2013年03月25日

3月17日(日) 義満・義政が残した非公開寺院と寺町通

3月17日のらくたび京都さんぽは、
足利義満が築いた花の御所の跡や相国寺を歩き、
京の冬の旅で特別公開された大聖寺と慈照院を拝観して、
寺町通では織田信長の墓などを訪ねました。

出発は地下鉄・今出川駅。まずは特別公開中の大聖寺を目指します。
大聖寺は、足利義満が築いた花の御所の跡に立ち、
境内には石碑も立っています。

残念ながら境内は全て撮影禁止でしたので、写真はありませんが、
かつて御寺(おてら)御所と呼ばれた尼門跡寺院らしく
源氏物語の優雅な屏風美しい障壁画を見学することができました。


続いて、相国寺の境内へ。
かつては広大な敷地面積を誇りましたが、
現在は空間の多い境内。実は、この場所にもかつてはお堂が立っていたそうです。


さらに宗旦稲荷神社に参拝しました。
江戸初期に活躍した茶人・千宗旦に化けた白狐が祀られています。
ユニークな伝説が山村先生から語られました。


こちらは浴室
昔は湯船につかるのではなく、蒸し風呂でした。
相国寺の浴室は、例年春と秋に公開されています。


相国寺の境内を北へと抜けると、
今回二つ目の特別公開寺院、相国寺塔頭の慈照院があります。
こちらのお庭は写真撮影OKでした(笑)


慈照院足利義政の菩提所となったお寺で、義政の木像もありました。
銀閣寺の正式名が慈照寺ですが、いずれも義政の法号から名付けられています。


慈照院のお茶室は、
宗旦狐が茶会で見事なお手前を披露した場所と伝わります。
茶室内には宗旦狐の軸も掛けられていました。
また、茶室のとなりでは、樹齢300年という胡蝶侘助が見事な花を見せていました。


さて、慈照院から住宅街を抜けると、上御霊神社に到着します。
足利義政の時代に巻き起こった応仁の乱の勃発地でもあります。
かつては御霊林という森に覆われ、ここでの戦いをきっかけに
世の混乱は極まって行きました。


神社に参拝した後は、寺町通に向かいます。
まずは額縁門で知られる天寧寺
山門の奥には本当にぴったりと比叡山が覗けます!
山村先生に、境内もじっくりと解説して頂きました。


続いて西園寺へ。総理経験者で最後の元老としても知られる
西園寺公望(きんもち)が書いた額がかかる西園寺家ゆかりのお寺です。


必見なのは、槌留(つちどめ)地蔵のお堂の内部。
お堂にあるスイッチを押すとライトがついて、
江戸時代に描かれたという地獄と極楽の絵が、
色鮮やかに現れます。参加者からも驚きの声があがりました。


西園寺に続いて阿弥陀寺へ。あの織田信長のお墓があります。
信長の墓と呼ばれるものは京都だけでも複数個所にありますが、
唯一亡骸が埋葬されている可能性があるのが、この阿弥陀寺の墓です。


こちらが信長とその嫡男・信忠の墓。右が信長です。
周りには森蘭丸ら、家臣たちの墓も並んでいます。


阿弥陀寺を後にして本満寺へ。この日はまだ枝垂れ桜は開花前でした。
佇まいが美しく、ファンの多い桜です。


本満寺でもお墓参りを。山中鹿之助のお墓です。
出雲の尼子家家臣として知られる戦国時代の人物です。


この日の最後は妙音弁財天を解説して頂き、解散となりました。

今回は特別公開の寺院を二つ巡り、解説があってこそ理解が深まる、
寺町通のお寺を訪問する散策でした。きっと意外な発見や
新しい知識を得られた方も多いのではないでしょうか。
多くの方にご参加いただきまして、ありがとうございました。



なお、30日からは17日間連続
とっておきの桜さんぽ」が実施されます。
らくたびガイドの一同も、しっかりとご案内して参りますので、
多くの方にご参加頂けますと幸いです。詳細はこちらをご覧下さい


                                  ご案内 / らくたび代表・山村 純也
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


Posted by らくたび  at 21:54Comments(0)御所~下鴨エリア

2012年11月03日

11/3(土)イヤホンガイドでめぐる京都御所&町家ピザ

11/3(土) らくたび会員さま限定企画 が開催されました。

この日は、 午前・午後のイヤホンガイド & 夜の町家イベント
らくたびスタッフがフル稼働の一日です face02

【 イヤホンガイドでめぐる京都御所 】
秋の一般公開中の京都御所の見どころ イヤホンガイドを使って
たっぷりとご案内
する企画。当初、午後のみの開催予定でしたが、早々と
定員に達したため、急遽、午前の部も開催!

ご案内は・・・ らくたび代表・若村

午前・午後のダブルヘッダー です(笑) 頑張って~ICON59

九条家の遺構「拾翠亭」など、京都御苑内を散策しつつ、
いざ、京都御所へ!


ここから イヤホンガイドの出番 です!

若村が首からかけている機器がイヤホンガイドの 発信機 。襟元には
小型マイク が装着されており、 イヤホン を通して参加者の皆さまに
ご案内が聞こえるしくみ。 雑音が入らない 、騒がしいところでも
しっかりと声が聞こえるすぐれモノ
icon12です!

