井卓先生の住宅として、昭和2年に建てられました。
設計したのは、アメリカ人建築家 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 。
アメリカの大学で建築学を学んだヴォーリズですが、キリスト教布教のために
来日。滋賀県近江八幡を拠点として伝道活動や慈善事業に力を尽くされました。
その活動の資金を得るため、日本におけるメンソレータム(軟膏)の販売や、
建築家としても活躍されました。そんなヴォーリズ建築は「使う人のことを
第一に考えた優しい建築」として知られています。
京都では、同志社大学、東華菜館などを設計。他にも心斎橋大丸、関西学院大学、
10年ほど前に取り壊し問題で騒動となった旧豊郷小学校もヴォーリズの作品です。

係の方のご案内で、お部屋の中を見て回ります。



「ステキやね~」「使いやすそう」
お庭には可愛らしい花々が。


参加者さんから「森さん、家を建てる時の参考になった?」との質問が。
「はい、“森家住宅”が建ったら、皆さんに公開させていただきますのでface02

美味しいランチを食べて、お買い物を楽しみ、様々な時代の建築ウォッチングを
楽しんだ散策となりました。
ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

最後に・・・今回の散策は食事場所の関係上、定員を設けた散策であったため、
参加をお断りをした方も多くいらしゃいました。申し訳ございませんでした。
またの機会にお会いできることを楽しみにしております!

                          ご案内・文・写真/らくたび 森 明子
                             受付・添乗/富田 啓子  


Posted by らくたび  at 00:00Comments(0)一乗寺~修学院エリア

2011年09月11日

大好評!江戸たび★ 鴎外荘ランチと上野散策&寛永寺へ


2011年9月11日(日)
≪第2弾★江戸たび!≫が開催されました。

前回は1年前に皇居に残る江戸城の史跡散策を行い(詳しくはこちら )大好評!

第2弾の今回は・・・

「森鴎外ゆかりの鴎外荘昼食懇談会と
         上野散策から徳川将軍家の菩提寺寛永寺へ」


ご案内はもちろん らくたび代表・若村 亮ICON59

毎月、東京や千葉で京都学の講師(詳しくはこちら )をさせていただいており、
今回の企画には講座の受講生様、関東方面在住のらくたび会員様、
なんと関西のらくたび会員様がご参加くださいました。
総勢35名の一行が京成上野駅をスタート。

まず向かったのは、上野といえばココ!
【西郷隆盛像】

西郷さんは幕末に幕府征討軍参謀として、幕臣・勝海舟と会談し、江戸城の
無血開城を実現へと導いた方。銅像は明治31年 に建てられました。
連れている犬は 「ツン」ICON167 という名前だそう。
犬の名前は考えたことなかったなぁ(笑)
これからは、【西郷隆盛・ツン像】と呼ばないと!

では、これより上野恩賜公園の中へと進んでいきます~face01

【上野恩賜公園

寛永2(1625)年、徳川家康、秀忠、家光公の3代にわたる将軍の帰依を受けた
天海大僧正(てんかいだいそうじょう)によって、徳川幕府の安泰と万民の平安を
願ってこの地に「東叡山寛永寺」が建立されました。
実はこの地は江戸城の鬼門(東北)にあたります。平安京遷都の時、桓武天皇の
帰依を受けた最澄が開いた比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門(北東)に位置し、
朝廷の安穏を祈る鎮護国家の道場であったことにならってこの地に寛永寺が
建てられました。しかし、幕末の戦乱で焼失。大正13年に宮内省を経て東京市(当時)に
下賜されたことから「恩賜」の名が付いています。当初は、寛永寺社殿と霊廟、
東照宮、それに境内のサクラを中心にした公園だったそうですが、その後、博物館や
動物園、美術館などが建てられ、現在は文化の薫り高い公園として親しまれています。

【清水観音堂】

こちらは京都の清水寺を模した舞台造のお堂で、寛永8(1631)年、天海大僧正に
よって建立されました。本尊も京都の清水寺から恵心僧都作の「千手観音像」(秘仏)を
迎えてお祀りしているそう。東京在住の参加者様から「京都の清水寺は行ったけど、
上野にも清水さんがあったとは~!」
という声が(笑) 「比叡山」や「清水寺」など
京都と江戸の深いつながりを感じます。

【不忍池・弁天堂】

天海大僧正が琵琶湖・竹生島 になぞらえて、不忍池(しのばずいけ)に中之島を築き、
お堂を建立されました。本尊・八臂大辯財天は、竹生島の宝厳寺からお迎えしたもの。

不忍池ではボートに乗ることもできるようですが、参加者さまから「ここでボートに
乗ったカップルは別れるという伝説がある」
と教えていただきました。
あっ、京都では「嵐山でボートに乗ると・・・」って言われています(苦笑)

そろそろお腹も空いてきたなぁ・・・
お待たせしました~! 「水月ホテル鴎外荘」にて昼食です。


旅館・ホテルの料理部門100選に毎年選ばれているお料理を楽しく、美味しく
いただきました!また、ホテルの敷地内には、森鴎外が『舞姫』を執筆した旧居が
残されており、現在でも食事や宴会などで貸し会場として利用ができるそう。
内部の見学をさせていただきました。


お腹も満たされたところで、再び散策へ。

危篤に陥った徳川家康が「魂が末永く鎮まる所を作ってほしい」と家臣・藤堂高虎と
天海大僧正に遺言し創建された「上野東照宮」、寛永16(1639)年 に再建された
「旧寛永寺五重塔」などを見学。


【お化け灯籠】
戦国武将・佐久間勝之が上野・東照宮に 寛永8(1631)年 に奉納した高さ6mの
石灯籠。あまりの巨大さから「お化け灯籠」と呼ばれています。

京都・南禅寺、名古屋・熱田神宮の大灯籠も勝之の奉納で、これらを合わせて
「日本三大灯籠」と呼ぶそう。
皆さん「えっ・・・?! 南禅寺にそんな大きな灯籠あったっけ?」と疑問顔ICON45
ありますよ~。石川五右衛門が「絶景かな~」と上からの眺めを称賛した三門の
真ん前に!今度はぜひとも、灯籠を探しに京都へお越しくださいね。

【上野大仏】
寛永8(1631)年 に初建された上野大仏は幾度か火災の被害を受けましたが、
その度に復興されました。しかし、関東大震災により首が落ち、第二次大戦時には
軍の供出によって胴体を徴用。現在は顔のみが残っています。


【東京国立博物館】
明治5年 に創設された 日本最古の博物館。通称「トーハク」
収蔵品の総数は国宝87件、重要文化財622件を含め、なんと11万件を超えるそう!
現在「空海と密教美術展」が開催されており、京都から東寺、仁和寺、醍醐寺などの
仏さま達が「江戸たび中」です。

最も格式の高い大名屋敷の姿を残す「旧因幡国・池田屋敷・表門」、明治期の
ルネサンス様式の建物が美しい「国際こども図書館」など、建築ウォッチングも
楽しみました。


そして、いよいよ、本日のゴールへ
【寛永寺】

寛永2(1625)年、徳川家康・秀忠・家光の帰依を受けた天海大僧正により、
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門( 東北 )にあたる
この地に建立。広大な境内地を有し、やがて徳川将軍家の菩提寺となり
歴代将軍の霊廟も造営され、格式・規模において我国最大級の寺院として
その偉容を誇りました。しかし、幕末の戊辰戦争で伽藍の大部分を焼失。
さらに明治政府によって境内地は没収に。
しかし 明治12年、寛永寺の復興が認められ、現在地に根本中堂が再建されました。
伝教大師作・本尊・薬師如来は、戦争の中に運び出されて現在の根本中堂に
安置されています。

その後、6名の将軍が眠る「徳川家霊廟」、徳川最後の将軍・徳川慶喜の墓、
などを見学し、日暮里駅にて終了となりました。

この日は最高気温34℃と非常に暑い日でしたが、京都と江戸の情報を交え
ながらの、とても楽しい散策となりました。

参加者様からの、多くのご要望にお応えして・・・
らくたび・若村は「江戸たびは半年に1回開催します!」と高らかに宣言ICON59

次回は春の江戸ICON144を歩く予定です。しかし、行先は・・・決まっておりませんICON46

江戸の皆さま、おススメの散策コースがございましたら、どうぞ情報提供お願いします。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。
次は京都でお会いできることをスタッフ一同楽しみにしております。
 
                             文・写真/らくたび 森 明子  


Posted by らくたび  at 09:16Comments(0)その他

2011年09月02日

8月27日(土)夏さんぽ!船岡温泉から上七軒ビアガーデンへ♪

8月27日(土)「 織田信長も驚く夏さんぽ! 船岡温泉から上七軒ビアガーデンへ♪ 」が
開催されました。

今回のテーマは【 真夏の暑い京都を歩こう! 】
地下鉄・鞍馬口駅〜船岡山 or 上七軒へと、とにかくよく歩きました。

まずは西陣織工芸美術館 松翠閣へ。日本画や西洋の名だたる名画を西陣織で織り上げた素晴らしい作品をたくさん拝見しました。パッと見たら普通に絵画なんですが、よーく見ると織物。なんと精密にできているのでしょう〜!、皆さんとっても感心されてました。


