2008年05月18日

三船祭と絶景の大悲閣千光寺を訪ねて



絶好の京都さんぽ日和の中、参加者一行は嵐電嵐山駅を出発しました。

始めに天龍寺の南側に建つ平家物語ゆかりの史跡、
小督塚 (こごうづか)へ向かいました。


「平氏にあらずんば、人にあらず」 

と言われた平家全盛の時代、一族の繁栄を邪魔するものは
徹底的に排除をした平清盛によって、高倉天皇との仲を裂かれた小督が
この場所にひっそりと隠れ住んでいたことが物語に記されています。

嵐山の中心部にありながら、周りの喧騒に染まることなく建つ石塔は、
彼女の悲恋そのものを今に伝えているように思えました。



続いて渡月橋を渡り 法輪寺 の中に建つ 電電宮 (でんでんぐう)に
立ち寄りました。

この電電宮は電気や電波の安全を祈願する神社で、
主に電気関係者に信仰されている全国でも珍しい神社です。
一見、法輪寺とは何の関係もなさそうに思えますが、
法輪寺のご本尊である虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)にちなみ
こちらに建てられたとのこと。

少々難しい話になりますが……虚空蔵菩薩を感得する為に行う修行、
虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)は、
星の光を受けて得られることから、星、光、電気と繋がって
神社の創建に至ったそうです。

しかし、そういった難しい話はさておき、法輪寺が京都の人々にとって、
非常に親しみのあるお寺であることは間違いありません。
虚空蔵菩薩が「知恵の神様」であることから、昔から数えで13歳になると
「十三参り」としてこのお寺に参拝し、
「大人として生きて行く為に必要な智恵を授かれます様に」
と祈願する風習があるからです。
ですから京都では法輪寺という正式名称より「虚空蔵さん」
あるいは「十三参りのお寺」といった方が馴染みがあるかもしれません。
もちろん私も数十年前(?)に参拝しています。しかし、
当時はそんな深い意味があるとは知らず、帰りに桜餅を食べた記憶しか
残っていません。「もっとちゃんとお願いしておけば良かったなぁ」と
少々反省しつつ法輪寺を後にしました。



次はこの日のメインである 三船祭 の見学です。
三船祭は 車折神社 (くるまざきじんじゃ)の例祭の延長神事で、
毎年5月の第3日曜日に嵐山の大堰川(おおいがわ)において行われます。
車折神社の祭神:清原頼業が乗る御座船の前で、雅楽や日本舞踊、
筝などを披露したり、和歌などを書いた美しい扇を流したりする
風流なお祭で、平安時代の故事をもとに昭和になって再現されました。
千年の昔から一部の人間の私欲に侵されること無く、
変わらず美しい景観を保ってきた嵐山。
人々にとってこの地は現実世界から離れた特別な場所であり、
そんな嵐山であるからこそ再現ができたのでしょう。

ここで1時間の自由行動となり、各自で
平安貴族の優雅な船遊び見学を楽しみました。



再集合をした後は、 大悲閣千光寺 (だいひかくせんこうじ)へと
向いました。三船祭の行われていた一帯は見物客で混雑していましたが、
さすがにこちらへ向う人はありません。

保津川(大堰川)沿いに続く道を進んでいくと
次第に川面を眼下に見下ろすようになり、水の色は山峡の川らしく
深い緑色に変わっていきます。
参道の登り口には松尾芭蕉の句碑が建ち 

花の山 二町のぼれば大悲閣

と刻まれていることから、かつてはこの辺りが「花の山」と
呼ばれていたことがわかります。
つづら折りの石段を登りつめた山の中腹に千光寺は
ひっそりと建っていました。
ご住職さんの明るい笑顔に迎えられ、ここでお寺の説明が始まりました。
お話によると、お寺はもともと清涼寺の近くにあったそうですが、
保津川・高瀬川の開削に力を尽くした角倉了以(すみのくらりょうい)が
「河川の開削工事で命を落とした方々の菩提を弔う為に」と
この地に移したそうです。