京都御所内の広いスペースでは、 参加者さまを前にご案内


建物前の 混雑した場所では、参加者さま個々に建物に近づいて
いただき、若村が離れた場所からご案内
します。一般の参観者さんの
ご迷惑にもならず安心。これがイヤホンガイドのいいろころ icon22


あらかじめ音声を録音したイヤホンガイドと異なり、 生の声でご案内を
するイヤホンガイド
ですので 「 部屋の中に椅子があるのが見えますか?
もうちょっと左に移動してもらった方が見やすいかも・・・ 見えましたか?
そちらの椅子が・・・ 」
といった具合に 皆さまの様子を見ながら お話を進めます。


「 紫宸殿の階段の数の意味 」「 右近の橘・左近の桜 」「 建物の
役割 」「 建築様式の移り変わり 」
など、案内なしでは見逃してしまう
御所内の見どころを、約1時間半かけてたっっっ~ぷりとご案内し、
参加者さまからも好評のお声をいただくことができました。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございましたICON60

次回のイヤホンガイドをお楽しみに~♪  ( 受付・添乗 / らくたび・森 )


イヤホンガイド終了後、町家へ移動して・・・
【 町家で窯焼きピザとワインの夕べ 】
らくたびオフィスでもある 築100年の京町家 で、京の四季を感じて
いただく企画。この日は、 「 亥の日の火入れ 」にちなみ、炭火を
使った窯焼きピザ作り
を楽しみました。

ピザ奉行(?) らくたび・佐藤
次々とピザが焼き上がります。おいしそう~face05


チーズがとろ~り・・・ らくたび代表・山村 が切り分けます。
「 熱っ~! おっ、なかなかいい感じに焼けてる~ 」 

京町家でいただくワインとピザ、賑やかで楽しい宴となりました。

ご参加いただきました皆さま、また、お手伝いにご協力いただきました
会員さま、ありがとうございました。

次回は、12月に大根焚きを行います!どうぞお楽しみに~。
  


Posted by らくたび  at 21:00Comments(0)御所~下鴨エリア

2012年08月05日

7月28日 下鴨神社・御手洗祭 御苑の百日紅と廬山寺の桔梗

7月28日(土)のらくたび京都さんぽは、
御苑に残る九条家の茶室・拾翠亭(しゅうすいてい)を見学し、
咲き始めた百日紅(サルスベリ)の花を観賞。

御所東では廬山寺の桔梗を愛で、
最後は下鴨神社の厄除けの行事・御手洗(みたらし)祭で、
冷たい水に足を浸して無病息災を祈願しました。


まずは丸太町駅を出発し、京都御苑内に残る
九条家のお茶室・拾翠亭へと向かいました。



九条池に面したお茶室は築200年。
一流公家も使った場所に、現在は気軽に上がることが出来ます。
「翠(みどり)」の草花を「拾」い集めるという
素敵な意味が込められた拾翠亭からは、
緑に囲まれて池にかかる高倉橋が望めました。


拾翠亭の2階からは咲き始めた百日紅の花が!
お公家さんの目線で楽しめます(笑)


お茶室からの眺めを楽しんだ後は、先ほど見ていた高倉橋へ。
橋から眺めるお茶室も、これまた優雅です。


御苑を抜けて、寺町通へ。
鴨沂(おうき)高校の正門も、九条家から移築されたもの。
図書館には6万冊もの蔵書があるなど、山村先生から豆知識が!


廬山寺に到着しました。この地は紫式部の邸宅跡とされ、
源氏物語の世界をイメージした、桔梗の咲くお庭があります。
物語に出てくる朝顔の花は実は桔梗のことなのだそう!


廬山寺の墓地には、平等院の阿弥陀如来像の作者で知られる
あの大仏師・定朝のお墓があります。


しかも境内東の土手は、豊臣秀吉が築いたお土居の跡です。
たいへん貴重な遺構ですね。


廬山寺のお隣は梨木神社
境内には京都三名水の一つ、染井(そめのい)が湧きます。
皆さんで一服しながら頂きました。


下鴨神社へと向かう道の途中の駐車場には
木村英輝氏が描いた象の絵があります。
青蓮院の襖絵などで知られている方ですね。


賀茂川近くの妙音弁財天
弁天様のお使いはということで、境内には蛇の絵が奉納されています。
来年はへび年ですので、注目を集めるかもしれませんね。


出町柳の三角地帯の葵公園には、映画俳優・尾上松之助の胸像があります。
昭和41年に当時の知事・蜷川虎三によって建てられました。


さて、糺の森に入り河合神社へ。
祀られているのは神武天皇の母の玉依姫命。
下鴨神社のご祭神とは別の神様で、美人祈願で知られています。


糺の森は緑が美しく、空を覆う木々の陰で涼しい森です。


森にはかつて神宮寺もありましたが、
明治期の神仏分離令に伴う廃仏毀釈運動で姿を消しました。
今は池の跡が残され、木漏れ日の美しいスポットになっています。


こちらは文豪・谷崎潤一郎が住んだ場所。
引っ越しの多かった谷崎も下鴨の地を気に入っていたそうですが、
冬の寒さが厳しかったようで、温かい熱海に引っ越して行きました。


