2008年04月20日

春の双ヶ丘ハイクと御室桜



ハナミズキが綺麗に咲いているJR花園駅前で集合!
今回は36人の参加者で、まずは 双ヶ丘(ならびがおか) をハイキング。
この双ヶ丘、車でこの辺りを通ることはあるものの
このように登れるとは知らなかったです。
増してここに古墳があるなんて、もっと驚きました。

仁和寺方面の北方向から、一の丘・二の丘・三の丘と三つの丘が
並んでいることから 「双ヶ丘」というそうです。
ちなみに一の丘(標高116m)が一番高い丘です。



「山」ではなく「丘」なので、軽い山登りと思っていたのですが……
想像よりかなりしんどい……。若村先生は、数日前にスーツ姿と革靴で
下見に来られたそうです。そのタフさ、尊敬致します(笑)。

しんどい思いをした後には、喜びもあります。山頂付近から見た景色の美しさ!
360°とは言いませんが、かなりのパノラマ!
特に仁和寺辺りは、ほんのり桜色でとても綺麗です。



心地よい汗をかいたハイキングを終え、仁和寺への道中にある
長泉寺 (ちょうせんじ)に到着。
双ヶ丘は、吉田兼好が草庵を設け徒然草を執筆した地でもあり、
暮らしていた際の井戸など史跡が昭和の初め頃まで残っていたそうです。
その後、双ヶ丘東にあるこの兼行法師ゆかりの長泉寺に史跡などが移されて、
境内には、兼好の墓と伝わる「兼好塚」があるそうです。



さあ次は、御室桜の 仁和寺 へ!
京都の「春爛漫・桜」の最後を飾る御室桜を愛でに・・・。
しかし、本日のメインイベント・御室桜は散り始めですっかり葉桜です。
残念ではありますが、これもまた自然の摂理です。
広い境内にはまだまだ満開の桜もあり、お花見気分は十分味わえます。

御室桜は背が低いのが特徴。いずれも高さが2~3m止まりなのが
「御室桜の謎」とされていたのですが、つい最近原因が判明したそうです。
高く伸びないのは根の成長に適さない粘度層の土が原因だとか。

現在の桜は江戸時代初期の植樹なので、少々勢いも衰え弱っているけれど、
今後の研究で少しでも綺麗なお花を咲かせるために守り育てていく方法を
考えておられるのでしょうね。



ここで、約1時間の自由時間になり、まずは御室御殿へ。
私は初めての御室御殿を拝見し、ちょっと興奮してます!
歴史を感じさせる清閑な佇まい。さすがは元御所! 
また今度ゆっくりと訪れたいなと思いながら、葉桜の御室桜を愛でるために
駆け足です(笑) ゆっくりと桜を楽しむ方、御室御殿を拝観する方、
それぞれ楽しいひとときを過ごした後は、
仁和寺東門のすぐ側にある 転法輪寺 と、 蓮華寺 へ向かいます。



転法輪寺(てんぽうりんじ)では、ご住職にお話を伺いました。
こちらは観光寺院ではないので、あまり一般の方は来られないそうです。
“らくたび” ならではの行程ですね。

浄土宗・転法輪寺は、1758年関通上人が開山。関通上人は、世捨派(しゃせいは)
であり、質素を旨とし念佛一筋を説いた方。
その好みの佛具(五具足)は、質素で簡素なデザインで、
関通型と言うそうです。ご本尊は7メートルもある大きな阿弥陀如来坐像。
こんなに古くて立派な仏像が観光寺院ではないお寺にあるということに、
京都の奥深さを感じます。

そしてこの大きな仏像の後ろには、もう一体このお寺の宝物の阿弥陀さんが
いらっしゃるとか・・・、確かに、可愛らしいぷくっとした仏さん。
お顔は阿弥陀さんですが、身体が子供という珍しい裸の阿弥陀如来です。
室町時代か、もしくは鎌倉時代の物だとか。
こちらは通常は秘仏として公開されていないそうです。

そして、すぐ横にある蓮華寺へ。この蓮華寺は平安時代中期に、
嵯峨広沢の池辺りに創建されましたが、何度か移転し、
昭和の初めにこの地に移ってこられたそうです。

しかし、この石仏は創建当時に木食上人が造立されたものなので、
とても古い「石造の五智如来」です。
ちょうど日が暮れ始めて、五智如来に西日が差し神々しく見えます。
仁和寺の桜は散り始めですが、こちらの桜はまだまだ満開です。
訪れる人も少なく来年の桜の穴場スポットに登録します!