そしてこちらは妙覚寺。織田信長が上洛した際の常宿としていたというお寺です。しかし、あの日の夜は・・・嫡男の信忠がここ泊まり、信長は本能寺に泊まったということ。そう信長が炎とともに潰えた「 本能寺の変 」。
若村先生の熱い語りが聞こえてきそうでしょう♪


西陣には日蓮宗のお寺がたくさんあります。
こちらは本法寺。本阿弥光悦の「 三巴の庭 」が有名ですね。


それにこの長谷川等伯さんゆかりのお寺でもあります。
等伯さんも暑そうに天を仰いではりますね〜。


妙蓮寺の門前には芙蓉のお花が咲いてました。


「 十六羅漢石庭 」や長谷川等伯の絵画を所蔵されており、見所たっぷりのお寺です。
山門でお話を聞いていると、雨がザーッと降ってきて、ここで雨宿りさせていただきました。このような雨宿りも夏さんぽらしくていいですよね〜。


そして、京都の北方を守護する船岡山にある建勲神社( たけいさおじんじゃ )へ。
ちょっときつい階段を上がり、織田信長を御祭神として祀る本殿を参拝。


さらに山道を進んでいくと・・・。


見晴らしの良い船岡山山頂に到着!
しんどくても登ってきて良かった〜。素晴らしい景色を見ることができました。


この辺りで皆さん、結構バテバテicon10icon10
あとは、銭湯ICON113にする?、それともカフェICON152

【 船岡温泉 】は、国の有形文化財で大正時代の料亭が昭和になって銭湯になったとか。


【 さらさ西陣 】は、銭湯が今はオシャレなカフェになったとか。


料亭が銭湯。
銭湯がカフェ。
おもしろい遍歴ですが歴史と伝統を感じさせる貴重な建造物が、今も残り活用されているのが京都らしいですね。

カフェの店内はこんな感じで、カラフルなタイルが美しい。


さあ、このあとは二次企画・上七軒のビアガーデンへ!
舞妓さんや芸妓さんがおもてなししていただけるという、まさに京都ならでは!


よく歩き、よく学び、ひとっ風呂浴びてのビアガーデン。
盛り上がったのは言うまでもございませんface02
夏ならではの素敵でらくたびチックな企画でした。

ちなみに・・・。
船岡温泉に入って一番喜んでおられたのは若村さんなんですよ〜ICON113

暑い夏、汗かきながらも充実した散策ツアーとなりました。
みなさま、お疲れさまでした!
                                                          写真/らくたび会員 五島千恵様
                                                          文・写真/らくたび会員 奥村なるみ


〜次回の京都さんぽのお知らせ〜

9/17(土) 13時スタート 
   文化の秋に美の国宝探訪へ 
        「 仏像・建築・絵画 」


豊臣秀吉を神として祀る豊国神社の国宝・唐門、
三十三間堂の圧巻の仏像群、
智積院では安土桃山時代の絢爛豪華を伝える
     長谷川等伯筆 国宝 「 楓図・桜図 」

国宝の宝庫である東山七条界隈を、らくたび・若村がたっぷりとご案内します!

くわしくは こちら をどうぞ。

また、こちらも好評実施中!
〜らくたびガイドと歩く京都めぐり〜

3ヶ月にわたる開催も、いよいよ残るは 9月のみとなりました!
まだご参加されてない方、ぜひご参加くださいませ。

★9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 
  ( 詳細は こちら )
★9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ
  ( 詳細は こちら )

ぜひともご参加くださいませ!
  


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2011年08月25日

8月21日(日)滋賀たび!お江の育った長浜と竹生島を訪ねて

8月21日(日)「《 滋賀たび! 》お江の育った長浜と神の住む島・竹生島を訪ねて」が開催されました。

この日の散策は 滋賀たび!
『 大河ドラマ・江 』で賑わう長浜 と、『 神の住む島 』と呼ばれている竹生島へ。


まずは長浜・黒壁スクエアへ。レトロ感たっぷりの町並みは人気らしく、
我が京都の年間観光客数は5000万人。
それに対してこの長浜はなんと3000万人!
これには驚きましたね〜。確かにこの日もたくさんの人で賑わってました。


黒壁スクエアを跡にして、真宗大谷派長浜別院・大通寺に向かいます。
門前町を進んで行くと、巨大な総欅造りの山門が見えてきます。


大本山・東本願寺の御影門にも負けないくらいですね。


豪華な彫刻が施された立派な山門です。
本堂は伏見城の遺構と伝えられ、円山応挙、狩野山楽などの襖絵を見ることができます。


さあ!、竹生島に向かう前に腹ごしらえです!
《 長浜名物・焼鯖そうめん 》

焼鯖なんですが京都の煮鯖のように甘辛く、そのお出汁でそうめんをさっと煮てあるそうです。素朴なお味の郷土料理を美味しくいただきました。

そして現在『 江・浅井三姉妹博覧会 』の会場をなっている長浜城にやってきました。
ここではたっぷりと時間をとって、数々の貴重なお品を見学しました。


いよいよ、フェリーに乗っていざ『 神の住む島 』に向かい、約30分の乗船のあと、上陸しました!


この竹生島はかつては神仏一体の思想で発展してきましたが、明治時代の神仏分離令により、現在では弁才天を本尊とする 宝厳寺(ほうごんじ)と浅井姫命を祀る 都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)に分かれています。

こちらは《 国宝・唐門 》で、豊臣秀吉を祀った豊国廟に建っていたものの移築です。そのうえこの唐門は、秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構とも伝えられています。
確かにとても豪華で威厳を感じる風格がありました!


そしてこちらがご本尊・弁才天堂を祀る本堂です。ご本尊は、開山時724年・聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼した秘仏です。
お江をはじめ浅井家は代々竹生島のご本尊・大辯才天を守り神として、厚く信仰しておられたそうです。


竹生島での上陸時間約80分を、たっぷりと存分に満喫させていただきました。

京都から近くて遠い竹生島ですね。
「一度行ってみたかったけど、なかなか行けなかったので、良い機会を作ってくれたね〜」と
多くの参加者の方々の喜びの声を聞きました。

皆さんの思いを叶えてくださり、
らくたびさん、ありがとうございました〜。

                                 文・写真/らくたび会員 奥村 なるみ


〜次回の京都さんぽのお知らせ〜

8/27(土) 13時30分スタート 
   夏さんぽ!
     織田信長ゆかりの社寺をめぐり、
      西陣織工芸美術館・松翠閣で伝統工芸に触れ、
        ラストは銭湯?、それともカフェ?


散策あり、
カフェあり、
伝統工芸あり、
温泉あり、
楽しいこと、盛りだくさんですよ♪

ご案内はらくたび・若村です。
くわしくは こちら をどうぞ。

また、こちらも好評実施中!
〜らくたびガイドと歩く京都めぐり〜
★7月〜9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺
 
  ( 詳細は こちら )
★7月〜9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ

  ( 詳細は こちら )

当日参加も大歓迎!
お待ちしておりま〜す。
  


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2011年08月22日

8月14日「夏の夜 清水寺千日詣と幻想的な東大谷万灯会」

8月14日(日)「夏の夜 清水寺千日詣と幻想的な東大谷万灯会」が
開催されました。

この日は らくたび夏の恒例行事・夏のナイトツアー!
まだまだ明るい午後6時スタートし、まずは西本願寺・大谷本廟へ。

こちらは通称「 めがね橋 」と呼ばれている「 円通橋 」


円通橋の上で若村先生の熱い語りの始まりです。
日中はお盆のお墓参りで賑わっていたんでしょうが、さすがにこの時間はひっそりしていました。


まずは【 一日の参拝で千日分のご利益がある 】という清水寺の千日詣へ。
お盆のこの時期は、本堂の内々陣まで入り仏様の間近で参拝し有り難〜いご利益がいただけます。


ちょうど日没にさしかかる時間で、西を臨むと・・・まるで極楽浄土をおもわせるように、美しい夕景を見ることができました。


清水寺から大谷祖廟までの、三年坂・二年坂・ねねの道など、昼間とは趣の異なる風景を見ながら夏の夜をそぞろ歩きました。


そうしているうちに、【 東大谷万灯会 】が行われている東本願寺・大谷祖廟に到着。


境内には大小の約1万の提灯がともり、幻想的な雰囲気に包まれる中、多くに人びとが墓参に訪れていました。




そして円山公園のシンボルの枝垂れ桜を見ながら、八坂神社へ。
こちらも提灯のあかりが優しく灯る、静寂な八坂神社を見ることができました。


いつも見慣れている京都の観光名所も、夜の風景はまた格別でした!
一人ではなかなか夜の散策はできないので、参加者の皆さまは喜んでおられましたよ。
来年のナイトツアーが楽しみですね。
                                                          写真/らくたび会員 五島千恵様・鴨田一美様
                                                          文/らくたび会員 奥村なるみ


〜次回の京都さんぽのお知らせ〜

8/27(土) 13時30分スタート 
   夏さんぽ!
     船岡温泉から上七軒ビアガーデンへ♪

散策あり、
カフェあり、
温泉あり、
そして、最後は 上七軒ビアガーデン で、ビールをぐびっ!と。
楽しいこと、盛りだくさんですよ♪

ご案内はらくたび・若村です。
くわしくは こちら をどうぞ。

また、こちらも好評実施中!
〜らくたびガイドと歩く京都めぐり〜
★7月〜9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 
  ( 詳細は こちら 
★7月〜9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ
  ( 詳細は こちら )

ぜひともご参加くださいませ!

