2012年06月26日

6月16日(土)大原・寂光院と三千院・来迎院

6月16日(土)のらくたび京都さんぽは、緑輝く大原を散策し、
お昼は魚山園さんで「あじさい膳」を頂きました。

出発は地下鉄の国際会館駅。魚山園さんの送迎で寂光院の近くまで送って頂けます。
天気は雨でしたが、雨の日に大原を訪れる機会もなかなかありません。
きっとも美しいはず。期待が高まります!


寂光院の参道は期待通りに緑が素晴らしい輝きで迎えてくれました!
雨の散策は植物が艶めいて生き生きとしています。紫陽花も咲き、雨も似合う境内です。



本堂にて、お寺の由緒やご本尊の六万体地蔵菩薩についてお話を伺います。
寂光院は平清盛の娘である建礼門院・徳子が余生を過ごした場所で、
平家物語の最後に後白河法皇が訪ねてくる場面の舞台としても知られます。



樹齢千年といわれた姫小松の木は西暦2000年の火災によって痛み、
枯死してしまいましたが、古木が残されていて周りを歩くこともできます。


寂光院の隣には建礼門院・徳子のお墓も残されています。
再び階段を上ってお参りされる方もいらっしゃいました。


魚山園さんへと大原を散策しながら向かいます。
途中、若村先生から平家物語ゆかりの朧(おぼろ)の清水を解説して頂きました。


歩いているとシソ畑にも出逢いました。大原は紫葉漬けの里としても知られています。


呂川の脇を通って・・・



魚山園さんに到着です!


皆さんでワイワイ楽しく、あじさい膳を頂きます。
3段の引き出し部分に紫陽花の柄が入っていますよ~!



お腹が膨れた後は、来迎院へと向かいました。ここまで来られる方は少ないですが、
実は慈覚大師・円仁ゆかりのお寺。
声明の本拠地で、深い歴史をお持ちです。


ご住職さんからお寺の歴史と、声明(しょうみょう)の美しい声も聞かせて頂くことができました。
私は外で聞いていましたが、静かに降る雨の中に響く様子は、
ずっと昔から変わらないのではと感じました。


若村先生からも大原の歴史について詳しく解説して頂けました。
大原の地名は、来迎院の正式名・大原寺(たいげんじ)来迎院から来ているのだそう。



最後に三千院へ。雨の日の苔や緑の美しさは京都でも有数です。
その中に静かに佇む、往生極楽院の阿弥陀三尊。
深い歴史を雨が包んで、趣を引き立ててくれました。



三千院といえば紫陽花ですが、今年は紫陽花の開花時期が少し遅く、
この日は咲き初めといったところでした。



かわりに京鹿子(きょうがのこ)の花が雨でも鮮やかな色彩を見せてくれました。


境内では紫蘇ジュースも無料で配られています。
意外に甘くて、おいしいジュースでした。



さて、この日は普段はなかなか見られない雨の大原を満喫できた一日でした。
お食事もおいしく、苔や緑が艶やかに輝いて、静かに響く声明の音色。
雨の日にしか感じられない美しさに出会えた散策だったと思います。
今回は大勢の方にご参加頂くことができました。ありがとうございました!



                                  ご案内 / らくたび代表・若村 亮
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


Posted by らくたび  at 00:01Comments(0)大原~八瀬エリア

2010年02月13日

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里



暦の上では春を迎えたとはいえまだまだ寒さの厳しいこの日、
京都市内から北へおよそ12km、のどかな田園風景が広がる大原を散策しました。



大原といえば

♪ 京都 大原 三千院、恋に疲れた女が一人~♪

と歌われるようになんとなく静かなイメージが浮かびますが、
京都さんぽの一行は賑やかに大原バス停をスタート。
呂川に沿って続くゆるやかな参道を上がり、豪壮な石垣が
その格式を物語る三千院の御殿門前に到着しました。



三千院の拝観前にまずは周辺の散策からです。

勝林院 は声明(しょうみょう:仏教音楽)の根本道場であり
鎌倉時代には天台宗の僧と法然上人が浄土教について論じた
「大原問答」の舞台となったお寺です。

2008年秋にJR東海の“そうだ京都、行こう”で紹介された時には
多くの方が訪れたとか。

宝泉院 は柱を額縁に見立てた室内から五葉松と
竹林が美しい庭園を眺める「額縁庭園」のお寺として人気上昇中。

実光院 では初秋から春にかけて開花する不断桜と紅葉を
同時に楽しめるそうです。どのお寺も四季折々に訪れてみたいものです。



そしていよいよ 三千院 へ。三千院は平安初期、伝教大師(最澄)が
比叡山に開いたお堂に始まります。
中世以降に来迎院、勝林院、往生極楽院などのお寺を管理するため
ここ大原の地に移ったそうですが、その後、大徳寺の近くに移転。