その了以の念持仏がご本尊の千手観音菩薩であり、
お祀りされている観音堂を「大悲閣」と呼ぶそうです。
「悲」といっても決して「悲しい」の意味ではなく、仏教の慈悲の「悲」を現し、
「全ての苦しみを抜きたい」という願いが込められているとのことです。



また、境内にある仏閣からの眺めは素晴らしく、遠くに
東山三十六峰を臨む、まさに絶景です。
秋には紅葉が赤く染まる光景を楽しめそうですので、
とっておきの名所としておきましょう。

美しい景色と爽やかな風のおかげで疲れも吹き飛び、
心が洗われたような気持ちで千光寺を後にし、
この日の京都さんぽは終了となりました。

参加者の方々に感想を聞いてみると、「三船祭を初めて見られた。
来年は船から見たい」、「8月16日の送り火を千光寺から眺めたい」、
「嵐山と言えば“混雑”というイメージだったが、違った面が見られた」
とそれぞれに楽しまれたご様子です。
私自身も通い慣れた嵐山ですが、その魅力を再発見できた一日となりました。

これからも皆様とご一緒にいろいろな京都を楽しんでいきたいと思います。
参加者の皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました。
 

文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 坂田肇様
  
タグ :京都三船祭


Posted by らくたび  at 11:56Comments(0)嵐山~嵯峨野エリア

2008年05月17日

宇治の茶園で新茶の茶摘体験



今日は滅多に体験出来ない「お茶摘体験」です! 
近鉄小倉駅で集合し、そこから徒歩10分ほど歩くと、
茶畑が見えてきました。そして、 吉田銘茶園 さんに到着。
笑顔が素敵な吉田さんご夫婦がお出迎えくださいました。

まずは、本日の行程説明を受け、資料一式をいただきました。
資料には、「玉露.碾茶の葉ができるまで」「家庭での製茶法」「お茶の分類表」
そして、新茶のサンプルと、お抹茶落雁などが入っています。



その後、歩いて3分程のところにあるお茶畑へ。
よく見かけるお茶の木がモコモコと並んでいるかと思いきや……
なにやらお茶の木の上には、覆いが掛かっています。

「茶木が一定の高さまで延びると日光を遮って、わざと日が陰った状態に
するそうです。そうすることによって、茶葉が自分の力で光合成し、
葉緑素を蓄えます。そのためうまみのある上質の茶葉になるそうです。
そういえば、お茶畑にはこのような覆いがかぶせてある所もありますよね。

覆いの中に入ると、日が陰ってはいますが、風もない。
今日はかなり暑いから、自然に汗がたらりと……。



そんな中いよいよお茶摘みが始まります。吉田さんの説明をうけ、
青くピカピカ光る柔らかい新芽を、ポキポキと折って摘みます。
上の方からばかり摘むと、下の方を摘み忘れるから、
できるだけ下にある新芽を摘むようにと、なるほどねぇ。
確かに下から上に向かって摘むと、すっきりきれいに摘み取れます。

黙々と下へ、上へと、夢中でお茶を摘みました(笑)
何分くらい摘んでいたのか? 
後半山村先生からカウントダウンの声が何度もかかります。
「みなさ~ん、あと5分くらい大丈夫ですか~?」
「では、あと3分で終わりましょう~。」

心地よい汗をかき、とても楽しくお茶摘み体験ができました!