  


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2011年07月25日

7月25日 かぼちゃ供養と夏の旅特別公開・大寧軒へ

7月25日(月) らくたび京都さんぽ
「安楽寺の鹿ヶ谷かぼちゃ供養と京の夏の旅・特別公開 大寧軒へ」が
開催されました。

地下鉄・蹴上駅をスタート。トンネルを抜けると・・・

そこは南禅寺 大寧軒。

明治時代の茶人で藪内流の家元であった
藪内紹智(やぶのうちじょうち)によって造られた池泉回遊式庭園。

苑内には風情ある茶室が建ち、飛び石の打ち方や苑路にも趣向をこらした
路地風の庭園が期間限定で見学できます。

優雅な曲線を持つ池があり、流れる豊かな水は琵琶湖疏水を利用。

また、せせらぎの中に組まれた石造りの「三柱鳥居」は太秦の蚕ノ社
(かいこのやしろ)の鳥居を模したものと言われ、印象的な眺めを作りだしています。

美しい水の流れと豊かな木々に、しばし暑さを忘れてほっこり。

続いては南禅寺境内へ。

歌舞伎の演目のなかで、大泥棒・石川五右衛門が「絶景かな~」と
その眺めを感嘆する三門。

この三門をくぐり抜ける瞬間、私の一番好きな景色がこちら。

素敵だと思いませんか・・・?

その後、哲学の道へ。
最近京都に引越して来られたNさんは「今日、初めて哲学の道を歩きます」
とのこと。これからも、いろんな季節に歩いてみてくだいね。

大豊神社では狛ねずみがお待ちかね。


大豊神社は12月~3月にかけて、椿の名所でも有名。
また本殿の左側にある樹齢200年ほどの「枝垂れ梅」もなかなか見事なです。
京都のなかでも、これほど立派な枝垂れ梅はないんじゃないかな・・・

そして、ちょうどお腹も空いてきた頃に・・・安楽寺に到着。
京の夏の風物詩「鹿ヶ谷かぼちゃ供養」に参加しました。
こちらは約200年続く伝統行事で、かぼちゃを食べて無病息災を祈願します。



甘く炊いたおいしいかぼちゃをいただきました。
「これで今年の夏も元気に過ごせますね。」と言っていたら、
「京都さんぽに参加してたら、病気になる間がないわ(笑)」とMさん。
そうですね、私も皆さんからパワーいただいています!

この後、法然院を訪れ、この日の散策は終了となりました。
ご参加者いただきました皆さま、ありがとうございました。

                              ご案内・文・写真/らくたび・森 明子
                              受付・添乗/富田 啓子

~次回の京都さんぽのお知らせ~

8月14日(日) 18時スタート 21時頃解散予定
 夏の夜の参拝へ 
    清水寺「千日詣」と灯明が生む幻想の世界「東大谷万灯会」


ご案内はらくたび・若村です。
見どころは・・・?
「清水寺で千日分のご利益を祈願しましょう♪ 産寧坂、二年坂のそぞろ歩きも
お楽しみください!」  くわしくは こちら をどうぞ。

また、こちらも好評実施中!
〜らくたびガイドと歩く京都めぐり〜
★7月〜9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 
  ( 詳細は こちら 
★7月〜9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ
  ( 詳細は こちら )

ぜひともご参加くださいませ!
  


Posted by らくたび  at 21:00Comments(0)銀閣寺~南禅寺エリア

2011年07月18日

法然と親鸞 念仏が響く吉水草庵 本願寺発祥「東山」ゆかりの地

7月10日(日)
「 法然と親鸞 念仏が響く吉水草庵 本願寺発祥「東山」ゆかりの地 」が開催されました。

 例年より早く 梅雨明け宣言がっ!、その通り素晴らしい晴天となりました。
この日の散策は、『親鸞の歩き方』出版記念スペシャル企画第3弾!

まずは親鸞聖人ゆかりの青蓮院へ。それも親鸞聖人が得度された際の『 髪 』が祀られているという 植髪堂( うえかみどう )を参拝しました。
お堂の横に建つ『 親鸞聖人の遺髪塔 』


次に訪れたのは、本願寺発祥の地・崇泰院(そうたいいん)へ。こちらは親鸞聖人の廟堂が最初に作られた場所であり境内には聖人の墓石と伝わる五輪塔があります。


そして本願寺中興の祖『 蓮如上人の産湯井 』もあります。


その後、法然上人ゆかりの浄土宗総本山・知恩院 を参拝。
このころには気温もどんどん上昇! この暑さ、みなさん大丈夫かな・・・。


そんな心配は不要でした。(笑) 全員で境内の奥にある御廟も参拝しました。


みなさん熱心なまなざし!、若村先生のお話にも熱が入ります!


御廟の前の拝殿では木魚の合唱が始まりました〜。


そして法然上人が浄土念仏を唱え始めた『 法垂窟 』( ほうたるのいわや )へ。
知恩院の大鐘楼の奥にあるのですが、ここまではなかなか普通の散策では来ないですよ。
らくたびチックでいいですね〜。


さあ、暑さもピークに達しようというところ。
最後の訪問先・安養寺さんを後に、お待ちかねのカフェでほっこりいっぷく♪
緑につつまれながらのカフェタイムで、癒されました〜。

真葛ケ原( 東山の麓 )にある緑豊かな癒しの「カフェ吉水」


猛暑の中の散策でしたが暑さなんかには負けずに、みなさん元気に約3時間の散策をクリアされました!ほんとにお疲れさまでした。
     
★おまけ★
最後に八坂神社を通ると、ちょうど祇園祭のお神輿が倉庫からおでましになるところに遭遇!


                                                                       写真/らくたび会員 五島千恵様
                                                                       文/らくたび会員 奥村なるみ


~7月 京都さんぽのお知らせ~
7月23日(土)
  非公開・鴨脚家の庭園拝観と下鴨神社・御手洗祭 
( 詳細は こちら ) をご案内します。
ご案内はらくたび講師の山村です。

山村より見どころを一言!
「下鴨神社の唯一の社家である鴨脚(いちょうけ)家の庭園を特別に見学します。
また下鴨神社の御手洗祭で暑い夏を乗り切れるよう祈願しましょう♪」
皆さまのご参加お待ちしています。

7月25日(月)
  安楽寺かぼちゃ供養と夏の旅特別公開・大寧軒 
( 詳細は こちら )

〜らくたびガイドと歩く京都めぐり〜
★7月〜9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 
  ( 詳細は こちら 
★7月〜9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ
  ( 詳細は こちら )  


Posted by らくたび  at 15:00Comments(0)祇園~円山エリア

2011年07月12日

祇園祭の熱気ジリジリ!鉾の曳初めと山鉾町上ル下ル

7月12日(火)
「祇園祭の熱気ジリジリ!鉾の曳初めと山鉾町上ル下ル」が開催されました。
「祇園祭の熱気ジリジリ・・・」から、とんでもなく暑い日を予想して
いたのですが、出発時はいい感じで曇り空(よかった~)
「今日は涼しいですね」と言いながらのスタートとなりました。

鉾建ての見物をしながら、山鉾町を上がったり(北へ行く)、
下ったり(南へ行く)。

参加者の皆さまの多くは「巡行を見たことはあるけれど、準備の様子を
見るのは初めて!」
とのこと。鉾が完成した後では見ることのできない
「舞台裏」を楽しんでいただきました。

祇園祭といえばもう一つの楽しみが「屏風祭」
各家の秘蔵の屏風や骨董品を招いたお招きしたお客様や通りを歩く人に
見せる習わしがあります。

この日は町家の美術館「紫織庵」さんを訪問し、素晴らしい屏風の数々を
見せていただきました。いや~、ホントにすごかった!



普段は美術館などでガラス越しに展示されている貴重な屏風がお祭りの
期間中は「里帰り」をして、ガラスなしに間近でみることができるのです。
30分の自由見学の時間を設けましたが、皆さん、なかなか外に出て
こられないくらい、夢中で見学されていました(笑)

続いて「六角堂」へ。六角堂は江戸時代まで祇園祭の巡行の順番を決める
「くじ取り式」が行われていたところです。正式名称は「頂法寺」ですが、
本堂の屋根の形が六角形であることから「六角堂」と呼ばれています。

隣接するビルのシースルーエレベーターから、六角形の屋根をご覧いただきました。

続いては32基の山鉾のひとつ、山伏山さんの町家をご訪問。
本来なら明日から山建てが始まるのですが、今日は特別に中に入れていただきました。

外から見ていると小さな町家なのですが、奥行きがありその奥には立派な蔵が!!
その中に御神体などが納められています。
京都の町家の特徴である「うなぎの寝床」も実感していただきました。
山伏山さん、ありがとうございます!

