2013年05月27日

5/19 頑張ろう!宇治 宇治川の屋形船と石臼挽き抹茶体験

5月19日(日)のらくたび京都さんぽは、
宇治の史跡を巡り、宇治川では屋形船に乗って
ゆったりと舟弁当を頂きました。食事の後は福寿園さんで
石臼でお抹茶を挽き、挽きたてをその場で頂きました。



出発は京阪・三室戸駅。
最初に向かったのは菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓。
後の仁徳天皇となるオオサザキと3年間皇位を譲り合った話が心に響きます。



宇治橋からは、宇治川の流れの速さがよくわかります。
川に向かってせり出した三の間からは、
秀吉が茶会の水を汲ませたと伝わります。


こちらは橋姫神社
橋姫伝説に由来する縁切りのご利益で知られています。
詳しくは、らくたび文庫の「京都 歴史ミステリー」でも
紹介されていますよ。


続いて県神社(あがたじんじゃ)へ。
ご祭神は桜のように美しく儚いものの象徴、コノハナサクヤビメ。
そのためご神紋も桜になっています。


歩いてきてお腹も空き始めた頃に、
いよいよお待ちかねの屋形船と舟弁当。
橋を渡って船乗り場へと向かいます。


船に乗りこんで、出発です!


舟弁当は、宇治らしく食材にお茶が使われていました。
優雅な船の上で宇治の風景を頂くお食事は格別です!


2隻に分かれた船どうしがすれ違う時には、
お互いに手を振りあいました


船の上からは、何度も見ている風景も少し違って見えて、
ゆったりとした時間を過ごさせていただきました。


屋形船の魅力を楽しんだ後は、付近を散策。
こちらは十三重の石塔です。


宇治川の戦いでの先陣争いを伝える石碑の前では、
若村先生から、当時の情景があらありと想像できるような
物語が語られました。


そして朝霧橋を渡って、福寿園さんへ。
こちらの石臼でお抹茶を挽いて、その場でお菓子とともに頂く体験を行いました。
2組に分かれて、宇治上神社などの散策と交互に楽しみます。


石臼をグルグルと回してお茶の葉を挽いて行きますが、
速すぎず遅すぎず、一定の速さで回すことが大切なのだとか。


石臼は10分~15分ほどかけて挽いて行きます。
ある程度の重さを感じるので頑張りもいりますが、
その分、この後のお抹茶が美味しくなるのですね!


こちらが挽けてきたお抹茶。見た目も綺麗なお抹茶色です。


いよいよ自分たちで挽いたお抹茶を、和菓子と一緒に頂きます。
茶せんでの泡立ても行いますよ。上手く出来ない時は、
福寿園の方が助けてくれます。

参加者からは、口々に「おいしい!」との声が!
頑張って挽いた分、格別の味になりますね。
2杯ほど頂くことができました。



今回は、社寺修復で観光が打撃を受けている宇治の散策でしたが、
屋形船での舟弁当や、石臼での抹茶挽き体験美しい風景など、
宇治の魅力をたくさん感じられました!

是非また、宇治を訪れて楽しんで頂ければと思います。
ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました!


                                  ご案内 / らくたび代表・若村 亮
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥  


Posted by らくたび  at 00:40宇治エリア

2013年05月19日

5/12 新緑の下鴨神社「御蔭祭」見学と、吉田山・百万遍散策

5月12日のらくたび京都さんぽは、
下鴨神社で行われた神迎えの儀式御蔭祭を見学し、
新緑の吉田山百万遍知恩寺などを散策しました。

今回は百万遍の交差点から出発して、京都大学を抜け、
早速、吉田神社へとやってきました。


吉田神社でもちょうどお祭りが行われ、
地元の子どもたちによる吹奏楽の演奏があったり、
剣鉾も登場していました。


本殿に参拝をして、次に向かったのは菓祖神社
垂仁天皇のため、常世の国から不老不死になる果物を持ちかえった
タヂマモリと、饅頭を日本に伝えた林浄因が祀られています。


続いて、吉田山の山中へと入って行きます。
坂を登ると現れたのが「紅もゆる丘の花」の碑。
現在の京大につながる旧制第三高等学校の「寮歌」で、
山村先生を始め、皆さんで唱和しました。


石碑のほど近くから、竹中稲荷神社に入って行きます。
境内は紅葉や桜の隠れ名所ですが、この時期は新緑が見事に輝いていました!


