2008年08月23日

化野念仏寺の千灯供養と嵯峨野散策



雨が降る夕刻の嵐電嵐山駅で集合です。これだけ降ると
普通ならと中止、なんでしようがそこはらくたびさん企画の京都さんぽ。
ツアーは、もちろん決行です! さすがに夕方で、この雨。
人通りも少なくて、嵯峨野めぐりの竹林道は貸切状態。
でも、雨の嵯峨野も風情がありなかなか良いものです。 



まずは、最初の目的地、源氏物語「賢木の巻」の舞台となった 野宮神社
に到着。今は、縁結びや子宝安産の神として、毎日多くの人々が訪れる
嵯峨野でも人気のスポットです。特徴のある黒木鳥居は、樹皮がついたままの
クヌギの木をもちいたもので、古代の鳥居の形式と伝えられています。
境内の「野宮じゅうたん苔」が、雨に濡れて緑が濃く美しいです。



次に松尾芭蕉の門下の一人であった向井去来の別荘だった 落柿舎 へ。
いつもここに来るとふと時が止まったように感じます。
のんびりとした昔ながらの風景。前の畑をなんとかこのまま残して
いただきたいものです。 ここでは、山村先生と若村先生の
学生時代のおもしろ?エピソードを聞かせていただきました。

そして、落柿舎の裏手にある向井去来のお墓へ。お墓と言っても
こちらは遺髪塚とか。ほんとうのお墓は真如堂にあるそうです。



雨は降ったり止んだりですが、足下が悪くて
予定のコースへは行けなくて予定変更。ほんとうなら嵯峨野のレアスポットを
案内していただけたようですが、残念。でもこの悪天候は仕方ありませんね。
それでも要所要所で山村先生が口頭でちゃーんと案内してくださいました。
常寂光寺、二尊院、祇王寺、滝口寺、瀬戸内寂聴さんの寂庵など。

そろそろ鳥居本辺りに来ると陽も暮れてきました。
鳥居本への道中には、様々な行灯や提灯が置かれており順々に
ロウソクの火が灯されていきます。今日はこの辺りの地蔵盆で、
結構賑やかな雰囲気です。愛宕神社一の鳥居では地蔵盆の行事が
行われており、たくさんの人が集まっておられました。



ここ 化野念仏寺 は、弘仁2(811)年弘法大師・空海が
化野の風葬の惨めさを知り、五智如来寺を建て人々に土葬という
埋葬を教えたのがはじまりといわれています。のち法然上人が
ここに念仏道場を作った事から念仏寺というようになりました。

昔の京の三葬送地は「蓮台野」「鳥辺野」そしてここ「化野」です。
そして明治36年に嵯峨野周辺にあった無縁仏がここに集められて、
8000体もの無縁の石仏や石塔が並んでいるというわけです。
この無縁仏を供養したのが、千灯供養の始まりと言われています。



境内の「西院(さい)の河原」は、多くのロウソクの火が灯もり
幻想的な雰囲気です。参拝者は皆ロウソクを手にし境内に入り、思い思いの
石仏にロウソクを立て静かに手を合わせて祈ります。無縁の仏さんたちも、
多くの人々に祈られて今では寂しくないでしょうね。

今日は千灯供養や、地蔵盆で賑やかですが、普段は静かで人気も少なく
いかにも化野といった時が流れています。そんな普段の化野に
ゆっくりと訪れてみてはいかがですか。
秋の紅葉のころにも、風情があって良いと思います。

この化野念仏寺の千灯供養へは、一人で来るのはかなり勇気が
いるような気がしていました。

このようなツアーをらくたびさんが組んでくださり感謝しています。
ありがとうございました!


文/らくたび会員 奥村成美  写真/らくたび会員 鴨田一美様
  


Posted by らくたび  at 12:00Comments(0)嵐山~嵯峨野エリア

2008年08月09日

真夏のナイトツアー



夏、真っ盛り!2008年8月9日らくたび京都さんぽ「真夏のナイトツアー」
が開催されました。京都は長い歴史の中で数々の伝説が生まれ、
街のあちらこちらに霊が鎮まる魔界都市。
普段とは一味違った京都の姿を探して南座前を出発です。

しかし・・・・・・

出発時間の直前からの雨、風、雷。
これは私達の散策を阻もうとする何物かの仕業か!? 