そしていよいよ、「鉾の曳初め」へ!「鉾の辻」とも呼ばれる烏丸室町の交差点は
大賑わいです。この曳初めは17日の本番の巡行に向けてのいわば試運転。
ここで不具合が見つかると本番に備えて調整をされます。
そしてこの曳初めの綱を触ると一年間無病息災でいられると言われています。

らくたび京都さんぽチームも月鉾の曳初めに参加しました。
「エイエイ、エンヤラヤー」の音頭に合わせて鉾を引っ張ります。が・・・動きません。

なんせ、月鉾の重さは11.88トン。「しっかり引っ張ってや~」という月鉾の方の声に
再チャレンジ。今度はギシギシと音を立てて鉾が動き出しその大きさと重量感を
自分の手で感じることができました。



曳初めの後、参加者の方から「曳初めに参加できたのが楽しかった。
来年も絶対に来ます!」
という嬉しいお言葉をいただきました!

そうなんです!
実はこの私も「祇園祭って楽しい!」と思ったのが数年前にこの曳初めに参加した時でした。
一度自分の手で鉾を曳いてみると、鉾に対して愛着がわきます。
この日ご参加いただいた皆さまには、これまでは「遠くから見ていた月鉾」が、
「私が曳初めで引っ張った月鉾」となって、17日の巡行の時に見る目や感じる思いが、
去年よりも一層深まっていただければ嬉しいですね。

「祇園祭の熱気ジリジリ!」のタイトル通り、やっぱり今日の散策も暑かったです(汗汗汗)
でもこの暑さは、決して「気候の暑さ」ではなく、「祇園祭にかける町衆の心意気の熱さ」で
あったのでしょう。人々のエネルギーに触れられた楽しい散策となりました。

夕方に会社からの帰り道、月鉾の前を通りかかると提灯の明かりが灯されていました。



さあ、祇園祭はいよいよ本番です!
明日からは、オフィスで仕事している場合じゃないな~(笑)

                                ご案内・文・写真/らくたび 森

~今後の予定~
~次回の京都さんぽのお知らせ~
7月23日(土)
  非公開・鴨脚家の庭園拝観と下鴨神社・御手洗祭 
( 詳細は こちら ) をご案内します。
ご案内はらくたび講師の山村です。

山村より見どころを一言!
「下鴨神社の唯一の社家である鴨脚(いちょうけ)家の庭園を特別に見学します。
また下鴨神社の御手洗祭で暑い夏を乗り切れるよう祈願しましょう♪」
皆さまのご参加お待ちしています。

~今後の京都さんぽの予定~
★7月25日(月)
  安楽寺かぼちゃ供養と夏の旅特別公開・大寧軒( 詳細は こちら )
★8月14日(日)
  清水寺・千日詣と東山大谷・万灯会( 詳細は こちら )
★8月21日(日)
  ≪滋賀たび!≫お江の育った長浜と神の住む島・竹生島へ( 詳細は こちら 
★8月27日(土)
  夏さんぽ!船岡温泉&上七軒ビアガーデンへ♪( 詳細は こちら )
その他、9月までの 京都さんぽ の予定がでております。

~らくたびガイドと歩く京都めぐり~
★7月~9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 
  ( 詳細は こちら 
★7月~9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ
  ( 詳細は こちら )  


Posted by らくたび  at 21:00Comments(0)河原町~烏丸エリア

2011年06月30日

城南宮・人形流しと茅の輪くぐり+鳥羽離宮ゆかりの安楽寿院

6月30日(木)京都さんぽ
「城南宮・人形流しと茅の輪くぐり+鳥羽離宮ゆかりの安楽寿院」
開催されました。この日は地下鉄・竹田駅に集合をして鳥羽を散策です。
このあたりは今から920年ほど前に白河上皇によって鳥羽離宮
造営されたところ。

平安京から南へ約3キロのこの地に造られた、東西1.5㎞、南北1.0㎞の
広大な敷地に、御所、お堂、庭園、をはじめ、貴族・役人の邸宅、仏所まで
建ち並び、その様子は「都遷りがごとし(平安京が移ってきたようだ)」
だったとか。高速道路が走る現在の姿からは、とても想像できませんね。

白河上皇によって造営が開始された鳥羽離宮は、白河上皇の孫・鳥羽上皇の
時代にほぼ完成。そんな鳥羽上皇が営んだ御堂に始まるのが安楽寿院です。

こちらでは鳥羽上皇の念阿弥陀三尊像を特別拝観しました。
この仏さまは、長らく鳥羽上皇の御廟に安置されていた「秘仏」であったこと
から、とてもきれいなお姿を留めておられました。

続いて、鳥羽離宮にゆかりのあった上皇の御廟めぐりです。
まずは、鳥羽上皇の皇子・76代近衛天皇陵

立派な宝塔が建っています。
「前からこの塔は何かな~と思ってたんや!」と参加者のFさん。
疑問が解決したと喜んでおられました。
この近衛天皇が17歳という若さで急逝されたため、その後継者をめぐって
争ったのが「保元の乱」。
この乱で敗れた崇徳天皇は讃岐に流され無念の死を遂げ、その無念は天高く
舞い上がって怨霊になり・・・と崇徳天皇の怨霊伝説に繋がります。

続いて、第74代鳥羽天皇陵。こちらも大きな御廟ですが、もとはもっと大きく、
さらに幅8mのお濠で囲まれていたんだとか。

そして、第72代白河天皇陵。白河天皇といえば、三不如意(白河天皇の思い
通りにならかった3つ)「賀茂の水、サイコロの目、比叡山の法師」が有名です。

でも、これ以外はなんでも思うままになった=それほどの権力者であったということ。
また、この白河上皇が熱心に足を運ばれたのが「熊野詣」であり、その時に旅の安全を
祈願されたのが、次に向かう城南宮です。

「城の南を護る」という意味を持つ城南宮

こちらのご利益は・・・
1.方除け
平安京遷都の時に、「城(=平安京)の南を護る」ためのお社であり、
鳥羽離宮ができてからはその鎮守社であったことから。
2.安産・子育て
安産・子育ての神さまである神功皇后をお祀りすることから。
3.交通安全
歴代上皇が熊野詣に向かう時、旅の安全を祈願したことから。

この日は1年のちょうど半分にあたる日であることから、
前半年の罪や穢れを祓い、残り後半年の無病息災を願う「夏越祓(なごしのはらえ)」
行われていて、皆さん一緒にお参りをしました。

まずは、茅の輪を「8の字に3回」くぐります。何回くぐったか数えておいてくださいね。

「あれ?今、2回だよね?」とIさん
「3回くぐったよ!」とGさん
Iさん&Gさんコンビはいつも明るい笑いでいっぱいです。

続いて人形(ひとがた)流しへ。
人の形をした紙に自分の罪・穢れを移し、流れる小川に流します。

「主人と息子の分もお願いしておくわ!」とFさん。優しいお母さんですね。



「あっ、私の人形が石で止まった~!」
大丈夫、神社の方がちゃんと棒で助けて流してくれます。

流れていく人形を見ていると、とてもすっきりした気持ちになりました。

また、城南宮には名水も涌いています。暑かったので水分補給も
させていただきました。

駐車場には7/1~7/7にくぐることができる「車用のジャンボ茅の輪」
スタンバイ!

「車は8の字にくぐりませんよね(笑)」とTさん。一同爆笑!
(車は1回通り過ぎるだけでOKです)

その後、城南宮の門前名物「おせき餅」で一服し、鳥羽離宮跡公園に向かい
この日の散策は終了となりました。

大変暑い中での散策となりましたが、参加者の皆さま、お疲れさまでした。
皆さまにとって、2011年の後半がより楽しく、より元気な日々でありますように!
また、お会いできる日を楽しみにしておりま~す。

                              ご案内・文・写真/らくたび 森
                                受付・添乗員/富田

~次回の京都さんぽのお知らせ~
7月10日(日)『親鸞の歩き方』出版記念第3弾!
  若き親鸞の足跡をめぐる東山散策
 ( 詳細は こちら ) をご案内します。
ご案内はらくたび講師の若村です。

若村より見どころを一言!
「本願寺発祥の地・崇泰院を訪れます。吉水カフェでのお茶タイムもお楽しみください♪」
皆さまのご参加お待ちしています。

~今後の京都さんぽの予定~
★7月10日(日)
  若き親鸞の足跡をめぐる東山散策( 詳細は こちら )
★7月12日(火)
  鉾の曳初めと山鉾町上ル下ル( 詳細は こちら )
★7月16日(土)
  祇園祭 宵山の夕べ ( 詳細は こちら )
★7月23日(土)
  鴨脚家庭園特別見学と下鴨神社御手洗祭( 詳細は こちら )
★7月25日(月)
  安楽寺かぼちゃ供養と夏の旅特別公開・大寧軒( 詳細は こちら )

~らくたびガイドと歩く京都めぐり~
★7月~9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 
  ( 詳細は こちら )
★7月~9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ
  ( 詳細は こちら )
  


