2012年07月16日

7月15日 祇園祭宵山の宴&イヤホンガイドミニさんぽ

7月15日(土) 
祇園祭特別企画!
郭巨山の四条京町家で名物・鱧寿司とイヤホンガイドミニさんぽ

開催されました。

19時に会場となる 四条京町家 にご集合いただき、A・B2チームに
分かれて、京名物・鱧寿司とイヤホンガイドでのミニさんぽ
お楽しみいただきました。

≪ 宵山ミニさんぽ ≫
ご案内は らくたび代表・若村 

らくたび初のイヤホンガイドを使ってのご案内です。
周辺の賑わいやお囃子の大音響にも負けず、イヤホンでしっかりご案内を
しながら山鉾町を散策しました。
今年の注目は … もちろん 山一番 を引き当てた我らが郭巨山


若村のご案内もいつも以上に熱が入っています。
駒形提灯に明かりが灯り風情満点。



大混雑の中、参加者の皆さんと編み出した秘法 らくたび目印


先頭の若村がらくたびうちわを上げると、
参加者の皆さまもうちわを上げて後ろのメンバーに場所を合図をします。
即興でこの目印を編み出すとはなんというチームワークのよさ!
この秘法は代々受け継がれて、らくたびの伝統となることでしょう(笑)

≪ 四条京町家で宵山の宴 ≫
四条京町家では宵山の宴を開催。散策前、散策後に 京名物・鱧寿司と
飲み放題ドリンク
をお楽しみいただきました。

また、翌日から中国に転勤で引越しされる会員の岩崎さまの益々のご活躍を祈って、
プチ壮行会も。郭巨山の厄除け粽、手ぬぐい、ストラップ入りの 郭巨山福袋
をささやかながらプレゼント。

岩崎さん、引越しされても、いつでも京都に里帰りしてきてくださいね。
会員さま、スタッフ一同お帰りをお待ちしております~。

こうして、わいわいと賑やかに、楽しい宴となりました。
ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

来年以降も祇園祭企画を開催して参りますのでどうぞお楽しみに!

                     文・写真 / らくたび 森  


Posted by らくたび  at 20:10Comments(0)祇園祭

2009年07月12日

祇園祭 鉾の曳き初め体験と屏風祭の町家めぐり



♪♪ コンコンチキチン、コンチキチン ♪♪

京都に夏を告げる 祇園囃子 が聞こえる季節となりました。
この日のらくたび京都さんぽは祇園祭の魅力を存分に味わうべく、
烏丸御池の交差点をスタートです。



最初に訪れたのは 六角堂(頂法寺) 。小さいながらも聖徳太子の創建、
親鸞聖人の100日参籠、池坊華道発祥の地、西国33ヵ所観音霊場18番札所、
六角形の本堂、へそ石伝説、縁結びの六角柳、など
長い歴史の中で生まれた見所がたくさんあるお寺です。

祇園祭に関していえば17日の山鉾巡行の順番を決める「くじ取式」は
明治までこのお寺で行われていました。
巡行の順番を決めるのですから鉾町の人々にとってはかなりの重大問題。
くじを引く人や見物客が大騒ぎをしながらここに集まっていたのでしょうね。



続いて向かったのは京町家の美術館として文化財にも指定されている 紫織庵 です。

見るからに立派なこの町家は大正15年に室町随一の豪商により
純和風の外観に当時としては珍しい洋間を取り入れて建てられました。
「和風の外観に洋間」と聞くとちょっとアンバランスな気がしますが、
和洋折衷とはまさにこのこと!
どのお部屋もそれぞれ違った趣を持ちながら、全体の調和がとれた
優雅な造りとなっていました。
伝統を大切にしながら新しいものを積極的に取り入れるのは
京都人の得意分野なのでしょうね。

また、お座敷では宵山の期間中だけのお楽しみとして
洛中洛外図屏風 が飾られていました。ここに描かれているのは
1700年頃の都の様子。長刀鉾を先頭にした山鉾巡行が大きく描かれ、
今では見ることはできない鉾があったり、お祭りに興じている人々がいたり……
当時の祇園祭の様子を見ていると時間が経つのを忘れてしまいました。



京都さんぽはいよいよ山鉾が立ち並ぶエリアに入ってきました。
あちらこちらで鉾建てが行われ「あっ、見たいー!」と誘惑が多い中、
私達が向かったのは 山伏山 です。町会所の前で山村先生が電話でお話されていると……
なんと中に入れていただけるとのこと!!