もちろん、現代なら気象庁が雨の降る仕組みを科学的に解説して
くれますが、平安京当時はそんな仕組みは解明しておらず、
「大雨が続く=雨を司る神様の怒り」と考えられていました。



最初に訪れたのは、そんな考えがお寺の歴史の中にみられる、
仲源寺 (通称:目疾地蔵)です。そもそもの歴史は仏師定朝が
地蔵菩薩を奉ったことに始まります。
後に洪水の時に止雨の祈願をしたところ雨が止んだことから、
「雨止地蔵(あめやみじぞう)」と呼ばれていたのですが、
ある時、「眼病を代わりに引き受けてくれた」という話から
「目疾地蔵(めやみじぞう)」となり、現在でも眼病治癒の信仰が
続いています。

そう聞いてよく見てみると、ご本尊のお地蔵様は
確かに右眼が赤いような……この時もまだ雨は降り続いていたので、
ここでは本来の「止雨祈願」。
さて、願いは届くでしょうか……?



仲源寺を後にした一行は京都五花街の一つ、 宮川町 へ到着しました。

ここ宮川町は “祇園祭のお神輿を洗うお宮さんの川” の
ほとりにできたことから宮川町と名付けられました。
出発前からの雨のおかげで、打ち水をした後のような
しっとり感があり、町並みが一層きれいに見えました。

ここでふと気が付くと、先ほどの雨も止んでいます。
仲源寺での止雨祈願が届いたようです。

続いて、恵比須神社、摩利支尊天、建仁寺、祇園甲部歌舞練場、
女紅場学園などを巡った後、 崇徳天皇御廟 へ到着しました。

崇徳天皇は鳥羽天皇の第一皇子でありながら保元の乱により
讃岐に流され、無念の中で崩御されました。
しかし、その後、都に続いた災いが怨霊に違いないと
考えられたことから、 “崇徳” とうやうやしい追号が贈られ、
この地に遺髪を納め弔っているそうです。

京都は崇徳天皇の他にも早良親王、菅原道真など怨霊を祭る神社が
多くありますので、 “怨霊に守られた都” であるわけです。
ちょっと不思議な感覚ですね。



次に向かった 安井金比羅宮 は縁切りの神社。人の縁に限らず、
病気や悪い出来事との縁を切り、良縁を結ぶ、そんな願いをかけて
くぐるのが境内にある “縁切り・縁結び碑” です。

私自身、特に悪縁に困ってはいないのですが(?!)、
らくたびレポーターとして身体を張ってどんなものかくぐってみました。
結構、狭いです……最近あまり身をかがめる事もなかったので、
少々きつかったなぁ。



夏の暑い太陽も山に沈み、ようやくナイトツアーらしく
なってきたところで次に到着したのは 六道珍皇寺 (ろくどうちんのうじ)です。

平安時代前期に開かれたこのお寺は、平安京の東の葬送地、
鳥辺野(とりべの)に向かう道筋にあり、亡くなった方はこの辺りで
野辺送りをされていました。

そんなことから古来より、このお寺辺りをこの世とあの世の境である
「六道の辻」と呼び、お盆には先祖の霊(精霊)を迎えに行く
“お精霊迎え” の行事が始まったそうです。

また、小野篁(おのの たかむら)はこのお寺の境内にある井戸を
使って冥土に通い、閻魔大王に仕えていたという伝説も残っています。

お寺では閻魔大王像、小野篁像の公開があり、先祖の霊を呼ぶと言われる
“迎え鐘” にはたくさんの方が並んでおられました。ここで一旦解散し、
西福寺の前で再集合となったのですが……ここでまたもや雨、雷です。



西福寺 では「壇林皇后九相図(だんりんこうごうくそうず)」「地獄絵図」が
この時期だけ公開されていました。九相図とはたとえ皇后のように
身分が高く美しくとも、人間は等しく死を迎え、
醜態をさらしながらやがて土にかえる、という生きるものの儚さを
表現するものです。
殺伐とした現代だからこそ、時には地獄や死を垣間見て、
自己を省みる必要があるように思いました。



雨は相変わらず降り続いていましたが、六波羅を抜けて
五条坂陶器まつりに到着し、若宮八幡宮でこの日のツアーは
終了となりました。

実は私自身、 “怨霊・魔界” といった分野はかなり苦手で、
3年前にらくたびに入った時も「この分野にだけは興味は持たない」
と思っていました。
しかし、怨霊伝説もまた人々がそこに生きてきた証です。
科学が急速に進歩し、様々なことが実証される今の世の中にあっても、
目に見えないものに対して、恐れを抱いたり、敬いを表わしたりする
気持ちは失ってはいけないものなのでしょう。
そんな教えが日常の中で親しみと共に生きている、京都の違った一面を
ツアーを通して感じることができました。
これからは皆さんと一緒であれば(一人では絶対に嫌ですが)
魔界巡りもいいかな。

雨の降る中、参加者の皆さん、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。


文/らくたび会員 森明子様
  


Posted by らくたび  at 11:40Comments(0)五条~清水寺エリア