御室を後にして、 妙心寺 を通って帰路JR花園駅へ向かいます。
妙心寺の境内は整然としており、仁和寺とは異なる格式のある風貌です。
こちらは通過するだけでしたが、若村先生による簡単な説明を受けました。

46の塔頭が並ぶ壮大な規模・山内一豊ゆかりの大通院・狩野探幽の
雲龍図・明智風呂などなど……。
ちょうど私は午前中にこちらを拝観していたので、
復習になったので得した気分です(笑)

今日も盛りだくさんな行程を、よく歩き、よく学び、とても充実した
京都さんぽとなりました。ありがとうございました!

この春の桜にまつわる「3つの京都さんぽ」、
それぞれ趣が異なり楽しませていただきました。
そして桜・さくらと楽しんでいるうちに、いつの間にか
新緑の季節です。山吹やツツジ、牡丹にシャクヤクと、
京都の町は美しく彩られています。
これからの京都さんぽも楽しみです!


文/らくたび会員 奥村成美様  写真/らくたび会員 鴨田一美様・坂田肇様
  


Posted by らくたび  at 17:33Comments(0)金閣寺~仁和寺エリア

2008年04月12日

春の京都御所一般公開と貴族の愛した桜



2008年4月12日(土)13時、「春の京都御所一般公開と貴族の愛した桜ツアー」
の約30名は京都御苑の堺町御門をスタートしました。
事前に配布された行程表にはこの日のコースが記載され、
最初に見た時は「えっ!? こんなに回るの?」と少々驚きましたが、
そのほとんどは京都御苑内に位置しています。
つまり、京都御苑内だけでもツアーが成り立つほど
見所があるということです。
行程表には幕末期の内裏地図が資料として載っており、
それを見ると、当時は御所を取り囲む様に、宮家や公家屋敷が
建ち並んでいたことがわかります。



最初に、数ある公家の中でも近衛家と並ぶツートップ、
九条家の邸宅跡 へ行きました。
ここには現在も庭園と茶室 拾翠亭(しゅうすいてい)が
遺構として残っており、茶室は金・土曜日に限り公開されていますので
(ナント100円で!)、今度改めて訪れてみたいと思いました。

また、この九条家邸宅内には、平清盛が福原を経て勧請(神仏の分霊を
分けてまつること)された 厳島神社 が御鎮座されています。
厳島神社の唐破風鳥居は、京都検定では「京都三珍鳥居」の一つとして
すっかりおなじみですが、私はこのツアーでようやく実物を
見ることができました。遅ればせながら、「三珍鳥居制覇」です。



続いて 蛤御門 (はまぐりごもん)へ移動しました。
この蛤御門、今では名前として定着していますが、正式には
「新在家門(しんざいけもん)」という名称があるのです。
天明の大火の時にそれまで閉ざされていた門が開けられたことから、
熱を加えると開くハマグリに例えられ呼ばれているのですが、
京都にはこういった事実や伝承がそのまま地名や名前になっている所が
数多くあります。それらの名前には、先人たちが歩んできた道のりや
大切にしてきた思いが込められており、そういった出来事を知ることで、
京都巡りがますます楽しくなってくることを、
らくたびを通して教えて頂いてます。



宜秋門前に咲く 御車返しの桜 もまた、伝承から名付けられた桜です。
一つの花に一重と八重が一緒に咲く珍しい品種で、そのあまりの美しさに
後水尾天皇が車を引き返らせたことから、「御車返し」の名が付きました。
例年であればもう少し後に咲く、「遅咲き組」のはずなのですが、
今年はこの日が見頃となっていました。
それにしてもこの後水尾天皇、あちらこちらに伝承を残されていますね。
(2月の涅槃絵ツアーでも登場されていました)
今度、講座で「後水尾天皇特集」を組んでもらいたいものです。