「うなぎの寝床」の町会所では町内の方々が会所飾りの準備を
進められていました。さらに一番奥には立派な白壁の蔵があり、
御神体や懸装品など巡行に必要なものすべてを収納されているという
その中までも見せていただくことができました。
山伏山さん、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。



室町錦小路あたりになるとますます人出が多くなり、唐破風屋根が美しい菊水鉾 が
目の前に現れました。さらに進んでいくと鶏鉾、そして高さ25メートルの月鉾と
絢爛豪華な鉾が次々と見えてきます。

観光客で賑わう中を必死で通り抜け 四条京町家 へ到着です。
明治43年に建てられたこの町家は京都の気候風土に合わせて造られた
当時の家作りや京都の文化を学ぶ場として無料で公開されています。

1階では駒寄せ、走り庭、おくどさん、など本で見たままの京町家を
実際に見ることができました。そして、2階に上がってみると
聞こえてきたのは月鉾の祇園囃子。
明治時代の祇園祭にタイムスリップしたような気分です。



そしてこの後、郭巨山の町会所横から膏薬図子を通り抜け、
伯牙山の町会所となる杉本家住宅を外から見学し、四条室町で解散後、
各自で鉾の曳初めに参加することとなりました。

毎年7月12、13日に行われる鉾の曳初めは組建てが終わった鉾に
懸装品を取付け、祇園囃子を奏でる囃子方さんも乗り込んで
町内を1往復「鉾の試運転」をする行事です。
17日の巡行当日は曳き手さんしか曳くことのできない鉾ですが
この日は誰でも参加OK。
またこの曳初めに参加すると1年間無病息災でいられると言われています。



私がらくたび仲間数人で向かったのは 長刀鉾 。しかし、さすがに人気があるようで
既に綱を手にスタンバイしている人で満員状態でしたので、
「復路狙い」でひとまず沿道から様子を見ることにしました。

曳初めの準備が整い、正面に立つ音頭取りさんの 「エンヤラヤー」 の合図で
皆さんが一斉に綱を曳くと、大きな鉾はギシギシと音をたて、
左右に大きく揺れながらもゆっくりと進み始めました。

その瞬間、観客からは大きな拍手と歓声!!鉾の上で稚児舞を舞う
お稚児さんの姿はとっても神秘的であり愛らしくもあり……
素直に感動してしまいました。
そして折り返し地点の麩屋町通あたりで私達も
復路の曳初めに加わることができました。

鉾のずっしりとした重みを感じながら曳いていると、途中、
大丸前あたりで長刀鉾の関係者の方が「ここから下りになるよー」
と言われたその瞬間、曳く綱が急に軽くなったことにびっくり。
歩いていては決して気付かない道路の微妙な高低差を
曳き手さんは体で覚えてらっしゃるのでしょうね。

鉾の美しさと大きさを間近で見て、11トンの重みを自分の手で感じ、
お祭に参加できたという充実感と共にこの日の京都さんぽは終了しました。

私自身、京都に住んでいながら以前はまったく祇園祭に
興味がなかったのですが、らくたびに出会えてからのここ数年は
1年の中でも本当に楽しみな行事となっています。
そしてその魅力は年を重ねるごとに深まっています。
そんな祇園祭の山鉾行事は今秋、ユネスコの世界無形文化遺産への
登録が決定される予定です。先人達や山鉾町の人々のたゆまぬ熱意と努力で
1,100年の歴史を経て様々に形を変えながらも現代に継承された祇園祭。

そんな「京都の宝物」であるこのお祭が「世界の宝物」として
認められる日がくるのが今から待ち遠しいですね。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 坂田肇様