それぞれビニール袋いっぱいに、摘んだ茶葉を入れてお持ち帰り。
いただいた茶葉は、玉露クラスで店頭で購入すると100g 4,000円もするほど
上等だそうです! お家で美味しく製茶しないといけませんね。



工場に戻り、次は製茶行程を見学させていただきます。
摘み取られた茶葉は、蒸し機にかけられます。
この時点で工場内は、お茶を蒸したなんとも青々しい香りでいっぱいです。
この青くさ~い香りがたまりません。

そして、数台の機械で「揉みながら乾燥」の行程に移ります。
数台の機械はそれぞれ揉み方が異なるようで、この行程が重要そうです。
もちろんこの間も工場内は、蒸し蒸し状態。
昔はこれをみんな手作業で揉み揉みしてはったんでしょうね。

見学を終えると、美味しい新茶のご接待です。
いただいた冷たい新茶はとても甘くてまろやかで、乾いた喉を
やわらかく潤わせてくれました。ほんとに美味しかったです。


そして次は、別の場所にある工場へ。

こちらは、抹茶の元である「碾茶」を専門で作っておられる工場です。
摘んだ茶葉を蒸す行程は煎茶と同じようですが、
そのあとに天井まである高くて細いスペースに、風で茶葉を吹き上げて
乾燥させているように見えます。
そこである程度水分を飛ばして、次に横にある
レンガの釜のようなブースに入れて、茶葉の水分を徹底的に
パラパラに乾燥させているのでしょう。

説明してくださってますが、なんせ工場内は機械の音がすごくて、
聞こえません。
かなり私の見た目での説明なんですが、すみません……。
こうしてできた碾茶は、別の工場で抹茶として加工されます。

お茶というのも、結構「分業制」のようです。
今回見学させていただいた吉田銘茶園さんは、上質の玉露と煎茶を
生産されているそうです。
今が一年で最もお忙しい時期なのに、最後までニコニコととても親切・丁寧に
案内してくださいました。ありがとうございました!

お話によると日本のお茶の生産量としては、宇治茶は第5位とのこと。
ちょっと以外でした。その割になんだか「宇治茶」って特別って気がするのは
私だけでしょうか? これも京都の歴史がそうさせているのでしょうか。

さあ、帰って摘んだ新茶を製茶してみよう。
どんな出来あがり具合になるかが楽しみです♪
みなさま、暑い中おつかれさまでした~!


文/らくたび会員 奥村成美様

   
タグ :京都宇治


Posted by らくたび  at 18:25Comments(0)宇治エリア

2008年05月05日

上賀茂神社競馬会神事と大田神社カキツバタ



本日は弘法大師ゆかり 神光院 からスタートです。
弘法大師が42才の夏、こちらで90日間修行した後、
庶民との離別を悲しんで、境内の池に自らの姿をうつして自像を刻み、
諸病厄除けを祈願したのが起こりです。
東寺、仁和寺とともに京都三弘法の一つに数えられています。



静けさが包む境内には、江戸末期から明治時代に活躍した歌人であり、
陶芸家であったの大田垣蓮月尼の庵がありました。
こちらで晩年の10年間を過ごしたそうです。



次に訪れたのはすぐ南に位置する 大将軍神社 です。
大将軍とは方位を司る神様で、平安京造営の際、桓武天皇によって
東西南北に配され、こちらが北の大将軍にあたるそうです。
こんなに鄙びた田舎の神社が、そんな深い歴史を持っていようとは。
小さくひっそりと残っているところにかえって京都の歴史の凄みを感じてしまいます。

うっそうとした森の中にある社殿は上賀茂神社の摂社・片岡社(後述)から
移したもので、社殿前には上賀茂神社にもみられる盛り砂がありました。



次に西へ西へと歩き、本日のメインイベント
「競馬会(くらべうまえ)神事」が開催される 上賀茂神社 に到着です。

競走会は、平安時代の寛治7(1093)年に堀河天皇が
宮中から移したと伝えられる神事で、2頭の馬が同時に走り、
その馬身差によって勝ち負けを競います。
いったん解散してみなさん思い思いのポジションをキープして
今や遅しと馬の疾走を待ちます。