さて、続いて今回のメインである 京都御所 の一般公開へと向いました。
ご存知の通り今年は「源氏物語千年紀」です。
一年を通してゆかりの地で、講演会や特別展が開催されていますが、
「実寸建築物」はなかなか目にすることはできません。
その点、この御所の公開は、源氏物語の舞台となった内裏は
今の御所とは異なるとは言え、文献に基づき平安様式で再建されていますので、
雅な世界を体感するには非常に良い機会となりました。

また順路にしたがって見学して行くことで、平安時代の神殿造りで
再建された「清涼殿」と、室町時代に建てられた書院造りの
「御学問所」「御常御殿」の建築様式の違いを比較して見ることもできました。
見学途中、若村先生のわかり易く、聞きやすい説明に、
一般の方まで集まってしまって、「へぇー」と言う声が、
あちらこちらで聞こえていました。やっぱりご案内付きで見るのと、
なんとなく見てしまうのは楽しさが全然違いますからね。

次に一行は、 近衛邸跡 へ。ここには京都の桜の先陣ともいえる
枝垂れ桜が植えられています。
ひらり、ひらりと花びらが舞い散るその優雅な姿は
「これが貴族の愛した桜なのだ」と実感できる美しさで、
今でも多くの方が「好きな桜スポット」にあげることが納得できます。



中山邸跡と明治天皇ゆかりの井戸を見学した後、
御所の北東角の 猿ヶ辻 では「満れば欠くる世の習い」から、
あえて完成はさせず、天皇家の益々の反映を願った築地塀のくぼみと、
鬼門封じの猿の説明を聞きました。
ここのお猿さんから、幸神社、赤山禅院、そして比叡山と続く
「猿ライン」が連携して、京都を守ってくれている訳です。
(お猿さん達、これからも頑張ってね!)

そしてその後、 梨木神社 では「京都三名水」のひとつ「染井の井戸」で
喉を潤し、廬山寺、清浄華院を外から拝観した後、
鴨川へ出てこの日のツアーは終了となりました。
 
思い返せば、去年の夏の猛暑、冷え込みの遅い秋、暖冬と言われた12月、
なのに1月、2月の大雪。「ほんまに春ってくるんやろか?」と思っていたら、
スギ花粉の襲撃で泣いた(?)3月を経て、今日のこの「桜ツアー」を迎えました。
近年の地球温暖化の影響で将来は四季がなくなっていく・・・
という説を耳にしたことがありますが、やはり夏の暑さや冬の厳しさが
あってこそ、待ちに待った「春」を実感するのです。

ツアーの最後に鴨川を振り返って眺めて見ると、“そうだ、京都行こう”の
ポスターさながらの、それはそれは素晴らしい風景が遥かに広がっていました。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 坂田肇様

  
タグ :京都御所


Posted by らくたび  at 17:11Comments(0)御所~下鴨エリア

2008年04月06日

洛北の桜スペシャル



今日(4月6日)の “京都さんぽ” は、「洛北の桜スペシャル」と題して、
隠れた桜の名所スポットを巡る花見ツアーです。
寒い冬が長く続き、梅の開花は平年より随分遅れた京都でしたので、
桜の開花日が気になっていたのですが、今日はソメイヨシノが満開の日に
ドンピシャと重なりました。
集合場所である地下鉄北山駅の出口に集まった
参加者の皆さんの表情からも、快晴のもとでの花見に対する
昂揚した雰囲気が感じられます。
午後1時半、総勢41名で出発です。



先ずは、目の前にある 府立植物園 に入って行きます。
京都の寺社仏閣の拝観料と比べると200円という入園料が新鮮で(?)、
いいですね。尚、60歳以上の方は無料だそうです。

この植物園は大正13年の開園で、公立としては日本最古の植物園です。
園内では70種類500本の桜を愛でることができるそうです。
すごい種類の数の桜があるのですね。花見客も大勢来られてます。
健康家族が沢山来られている様な、そんなアットホームな感じです。