  
タグ :京都祇園祭


Posted by らくたび  at 14:51Comments(0)祇園祭

2008年07月12日

祇園祭 鉾の曳き初めと山鉾町めぐり



京都の夏は 祇園祭 から始まります。1ヶ月にわたるお祭の期間の中でも、
特に賑わいを見せるのが山鉾建ての始まる7月10日から17日の巡行まで1週間。

そんなお祭気分真っ只中の7月12日(土)京都さんぽ「祇園祭・鉾の曳き初め」
が開催されました。
皆さん、この日を待ちわびていた様子で、集合場所では団扇を片手に
「暑いな~」と言いながらも、お顔は笑顔、笑顔。
参加者が40名と多かったこともあり、「山村先生チーム」と「若村先生チーム」の
二手に分かれて烏丸御池をスタートしました。
ここでは山村先生チームの散策の様子をご紹介させていただきますね。

烏丸御池を西に行くと衣棚(ころもだな)通に出ます。
この通りは豊臣秀吉の時代にできたもので、かつては名前の通り
お寺関係の衣を扱う店が軒を連ねていました。

平安京建設時、正方形に区画された町に、通りを1本通すことにより
商工業の活性化を目指したのだとか。
しかし、そんな秀吉も当時から既に発展していた地区には
手をつけなかった・・・それが現在、山鉾町となっている地区です。
こんなことからも祇園祭がいかに古くから、
民衆と関わりを持っていたかがわかります。



新町通に入ると、最初の見学地、 紫織庵 へ到着しました。
ここは大正15年に室町随一の豪商によって建てられ、現在は
襦袢のお店兼町家美術館として営業されています。洋館と和室が
調和した構造は当時としては非常に珍しいものだったそうです。

宵山の期間中、山鉾町の旧家や老舗では「屏風祭(びょうぶまつり)」
が開かれ、これも祇園祭の楽しみ方の一つなのですが、
もちろんこちらでも見ることができました。
町家のしつらえとともに見事な屏風や美術品を鑑賞し、
美意識の豊かさを感じながらも、町家の持つ涼しげな雰囲気に
しばし暑さを忘れ、ほっこり。



さて、次は 六角堂(頂法寺) へ向かいます。
ここは平安京建設以前からある長い歴史を持つお寺で、下京の町堂
として信仰を集めてきました。江戸時代には鉾の巡行順を決める
「くじ取式」もこちらで行われていたそうです。

六角堂の名前の由来は本堂が六角形であることからなのは
有名な話ですが、隣接するビルのシースルーエレベーター
(向かって一番左のみ)からはその姿を確認することができました。



再び、山鉾町へ戻った一行は、鯉山、山伏山、などの
町会所の説明を聞きながら外から見学し、産業会館前で一旦解散後、
それぞれお目当ての鉾の曳初に参加しました。

山や鉾は巡行当日は曳き手しか曳くことはできません。
しかしこの日は誰でも参加OK。「動く美術館」と呼ばれる山鉾を
間近で見ることができ、また、この綱を曳くと
1年の厄除けになると言われています。



この日は土曜日ということもあって、私が向かった 菊水鉾 には
たくさんの人がスタンバイされていました。

10トンもの大きな鉾を、しかも囃子方さんも乗っているのに、
事前練習なしで曳いて大丈夫なのかと少々不安でしたが、
正面に立つ音頭取りの合図で大きな鉾はギシギシと音をたてて
動き出しました。途中、障害物を避ける時も意外にも皆の息が合い、
ピッタリと止まったことに感動!!

山や鉾はこの曳初で不具合が見つかると、17日の巡行に向けて
修正をされるそうです。



再集合の後、皆さんそれぞれの曳初体験談に話を咲かせていると
なにやら細い(ホントに細い)道へ入って行きました。

ここは 膏薬図子 (こうやくずし)と呼ばれる図子(細い道)で、
かつてこの地に空也上人が平将門の霊を弔って道場を建てた
ことから、「空也供養図子(くうやくようずし)」と呼ばれていたのが、
いつのまにか「膏薬図子」となってしまったそうです。
クランクしながらも四条通から綾小路通までちゃんとつながる
風情のある道でした。

綾小路通で伯牙山の会所飾りが行われる 杉本家住宅 の説明を聞き、
綾傘鉾、鶏鉾の様子を見ながら四条烏丸に戻り、
この日の京都さんぽは終了となりました。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 鴨田一美様
  


Posted by らくたび  at 17:26Comments(0)祇園祭