2012年12月02日

11月24日 六波羅蜜寺・秘仏の特別開帳と清水寺から清閑寺

11月24日のらくたび京都さんぽは、
国宝の十一面観音像が特別公開されている六波羅蜜寺と、
紅葉を訪ねて清水寺から清閑寺を歩きました。



出発は京阪五条駅。
紅葉シーズン真っ盛りということもあって、
駅から既に多くの観光客が訪れていました。
まずは、秘仏が御開帳されている六波羅蜜寺へと向かいます。

六波羅蜜寺は、空也上人ゆかりのお寺。千年以上前、
都で疫病が流行った際に空也上人自ら十一面観音像を彫り、
疫病を鎮めるために像を台車に乗せて念仏を唱え、
厄除けのお茶を振る舞ったといわれます。


今回御開帳されるのはまさにその時の観音像!!
基本的には12年に1度の御開帳というたいへん貴重な機会です。
辰年に行われるのは、かつて門前の池に住んだ龍にちなみます。
境内は多くの方で賑わっていました。


素晴らしい仏像を参拝した後は、
平家の本拠地六波羅を抜けて清水寺方面へ。
東大路まで来ると、今まで以上のものすごい混雑
らくたびの旗を見失わないように大谷本廟へと入ります。


大谷本廟の”めがね橋”の辺りも紅葉が綺麗でした。


大谷本廟には親鸞聖人や西本願寺の門信徒のお墓があります。
その中に、親鸞聖人が火葬に付された御荼毘所(おだびしょ)跡へと続く道が!


ずいぶんと進んで御荼毘所跡にたどり着きました。
これは一人では来にくい場所です!


平安時代からの葬送地・鳥辺野を抜けて、清水寺へとやって来ました。
さすがに三連休の中日とあって恐るべき人の数です。


しかし境内は紅葉がまさに見頃!!
ちょうど西日が射して、素晴らしい輝きで迎えてくれました。


舞台の大混雑を抜け、その舞台がよく見える奥の院を通過します。
こちらは清水寺一の混雑スポット。人の波に揉まれながら
何とか一瞬のスキで素晴らしい紅葉を眺めること出来ました(笑)


奥の院を抜けると人混みを離れ、清閑寺へと向かいます。
清水寺の出口にも唐紅(からくれない)の紅葉が輝いていました。


喧騒から一転、長閑な道を進みます。
この道は歌の中山という素敵な名前で呼ばれています。


高倉・六条天皇陵へとやって来ました。
紅葉の隠れ名所です。


高倉天皇は、今年の大河ドラマ平清盛でも登場する天皇。
小督局(こごうのつぼね)との純愛の物語が若村先生から臨場感を持って語られます。


そして清閑寺へ。娘を高倉天皇の后にしていた清盛は
小督局に圧力をかけ、小督はこの清閑寺で出家したといわれます。


それでも帝の心は変わらず
「私が死んだら小督がいる清閑寺に葬ってくれ」と遺言されました。
今でも高倉天皇陵の傍らに小督の墓もあるそうです。
清閑寺紅葉に優しく包まれ、往時を偲ばせてくれました。


境内にある要石からはちょうど扇の要のように
京都の街を望むことができました。夕暮れの街並みも美しいですね。
今回は清閑寺近くのバス停で解散です。



今日の散策では12年に1度の六波羅蜜寺の秘仏を拝観し、
鳥辺野を抜けて、紅葉輝く清水寺へ。
人の波をすり抜けて、静けさに包まれた清閑寺では
古の物語を感じました。

荘厳な仏像に美しき紅葉、賑わう場所から静かな場所へと、
内容の濃い散策だったと思います。今回も多くの方にご参加いただきまして
ありがとうございました。

余談ですが、昼の紅葉が最高でしたので、
この日の夜、改めて個人的に清水寺へと行ってきました。
夜景も期待を裏切らない見事さと人の波でした(笑)


                                  ご案内 / らくたび代表・若村 亮
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


Posted by らくたび  at 21:58Comments(2)五条~清水寺エリア

2009年11月29日

絶景の紅葉を訪ねて! 東山トレイル歩き旅



心配されていた雨も降らず集合時間の11時には晴れ間ものぞいた今回は
途中昼食をとるため各自お弁当を持参して知恩院三門前に集合です。



知恩院 は、浄土宗の総本山で御本尊は法然上人御影像。
三門は徳川秀忠によって元和7年に建てられ国宝に指定されています。
御影堂は徳川家光により寛永16年に再建されこちらも国宝に指定されています。