14時半、古式にのっとって、いよいよスタート。
最初は左方(さかた)が先に走り、右方(うかた)が追いかけますが、
必ず最初は左方が勝つという決まりがあるそうです。
そして2回目以降は真剣勝負。乗り手の大きな掛け声とともに、
大迫力で疾走してくる馬は、とにかくすごいスピード感!!
目の前を人馬一体となって疾風のように駆け抜けていきました。
あのスピードできちんと止まれるのかと心配にもなりましたが、
さすがに見事な手綱さばきでスピードを殺し、堂々と帰ってきました。



あっという間に6回の競争が無事に終了し、まだ興奮の余韻の残る中、
再集合して本殿にお参りします。

楼門の手前には玉依媛命(上賀茂神社祭神・賀茂別雷命の母)が祀られた
片岡社があり、平安時代には紫式部も参詣したそうです。
今年は源氏物語千年紀ということもあってか、
真新しい絵馬も飾られていました。
 
ほととぎす 声まつほどは 片岡の 
もりのしづくに 立ちやぬれまし    ― 紫式部 ―



その後、神官の家である社家の前を通って 大田神社 へ。
平安時代から歌に詠まれ、天然記念物に指定されているカキツバタは
3分咲きとのことでしたが、紫の花があちらこちらに色鮮やかに群生し、
目を楽しませてくれました。



最後は、さらに西へ歩いて 深泥池 (みどろがいけ)へ。
こちらも天然記念物に指定され、氷河期の生態系を残しています。
池全体が青々とした色になり、中央にある浮島には
白い花がチラホラと見えていました。

今日は神光院から大将軍神社、上賀茂神社、大田神社と
まさに平安時代づくしのツアーとなり、太古から続く歴史を
たっぷり味わうことができました。


文/山村純也  写真/らくたび会員 鴨田一美様
  


Posted by らくたび  at 18:10Comments(0)上賀茂~北山エリア

2008年05月04日

スーパースター 空海を訪ねて



ゴールデンウィークの5月4日、高山寺前の市営駐車場に
約30名が集いました。
5月に入ってから信じられない位の暑い日の連続で、本日も
“爽やかな新緑下でのハイキング”ではなく、
快晴の下、かなりホットでハードな1日となりそうです。

昔、デューク・エイセスの歌でヒットした曲「女ひとり」の1番の歌詞が
「大原三千院」で、2番が、ここ高山寺でした。

♪♪ 京都 栂尾(とがのお) 高山寺 恋に疲れた 女が一人 
大島紬(つむぎ)につづれの帯が 影を落とした 石畳 
京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた 女が一人 ♪♪


栂尾高山寺(とがのおこうざんじ)という言葉の響き良く、
高山寺と聞くとすぐこの歌が思い出されます。
40年も前の歌だそうですが、結構ヒットし、
今でも歌われているので、若い人も知っていますよね!? 



まずは、駐車場の端から 高山寺 の裏参道を登って行きます。
高山寺の歴史は古く、奈良時代に遡りますが、何と言っても、
ここは鎌倉時代の中興の祖である明恵上人のお寺であります。

寺宝も多く、皆さん良くご存知の「鳥獣人物戯画」など、国宝は8点、
重要文化財は1万点にものぼるそうです。
只、現在では保管上の問題からか、「鳥獣人物戯画」は
京都国立博物館と東京国立博物館に分けて保管されており、
当寺ではレプリカを見る事になります。
建仁寺の「風神雷神図屏風」と同じ話です。
インターネット等で調べてみても、”XX寺蔵”と書いてあるのは、
所有権がXX寺に有るという意味の様で、XX寺で実際の国宝が
見れるかどうかは解りません。XX寺ではレプリカが見れます。
本物はXX博物館で見れます”という風に、はっきり明記して欲しいですね。

登り始めて直ぐ右に、明恵上人の庵室であった国宝の 石水院 が有ります。
明恵上人が後鳥羽院より賜った建物で、上人時代の唯一の遺構です。



更に少し上がると、我が国のお茶の発祥の地である
「日本最古之茶園」の石碑が立つ、茶畑が有ります。
栄西が中国(南宋)から持ち帰った茶種を明恵上人に渡し、
ここ栂尾で始めての茶が作られたそうです。
今でも規模は小さくなりましたが、この茶畑は大切に
手入れされております。



