2012年03月23日

3月17日(土) 御所と二条城 近くて遠き公武政権の二大拠点


雨の中の散策になるかと思いきや・・・傘要らずでスタート!
まずは弘法大師空海が雨乞い祈祷をしたことでも有名な
神泉苑( 平安京の禁苑 )に到着です。
みなさん、今日は雨乞い祈願してはダメですよ〜face02

平安京の造営時に天皇専用の苑地、即ちこれを禁苑という。
弘法大師空海が雨乞いの祈祷をおこなって以来、祈雨の霊場であり、
祇園祭の発祥となる御霊会がおこなわれた場所でもあり、
平安時代末期、源義経と静御前が出会ったのも、この神泉苑である。

歴史的にも貴重な場所であることを、若村先生熱〜く語っておられます!


威風堂々!  二条城の東大手門です。


まずは城内図を見ながらの解説です。
しかし、今回は城内に入っても一カ所ずつ若村先生の解説がありました!

初代・徳川家康が築城して江戸時代の幕開けを告げ、最後の将軍・
徳川慶喜が幕を下ろしたという歴史を詳しく解りやすく解説され、
参加者のみなさんから、
「 こんなに詳しいお話を聞けて良かった〜! 」
と嬉しいお言葉をいただきました。


小休憩中、向こうの方から何やら行列が・・・。
新郎&新婦さんが乗られた御所車と、その御一行様です!
二条城の庭園で結婚式を行われ、二条城前の国際ホテルでの披露宴へと
向かわれる行列だとか。


おめでたいシーンに遭遇して、みなさんも幸せ気分です。
歴史ある古都・京都ならではの結婚式ですね〜。


二の丸庭園


梅園も梅の開花が進み愛らしい梅の花は、清楚な華やかさです。



たっぷりと二条城を満喫したあとは、京都御所まで
洛中のまちなか散歩ですicon14

まずはこちら、薬師院へ。通称・こぬか薬師さん


疫病が流行った時、この薬師如来が住職の夢にあらわれて
「 一切の病苦を取り除こう。来ぬか、来ぬか 」
と告げて病気を治したことから こぬか薬師 と呼ばれるようになりました。
それ以来、二条通は薬屋さんがたくさん建ち並び、薬市で賑わったとかICON116


二条通室町北西角にある 三井越後屋跡( 現在の三越 )
三井越後屋は江戸に本店を構える当時最大の呉服店で、
呉服の仕入れのため京本店を構えたのがこの地です。
現在は一角にお庭が残っています。


二条通両替町西入るにある 薬祖神祠( やくそしんし )

二条通の薬問屋が江戸時代後期に創建した神社で、こちらには
日本の薬の神とされる
少彦名命( すくなひこなのみこと )
大己貴命( おおあなむちのみこと )と、
漢方医療の祖とされる中国の神農と、
古代ギリシャの医師で西洋医学の祖とされるヒポクラテスと、

三国の神様が一同に祀られている国内でも貴重な神社なんです!


建物の間に挟まれるようにひっそりと祀られている神社にも歴史あり!
これが京都の奥深さですねface08


さあ、二条通りを西へ西へと進み、京都御苑・京都御所に
やってきましたICON35

南北朝時代に御所が現在地に造営されて以来、歴代天皇が住まわれ
幕末には政争の中心地となったこの地。

厳島神社( いつくしまじんじゃ )
平清盛が母・祇園女御のため安芸の厳島神社の神様を祀ったのが
始まりとされており、社殿には祇園女御も祀られています。
大河ドラマにちなみ参拝者も増えているのでしょうかicon13


公家の 九条家の邸宅跡
である庭園の池越しに
拾翠亭( しゅうすいてい )を臨む。


宗像神社( むなかたじんじゃ )
御祭神は美しい女神様・宗像三女神。
平安京の守護神として祀ったのが始まりとされています。


この宗像神社の境内に、ある 京都観光神社
恵まれた観光都市・京都に感謝の念を表し、観光客の無事息災を願い、
道案内の神・猿田彦大神が祀られています。

観光業に携わるものとしては、ありがた〜いお社ですねICON59


こうして京都御苑・京都御所をたっぷりと散策し、
はんなりと彩られた梅林に到着し、ここで現地解散となりました。


たっぷり二条城、たっぷり京都御苑・京都御所と良いお勉強ができました。

本日のテーマ 『 近くて遠き公武政権の二大拠点 』
歴史背景を想像しながら思いを馳せることができたでしょうかface02

途中小雨もパラつきましたが、それもまた京の風情を感じさせてくれました。
総勢30名以上の参加者のみなさま、楽しかったですね〜ICON64
みなさま、お疲れさまでした!