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2010年12月19日

らくたび大忘年会「京町家でほっこり湯豆腐」



12月19日(日)、四条京町家で「らくたび大忘年会」が開催されました。



私が京町家に着いたときは、らくたびのSさんが忙しそうに準備のまっ最中でした。
和服にまっ白な割烹着姿が、ものすっごくステキでした。



参加者の多くは、本日開催された「京都さんぽ」から引き続き参加された方です。
21人で、4つの丸いちゃぶだいを囲んで満員の盛況でした。

本日のメイン料理は 湯豆腐 。

京都の豆腐が美味しいのは、水のうまさにあるとよく言われます。
今回提供していただいたお豆腐は、京都で有名なものばかりです。
スタッフの皆さんが各店舗に足を運ばれ、入手されたものばかりで、
中には早くから並んで買ってくださったものもあるとか、
ありがとうございます。

このように複数の有名豆腐を一度に味わえる機会というのは、
そうあるものではありません。



本日のテーマが「利き酒ならぬ、利き豆腐」ということでしたね!!
湯豆腐で食した豆腐は、北野天満宮門前の とようけ屋山本
嵯峨豆腐の 森嘉 、堺町通万寿寺下ルの庶民的で伝統ある
久保田豆腐店 のお豆腐でした。

鍋に全ての豆腐を一度に入れるのではなく、一鍋ごとに
各店のお豆腐をいただきました。
それぞれ違った香りや舌触り、食感、風味などを味わい、
それぞれの特徴を体感させていただきました。
いずれ劣らぬ名品で納得のいく味わいを堪能することができました。



また、変わり豆腐もいただきました。

食したのは、 賀茂とうふ近喜 の「赤おぼろ豆腐(甘みのある薄桃色の汲出し豆腐)」、
黒ごまの入った「みかげ」、そして抹茶で紋様を描いてあり、
ほのかに抹茶の香りの漂う上品な絹ごし豆腐「緑雨」。
とようけ屋山本 の「本柚子豆腐」、「青紫蘇豆腐」。
どれも個性のある味、香りを楽しませていただきました。

最後に、デザートは 京とうふ藤野 の「豆乳プリン」。
冷たく冷やされていて、牛乳で作った本物のプリンより、
アッサリとしているのにコクがあり、とてもきめ細かく、
その美味しさにびっくりしました。
このお店は、錦市場にもあることは知っていたのですが、
「豆乳プリン」は知りませんでした。
今度行った時は、忘れずに買いたいと思います。





本日のテーマが「利き酒ならぬ、利き豆腐」といううたい文句のはずだったのですが、
やっぱり出ました 銘酒 の数々。

下戸の私でも知っている銘酒はもちろんのこと、高級でレアな日本酒を
次から次と出していただきました、らくたびさんありがとうございました。



またIご夫婦から、 五辻の昆布 のとびっきり美味しいおつまみを提供していただきました。
これも皆さんの間を一巡り、ありがとうございました。



さあ、お開きかというタイミングで、野菜ソムリエのGさんから、
「利き酒でなく、利き豆腐でもない、利き○○○」。
その名前は「フジ、王林、ジョナゴールド、紅玉、秋映」。
これらも、我々が普通食するときは、一度に一種類を食べるのが普通ですが、
このように数種類を一度に食べることは、まずありません。
食べ比べるとそれぞれの特徴がはっきりと感じられますね。

答えは、利きリンゴでした。

「秋映(あきばえ)」というのが聞き慣れなかったのですが、
今、長野県一押しのリンゴだそうです。
どれも個性のある美味しいものばかりでした。ご馳走様でした。



このような数々の初体験をしながら、満腹で閉会となりました。
遠方から新幹線で来られた方も、帰りの時間を気にしながら、
ほんとに楽しい一時を過ごすことが出来ました。

らくたびスタッフの皆さん、ありがとうございました。
新年会は、「また湯豆腐を囲もう」と言う声があちこちら聞こえてきました。


文・写真/らくたび会員 鴨田一美様


  


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2010年10月31日

≪初の東京開催≫江戸たび★江戸城の史跡散策と東京ランチ♪ 

2010年10月31日(日)らくたび京都さんぽ「江戸たび」が開催されました。
洛(らく=京都)を旅(たび)するらくたび、初の東京進出です!

前日(10月30日)より少々季節外れの台風14号が東京に接近しており、
お天気が心配されましたが、なんとか回復!
皇居前にある大正11年創業の東京會舘のレストラン シェ・ロッシニにて
優雅なランチタイムのあと、江戸城跡の散策となりました。

ご案内はらくたび代表の若村です。

京都で二条城のご案内は何度もさせていただいていますが、
江戸城のご案内はこの日が初めて!少々、緊張してる・・・?!





江戸城は長禄元(1457)年に太田道灌が江戸に築いたことに始まります。
天正18(1590)年に徳川家康の居城となり、以後、明治を迎えるまでの270年の
長きに渡り、徳川幕府の居城となりました。ここに徳川15代の将軍さま達が
暮らしておられたというわけです。



徳川将軍家の時代が終わりを告げた明治元年(1868年)10月に皇居となり、
翌2年(1869年)3月に明治天皇が千年余りの間お住まいであった京都から
この地に移られ、現在に至っています。

皇居内には、天皇皇后両陛下のお住まいである御所を始め、諸行事を行う宮殿、
宮内庁関係の庁舎、などがありますが、その一角、皇居東御苑は無料で開放されており、
大都会のオアシスとして広く親しまれているそうです。
苑内には江戸城当時の石垣なども残っているとのこと。楽しみです。

では、「江戸たびご一行のご入城~!」 





大手門は江戸城の正門にあたります。正門なのでとっても重要。
攻め込んできた敵を封じ込められるように、枡形になっているそうです。へぇぇぇ~。



高くそびえる石垣が徳川家の権威を今に伝えています。



番所を超えると見えてきたのは江戸城・本丸で唯一現存する富士見櫓(ふじみやぐら)
天守閣の焼失後は天守閣の代わりをしていた時代もあったとのこと。

かつての江戸城の本丸及び、二の丸を中心としたエリアは現在、東御苑となっています。
その面積は約21万平方m!!広~い!。




天守閣跡にやってきました。見晴らしがいいですね~。


寛永15(1638)年3代将軍・家光の時代に高さ51メートル、五層の天守閣が建てられたのですが、
明暦3(1657)年 の火災により天守閣を含め建物の多くが焼失しました。

再建も検討されましたが、幕府の重臣で4代将軍・家綱の叔父にあたる保科正之が
「戦国の世の象徴ともいえる天守閣はもはや時代遅れ、物見のためだけしか用をなさず、
むしろそれよりも城下の復興を優先させるべき」
と提言したことにより、再建は断念されたとのこと。
「天守閣が再建されなかったこと」、それほど平和な時代であったことを物語っています。

天主台からは東京の高層ビル群を見ることができました。


江戸城本丸は表、中奥、大奥に三大別されるそうです。政務を執る公の場所が
将軍の私的な居住空間が中奥、ここでは小姓、近習など、男性だけが将軍に奉仕していました。
そして一番奥が御台所(将軍の妻)を筆頭に、年寄(女中の重役)、奥女中など
総勢3000名もの女性が暮らした世界、大奥があったそうです。

そして、ここでらくたびではすっかりおなじみ「お玉さんのシンデレラストーリー」をご紹介。
私ももう20回ぐらいこの話を聞きましたが(笑)、本場・大奥で聞く「玉の輿ストーリー」は
感慨深いものが(?)ありました。 ここが大奥跡です。



こちらは二の丸庭園。かつては小堀遠州の作といわれる庭園があったそうですが、
二の丸御殿の焼失とともに失われてしまいました。
現在の庭園は明治になってから東御苑の整備をした時に、残されていた9代将軍・家重の時代の
庭の絵図面をもとに復元されました。とっても気持ちいいですね。



こんなお庭が無料で見学できるなんて、素晴らしい!

庭園内には、全国の都道府県の木が植えられています。京都は…北山杉



広い苑内を約2時間かけて、楽しいおしゃべりをしながらじっくりと散策をし、
江戸たびは終了となりました。

東京にお住まいの方も「楽しかった~」と江戸の魅力を再発見をしていただけたご様子。
大好評にお応えして(?!)、第2弾も開催します!!どうぞご期待下さい。

初の江戸たび、ご参加下さった皆さま、ありがとうございました。
また、開催にあたり、江戸に不慣れな私たちのために、江戸情報を提供してくださった皆さま、
ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

                                          写真:らくたび会員 松山哲也様
                                              らくたびスタッフ 森
                                          文  :らくたびスタッフ 森  


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2010年07月11日

蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

7月11日の京都さんぽは、花園駅に13:00に集合しました。

時折、地面を叩く雨脚の激しさに戸惑いながら、法金剛院、妙心寺の法堂・浴室、
最後に妙心寺の塔頭退蔵院にてお抹茶をいただきました。 
 

 関西花の寺第十三番札所として知られている法金剛院は、
双ヶ丘の東に位置し、景勝地であった為、天長7(830)年頃には、右大臣・清原夏野の山荘が建てられました。後に「天安寺」になり、第74代鳥羽天皇中宮・待賢門院璋子が、荒廃した天安寺を大治5(1130)年に白河法皇の菩提を弔う為に復興し、寺名を「法金剛院」としました。




多幸多難な人生を歩んだ待賢門院は、魅力的な麗人だったようで、白河法皇の猶子(養子)から、鳥羽天皇の皇后となり、崇徳天皇、後白河天皇の生母となりました。しかし、待賢門院を庇護した白河法皇が崩御すると、運命は一変。美福門院との政権争いやわが子である崇徳天皇と後白河天皇の対立が生じ、やがて貴族社会の終焉と武士の台頭を本格化させました(保元の乱・平治の乱)。波瀾万丈な生涯だったのですね!