満開の桜を左右に見ながら、最初のチェックポイントの
半木(なからぎ)神社 に着きました。
この神社は、北西にある上賀茂神社の末社で、祭神は
天太玉命(あめのふとだまのみこと)です。
この付近の土地の歴史は非常に古く、奈良時代頃から絹織物の生産が
盛んであり、養蚕や織物の神様として厚く信仰されてきました。

“半木(なからぎ)”と言うちょっと変わった名前ですが、
その昔、上流に有った神社が洪水で流されて、その流木で作られたので、
流木(ながれぎ)が転じて半木に成ったとも言われてます。
又、半木神社の在る辺りは、「半木の森」と呼ばれ、
下鴨神社の糺(ただす)の森と同様、山城平野の昔の植生が
今に残っている貴重な場所だそうです。
あまり綺麗でない為か、余計に歴史の重さを感じさせる風格の神社でした。

ところで、半木(なからぎ)の森と言い、糺(ただす)の森と言い、
地名(言葉)に何か風格というか重みを感じるのは私だけでしょうか? 
簡単には読めない漢字である事も、理由の一つでしょうが、
地名の裏に、昔の歴史が語られているという点が風格とか
重みに繋がってきている様に思います。



ここで1時間の自由時間となりました。園内の桜やチューリップ等の
春の花を楽しんだ後、植物園の西側(賀茂川の東岸)の 半木の道 に咲き誇る
紅枝垂れ桜を堪能しました。



この紅枝垂桜は約30年前に京都鴨川ライオンズクラブの手によって
植樹されました。30年前と言うと、つい最近の様に感じられますが、
逆に、こんな素敵な桜の名所を創造出来る時間でもある訳ですね。

植物園の南口に再集合して、半木の道を下って行くのが当初の予定でしたが、
参加者の方から提案があり、半木の道を、ちょっと上がった場所の
紅枝垂れ桜の前で全員の集合写真を撮る事になりました。
やはり皆さんも紅枝垂れ桜の美しさが脳裏に焼き付いていた様です。



半木の道を下って、北大路通を左折し300m位行って左前方
(東北の向き)に入って行くと、松ヶ崎疏水分線の桜並木の始まりです。
ここの桜も満開でしたが、ここには観光客は殆ど来てませんでした。
地元の人が楽しむ“隠れ花見スポット”の感じです。
しばらく歩くと松ヶ崎浄水場です。ここで桜並木は終わりですが……



今度は目の前が満開の桜並木の高野川で、また比叡山も青く輝いてます。
高野川沿いを下って下鴨神社まで行くのですが、
途中、後方に大文字の送り火の“法”の火床が、はっきりと見える
素晴らしい場所がありました。



最後の目的地の 下鴨神社 に到着です。
らくたびさんのツアーですから、花見だけでは終わりません。
下鴨神社の歴史や、本殿は21年毎の式年遷宮で古代より
脈々と修復再建されてきており、昔からの姿を今も見る事ができる事
などの説明が有り、ここで仮解散となりました。

最後に、時間の都合がつく方々で、下鴨神社の摂社で玉依姫命
(たまよりひめのみこと)を祀る 河合神社 に寄りました。
「方丈記」を書いた鴨長明は、この河合神社の神職の子供として
生まれましたが、念願叶わず、神職にはなれませんでした。
が、その結果でしょうか?後世に残る有名な「方丈記」を記したのでした。
境内には一丈四方の庵が再現されており、この移動式組立式の住まいで
各地を転々とし、この庵で書いた事から「方丈記」
という名前になったという事です。


帰宅途中に北山を望むと、遠くの山と近くの山の重なりがはっきりと見え、
とても美しく感じました。山紫水明とはこのような景色の事を言うのでしょうか?
今日は結構歩いたと思い、家に帰ってからパソコン上の地図で距離を測ったら、
約7kmも歩いた様です。結構疲れましたが(年のせい?)、
素晴らしい桜を十分堪能できた“京都さんぽ”でした。
らくたびの皆さん、有難うございました。


文・写真/らくたび会員 坂田肇様

  


Posted by らくたび  at 16:44Comments(0)上賀茂~北山エリア