さて、いよいよ御手洗祭へとやってきました。
冷たい水に足を浸して無病息災を願います。
この日の気温は、なんと37.5℃まで上がる厳しい猛暑!
まさに生き返るような心地がしました。


足を浸した後は、ご神水を頂きます。
これがまた冷たくておいしい!皆さまの無病息災を願いつつ、
こちらで解散とさせて頂きました。

今回は御所の拾翠亭で優雅なお茶室からの眺めを楽しみ、
廬山寺の桔梗も色鮮やかに咲き、梨木神社では名水を頂き、
下鴨神社では御手洗祭で無病息災を願いつつ涼を頂きました。
皆さま本当にお疲れ様でした。




                                  ご案内 / らくたび代表・山村 純也
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


Posted by らくたび  at 16:08Comments(0)御所~下鴨エリア

2012年03月31日

3月30日(金)花ざかりの御所さんぽ&御所雲月ランチ♪


3月30日(金)の京都さんぽは、御所さんぽと大人気の料理店でランチ♪
今年は例年になく冬の寒さが長引きましたが、この日はポカポカ陽気に
恵まれ、絶好の散策日和となりました。

11時30分に京阪・出町柳駅にご集合いただき、目指すは・・・
【 御所雲月 】
御所東にあるお店で知る人ぞ知る名店です。

落ち着いた和室で、ミニ懐石をいただきました。


こちらのお料理、おいしいのはもちろんですが、細工や盛り付けも美しく
目でも楽しめます。(写真はコースの一部です)




ご飯はお釜でふっくらと炊きあげられた・・・鯛ごはん
お代わりもOK!

デザートのわらび餅もおいしかったなぁ。

お料理にも出ていたこちらの名物「小松こんぶ」をお土産に購入された
方も大勢いらっしゃいました。

「はぁ~、満足やわ。もうこれで京都さんぽ終わってもいいよ(笑)」

というお声もいただきましたが・・・いやいや、散策しましょう!

【 京都御苑 】
京都御所などを囲む東西700m、南北1300mの広大な国民公園。
江戸時代には200もの宮家や公家の屋敷が建ち並んでいました。
明治になって天皇が東京に移られたあと整備され、歴史的な
史跡、約5万本の樹木、野鳥や草花など楽しめる憩いの広場です。

【 近衛邸跡 】
近衛邸は「桜御所」とも呼ばれる桜の名所だったそう。幕末の
孝明天皇も桜の美しさを歌に詠んでいます。

   昔より 名には聞けども 今日見れば
          むべ目かれせぬ 糸さくらかな -孝明天皇-
 (昔から名前は聞いていたが、今日見るとなるほど目が離せない桜だな)


邸宅の跡地に植えられた糸桜の姿はとても優雅。


「きれいやね~」「来てよかったわ」

今年初のお花見をお楽しみいただきました。
まだまだ御所さんぽは続きます。

【 桃林/梅林 】



のんびりと歩きながら、春の訪れを感じることができました。

私が中学・高校と6年間通った平安女学院前を通過した時に
近くの散髪屋さんの前で、当時のお笑いエピソードをご紹介。

そして最終目的地に到着しました。
【 京都府庁 】


明治37年、京都府の技師・松室重光の設計で建築。かつては
京都府庁の本館として使用されていました。現在でも国の
重要文化財でありながら、執務室や会議室として使用され、
現役の官公庁の建物としては日本最古のものになります。

また、外観・内部ともに創建当時の姿をとどめていることから、
NHKドラマ『坂の上の雲』をはじめ、数々のテレビドラマ、映画の
撮影で使用されています。

こちらでは、らくたびとは長いお付き合いをさせていただいている
NPO法人・京都観光文化を考える会 都草坂本理事長 が詳しく
ご案内してくださりました。理事長さん、ありがとうございました。




中庭には円山公園の枝垂れ桜(初代)の孫桜にあたる桜の木があり、
近年、桜の隠れスポットとして人気急上昇中。

近代建築と桜の競演が楽しめます。

2年前、敷地内で珍しい種類の桜が見つかり、この場所が幕末に
京都の守護、治安管理に努めた松平容保の上屋敷があったことから、
容保桜(かたもりざくら) と命名されました。


こちらでこの日の京都さんぽは終了。
お食事・散策ともにワイワイ賑やかな、とても楽しい散策となりました。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

最後に・・・
こちらの散策はお食事場所の関係上、参加人数を限定した企画と
なりました。お申込みをお断りをさせていただきました皆さま、
大変申し訳ございませんでした。

                        案内・文・写真/らくたび 森 明子
                        受付・添乗/らくたびガイド 富田 啓子  


Posted by らくたび  at 20:00Comments(0)御所~下鴨エリア

2011年11月02日

11月2日(水)京都御所の一般公開と厚凛ランチ


11月2日(水)のらくたび京都さんぽ
「京都御所 秋の一般参観と厚凛で町家ランチ」が開催されました。

いよいよ秋本番!ということで・・・この日は≪3つの秋≫
お楽しみいただくスペシャルな散策です!