 法金剛院の本尊・阿弥陀如来坐像(重文)は、平安後期の大仏師・定朝の流れを汲む院覚の作で、古くは、平等院、法界寺とともに定朝の三阿弥陀と称されてきました。また十一面観世音菩薩(重文)は坐像のお姿で、さらに四本の手を持つ姿も他にあまり例がない珍しいものです。この仏殿で如来と菩薩の違いや九品来迎印や施無畏・与願印などを若村先生から教えてもらいました。
   
 「蓮の寺」と称される法金剛院の庭園には数多くの鉢植えや睡蓮があり、蓮荷が雨水にうたれながら、背筋を伸ばして佇む姿は優美で、待賢門院が極楽浄土をこの世に現すために作庭したのが頷けます。平安時代の滝石組の遺構である「青女の滝」は880年前の人工の滝とは思えない、清楚でたおやかな滝石組でした。
                          
滝の近くには、待賢門院堀河の歌碑があります。

    ~長からん心もしらず黒髪の 
                 乱れてけさは物をこそ思へ~  


何とも妖艶な歌ですね。待賢門院堀河は、待賢門院の落飾に殉じて出家した歌人で、
崇徳天皇や西行と歌のやり取りがありました。

 さて、庭園内を自由に散策した後は、妙心寺へ向かいます。妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山で、康永元(1342)年に関山慧玄が創建し、四季折々の花が咲く花園離宮を禅寺に改めたことに始まります。全国に約3500の関係寺院があり、教団運営が安定していることから「妙心寺の算盤面」と称され、現在も境内に46の塔頭がある事・・・等の説明がありました。南総門の案内板の大きかったこと!!


法堂(重文)は、明暦2(1656)年に建立されたもので、鏡天井(つり天井)には“狩野探幽法眼守信筆”と記された「八方睨みの龍」が描かれています。想像上の龍は、口は鰐・髭は鯰・角は鹿・全体としっぽは蛇・鱗は魚・爪は鷲や鷹・目は牛を参考にしたとか!鋭い眼差しで、法堂に入るものを見据えています。建立に使用した大木を運搬する道として「丸太町通」と名付けられたお話も興味深かったです。

 梵鐘(国宝)は紀年銘文のあるものでは日本最古のもので、698年に鋳造されました。黄鐘調(おうじきちょう)鐘とも言われ、吉田兼好の『徒然草』の中に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし・・・」とあり、法堂内に保管されています。現在は、テープにて音色が楽しめました。法堂外から、梵鐘の模造品の鐘の音と開山堂の鐘の音が聴こえ、三種類の鐘の音を聴くことが出来ました。


 また撞座(つきざ)と言われる鐘をつく時に木(撞木)が当たる部分は、高い位置にあるものほど時代が古いとされています。これからは、撞座も見ましょう!

音色の余韻にひたりながら浴室「明智風呂」へ向かいます。浴室(重文)は、天正15(1587)年、密宗和尚(明智光秀の母方の叔父)が光秀の志納金で浴室を設け、お経をあげながらお風呂に入られたことから明智風呂と呼ばれていますが、実際に明智光秀は浴室を使用していません。また、風呂敷の語源は蒸気を出す板敷きの隙間に直接肌が触れないように敷いた布をさすとのことです。衣類を包んだり、今では、多方面に大活躍の代物。  

 仏殿(重文)で、午後3時の時報を聞きました。鐘の音を聞く事でひとつずつ煩悩が減って行くこと、鐘を撞く事で時間を知らせる役割があったことを知りました。「時」とは、寺が日時を知らせると書くとか。なるほど!納得です。

 三門(重文)は、三解脱門を意味し、空門・無相門・無願門の三つの悟りの境地をあらわし、この門を通ると、浄土へ至るとされています。毎年、6月18日には懺法会が営まれ、内部を参拝出来ます。皆さん!忘れないで下さいね~!





 本日、最後に訪れるのは、妙心寺塔頭のひとつ、退蔵院です。退蔵院は、応永11(1404)年、妙心寺第三世無因宗因を開山として、波多野重通が創建しました。退蔵院は、方丈、大玄関がともに重要文化財で、さらに、日本の水墨画初期の代表作である、如拙の「瓢鮎図(ひょうねんず)」(国宝)があります。公案と言われる参禅者への課題「如何にして瓢箪でなまずを獲るか?」を禅問答も含めて描きあげたユニークなものです。現品は、京都国立博物館に寄託され、複製品が飾られています。解説がないと多分理解出来ないと思います!

 












庭園は、水墨画の流れに大和絵の技法を取り入れた狩野元信作庭の枯山水庭園「元信の庭」と、中根金作氏による昭和の名庭「余香苑」があります。前者は、枯滝・蓬莱山・亀島・蓮の鉢植えがある優雅な庭園で、石組みに風格がありました。後者は、三段落ちの滝が流れ落ち、細部に至っては入り口の門には瓢箪となまず、お抹茶と瓢鮎菓子をいただいた大休庵には、瓢箪をかたどった窓がありました。庵からも美しい花々がゆっくり眺められます。 

 若村先生の梅の実が熟す頃の雨を「梅雨」と言うのです・・・等、
七夕と雨にまつわるお話に耳を傾けました。時間がゆったり流れる感じです。




帰り際に、水琴窟の澄んだ音色で癒されながら、退蔵院を後にし、各自、帰路に着きました。
梅雨明けは、もうすぐ!雨の中ご参加された皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。


《参考文献》
らくたび文庫 009嵐電ぶらり各駅めぐり 妙心寺
014京の仏像NAVI 如来・菩薩
015京の庭 NAVI 池泉庭園編 退蔵院・法金剛院
016京都スタァ名鑑 女性編 待賢門院 美福門院
037京の神さま仏さま 仏さま編 臨済宗 等

               執筆:らくたび会員/岩崎 真紀枝様   写真:らくたび会員/岩崎 守男様                     


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2010年05月04日

雲母坂から比叡山登山へ 阿闍梨道を訪ねて

らくたびのゴールデンウィーク恒例行事といえば“山登り”です。
これまで稲荷山(2009年)、醍醐山(2007年)、大文字山(2006年)、
高雄~嵐山(2006年)などを歩いてきました。
2010年は満を持して東山三十六峰の第一峰
比叡山(標高:848m)
に挑戦です。

集合は叡電・出町柳駅。ここから叡電に乗り
比叡山の登山口となる一乗寺駅まで向かいます。
今では秋の紅葉の名所となっている修学院・一乗寺エリアですが、
かつてはこの辺りも比叡山延暦寺の境内地でした。
当時の天台宗がいかに大きな勢力を誇っていたのかが伺えます。

一乗寺下り松は室町時代、宮本武蔵と吉岡憲法の一門の
決闘の場となった所です。
そしてここから比叡山に続く道が本日のルートとなる
雲母坂(きららざか)です。その名前の由来には諸説あるものの、
都からこの辺りを見ると雲が覆い、雲が生じるように見えたことから
雲母坂と呼ばれるようになったとのこと。
また都からの勅使(ちょくし:天皇のお使い)が歩いたことから
「勅使坂」「表坂」とも呼ばれていました。
 


坂を登りつめたところにある曼殊院の参道には
見事な新緑のトンネルが続き、お寺の白壁と相まって
爽やかな5月の風景を演出してくれていました。

しかし・・・!!散策気分はここまでです。いつの間にやら
比叡山の登り口に到着しており、普段は遠目で見ている比叡山が
すぐ間近にそびえ立っています。
山村先生からコースの案内をしていただき、いよいよ登山道に入りました。

山に入ってしばらくの間は、人が一人やっと通れるくらいの
細い道が続きます。「道を作った」というよりは
「人が歩いて踏みしめたところが道になった」という感じです。
山村先生より「歩き初めの道が一番大変です。上へ行くほど
歩きやすい道になります。」と教えていただいた通り、
登り始めの30分が一番大変でした。
 


この雲母坂は平安時代から比叡山に向かう僧侶や勅使が登った坂であると同時に、
京の都と近江を結ぶ交通の要所でもあったことから、
古来より幾多の戦陣が開かれた場でもありました。
南北朝時代には南朝方の千種忠顕(ちぐさただあき)ら数百人が
この坂で戦死されたそうです。
また比叡山で最も厳しい修行である千日回峰
(せんにちかいほう:7年間計1,000日をかけ、決められた道を歩いて修行をする)
をされている阿闍梨(あじゃり)が歩く行者道も歩きました。


そして、出発から約2時間半後、ケーブル比叡駅に到着。
ここでお昼休憩です。
美しい景色を眺めながら楽しいお弁当タイムとなりました。

午後の道は午前中とは比較にならないくらい歩きやすく、
緑の山々やヤマザクラ、ミツバツツジの花を見ることもできました。
そして景色のいい所で記念撮影。参加者のKさんより
教えていただいた比叡山でのお約束、山村先生の「比叡山!」
の掛け声とともに参加者一同が声をそろえて「ひえぇぇぇ~」
楽しい記念撮影となりました。
 


さらに歩みを進めると鎮護国家の石碑に到着。
平安京の鬼門(北東)に位置し、1,200年の長きに渡り
都を鎮護してきた比叡山延暦寺は伝教大師最澄によって
開創されて以来、浄土宗や浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗を
興した高僧を輩出するなど、日本仏教会に大きな影響を与えてきました。

ここからは延暦寺の寺域に入ります。都会とは違う、
清らかな空気に包まれて歩いていると、そろそろ、ゴールかな・・・?
皆さんの期待が高まります。あっ、阿弥陀堂が見えてきました。
ついにゴールです!!