開山堂を過ぎると明恵上人の御廟が有り、
林間の小径を通って金堂に出ます。
この金堂は寛永十一(1634)年に仁和寺の御堂を移したもので、
同じ時期に、仁和寺では御所の紫宸殿を譲り受け金堂にしております。
つまり玉突き現象です、等の説明がなされました。

金堂の前からは鬱蒼と杉並木が続く表参道が南に延びており、
先ほどの「女ひとり」の歌にも歌われた有名な石畳の上を
森林浴を楽しみつつ車道に出て西明寺に向かいます。



清滝川に架かる指月橋を渡って、 西明寺 へ入っていきます。
この辺りは新緑のモミジが素晴らしく綺麗です。
紅葉の頃は、沢山の人出の中で、写真を撮るのも困難な状況ですが、
新緑の候は人も少なくストレス解消には最高の場所ではないでしょうか。

西明寺は空海の弟子・智泉によって創建された歴史の古いお寺ですが、
現在の本堂は桂昌院(徳川五代将軍綱吉の母)による再建です。

西明寺の裏山の前を、清滝川に沿って 神護寺 へ向かいます。
4月中旬から下旬頃に、この裏山をピンクのコバノミツバツツジが
咲き埋める景色は一見の価値があります。
今回はもうシーズンを終えていましたが、
是非一度訪れてみられてはいかがでしょう。



さあ、いよいよ神護寺です。

神護寺は平安京造営の最高責任者の和気清麻呂が河内に建てた神願寺が、
後にこの地にあった高雄山寺と合併して神護寺となり、
大同4(809)年に空海が入山して、真言密教の拠点となりました。

その後、荒廃しますが、中興の祖である文覚が再興。
その後も荒廃と復興を繰り返すという長い歴史を持っています。
歓迎(?)の長い石段が目の前に延びています。
途中、空海の硯石の場所で休憩がてらに説明を聞き楼門に到着です。
が、少々堪えました。今日は本当に暑い。



今日の目的の一つが、年に1回の虫払定( むしばらいさだめ:5月1日~5日 )
でしか見れない国宝を拝見する事です。
楼門の前で山村さんからこれら神護寺の寺宝の説明があり、その後2班に分かれて
書院での宝物展と境内を拝観しました。

空海による灌頂暦名や源頼朝でなく足利直義(ただよし)ではないかと
論争が続いている伝源頼朝像などを見て回りました。

文覚四十五箇条起請文に捺されている後白河法皇の手形が
余りにも小さかった事には少々驚きました。
境内に入ってすぐ右に「和気清麻呂公の霊廟」があり、
その奥左に日本三名鐘のひとつである「銘の神護寺」の“三絶の鐘(875年鋳造)”
を収めた鐘楼が見えました。
残念ながら鐘は非公開だそうです。

境内で見逃せないのが金堂の国宝薬師如来立像です。
等身大と小ぶりな像ですが、厳しいお顔と圧倒的な量感から
霊的なエネルギーを発散させているかの印象を醸し出してます。
金堂はなんと昭和10年の竣工。堂々たる存在感は、
いにしえよりそこに建っていたと思わせるものがあります。



そして、最後は錦雲渓に向かっての「かわらけ投げ」。
皆さん楽しそうに興じてました。

楼門前で再集合して、バス停「山城高雄」で解散となりました。
やはり想像していた通り、ホットな1日でした。
解散時になっても、私は未だ汗を拭ってました。

らくたびさん、参加者の皆さん、お疲れ様でした。


文・写真/らくたび会員 坂田肇様

  
タグ :京都高雄


Posted by らくたび  at 17:53Comments(0)三尾~周山街道エリア