11時半に京阪・神宮丸太町駅に集合後、御所の東にある
大人気のお店 「厚凛(こうりん)」 にてランチ♪

築75年の趣のある町家で1つ目の秋≪食欲の秋≫を満喫。





ワイワイとおしゃべりにも花が咲き、楽しい昼食となりました。

続いて同志社英学校の創設者・新島襄先生がかつて暮らしておられた
「新島旧邸」へ。

明治11年に建てられた建物は、和に洋を取り入れた独特のスタイル。

新島先生は幕末に函館からアメリカへ脱国。10年後に帰国し、
明治8年にこの地で学校教育をスタートされました。当時の生徒は
わずか8人だったとか。

ちょっと気が早いですが・・・
2013年の大河ドラマは新島先生の妻・八重さんが主人公。
話題を先取りです!(早すぎ?)

続いて「京都御苑」を散策。2つ目の秋≪運動の秋≫です。
緑豊かな木々のトンネルを歩いてリフレッシュ。心地よい散歩となりました。


そして、いよいよ、本日のメインへ。
宮廷の雅を今に伝える「京都御所の一般参観」では、3つ目の秋
≪文化の秋≫
をお楽しみいただきます。




現在、京都府の各地で「国民文化祭」が開催されていることもあって、
御所内には人形や生け花の展示があり、とても華やいだ雰囲気。
参加者の皆さまからは「きれいやねぇ~」の声が。

御所の中でもっとも重要な儀式が行われた「紫宸殿」の前にある2本の樹木。
向かって右を「左近の桜」、向かって左を「右近の橘」と呼ぶ訳を
ご紹介すると、「ここで説明を聞くと納得できるわ!」と言っていただきました。


天皇が日常生活を送られた「清涼殿」では、御所詞(ことば)をご紹介。
「魚は“おまな”と呼ばれ、“おまな”を調理した板が・・・」
「まないた!」 大正解~!!(拍手、拍手)

御所の雅を存分に感じたあとは、御所の西にある「護王神社」へ。

祭神・和気清麻呂が足のケガで困っていた時に、イノシシが助けて
くれたことから、「足腰丈夫祈願」の神社として厚く信仰されています。

参加者の皆さまが、これからも元気に歩いて京都散策を楽しんで
いただけることを祈願し、この日の散策は終了となりました。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

                  ご案内・写真・文/らくたび 森 明子
                  受付・添乗/富田 啓子
  


Posted by らくたび  at 00:00Comments(0)御所~下鴨エリア

2009年08月29日

晩夏のナイトウォーキング 閑寂な社寺と京都御苑



本日は地下鉄鞍馬口駅から先斗町界隈まで歩きます。
結構な距離になりそうなイメージです。

まずは地下鉄鞍馬口駅から東に向かって、上御霊神社をめざし歩き出しました。
途中の右手に 猿田彦神社 があります。



この神社の社伝によると桓武天皇は、この社の託宣(たくせん:神のお告げ)
によって平安遷都を決意し、延暦12(793)年には勅願によって
社殿が造営されたそうです。
祭神は猿田彦大神と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の2座で
皇居造営に当たっては、この社の土でもって地鎮の神事を
執り行われていたそうです。

このように歴史に深くかかわりを持つ神社なのですが、
ただ歩いているだけでは見落としてしまいそうな可愛い神社です。



ここから東へ100mほど歩くともう 上御霊神社 です。
早良親王や井上内親王、橘逸勢、吉備真備など、非業の死を遂げた人々を祀る神社で、
鳥居近くには「応仁の乱勃発地」という石碑があります。

境内は、その雰囲気から時代劇の撮影にもよく使われるとか。
京都ではいろんなところが映画撮影に利用されているようなので、
今まで、なんとなく見ていた時代劇ですが、これからは観かたを変えて、
「これはあの神社かな」などと見るのが楽しみになるかも知れません。



続いて 相国寺 を訪ねました。ここでは、らくたびツアーならではの
サプライズがありました。

ここの墓地に有名な三人の方が眠っておられます。
伊藤若冲(江戸時代後期の画家、錦市場の青物問屋の出身、相国寺の僧が命名)、
足利義政(鎌倉幕府8代将軍、東山文化に貢献、応仁の乱を招く)、
藤原定家(小倉百人一首、新古今和歌集を編纂、冷泉家の祖先)が
並んで葬られています。

なぜこの3人が並んでいるのかは、たまたま歴史の中でそうなったとか、
歴史って不思議ですね。

相国寺といえば、宗旦狐の話が有名ですね。小さなお社ですが、
夕闇の中ここだけ電灯が灯されている光景は、
狐が如何にお坊さんに可愛がられていたかを想像することができます。



ここから 京都御所 の朔平門(さくへいもん)に向かって進みます。
頬を撫でる風はいつしか秋の気配を感じます。もうあたりは真っ暗、
秋の虫の声と我々の足音だけが御苑を賑わしています。

