2010年02月13日

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

暦の上では春を迎えたとはいえまだまだ寒さの厳しいこの日、
京都市内から北へおよそ12km、のどかな田園風景が広がる大原を散策しました。

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

大原といえば

♪ 京都 大原 三千院、恋に疲れた女が一人~♪

と歌われるようになんとなく静かなイメージが浮かびますが、
京都さんぽの一行は賑やかに大原バス停をスタート。
呂川に沿って続くゆるやかな参道を上がり、豪壮な石垣が
その格式を物語る三千院の御殿門前に到着しました。

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

三千院の拝観前にまずは周辺の散策からです。

勝林院 は声明(しょうみょう:仏教音楽)の根本道場であり
鎌倉時代には天台宗の僧と法然上人が浄土教について論じた
「大原問答」の舞台となったお寺です。

2008年秋にJR東海の“そうだ京都、行こう”で紹介された時には
多くの方が訪れたとか。

宝泉院 は柱を額縁に見立てた室内から五葉松と
竹林が美しい庭園を眺める「額縁庭園」のお寺として人気上昇中。

実光院 では初秋から春にかけて開花する不断桜と紅葉を
同時に楽しめるそうです。どのお寺も四季折々に訪れてみたいものです。

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

そしていよいよ 三千院 へ。三千院は平安初期、伝教大師(最澄)が
比叡山に開いたお堂に始まります。
中世以降に来迎院、勝林院、往生極楽院などのお寺を管理するため
ここ大原の地に移ったそうですが、その後、大徳寺の近くに移転。

しかし戦乱、焼失などで移転を繰り返し、現在地に戻ってこられたのは
明治4年。つい100年程前までは現在の京都府立病院あたりにあった
ということです。えっー?!ずっと大原で歴史を刻んでこられたと
思い込んでいたので・・・驚きでした。

そんな長い歴史の流れの中で元永元(1118)年に堀川天皇第二皇子以来、
皇族出身者がご住職を務められる門跡寺院となり、
青蓮院、妙法院、とともに天台宗三門跡寺院の一つであげられる
非常に格式の高いお寺でもあります。

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

一年を通して様々な行事が行われていますが、この日は
幸せを呼ぶ初午大根焚き」が行われていました。
「幸せを呼ぶ」となると非常に気になる行事です。

しかし、まずはお参りから。三千院の境内は非常に広く、
その中に平安時代から現代までの仏像、お堂、庭園、石仏などが
融合しています。最も歴史があるのが寛和2(986)年建立の往生極楽院。
三千院の源ともいえるお堂でこちらにお祀りされているのは
阿弥陀三尊像(国宝)です。1000年を超える時の中で多くの人々の
願いを叶えてこられた仏様は庭園の木々に溶け込むように簡素な
お堂の中で優しく迎えて下さったことが印象的でした。
次はお待ちかねの大根焚きへ向かいます。

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

この 大根焚き は参拝者の方がよい1年を過ごせるように・・・と願い
毎年2月の初午にあわせて開催されています。大原の方々が有機農法で
愛情一杯に栽培された大根は出世金色不動明王のご利益を
いただけるよう特別祈祷され、特製のお出汁でじっくり焚かれ、
ほっかほっかの大根焚きとなって参拝者にふるまわれます。

では、ありがたく、いただきましょう!熱々でしかも大きい!
お腹と心に沁み入る美味しさに早くも幸せがやってきたようでした。

冬の大原 初午大根焚きと静かなる建礼門院の里

お腹を満たした一行は 寂光院 へと向かいます。
小川がせせらぎ、畑が広がる静かな道をのんびりと歩くこと20分。

ここ寂光院は推古2(594)年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を
弔うために建立されたというとても長い歴史のあるお寺で、
代々高貴な家の姫君達が法灯を守り続けてこられたそうです。

平清盛の娘・徳子(高倉天皇の皇后、安徳天皇の母)も
そんな女性の一人でした。皇后として一時は栄華を極めた徳子ですが、
壇ノ浦の戦いで平氏は源氏に敗れます。徳子は我が子・安徳天皇の
最期を見届けた後、自らも海に身を投じたのですが
図らずも源氏の手によって助け出されました。

そして京へ戻り出家をし、建礼門院となって36歳で生涯を閉じるまで
この地で我が子と滅亡した平家一門の菩提を弔う日々を過ごされたのです。

宝物殿には壇ノ浦の戦いの時の船の一部が残されていましたが、
すべてを失ってしまった建礼門院はこの小さな木片を
我が子や家族の形見として冥福を祈り続けたのかもしれません。

思ひきや 深山の奥に住居して 雲井の月をよそに見んとは     
建礼門院徳子


(栄華を極めていた自分が本来なら宮中から見るはずの月を
こんな山深いところから眺めることになるとは思ってもいませんでした)

『平家物語』の「大原御幸」にはそんな建礼門院を義父である
後白河法皇が訪ねてこられる場面が描かれています。
その美しくも哀しい描写を山村先生よりお話いただき、
この日の京都さんぽの締めくくりとなりました。

冬の大原は確かに寒い所でした。しかし寒い時期だからこそ、
静寂な空気に包まれた三千院の阿弥陀様と心静かに対面し、
ほっかほっかの大根焚きに人の温かさを感じ、
建礼門院の哀しみにほんの少し近づくことができた気がします。

また参加者の皆さんとも「こんな寒い時期の大原は
京都さんぽでないと来られないなぁ」と意見が一致したのも
嬉しいことでした。参加者の皆さま、山村先生、寒い中お疲れさまでした。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 鴨田一美様





同じカテゴリー(大原~八瀬エリア)の記事画像
6月16日(土)大原・寂光院と三千院・来迎院
同じカテゴリー(大原~八瀬エリア)の記事
 6月16日(土)大原・寂光院と三千院・来迎院 (2012-06-26 00:01)

Posted by らくたび  at 15:41 │Comments(0)大原~八瀬エリア

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。