参加者24名&山村先生、全員そろって無事に到着することができました。
阿弥陀堂の前には枝垂れ桜が私達のゴールを祝福するかのように
可憐な花を咲かせてくれていました。
そしてこの後、延暦寺の中心となる根本中堂を参拝し、
この日の京都さんぽは終了となりました。


雲母坂から比叡山は確かに大変な道のりでしたが、
実際に自分の足で歩くことができて本当によかったと思います。
平安京ができる以前から若き最澄は自らこの山に入り、
民衆救済の方法を探し求めたのかと思うと、
その偉大さを改めて感じることができました。

参加者の皆さん、山村先生、本当にお疲れ様でした。
さて、来年はどこの山に登りましょうか・・・??

文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 岩崎守男様・真紀枝様
  
タグ :比叡山登山


Posted by らくたび  at 17:34Comments(0)比叡山エリア

2010年05月03日

平城京遷都1300年記念!平城京跡見学と美仏を訪ねて

一年ぶりの 『 らくたび in 奈良 』 、そうです!、『 ならたび 』 です!

昨年は、東大寺→春日大社と王道コースでしたが、
今年はなんといっても平城遷都1300年ということで、イベントが行われている
平城宮跡に行きました。
近鉄電車・大和西大寺駅で集合だったのですが、駅に着くとそこは……
人!、人!、人~!! 
さすが遷都1300年を記念するイベントが行われているだけありますね。
駅から約15分ほど歩いたでしょうか、見えてきました! 広大な緑の芝生、
そして、すでにここからイベント会場の平城宮跡なんですね。
とにかく広さに驚きです。





この敷地内を近鉄電車が走っているんですよ~。
そういえば奈良に向かう車内から、遠くに朱雀門が見えてますよね。
あたり前ですが、電車が通るたびに遮断機が降りて、
人の通行がストップするんです。
これぞ奈良、といった風景です(笑)



平城宮跡には二つの大きな建物があります。
ひとつは 『 朱雀門 』 で、1998年に再現されたものです。
そしてもうひとつは、今回当時の建物を再建された『 大極殿 』 です。
当時は天皇の即位式や外国使節との面会など、国家的な重要儀式のために
使われた建物だったそうです。この大極殿がメインなんですが、
長蛇の列で待ち時間が1時間とも、2時間とも・・・、
さすがにこれは待てません。今度各自で訪れるとしましょう。



会場マップを見ていると 【 第一次大極殿 】 と印がありますが、
恥ずかしながら 「 なんのこと? 」 状態の私。
なんでも大極殿は、 【 第一次 】 と 【第二次 】 があったそうです。
先ほどの大極殿は 【 第一次 】 で、後に再建されたのが 【 第二次 】 です。
現在は再建されていませんが、 【 第二次大極殿跡 】 として基壇のみが
残されています。ここから見る景色もキレイですよ♪ 
遠くに青々とした若草山が印象的でした!

さて、この後は一般的な観光なら東大寺へ、となるのでしょうが。 
私たちは『 らくたびさんぽ 』 ですからね~、ちょっとディープな散策へと
至ります(笑)。



訪れたのは法華寺。奈良時代に日本総国分尼寺として建立されたという
立派なお寺です。奈良時代の権力者であった藤原不比等の邸宅跡に、
聖武天皇 (東大寺大仏さんを建てられた天皇です )のお妃様である光明皇后が
伽藍を設けられたことが始まりとされています。
その由緒から御本尊の国宝の十一面観世音菩薩像は光明皇后のお姿を刻んだと
されています。それはもう美しく優しいお顔立ちの観音様でした。
季節折々の花が咲く境内では、ミニコンサートが開かれており、
ほのぼのとした雰囲気に包まれていました。

そして次は特別公開されている十一面観音菩薩立像にお会いするため
海龍王寺へ。こちらも光明皇后ゆかりの寺院です。
皇后が自ら刻まれた十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師が
刻まれた観音様です。腰をクネっとひねったようなフォルムが美しく、
すっと伸びたしなやかな腕がまた奇麗。すばらしい観音様でした。
そしてもうひとつ驚いたのは、西金堂内に建つ五重塔! それも国宝!!
天平時代の建築技法を現在に伝える貴重な文化財だそうです。
4メートルと五重塔としてはミニチュアサイズですがほんとに精密に
作られていることに感動しました(笑)

海龍王寺を後にして、ここで一時解散。
数名の方は各自お帰りになりましたが、ほとんどの参加者は駅に向かいました。
その道中、いくつかの古墳に遭遇。



知らずに見ると「 林と池 」なんですが、なんとこれが古墳!奈良というところは
普通にあのような風景を見ることができるんですねぇ。
そして第52代の平城天皇 (へいぜいてんのう )の陵墓がありました。
平安京時代の天皇の陵墓がこちらにあるんですね。知ってはいたけれど
実際に目にするとちょっと変な気がしました。帰路に平城宮跡の北側を歩いていると
大極殿が見えてきました。こちらから見える広々とした芝生の先にある大極殿も立派でした~。



奈良はどこも広々としていますね。京都とは違いなんとなくのんびりとした気持ちになります。
京都と奈良、どちらも歴史があり興味深い町です。
個人的には奈良の仏像にはまりそうです(苦笑)

みなさま、次回の【 ならたび 】が楽しみですね。
らくたびさま、楽しい奈良の企画を期待していま~す。

                                        文:らくたび会員 奥村 成美 様
                                        写真:らくたび会員 鴨田 一美 様
  


Posted by らくたび  at 17:42Comments(0)奈良エリア

2010年04月11日

毘沙門堂の観桜会と山科疏水・桜並木



春になると、今年の桜はいつまで楽しめるだろうか、
今日の花見にどれだけ桜が咲いているだろうか、
もう散りはじめかな、なんて気をもむ事しきりですが、
今年の桜シーズンは天候不順のお蔭か、意外と長く楽しめそうです。



今日の京都さんぽは、「毘沙門堂の観桜会と山科疏水・桜並木」です。
天台宗五箇室門跡の内、妙法院、青蓮院、三千院、曼殊院には
それぞれ何度が訪れる機会があったのですが、
ここ毘沙門堂へは一度もなく、ぜひ訪ねてみたいところでした。

今回の集合場所はJR山科駅、定刻には40名前後の参加者が集まっておられます。
若村さんから、本日の予定、見所などの説明を受けて、さあ出発です。



出発して間もなく、閑静な住宅街の緩やかな登り坂道を歩いていくと、
そこかしこの民家の庭に桜が咲き誇っています。
この分だと毘沙門堂の桜に期待が持てます。

途中で琵琶湖から流れ出た疏水と交差している地点に差しかかりました。
疏水の土手には沢山の桜と、目映いばかりの黄色い菜の花がいっぱいです。
そよ風に吹かれて、桜吹雪のお出迎えです。まさに春そのものです。
参加者のシャッター音があちこちから聞こえて来ます。



毘沙門堂 は703年、僧行基によって開かれたと伝えられています。
御所の北にあったのですが、度重なる戦乱から苦難の道をたどり、
1665年に山科に再建されました。
後西天皇の皇子公弁法親王が入寺して門跡寺院となりました。

ご本尊の毘沙門天は、天台宗の宗祖で比叡山を開かれた
伝教大師のご自作で、延暦寺根本中堂のご本尊である
薬師如来の余材をもって刻まれたと伝えられています。
拝観のポイントについて、説明していただきました。

<その1>
襖絵の中に面白いものがあります。梅の木には鶯、竹にはスズメが
お決まりなのですが、梅とか竹にヒヨドリとかシマヒヨドリが
描かれています。この部屋に通されたお客は、これを見て

「木と鳥が合っていない」つまり「取り合ってもらえない」

と気づかなければならないという、いかにも京都人らしい
遠まわしに意味を伝えるという部屋があるので
是非ご覧くださいとのことです。

<その2>
右から見るのと、左から見るのでは奥行きが入れ替わって見える
不思議な錯覚のする襖絵があります。
逆遠近法という手法だそうで、言葉では言い尽くせないのですが、
一度見てもらえば納得して感動していただけると思います。