人影はほとんどなく、昼間の御苑とはまるで違う雰囲気です。
一人でこの雰囲気を味わうことはまずないでしょうね。
らくたび一行のお蔭です。

御所の北東角の猿ヶ辻では「満れば欠くる世の習い」から、
あえて完成させなかったこと(完成の後は衰退になるとの考えから)、
そして鬼門封じの猿の説明を聞きました。

そろそろ歩き疲れて喉が渇いてきました。梨木神社の染殿井の
あの柔らか~い水が楽しみでしたが、夜はポンプの電源が切られているようで、
喉を潤すことが出来ませんでした。残念。



丸太町通を横切り、 下御霊神社 (元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから
下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられている)に到着。

この南側には西国三十三所の中で唯一の尼寺であり、
町堂と言われ民衆に親しまれていることで有名な革堂(行願寺)に
着いたのですが、もうすでに閉門されており参拝できませんでした。



ここから東へ2~3分の距離で維新の志士 桂小五郎 、後の 木戸孝允 の屋敷が
あったところがあります。この邸宅は、木戸孝允のご子息である木戸忠太郎氏が
昭和18年京都市に寄贈され、現在京都市の職員会館「かもがわ」の
一角にあります。

また木戸忠太郎氏が収集され、寄贈された数万とも言われる
達磨が並ぶ達磨堂が建っていました。
よほどの歴史マニアでなければ訪れないところかも知れませんね。



このあたりから、最終目的地の三条、先斗町あたりまで
幕末から明治時代にかけての歴史史跡の宝庫を歩きます。

まず がんこ寿司・高瀬川二条苑 になっているところは、
元・山縣有朋邸であり、元・角倉了以邸だったそうです。
鴨川からこの邸宅の庭を通って高瀬川に水を引いています。
森鴎外の「高瀬舟」で有名な高瀬川の一之船入には、
底が平たく舷側の高い高瀬舟が一艘ありました。

幾松 は、幕末の頃倒幕運動に大きな役割を果たした
維新の三傑の一人である桂小五郎と三本木の芸妓幾松
(のちの松子夫人)の木屋町寓居跡です。

佐久間象山寓居跡、武市瑞山先生寓居跡、ちりめん洋服発祥地、
吉村寅太郎寓居跡など、そこかしこに石碑が立っています。



最後は、 酢屋・龍馬寓居跡 です。龍馬が近江屋で遭難する直前まで
身を寄せ海援隊京都本部が置かれていた酢屋嘉兵衛宅で、
入口には、坂本龍馬寓居の跡の石碑が立っています。

来年のNHK大河ドラマが坂本龍馬を主人公とする「龍馬伝」と決まりました。
これから幕末や龍馬関係の史跡が賑やかになることが予想されるので、
その前に訪れられることをお勧めします。

山村さんから、今後夏に限らずこうしたものも企画していきたい旨の
ご挨拶がありました。

今後の素晴らしい企画に期待を寄せて、解散となりました。
お疲れ様でした。


文・写真/らくたび会員 鴨田一美様


  
タグ :京都幕末


Posted by らくたび  at 18:21Comments(2)御所~下鴨エリア

2008年09月21日

閑臥庵京普茶料理と神秘なる砂曼荼羅の特別拝観



秋と言えば芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋といろいろありますが、
でもやっぱりこれでしょう「食欲の秋」。

という訳で、2008年9月21日のらくたび京都さんぽはおいしい京料理を求めて
地下鉄鞍馬口駅を出発しました。



すでにお腹は空いていましたが、まずは 上御霊神社 へ。
ここは桓武天皇による平安京遷都の際に非業の死を遂げられた
早良親王らをお祀りする神社です。

御霊を祀ることによりその怨霊を鎮め、都の繁栄と安寧が
願われたそうです。また門前にある石碑が示す通り、11年間にわたり
京都のお寺や神社を焼き尽くした応仁の乱(1467~1477年)
発端の地でもあります。



通りを挟んで向かいにお店を構えていらっしゃるのは 水田玉雲堂
平安時代に疫病退散を願って供えられたお菓子を復元し、500年位前から
唐板(からいた)を販売されています。シンプルな味とサックリした
食感に若村先生いわく「好きな人は好き(ちなみに私は好きな人)」。

まだの方はぜひ一度お試し下さい。境内は木々も豊かで紅葉の隠れ名所
ということですので、これからの季節にピッタリですね。

続いて寺町通りを上り 西園寺 へ。ここで若村先生が教えて下さったのが
境内にある鐘の側面に残る穴。さて、何でしょう?