神社の裏には「お塚」もあって、雰囲気が一変します。


その中にあるのが在原業平の業平塚
業平は吉田山に葬られたとする説があるそうです。


木々の緑が気持ちよい吉田山を進み・・・


大文字山が望める場所へとやってきました。
送り火を見るのもよさそうですね。


ちなみに竹中稲荷神社の辺りからも「」がはっきりと見えました。


一気に吉田山を下って、志賀越道に立つ白川大仏へとやってきました。
秀吉にまつわる伝説が山村先生から語られます。


今出川通を進むと、京大の近くに後二条天皇陵があります。
後二条天皇は後醍醐天皇の兄で、当時の時代背景が語られました。


そして百万遍知恩寺へ。スタート地点の近くです。


墓地には、法然上人(円光大師)の御廟が。
この鳥居のような門は「」の字を表していますよ。
近くには、家康の忠臣・鳥居元忠のお墓もあります。


知恩寺から東大路、そして御陰通を経て、下鴨神社へとやってきました。
糺の森の新緑も素晴らしいの一言です!


御蔭祭の行列を待つ間、河合神社に参拝しました。
最近になって境内が綺麗に整備されました。
かりんの美人水も頂けますよ。


しばらくすると、御蔭祭の行列が進んできました。
朝に下鴨神社を出発して、比叡山麓の御蔭神社で新たな神を迎え、
再び隊列を整えて下鴨神社へと戻ってきます。
神は馬に乗せられて、進んでいきました。



行列は糺の森に入り、中ほどの「切芝」と呼ばれるやや広い場所で、
切芝神事を行います。糺の森の精霊と新たな神がご覧になるのが、
東遊(あずまあそび)。枕草子でも「いとおかし」と­評された優雅な舞です。
運よく人の間から見ることが出来た方も多かったのではないでしょうか。



今回は、吉田神社から吉田山の新緑の中を散策し、
見どころの多い知恩寺を経て、下鴨神社の御蔭祭と、
歴史や風景、祭事まで様々な京都の表情を楽しんで頂けたのではと思います。

多くの方にご参加いただきまして、ありがとうございました。


                                  ご案内 / らくたび代表・山村 純也
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


Posted by らくたび  at 22:40岡崎~吉田山エリア

2013年05月04日

5月4日 大坂夏の陣 四天王寺に散った真田幸村の夢

本日の京都さんぽは、
 なにわたび第2弾!
「 大坂夏の陣 」
四天王寺に散った真田幸村の夢
と題し、大阪・四天王寺界隈を散策しました。
( 2012年開催 「 大坂冬の陣 」は こちら  )

本日のご案内は・・・
戦国スペシャリスト!らくたび代表 山村 純也 ICON59
 
集合の四天王寺駅には38名の参加者さまがご集結してくださいました。
ありがとうございます。いざ、大坂夏の陣に出陣じゃ~!


【 堀越神社 】

「 堀越 」の名前の由来は、和気清麻呂が築いた「 堀を越えたところ 」に
あるからだそうです。こちらでは、一生に一度のお願いごとを
祈願するとご利益があるそうな・・・(笑)

ご神木のクスノキからパワーをいただきました。

【 四天王寺 】

約1400年前、聖徳太子にによって、鎮護国家の道場として、また
済世利民の実践所として創建された日本初の官寺です。

西側の石の鳥居は、日本で3番目に古い鳥居です。

度重なる戦乱の被害を受け、建物は焼失と再建を繰り返してきました。

現在の伽藍は昭和30年代、飛鳥時代の創建当初の様式、規模で
再建したもので「 四天王寺式伽藍 」と呼ばれる配置になっています。
京都の寺院で見る伽藍配置との違いがわかっておもしろい!


【 愛染堂 】


今でいう、福祉施設として四天王寺と同時期に創建されました。

縁結びの霊木・愛染かつら。
ここで愛を誓ったカップルICON61は絶対に別れないとか・・・(笑)

【 大江神社 】
かつてはこのあたりまで、海が広がっていたそうで、水上安全の神さまが
お祀りされています。



山村 : この奥にちょっとおもしろい場所がありまして・・・
      好き嫌いはあると思いますが、大阪の方は好きだと思います。


何やら意味ありげないい方で・・・ えっ??何?何?ICON45

先にあったものは・・・

阪神タイガースファンの祈願所(?)
もとはこの場所に毘沙門天が祀られていたそうですが、空襲等の被害を
受けてなくなったあと、毘沙門天のお使い=トラICON166 にちなんで、狛トラが
奉納されたそうです。さすが!大阪~!