しかし戦乱、焼失などで移転を繰り返し、現在地に戻ってこられたのは
明治4年。つい100年程前までは現在の京都府立病院あたりにあった
ということです。えっー?!ずっと大原で歴史を刻んでこられたと
思い込んでいたので・・・驚きでした。

そんな長い歴史の流れの中で元永元(1118)年に堀川天皇第二皇子以来、
皇族出身者がご住職を務められる門跡寺院となり、
青蓮院、妙法院、とともに天台宗三門跡寺院の一つであげられる
非常に格式の高いお寺でもあります。



一年を通して様々な行事が行われていますが、この日は
幸せを呼ぶ初午大根焚き」が行われていました。
「幸せを呼ぶ」となると非常に気になる行事です。

しかし、まずはお参りから。三千院の境内は非常に広く、
その中に平安時代から現代までの仏像、お堂、庭園、石仏などが
融合しています。最も歴史があるのが寛和2(986)年建立の往生極楽院。
三千院の源ともいえるお堂でこちらにお祀りされているのは
阿弥陀三尊像(国宝)です。1000年を超える時の中で多くの人々の
願いを叶えてこられた仏様は庭園の木々に溶け込むように簡素な
お堂の中で優しく迎えて下さったことが印象的でした。
次はお待ちかねの大根焚きへ向かいます。



この 大根焚き は参拝者の方がよい1年を過ごせるように・・・と願い
毎年2月の初午にあわせて開催されています。大原の方々が有機農法で
愛情一杯に栽培された大根は出世金色不動明王のご利益を
いただけるよう特別祈祷され、特製のお出汁でじっくり焚かれ、
ほっかほっかの大根焚きとなって参拝者にふるまわれます。

では、ありがたく、いただきましょう!熱々でしかも大きい!
お腹と心に沁み入る美味しさに早くも幸せがやってきたようでした。



お腹を満たした一行は 寂光院 へと向かいます。
小川がせせらぎ、畑が広がる静かな道をのんびりと歩くこと20分。

ここ寂光院は推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を
弔うために建立されたというとても長い歴史のあるお寺で、
代々高貴な家の姫君達が法灯を守り続けてこられたそうです。

平清盛の娘・徳子(高倉天皇の皇后、安徳天皇の母)も
そんな女性の一人でした。皇后として一時は栄華を極めた徳子ですが、
壇ノ浦の戦いで平氏は源氏に敗れます。徳子は我が子・安徳天皇の
最期を見届けた後、自らも海に身を投じたのですが
図らずも源氏の手によって助け出されました。

そして京へ戻り出家をし、建礼門院となって36歳で生涯を閉じるまで
この地で我が子と滅亡した平家一門の菩提を弔う日々を過ごされたのです。

宝物殿には壇ノ浦の戦いの時の船の一部が残されていましたが、
すべてを失ってしまった建礼門院はこの小さな木片を
我が子や家族の形見として冥福を祈り続けたのかもしれません。

思ひきや 深山の奥に住居して 雲井の月をよそに見んとは     
建礼門院徳子


(栄華を極めていた自分が本来なら宮中から見るはずの月を
こんな山深いところから眺めることになるとは思ってもいませんでした)

『平家物語』の「大原御幸」にはそんな建礼門院を義父である
後白河法皇が訪ねてこられる場面が描かれています。
その美しくも哀しい描写を山村先生よりお話いただき、
この日の京都さんぽの締めくくりとなりました。

冬の大原は確かに寒い所でした。しかし寒い時期だからこそ、
静寂な空気に包まれた三千院の阿弥陀様と心静かに対面し、
ほっかほっかの大根焚きに人の温かさを感じ、
建礼門院の哀しみにほんの少し近づくことができた気がします。

また参加者の皆さんとも「こんな寒い時期の大原は
京都さんぽでないと来られないなぁ」と意見が一致したのも
嬉しいことでした。参加者の皆さま、山村先生、寒い中お疲れさまでした。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 鴨田一美様


  


Posted by らくたび  at 15:41Comments(0)大原~八瀬エリア