そんな境内を通り抜け行く年くる年の出演率No.1である
大鐘楼の裏からいよいよ東山トレイルコースを歩きます。
歩き始めて5分程で 法垂窟 (ほうたるのいわや)が現れてきます。
ここは、法然上人が比叡山での修行を終え吉水草庵(よしみずそうあん)を
結び、人々の念仏の教えを伝え始めた場所だとされています。
法垂窟には今もコンコンと吉水が湧き続けています。



東山山頂公園 を目指します。ここからは上りが続く
厳しい行程です。自然と列は長くなりますが、20分程で
山頂公園に無事到着です。

青蓮院の飛地境内である 将軍塚大日堂 があり
その名の通り石造の大日如来が安置されています。

近くの展望台からは京都市街が一望でき、愛宕山を望む事ができます。
夜景スポットとしても有名ですよね。
ここで待ちに待った昼食タイム。山頂公園では我々の他にも
多くの人がお弁当を食べていました。



昼食を終えた一行は清水寺奥にある清閑寺を目指します。
山頂公園からは一転下りとます。上りと違い足を滑らさないように
慎重に歩きます。
清閑寺 は観光寺院ではないため、訪れる人はあまりいない隠れ寺です。
清閑寺参道や高倉天皇陵の周辺は紅葉が見頃を迎えておりとても綺麗でした!!

また、清閑寺は西郷隆盛が幕末に成就院の月照という僧侶と
密議を交わしていた郭公亭(かっこうてい)という茶室があった場所でも
あります。現在は崩落の危険があるとのことで取り壊されています。



清閑寺を後にした一行は国道一号線を横切り豊臣秀吉が葬られた
阿弥陀ヶ峰 を通り今熊野観音寺・東福寺をめざします。

途中、 剣神社五社之瀧神社 に立ち寄ります。
剣神社の鳥居の傍らには大きな石があり、社伝によればこれは
隕石なんだとか……!? 更にこの石の下に剣が埋まっているそうですよ。

五社之瀧神社にはお社はありませんが、
所狭しと末社が鎮座しているのが特徴です。
また打たせの瀧(五社之瀧)があり現在も修験者の方が
身を清めるため瀧に打たれに来られるとのこと。
この日は誰もいませんでした。



清閑寺から40分程かけてやっと 今熊野観音寺 に到着しました。
今熊野観音寺は白河法皇が持病の頭痛平癒を祈願し
見事治ったことから頭痛封じの御利益のあるお寺です。
頭痛平癒の御守りだけではなく枕カバーもあります。
私も頭痛持ちのため毎年お正月に一年の無事を祈って
頭痛平癒の御守りを買い求めています。

こちらも紅葉が見頃を迎えていました。ここでは赤色をした
紅葉だけではなく黄色がかっているのが印象的でした。
赤色も良いですが黄色も落ち着いた感じがして良いものですねぇ。

他にも今熊野観音寺は西国十五番札所でもあり
訪れたこの日はちょうど御本尊が御開帳されていて
多くの参詣者で賑わっていました。
私もきっちり内陣へ入り御本尊をお参りしてきました。



そして漸く最終目的地である 東福寺 へ到着しました。
東福寺は九条道家が九条家の菩提寺として創建したのが始まりで、
大伽藍を有することから「東福寺の伽藍面」と呼ばれています。

寺名の由来は奈良の東大寺・興福寺からそれぞれ東福寺と
名付けられました。三門や東司(お手洗い)等
貴重な建物が残っています。特に東司は室町時代唯一の東司で
かなり貴重なものだそうです。
通称「百雪隠(ひゃくせっちん)」と呼ばれています。
 
京都屈指の紅葉の名所ということで大勢の人で賑わっていました。
本堂と開山堂を結ぶ通天橋からの紅葉はまさに絶景!!
しかし、臥雲橋からみる景色も一見の価値はあるでしょう。
特に拝観時間前に訪れると無人の通天橋と紅葉を観賞することができます。

本日の京都さんぽは東福寺で終了です。約5時間にわたる
京都さんぽとなりました。帰る時すでに腰が痛くなっていた私です(泣) 
参加者の皆様、スタッフの皆様本当にお疲れ様でした!!


文/らくたび会員 森田和宏様  写真/らくたび会員 岩崎守男様・真紀枝様


  


Posted by らくたび  at 15:17Comments(0)五条~清水寺エリア

2008年08月09日

真夏のナイトツアー



夏、真っ盛り!2008年8月9日らくたび京都さんぽ「真夏のナイトツアー」
が開催されました。京都は長い歴史の中で数々の伝説が生まれ、
街のあちらこちらに霊が鎮まる魔界都市。
普段とは一味違った京都の姿を探して南座前を出発です。

しかし・・・・・・

出発時間の直前からの雨、風、雷。
これは私達の散策を阻もうとする何物かの仕業か!? 