答えは・・・・・・

第2次世界大戦中、不足する鉄や銅を補う為にこのお寺の鐘が提供されました。
幸い溶かされる直前に終戦を迎え、難を逃れたのですが、その溶かす前に
鐘の成分を調べる為に開けられた穴だそうです(こんなこと京都さんぽで
ないと教えてくれないです)。

京都を知ると言えば、歴史上の大きな出来事や立派な建物などだけに
とらわれがちですが、こんな小さな穴にも歴史は刻まれているのですね。



すぐお隣の 天寧寺 は「額縁門」としてすっかりおなじみです。
この日は比叡山もきれいに見えました。
以前講座で「京都検定のテキストの写真に映っている南国風(?)の木は
現在は切られてありません」と教えていただきましたが、
それに気付いたってすごい観察力ですね。確かにありませんでした。



そしてついにお待ちかねの 閑臥庵 (かんがあん)に到着です。こちらは後水尾法皇が夢枕に立った父の言葉に従い、
黄檗宗のお寺として開山されました。
ここでは後水尾天皇も召された 普茶(ふちゃ)料理 がいただけます。



普茶料理は中華風の精進料理。動物性のものは一切使わず、お豆腐、
野菜など季節の食材を油を巧みに使って調理されます。

もともと「普茶」という言葉は「広く茶を施す」意味があり、お料理を通して
人と人が親睦を深め、互いの労をねぎらうことが目的となっています。
このことからお料理は大皿で盛られ、取り箸を使わず各自のお箸で
取り分けるといったスタイル。
私達がテーブルについた時には最初のお料理が並んでいました。

それでは、いただきま~す!!

彩りも鮮やかなお料理を見て楽しみ、食べて楽しみ。
「きれいやね」「こんな調理方法があるんやね」と初めてお会いした方とも
自然に会話が弾みます。これぞ普茶料理。
和洋が調和したお部屋から眺める庭もとてもきれいでした。



ゆっくりお食事を楽しんだ後は、チベット僧によって作成された
砂曼荼羅を拝観しました。砂曼荼羅とは大理石を砕いて着色した粉(これが砂)
を使って仏様の住む世界を描いたもの。説明なしで見るととても砂には見えません。
そのくらい細かく描かれています。

チベットでは何らかの祈願をする際、その成就を願う儀式の中で
砂曼荼羅が作成されます。ただ驚くのは、作成後すぐに「破壇式」が行われ
その砂は川に流されてしまうのです。

今回こちらでは後水尾法皇の御供養と世界平和の願いを込めて、
5人の僧が10日がかりで2点作成されたのですが、1点はその習わしに従い
その日のうちに壊され、砂はチベットへと持ち帰られたそうです。
「なんともったいない」と思いますが、壊すという行為にも「形あるものは
いつか壊れる」という仏様の教えが表現されているのです。

大理石を砕いているためかキラキラと光沢を放つ砂曼荼羅の
神秘的な美しさにしばしうっとり。日本とは異なるチベットの仏教文化に
触れることができたところでこの日の京都さんぽは終了となりました。

今年の1月に発表されて以来、この日の講座を楽しみにしていた私。
心もお腹も大満足の一日となりました。
最後に参加者の皆さんを代表してらくたびさんにお願いします。

「おいしものを食べる講座は、来年からもっと回数を増やして下さい!!」


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 鴨田一美様
  


Posted by らくたび  at 13:42Comments(0)御所~下鴨エリア

2008年04月12日

春の京都御所一般公開と貴族の愛した桜



2008年4月12日(土)13時、「春の京都御所一般公開と貴族の愛した桜ツアー」
の約30名は京都御苑の堺町御門をスタートしました。
事前に配布された行程表にはこの日のコースが記載され、
最初に見た時は「えっ!? こんなに回るの?」と少々驚きましたが、
そのほとんどは京都御苑内に位置しています。
つまり、京都御苑内だけでもツアーが成り立つほど
見所があるということです。
行程表には幕末期の内裏地図が資料として載っており、
それを見ると、当時は御所を取り囲む様に、宮家や公家屋敷が
建ち並んでいたことがわかります。



最初に、数ある公家の中でも近衛家と並ぶツートップ、
九条家の邸宅跡 へ行きました。
ここには現在も庭園と茶室 拾翠亭(しゅうすいてい)が
遺構として残っており、茶室は金・土曜日に限り公開されていますので
(ナント100円で!)、今度改めて訪れてみたいと思いました。

また、この九条家邸宅内には、平清盛が福原を経て勧請(神仏の分霊を
分けてまつること)された 厳島神社 が御鎮座されています。
厳島神社の唐破風鳥居は、京都検定では「京都三珍鳥居」の一つとして
すっかりおなじみですが、私はこのツアーでようやく実物を
見ることができました。遅ればせながら、「三珍鳥居制覇」です。



続いて 蛤御門 (はまぐりごもん)へ移動しました。
この蛤御門、今では名前として定着していますが、正式には
「新在家門(しんざいけもん)」という名称があるのです。
天明の大火の時にそれまで閉ざされていた門が開けられたことから、
熱を加えると開くハマグリに例えられ呼ばれているのですが、
京都にはこういった事実や伝承がそのまま地名や名前になっている所が
数多くあります。それらの名前には、先人たちが歩んできた道のりや
大切にしてきた思いが込められており、そういった出来事を知ることで、
京都巡りがますます楽しくなってくることを、
らくたびを通して教えて頂いてます。



宜秋門前に咲く 御車返しの桜 もまた、伝承から名付けられた桜です。
一つの花に一重と八重が一緒に咲く珍しい品種で、そのあまりの美しさに
後水尾天皇が車を引き返らせたことから、「御車返し」の名が付きました。
例年であればもう少し後に咲く、「遅咲き組」のはずなのですが、
今年はこの日が見頃となっていました。
それにしてもこの後水尾天皇、あちらこちらに伝承を残されていますね。
(2月の涅槃絵ツアーでも登場されていました)
今度、講座で「後水尾天皇特集」を組んでもらいたいものです。