              ご案内 : らくたび代表 若村 亮
              文&写真 : らくたびレポーター 奥村


  


Posted by らくたび  at 22:00Comments(0)二条城エリア

2010年02月27日

平安京聚楽第の遺跡と洛中随一の酒蔵・佐々木酒造



普段あまり訪れない平安京内裏跡や秀吉の作った聚楽第跡地を散策し、
出水の七不思議を巡ります。
コースの最後は、佐々木酒造さんを特別に見学させていただき、
お酒の試飲も楽しめるという、ちょっと変わった「らくたび」っぽい
ツアーです。JR二条駅前には40名を超える参加者が集いました。



まずは平安京の朱雀大路だった千本通りを北へ上がって、
出世稲荷 に着きました。もうここは平安京の大内裏の中です。

出世稲荷の名は、天下人となった豊臣秀吉の聚楽第に後陽成天皇が
行幸した時に、立身出世を遂げた秀吉に因んで聚楽第の中にあった稲荷社に
天皇から「出世稲荷」の号を授けられたのが由来だそうです。

千本通りをさらに北上し、千本丸太町の交差点にきました。
ここは朝堂院の北端になります。そして交差点のすぐ北の路地を入った
内野児童公園に 大極殿跡 の大きな石碑が建ってました。
何かややこしいですね。

大内裏は東西約1.2km、南北約1.4kmの大きさで、朝堂院や豊楽院といった
行政・国家行事・饗宴を行う殿舎と、天皇の居住する内裏が
設置されている区域でした。今で言う霞ヶ関の官庁街と皇居を
一緒に含んだものが大内裏です。大極殿は朝堂院の正殿となります。

平安神宮が実は朝堂院を模して8分の5の縮小で建てられたものです。
という事は、平安京の朝堂院は平安神宮の倍の大きさだったという事ですね。
いやさぞ壮観だった事でしょう。

ところが残念な事に、威容を誇った内裏も、周りの官庁街も何度もの火災に遭い、
天皇は火災の度に貴族の屋敷を臨時の御所として使用し、ついに1392年、
土御門東洞院が長く皇居として定着し、現在の京都御所の前身となりました。

元の内裏の周辺は荒廃し、内野と呼ばれる様になり、妖怪などが登場する
寂しい地に成っていったと言われてます。
その内野の地に、豊臣秀吉は 聚楽第 という大邸宅(城)を建てたのでした。
周りは家臣の大名屋敷が取り囲み、寂れていた内野の地も、
大変活況を呈したそうです。が、秀吉に子供の秀頼が誕生すると、
秀吉は、聚楽第の主にしておいた甥の秀次を自害に追いやり、
聚楽第を徹底的に破壊します。

もうひとつ、この辺りの秀吉の心情と言うのは理解できない所です。
そして、一時の賑わいを見せていた聚楽第のあった内野の地は、
再び昔の荒地に戻っていったそうです。という事で、
昔の面影は全く残っていません。残念ですね。



出水の七不思議を廻る前に 弘誓寺 に立ち寄りました。
このお寺は、豊臣秀頼にとってはほとんど唯一の幼馴染であった
忠臣の木村重成のお墓があるそうです。
山村さんが、大阪夏の陣での木村重成の最後を、熱く語って下さいました。



出水の七不思議 とは、出水通り近くにある六つのお寺に伝わる
七つの不思議話の事です。二つほど、ご紹介させて頂きます。

一番有名なのは 光清寺の「浮かれ猫」 でしょうか? 
絵馬に牡丹の花と一緒に描かれている猫が、近所の五番町の遊郭から
聞こえてくる三味線の音に浮かれて踊りだしたという話です。
又、七不思議ではありませんが、この光清寺には作庭家の
重森三玲氏による庭が有り必見です。