もちろん、現代なら気象庁が雨の降る仕組みを科学的に解説して
くれますが、平安京当時はそんな仕組みは解明しておらず、
「大雨が続く=雨を司る神様の怒り」と考えられていました。



最初に訪れたのは、そんな考えがお寺の歴史の中にみられる、
仲源寺 (通称:目疾地蔵)です。そもそもの歴史は仏師定朝が
地蔵菩薩を奉ったことに始まります。
後に洪水の時に止雨の祈願をしたところ雨が止んだことから、
「雨止地蔵(あめやみじぞう)」と呼ばれていたのですが、
ある時、「眼病を代わりに引き受けてくれた」という話から
「目疾地蔵(めやみじぞう)」となり、現在でも眼病治癒の信仰が
続いています。

そう聞いてよく見てみると、ご本尊のお地蔵様は
確かに右眼が赤いような……この時もまだ雨は降り続いていたので、
ここでは本来の「止雨祈願」。
さて、願いは届くでしょうか……?



仲源寺を後にした一行は京都五花街の一つ、 宮川町 へ到着しました。

ここ宮川町は “祇園祭のお神輿を洗うお宮さんの川” の
ほとりにできたことから宮川町と名付けられました。
出発前からの雨のおかげで、打ち水をした後のような
しっとり感があり、町並みが一層きれいに見えました。

ここでふと気が付くと、先ほどの雨も止んでいます。
仲源寺での止雨祈願が届いたようです。

続いて、恵比須神社、摩利支尊天、建仁寺、祇園甲部歌舞練場、
女紅場学園などを巡った後、 崇徳天皇御廟 へ到着しました。

崇徳天皇は鳥羽天皇の第一皇子でありながら保元の乱により
讃岐に流され、無念の中で崩御されました。
しかし、その後、都に続いた災いが怨霊に違いないと
考えられたことから、 “崇徳” とうやうやしい追号が贈られ、
この地に遺髪を納め弔っているそうです。

京都は崇徳天皇の他にも早良親王、菅原道真など怨霊を祭る神社が
多くありますので、 “怨霊に守られた都” であるわけです。
ちょっと不思議な感覚ですね。



次に向かった 安井金比羅宮 は縁切りの神社。人の縁に限らず、
病気や悪い出来事との縁を切り、良縁を結ぶ、そんな願いをかけて
くぐるのが境内にある “縁切り・縁結び碑” です。

私自身、特に悪縁に困ってはいないのですが(?!)、
らくたびレポーターとして身体を張ってどんなものかくぐってみました。
結構、狭いです……最近あまり身をかがめる事もなかったので、
少々きつかったなぁ。



夏の暑い太陽も山に沈み、ようやくナイトツアーらしく
なってきたところで次に到着したのは 六道珍皇寺 (ろくどうちんのうじ)です。

平安時代前期に開かれたこのお寺は、平安京の東の葬送地、
鳥辺野(とりべの)に向かう道筋にあり、亡くなった方はこの辺りで
野辺送りをされていました。

そんなことから古来より、このお寺辺りをこの世とあの世の境である
「六道の辻」と呼び、お盆には先祖の霊(精霊)を迎えに行く
“お精霊迎え” の行事が始まったそうです。

また、小野篁(おのの たかむら)はこのお寺の境内にある井戸を
使って冥土に通い、閻魔大王に仕えていたという伝説も残っています。

お寺では閻魔大王像、小野篁像の公開があり、先祖の霊を呼ぶと言われる
“迎え鐘” にはたくさんの方が並んでおられました。ここで一旦解散し、
西福寺の前で再集合となったのですが……ここでまたもや雨、雷です。



西福寺 では「壇林皇后九相図(だんりんこうごうくそうず)」「地獄絵図」が
この時期だけ公開されていました。九相図とはたとえ皇后のように
身分が高く美しくとも、人間は等しく死を迎え、
醜態をさらしながらやがて土にかえる、という生きるものの儚さを
表現するものです。
殺伐とした現代だからこそ、時には地獄や死を垣間見て、
自己を省みる必要があるように思いました。