さて、続いて今回のメインである 京都御所 の一般公開へと向いました。
ご存知の通り今年は「源氏物語千年紀」です。
一年を通してゆかりの地で、講演会や特別展が開催されていますが、
「実寸建築物」はなかなか目にすることはできません。
その点、この御所の公開は、源氏物語の舞台となった内裏は
今の御所とは異なるとは言え、文献に基づき平安様式で再建されていますので、
雅な世界を体感するには非常に良い機会となりました。

また順路にしたがって見学して行くことで、平安時代の神殿造りで
再建された「清涼殿」と、室町時代に建てられた書院造りの
「御学問所」「御常御殿」の建築様式の違いを比較して見ることもできました。
見学途中、若村先生のわかり易く、聞きやすい説明に、
一般の方まで集まってしまって、「へぇー」と言う声が、
あちらこちらで聞こえていました。やっぱりご案内付きで見るのと、
なんとなく見てしまうのは楽しさが全然違いますからね。

次に一行は、 近衛邸跡 へ。ここには京都の桜の先陣ともいえる
枝垂れ桜が植えられています。
ひらり、ひらりと花びらが舞い散るその優雅な姿は
「これが貴族の愛した桜なのだ」と実感できる美しさで、
今でも多くの方が「好きな桜スポット」にあげることが納得できます。



中山邸跡と明治天皇ゆかりの井戸を見学した後、
御所の北東角の 猿ヶ辻 では「満れば欠くる世の習い」から、
あえて完成はさせず、天皇家の益々の反映を願った築地塀のくぼみと、
鬼門封じの猿の説明を聞きました。
ここのお猿さんから、幸神社、赤山禅院、そして比叡山と続く
「猿ライン」が連携して、京都を守ってくれている訳です。
(お猿さん達、これからも頑張ってね!)

そしてその後、 梨木神社 では「京都三名水」のひとつ「染井の井戸」で
喉を潤し、廬山寺、清浄華院を外から拝観した後、
鴨川へ出てこの日のツアーは終了となりました。
 
思い返せば、去年の夏の猛暑、冷え込みの遅い秋、暖冬と言われた12月、
なのに1月、2月の大雪。「ほんまに春ってくるんやろか?」と思っていたら、
スギ花粉の襲撃で泣いた(?)3月を経て、今日のこの「桜ツアー」を迎えました。
近年の地球温暖化の影響で将来は四季がなくなっていく・・・
という説を耳にしたことがありますが、やはり夏の暑さや冬の厳しさが
あってこそ、待ちに待った「春」を実感するのです。

ツアーの最後に鴨川を振り返って眺めて見ると、“そうだ、京都行こう”の
ポスターさながらの、それはそれは素晴らしい風景が遥かに広がっていました。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 坂田肇様

  
タグ :京都御所


Posted by らくたび  at 17:11Comments(0)御所~下鴨エリア

2007年07月29日

下鴨神社足つけ神事と瑞春院特別拝観&貴船の川床



待ちわびた梅雨明けから一転、太陽と喧嘩したいような
京都の夏がやってきました。
暑さを乗り切るため土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は全国的ですが、
京都下鴨神社では無病息災を祈る御手洗祭が行われます。
なかでも足つけ神事は普段は入れない御手洗池が
一般に開放されるので、楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。



7月29日は最高気温33度。出町柳駅からそう遠くはない下鴨神社まで
歩いただけで、汗が噴出すほどでした。
すぐにも水に飛び込みたい気持ちを抑えつつ、まずはお参り。
そして、浴衣をひざまでたくし上げて、いざ御手洗池へ。
水の冷たさ清らかさに、暑さにくじけかけた心もしゃっきりしました。
(足のひんやり感は池から上がった後もかなり長い間持続していました!)



賀茂川に架かる出雲路橋は、穏やかな流れと京都を囲む山々が
見渡せる和みスポット。寺町通りに入ると今でもたくさんのお寺が立ち並び、
こちらもいい風情です。



門越しに望む比叡山が美しい天寧寺に、そのお隣の西園寺
こちらは入ってすぐ右手にある梵鐘の話が印象的でした。
この鐘は、戦時中に銅精錬所に送られたものの溶かされる直前に終戦したため、
戻ってきたのだそうです。
銅の品質検査のための丸い穴が4つ開けられていました。

さらに織田信長のお墓がある阿弥陀寺などに立ち寄りつつ、
一行は相国寺境内へ。



お目当ては通常非公開の瑞春院です。
作家水上勉は幼少時にこちらで修行をし、後にそのとき見た襖絵から
インスピレーションを得て『雁の寺』を書き上げたといいます。



雁の群れ飛ぶ襖絵も見せていただきましたが、
実際に水上勉少年がいつも見ていたのは孔雀の絵だったのだそうです。
雁の絵は目に触れるはずのない次の間にあった、
というお話にはぞくっとしました。
掛け軸に大茶碗、庭には水琴窟などが配されて、案内をしていただきながら
上品なお宅にお邪魔したような感じがしました。