【 清水寺 】
四天王寺の支院であり、聖徳太子作の伝承を持つ千手観音像を、
京都の清水寺から譲り受けてご本尊としたといわれています。

境内の奥に入っていくと京都の清水寺の音羽の滝にそっくりな
「 玉出の滝 」と呼ばれる滝がありました。

山村 : 「 滝があるということは・・・ 清水の舞台もちゃんとあるんです! 」
ということで、清水の舞台を目指して階段を上ると・・・

わぁぁぁ~!ホントに舞台だ!

かつては、海が見渡せたという清水の舞台。今では高層ビル群が見えます!

奥に見えるのは通天閣。清水の舞台と通天閣のコラボレーションです。

【 安居神社 】
少彦名神、菅原道真を祀る古社。昌泰4(901)年、菅原道真が太宰府に左遷
される時、河内の道明寺にいた伯母を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄ったそう。
その時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所
「 梅鉢 」をもらったことから、大阪名物の「 粟おこし 」の商標が梅鉢となったと
いわれています。意外なつながりにビックリ!

慶長20(1615)年5月、大坂夏の陣において、豊臣方の武将・真田幸村
最期を迎えた場所でもあります。 

山村いわく、真田幸村を一言でいうと“ 武将が憧れた武将 ” だそう。

幸村は3000の兵を率いて、徳川家康の首をとることだけにターゲットを
定め、突撃を敢行。その鬼気迫る戦いの結果、家康の本陣まで
たどり着き、ついに家康の旗印を倒しました。家康は踏み倒された
自らの旗印を見て、もはやこれまで・・・と2度も切腹しようとしましたが、
側近らによって、なんとか命をつなぎました。

幸村は奮戦を続けましたが、やはり、多勢に無勢・・・
さすがの幸村も追い詰められ、この地で最期を遂げたそうです。

山村が幸村の戦いぶりを臨場感たっぷりにご紹介しました。

大勢の方に自らの戦いぶりをきいてもらって、幸村さんも嬉しかったことでしょう。


【 一心寺 】
文治元(1185)年、法然上人が四天王寺西門の西側あたりに、草庵を結んだことに
始まりとされています。平安末期には後白河法皇もこの地で、西方に沈みゆく太陽に
向かって念仏を唱え、極楽生涯を願う「 日想観 」の修行を行ったといわれています。

大坂冬・夏の陣では徳川家康の本陣はこの地に置かれました。
また「 お骨佛の寺 」としても知られ、江戸時代末期から宗派を問わず人びとが
納骨に訪れ、その納骨でもって「 お骨佛 」がつくられ安置されています。
ご住職さんが建築家でもあるそうで、ミュージアムのような建築もありました。


【 新世界 】
本日のゴールに到着です!すごい、ディープなエリアですね。
私は新世界に行ったのが初めてだったので、ビックリしましたface08

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。
今後も 「 なにわたび 」 を開催できればと思いますので、
どうぞよろしくお願い致します。

【 散策の後は・・・ 】

新世界といえば・・・ 串カツ。

いつ行くの? 今でしょ!
というわけで・・・

串かつ一本80円~と安さとおいしさを兼ねそろえたネタはなんと40種以上!
レンコン、さつま芋が特においしかったです!
 ◆ 串カツ・どて焼きの 壱番 公式HP こちら へ
びっくりしたのは、このお店 「 24時間営業 」だそう(笑)
朝ごはんに串カツが食べられるんだ~!

テレビでしか見たことのなかったこの風景を、大阪出身の
会員さまの案内で「 串カツさんぽ 」しました。

いや~、楽しい一日でした。
ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

「 今度は鶴橋で焼き肉食べたいな~ 」なんて話も出てました~!

                              散策のご案内 / らくたび代表 山村
                              添乗・文・写真 / らくたび 森  


Posted by らくたび  at 23:00Comments(0)大阪エリア