雨は相変わらず降り続いていましたが、六波羅を抜けて
五条坂陶器まつりに到着し、若宮八幡宮でこの日のツアーは
終了となりました。

実は私自身、 “怨霊・魔界” といった分野はかなり苦手で、
3年前にらくたびに入った時も「この分野にだけは興味は持たない」
と思っていました。
しかし、怨霊伝説もまた人々がそこに生きてきた証です。
科学が急速に進歩し、様々なことが実証される今の世の中にあっても、
目に見えないものに対して、恐れを抱いたり、敬いを表わしたりする
気持ちは失ってはいけないものなのでしょう。
そんな教えが日常の中で親しみと共に生きている、京都の違った一面を
ツアーを通して感じることができました。
これからは皆さんと一緒であれば(一人では絶対に嫌ですが)
魔界巡りもいいかな。

雨の降る中、参加者の皆さん、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。


文/らくたび会員 森明子様
  


Posted by らくたび  at 11:40Comments(0)五条~清水寺エリア

2006年12月03日

絶景の東山 紅葉めぐり



紅葉のピークを迎えた東山の特選コース。
まずは八坂神社の石段下に集まって、頼山陽の「京の四季」にも詠われた
長楽寺を目指します。
八坂神社では忠盛灯籠と美御前神社へ立ち寄って、円山公園を抜け、
坂本龍馬・中岡慎太郎像を見ながら、長楽寺へ入ります。



ここは天台宗の開祖最澄が開いた名刹、のち聖一国師が入って禅寺となり、
最終的には時宗のお寺として現在に至っています。



見所は建礼門院徳子が出家をしたということから、
その遺愛の品や、聖一国師が作ったとされる、
焼いていないままの泥の布袋尊像。
また、頼山陽のお墓まで上ると京都市内が一望できます。
時間を決めて自由に見学していただきました。



その後、大雲院に向かう途中、東大谷の参道を横切ります。
その時、面白い光景が現れました。
松の木の上に、黄色いイチョウの葉がぎっしりと積もるように乗っているのです。
緑と黄色の美しいコントラストに立ち止まってカメラを向ける人も。



そして双林寺という、こちらも時宗のお寺に立ち寄ります。
ここは西行法師が住んだとされ、あの有名な
「ねがわくば花のもとにて春死なん その如月の望月のころ」
と詠んだのはここではなかったかとされています。



お寺のすぐ近くにあるのが西行庵、明治になってから作られました。
普段閉まっているのに、今日は戸が開いていました。
中に足を踏み入れるとそこは、在りし日の西行がみれば
名歌が即興で出たであろうほどの見事な紅葉の庭園でした。



そして本日のメインとなる大雲院へ。ここは織田信忠の法名からとられたお寺。
らくたびが企画にかかわった「秋綴り」という伝統工芸展のイベント開催のため、
普段は非公開なのにもかかわらず、特別公開していました。
今回の特別講座の参加の皆様は招待で入っていただきます。
ここの呼び物はなんといっても昭和の名建築、祇園閣です。
高さ36メートル。内部は、敦煌にある莫高窟の壁画の模写が色鮮やかに描かれ、
これを目当てのお客さんもいらっしゃるほど。

そして展望台からの眺望のすばらしさ!誰もが感動する東山随一の眺望です。
東山は建物がみな低く、この界隈では八坂の塔とこの祇園閣だけが抜きん出ています。
八坂の塔は登れませんから、実質この祇園閣が最高のスポットというわけです。特に東山を北から南まで見渡せるのが好評でした。

その後、伝統工芸の粋を集めた作品群もみせていただきました。京都伝統工芸の生徒さんや、卒業生、先生の作品はどれも精巧で素晴しく、こういう技術、文化はやはり後世まで伝えていきたいですね。



ねねの道から石塀小路を抜けて、突き当たり、金剛寺という庚申堂があります。
見ざる言わざる聞かざるという猿たちや、くくり猿など、
ユニークな言われと庶民の信仰がいりまじった、
なんともいえない深さを感じさせてくれるお寺でした。



いよいよ産寧坂、五条坂を通って清水寺へ。
子安の塔にたどりついてからは清閑寺までは、びっくりするほど世界が変わります。
あの喧騒はなんだったのかというくらいの、静かな道を歩くこと10分足らずで
清閑寺へ到着しました。ここでは高倉天皇が愛した事の名手、小督が
出家をしたところ。西郷と勤皇家であった月照との密談の茶室は無くなって
石碑がたつのみです。
夕暮れが迫る中、要石から扇状に広がってみえる古都京都を眺め、
紅葉をたっぷり楽しんで、清水寺まで戻り、門前で解散しました。

会員のみなさま、ご参加くださいましてありがとうございました!

  


Posted by らくたび  at 17:30Comments(0)五条~清水寺エリア