境内はさすが桜の名所と言われるだけあって圧巻です。
今日はお琴の演奏もあり、琴の音を聞きながらの桜鑑賞は、
のどかで、優雅で大変素晴らしかったです。



毘沙門堂を後に、先ほどの 山科(琵琶湖)疏水 に戻り、流れに沿って歩きます。

明治2年(1869年)の東京遷都により、京都の町や人口、産業が
衰退していった折、何とかしたいと考えた第3代京都府知事北垣国道は、
琵琶湖から京都への運輸水路の開発を考えました。

当時の国家予算が7000万円。京都府の年間予算が50万円台の時代に
工費125万円をかけて、琵琶湖から鴨川落合まで、11.1kmの疏水を
明治23(1890)年完成させました。疏水の完成により

                ・ 飲料水、灌漑用水の確保。
                ・ 日本初の水力発電所(世界で2番目)の完成。
                ・ 京都市電など京都の近代化に貢献。
                ・ 日本人のみの手で行われた、誇るべき一大工事であった。
                ・ 京都市内で只一つ、北へ向かって流れる川である。


現在でも、京都御所や東本願寺の防火用水にも使われています。
当時は30石舟が行き来していました。そのため疏水に掛かる橋は、
下を船が通れるように、水面から高く作られています。



流れの速さは、人が早足で歩く程度で、いくつもの桜の花びらが
流れていました。これを 「花筏(はないかだ)」 というのだそうです。
言葉の響きと言い、とても美しい表現ですね。

また、沢山の楓の木があり、新芽が芽吹いています。
このあたりにお住まいの人は、春も秋も楽しめる環境が羨ましい限りです。
散策は勿論のこと、自転車で走れば更に爽快です。


途中に立ち寄った 吉祥山安祥寺(真言宗) は、嘉祥元(848)年、
仁明天皇の女御で文徳天皇の母、藤原順子の発願により、
入唐僧の恵運によって創建された寺で醍醐寺に匹敵する
とても大きい寺だったそうです。
非公開のため門前で説明を受けました。


しばらく、疏水に沿って桜を楽しみながら歩くと、左手に
天智天皇陵 が現れます。中臣(藤原)鎌足と謀って蘇我氏を倒し、
大化改新を行った天皇で、中大兄皇子といった人、といえば
歴史の教科書でおなじみの天皇です。

歴史の生きた教科書がこんなにも近くにあったのですから、
中学生時代にここを訪れておれば、
もっと歴史が好きになったのではないかと、後悔させられました。



散策の締めくくりは日蓮宗の 本圀寺 です。
疏水に掛かる赤い橋を渡り山手に進むと真っ赤な山門が眼に飛び込んできます。

この門はかつて加藤清正が寄進したものを復元したものだそうで、
開運勝利の神様「せいしょこ(清正公)さま」 の門をくぐると、
開運勝利の人生が開けるそうで「開運門」と呼ばれています。



仁王様も、梵鐘も、灯篭も金色づくし、こうした派手さとは対照的な
落ち着いた境内には、しだれ桜が咲いていました。

このあと、御陵駅付近に向かい解散となりました。
今回の疏水沿いの散策は、桜とのタイミングがよかったのか、
とても印象深い散策となりました。
秋の紅葉の季節にもぜひ訪れて見たい京都の穴場的な地域で、
とても気にいってしまいました。

若村さん、ご参加の皆さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。


文・写真/らくたび会員 鴨田一美様


  


Posted by らくたび  at 12:14Comments(0)山科~醍醐エリア

2010年03月28日

隨心院「はねず踊り」と醍醐の花見



今年度最後の京都散歩スペシャルツアーは、随心院「はねず踊り」と
醍醐の花見です。集合は地下鉄東西線の小野駅改札口に午後1時です。

今回初めてお眼にかかかる方の多さに驚きました。
らくたび散歩にも変革の波が押し寄せているようです。
正にチェンジなのでしょうか。(笑)

山村さんからの事前情報によると、醍醐の桜は絶好の見ごろを迎えている
とのこと、太閤さんの気分が味わえそうで、とても楽しみです。



随心院に向かう途中の道端に大きな 榧の古木 があります。

その昔、小野小町に想いを寄せる深草少将が求愛したところ、
「百夜、通い続けたら晴れて契りを結ぶ」と約束されたそうです。
その日数を榧の実で数えていたのですが、九十九日目で
途切れてしまって想いが果たせなかったという伝説があります。
この目の前の大きな榧の木を見ていると、深草少将の気持ちが
伝わってくるように思います。

榧の古木をあとに、随心院へ向かいます。このあたりは
車道と歩道の区別がなく、かつ自動車の往来の激しいところです。
歩いていると後ろの方から「車が来ま~す、左によってくださ~い」
と大きな声が聞こえてきました。
振り返ると先日「らくたびガイド講座」を修了されたM.Iさんです。
早速の実践に頭が下がります。ありがとうございます。



随心院 では、「はねず踊り」の舞台が屋外にセットされていました。
「はねず」とは、「薄紅色」のことです。
境内の梅園には沢山の梅の木があります。
満開の時期が過ぎていたのですが、梅の花が少し残っていました。
この梅の花の色が「はねず色」といわれる色です。



さあ、 「はねず踊り」 がはじまります。

「出演は地元小学校の4年生から6年生だそうです。
静かで可憐な京都ならではの、古風で優雅な踊りです、お楽しみください」
とのアナウンスがあり、踊りがはじまりました。

この踊りは、長らく途絶えていたのだそうですが、昭和48年、復活を願う
人々の声にこたえて、古老の記憶をたどりながら甦ったのだそうです。

はねず色の衣装をまとった踊り手の身振り手振りに春を感じます。
最後まで踊りを満喫したかったのですが、時間のこともあり
ご本尊にお参りをしました。

本堂でご本尊の如意輪観世音菩薩坐像にお参りしていると大粒の雨が
降ってきました。通り雨でしょうが屋外での踊りは出来なくなり、
急きょ本堂前で演ずることになったようで、
踊り子さんの晴れ姿がお気の毒ですね。


境内には、小野小町の 化粧井戸 があり、小町が朝夕
この水を使っていたのでしょう。さしずめ「美顔の化粧水」
といったところでしょうか。
また、深草少将をはじめとして、当時の貴族から小町に寄せられた
千束の文を埋めたといわれる 文塚 がひっそりと残されていました。


随心院をあとに、住宅街の中を抜けて世界文化遺産の醍醐寺に向かいます。
この桜の観光シーズンの真っ只中だというのに、
このルートには観光客らしき人の姿は見当たりません。



途中、 醍醐天皇陵 を案内していただきました。
醍醐天皇といっても、イメージが浮かばない方は、
菅原道真を大宰府に流した天皇と思っていただければいいですよ
と言う説明に参加者から「お~~」という納得の声が上りました。

この御陵は、醍醐寺が昔から管理をされていることなどから、
醍醐天皇の御陵にまず間違いないでしょうとの説明がありました。



朱雀天皇陵を案内していただいたあと、醍醐寺の塔頭の一つである
理性院 に立ち寄りました。ここは、2007年5月4日の「京都さんぽ」で
上醍醐を訪れた際に立ち寄ったお寺です。

アルバムを開いてそのときの様子を見てみると、
本日説明していただいたように、藤棚の花がとても綺麗だったことと、
赤いよだれかけをまとった沢山のお地蔵さんが印象に残っています。
ここは、醍醐寺の穴場の一つです。

残念ながら、上醍醐の西国第十一番札所・准胝堂は、
2008年8月24日未明の落雷で焼失してしまいました。



醍醐寺 の仁王門の辺りは桜がいっぱいですが、
まだ満開には至っていないようです。

特別史跡・特別名勝の 三宝院 の表書院から見る庭園は、
豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して、自ら基本設計をした庭で、
桃山時代の華やかな雰囲気が感じられます。

庭の中心に位置し、阿弥陀三尊を表しているといわれ、
また歴代の武将に引き継がれていることから「天下の名石」
といわれている「藤戸石」があります。

この華やかな庭園をカメラに収めたかったのですが、
撮影全面禁止と言うことでした。

このほか、奥宸殿にある「醍醐棚」は、修学院離宮の「霞棚」、
桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」といわれています。



続いて寺に伝わる数々の国宝、重要文化財などが収納されている
霊宝館 へ向かいます。「准胝堂」の火災のようなことを考えると、
こうした施設は必要なのでしょうが、やはり本来のお姿で
拝見できるに超したことはないですね。

こちらの敷地の一番奥に立派な桜があると山村さんからお聞きしていたので、
楽しみにして行ってみると、ありました、ありました。
京都で一番大きな、立派な しだれ桜 です。周りにも沢山の桜があります。
この肌寒い気候のお陰か、今年の桜の時期は長く続きそうで、
十分に桜を満喫できる年になりそうです。


地下鉄醍醐駅に向かう途中、また本格的な雨が降ってきました。
桜さん、この雨に負けず、長く咲き続けて楽しませてくださいね。
山村さん、ご参加のみなさん、お疲れ様でした。
ありがとうございました。 
 

文・写真/らくたび会員 鴨田一美様
  


Posted by らくたび  at 13:18Comments(0)山科~醍醐エリア