五劫院の「寝釈迦」 というのは、小門の木目が、
お釈迦様が寝ている姿に見えるというもので、これは七不思議の中でも、
なかなかの傑作だと思います。



七本松通りを北に行くと 立本寺 です。
立本寺は、日蓮宗京都十六本山の一つで、開山は日蓮上人の孫弟子にあたる
日像上人。又この寺でも幽霊子育飴の伝説が伝わっており、その理由はと言うと、
あの東山の幽霊子育飴の話で、飴によって命を助けられた赤ん坊が
成人して偉くなり、この寺の日審上人になったという話です。
凄い、凄すぎる話ですね。



境内を通り抜け、墓地にやって来ました。
ここには島原の名妓であった吉野太夫を身請けし妻とした
豪商の灰屋紹益や戦国大名の石田三成の軍師の島左近の墓がありました。

灰屋紹益の吉野太夫に対する熱い愛情は、結婚後12年で若死にした
吉野太夫の遺灰を、毎日少しずつ酒盃の中に入れて、
吉野を偲びながら全部飲んでしまったと言う話からも窺えます。
これも凄い話ですね。



そして島左近。

三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城

と言われた名将・猛将の島左近です。
山村さんから三成が島左近を召抱えた時のエピソードが紹介されました。
三成は自分は行政能力では誰にも負けないが、実戦の経験が無く
戦は苦手な事を充分に自覚しており、それを補う為に
猛将で聞こえた島左近を家臣にしたのですが、その時、
自分の知行(三成が水口4万石の城主の時)の半分の2万石で
召抱えたという事です。これを聞いた秀吉は、おもわず笑って
三成を誉め、島左近も三成の男気に感激し、
生涯の忠臣となったという事です。

戦国時代ファン(私?)にとっては、たまらない話ですね。



水上勉の小説「五番町夕霧楼」で有名な五番町遊郭の跡を通り、
松林寺 に出ました。この松林寺の門前が前に深く落ち込んでいますが、
それが秀吉の建てた聚楽第の堀の跡らしいという事です。

続いて 上京歴史探訪館 を訪れましたが、この辺りは、内裏の真っ只中で、
近年整備されたのでしょうか、多くの石碑や説明板が
通りのあちらこちらに立ってました。



さあ最後のお楽しみ、 佐々木酒造 に着きました。
俳優の佐々木藏之介さんの実家だそうです。
本日は佐々木晃さんから酒造りの工程など、丁寧な説明がありました。

その後はお楽しみの試飲タイム。「聚楽第」という名の、
いかにもご当地というお酒も味わえました。
そして皆さんお土産のお酒を買ったり、佐々木さんと写真を撮ったりと、
充分に盛り上がった本日の「京都さんぽ」でした。


文・写真/らくたび会員 坂田肇様


  


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2009年03月29日

堀川の通水式見学と京都御苑近衛邸の糸桜



今回の京都さんぽは地下鉄東西線二条城前駅に集合です。
理由は 堀川 の通水式を見学するためです。

そもそも堀川通り付近には平安京以前から自然の河川が流れていた
とされていました。平安京の造営にあたりこの河川が改修され
運河等として利用したのが堀川の起源です。

この堀川で行われた「友禅流し」は京都の風物詩でもありました。
しかし、残念ながら戦後は暗渠化(地中に埋没された河川)され
流れは無くなってしまいました。再び堀川に水の流れをという
市民運動により堀川に水が流れることとなったのです。



門川市長も出席した記念式典も行われており、京都さんぽは
一旦解散となり参加者は思い思いの場所で見学することになりました。

私も何人かの参加者の方と某ホテルの「特製いちごクレープ」等を
頬張り水が流れてくるのを待つことに。
そして、いよいよ水が流れてきました。非常にゆっくりとした流れです。
なんと水の流れがわかるようにピエロ!? らしき人が
先導しているではありませんか。ちょっとした演出ですね。



通水式を見終えた一行は二条通りを西へ歩を進めます。
その後釜座通りを北上しこの通りに面している 薬師院 に立ち寄ります。

本尊は薬師如来で別名「こぬか薬師」とも呼ばれています。
この名前の由来は美濃国より勧請した当初、全国的に医者も祈祷師も
どうすることもできないぐらいの疫病が流行ったそうです。
ある時、住職の枕もとに現れ