昼の部はこれにて終了、地下鉄今出川駅で解散しました。


******************************************************************************



引き続き、夜の部の参加者は、揃って地下鉄で次の集合場所の北山駅へと
向かったのでした。
北山駅に到着すると、本日お世話になる「ひろ文」さんのワゴンが
迎えに来てくれていました。こちらから参加される方達と合流し、
おしゃべりをしながら車に揺られ、30分ほどで貴船神社に到着。
車から降りるとはっきりと温度の違いを感じました。

貴船神社には、「黄色い船」に乗った女神が難波の港に現れ、
川をさかのぼり船が止まったところに神社を作るよう告げたという伝説があり、
水の神様として信仰されています。
境内には大きな七夕の笹飾りがありました。
現在ライトアップもしていて、8月7日まで短冊を結ぶことができるそうです。
こちらはえんむすびのご利益もあるので、
恋の願い事をしたら効果抜群かもしれません。



さて、いよいよ川床です。川底を平らにして、流れを止めることなく
その上にお座敷がしつらえられています。
お座敷とお座敷の間には本来の川の傾斜分を落差とした滝。
私は川床にあがるのが初めてだったので興味深々・・・
食事の後、お行儀が悪いとは思いながらも端に座って手を伸ばして、
水に触れてみました。それくらい水面が近いのだから、涼しいはずですね。



お料理も、京野菜に鱧に鮎、思いつく限りの夏の食材が供され、
五感で涼をとるというのはこういうことかなあと思いました。
個人的には、お刺身の上にちょこんと飾られていた金魚草が嬉しかったです。
貴船に着いたときはまだ太陽は高く、食事が終わる頃ようやく日が落ちました。
行灯に灯が入ると、また違った雰囲気に・・・。
だんだんと暮れてゆく空を眺めながら、
楽しく贅沢な時間を過ごすことができました。


文/あさがお  写真/らくたび会員 鴨田一美様 他
  


Posted by らくたび  at 12:29Comments(0)御所~下鴨エリア

2006年07月23日

拾翠亭で「闘茶」「貝合わせ」と御手洗祭の夕涼み



江戸時代には200もの宮家や公家の邸宅が建ち並んでいた京都御苑。
そこに残る拾翠亭は五摂家のひとつである九条家の敷地内に建てられた茶室です。



今回はその拾翠亭を貸し切り、九条池を望むお座敷で
いにしえの「闘茶」と「貝合わせ」という昔遊びを
現代版にアレンジして愉しむ会を催しました。

お天気はあいにくの雨だったのですが、雨音が静かなBGMとなり、
和の空間に趣を添えてくれました。



さて。日本でのお茶の歴史は、鎌倉時代に栄西禅師によって
もたらされた茶が栂尾の高山寺の明恵上人にわたり、
そこで栽培されたことにはじまりますが、 栂尾の茶が「本茶」とされ、
それ以外の茶は「非茶」と呼ばれていました。

「闘茶」とは当時、栂尾の「本茶」を当てる遊びであったといいます。
らくたびでは現世で主流のペットボトル緑茶をもちいて
闘茶遊びをこころみました。
「生茶」「伊右衛門」「おーいお茶」などと、
最近流行りのそれらの「濃い味」を 5種用意しました。

参加者の方3人ずつ目隠しをして対決していただきます。
進行役が任意で選んだ緑茶を「本茶」とし、
最初に本茶を味わっていただいた後、1種類ずつ計5種類を
飲んでいただくのです。
5種類のうちひとつだけが最初に飲んだのと同じもの(=本茶)です。
その本茶が出てきた順番が何番目だったのか、
最後に当てていただくというものです。
ひと口ごとにコメントをいただきながらの対決に、
会場は笑いに包まれました。
簡単そうに見えるのですが、これがなかなかムズカシイのです。
しかしながら、「キレがある」など鋭い味覚で見事本茶を当てた参加者も。
おめでとうございます! !



次は2階の座敷で「貝合わせ」です。
貝合わせは平安時代の遊びで、 ハマグリを分けて広げ、
対になるものを当てる、元祖「(トランプの)神経衰弱」のようなものです。
次第に絵や和歌が描かれ雅なものになったとか。

実は、なにを隠そう、このハマグリの貝がらは
らくたびスタッフが一ヶ月前から各家庭で
せっせと食べて集めたものなのデス。
分けて広げてみると、どれもおなじような形にみえるのですが、
対になってるもののみがぴったり合うという貝。
対でないものはどんなに似ているものでも合わせると
微妙にずれてしまうのです。



貝合わせも終わり、拾翠亭を後にしました。



次は広々とした京都御苑を散策しながら下鴨神社の御手洗祭へ行きました。
境内の御手洗池に足を浸してろうそくをともし、無病息災を願うというものです。
雨にもかかわらず多くの人が訪れていました。
ひんやり冷たい池の水。夏の夕暮れの涼を楽しめたひとときでした。

会員のみなさま、ご参加くださいましてありがとうございました!
今後も季節にそった様々な企画を創っていきたいと思いますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

  


Posted by らくたび  at 16:39Comments(0)御所~下鴨エリア