「一切の衆生わが前に参ぜよ。諸病ことごとく除くべきに、こぬか、こぬか」

とお告げがあり、人々が先を争って祈ったとことたちまち疫病が
消えたことからそう呼ばれる様になりました。
因みに毎年10月8日にだけ御開帳され拝見することできます。
非常に小さな薬師如来ではありますが、その御利益は実証済みです(笑)



薬師院を後にした一行は 京都府庁 へ。中庭に咲くしだれ桜が見事に咲いており
たくさんの人がカメラを撮っていました。
2階にある旧知事室も見学することができ、この知事室は実際に
昭和46年まで実際に使用されていたそうです。
室内にある暖炉は大理石を使用したり格天井になっていたりと
一層手の込んだ造りとなっています。琵琶湖疏水事業を推進した
第三代知事北垣国道はこの部屋で何を思ったのでしょうね……



最終目的の京都御苑の前に平安女学院の片隅にある
二条城跡の石碑をチェックです。
現在の二条城は徳川家康が築城したもので、この石碑の場所にあった二条城は
織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭のために築城したものです。
しかし、その足利義昭も織田信長に都を追放されてからは
廃城となり資材は安土城に使われたそうです。
現在、京都御苑の一角に石垣の一部が再現されています。



いよいよ 京都御苑 に到着です。北側にある近衛邸跡の糸桜はすでに満開です!!
ソメイヨシノ等は5分程度ですが、早咲きの糸桜は今がちょうど見頃です。
こちらも多くの方が訪れていました。

今回の京都さんぽは近衛邸跡で終了です。
春爛漫の京都はもうそこまでやってきています。
今年も咲き誇る京の桜を皆様と楽しみましょう。
スタッフの皆様、参加者の皆様本日もお疲れ様でした。


文/らくたび会員 森田和宏様   写真/らくたび会員 奥村成美様


  


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2007年10月08日

「仏像のひみつ」特別講座と「こぬか薬師」年一度の御開帳参拝



7月に発刊したらくたび文庫「京の仏像NAVI」、おかげさまで大好評です。
ありがとうございます!
今回は、筆者若村による「仏像のひみつ」特別講座を行なった後、
本に掲載させていただいた釜座二条の こぬか薬師(薬師院)さんの
年に一度の秘仏御開帳を拝観に出かけるという、
いつもとはちょっと趣向を変えた企画を行ないました。



まずは、烏丸三条の伝統工芸館6階で仏像講座を。満員御礼 m(_ _)m



「仏像」といっても、如来、菩薩、明王、天部など、
それぞれの持つ役割も姿かたちもさまざま。
スクリーンを使ったり、写真のように椅子に乗って(笑)解説したり、
熱ーい講座が繰り広げられました。
ちなみにこの写真は、釈迦如来の説明。
さしのべる左手は、「あなたの願いを叶えましょう」、
右手は「あなたの恐れを除いて救いましょう」
という仏さまの意思をあらわしているんですって。
仏像の表情や手に持っているもの、手の形などで、どんな仏像なのか
判別できるようになると、京都の仏像めぐりがもっと楽しめそうですね。



講座の後は休憩をはさんで釜座二条のこぬか薬師さんへ。
ご本尊は最澄が刻んだと伝わる薬師如来です。
寛喜2(1230)年に疫病が流行ったとき、住職の夢にあらわれた薬師如来からの

一切病苦、わが前に来たらば諸病ことごとく
除くべきに来也(こぬか)来也(こぬか)


とのお告げによって、人びとが救われたという話にちなんで
「こぬか薬師」と呼ばれるようになったそうです。



戦国時代に織田信長が斎藤道三から譲り受けたというお薬師さん、
10月8日のこの日、年に一度だけ御開帳です。
本堂に上がってお参りをした後、ご住職の奥様が
お薬師さんのお話をしてくださいました。



その後、お座敷で休憩をさせていただき、
お薬師さんのお供えのお下がりということでお茶とお干菓子、みかん、
特製ごま豆腐をありがたく頂戴しました。
ご住職は宇治の黄檗山萬福寺で普茶料理の典座長を長年お務めになったお方。
本物の吉野葛をつかって丁寧につくられるごま豆腐の
美味しいことといったらもう!
私の知る限り、ごま豆腐界のダントツNo.1!です。

ご多忙のなか、あたたかく迎えてくださった薬師院さん、
そしてご参加くださいましたみなさま、ありがとうございました。
お疲れ様でした!

  
タグ :京都薬師院


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