2013年04月21日

3/30~4/15 ≪ 17日間連続開催 桜さんぽ ≫

今春、らくたびが3/30~4/15までの連続17日間実施しました
≪ 京都 とっておきの桜さんぽ ≫ 
4/15(月)にフィナーレを迎えることができました。

今年は例年になく桜の開花が早まり「 最終日まで桜は咲いているのか・・・face07
と大変心配しましたが、いずれのコースも桜や椿、雪柳などの花々や新緑を
見ることができ、参加者の皆さまにも楽しんでいただけたと思います。

担当の講師・らくたびガイドから「 桜、きれいやったよ~face02 」という報告とともに
届いたとっておきの京都の桜風景をご紹介しましょう。 

3月30日(土)
京都に春を告げる早咲きの桜
気象予報士がお届けするさくら便り


京都中の桜を見てきたガイドいわく、「 京都で一番立ち姿が美しい桜 」だそう。

3月30日(土)
近代化遺産「 琵琶湖疏水 」と桜さんぽ
時代の最先端を歩んだ世紀の大事業


琵琶湖疏水の流れにそって桜さんぽ!晴天に恵まれ最高のお花見となりました。

3月31日(日)
春らんまん!隨心院「 はねず踊り 」と
京都最大のしだれ桜・醍醐の花見


参加者の皆さまが「 もう・・・大満足です! 」と絶賛された醍醐の桜です。

4月1日(月)
第1章『源氏物語』を歩く - 末摘花の巻 -
早咲きの近衛桜と京都御苑に咲く雅の桜


『 源氏物語 』を愛するガイドが、御苑内で物語の一部を朗読しました。

4月2日(火)
第2章『源氏物語』を歩く - 葵の巻 -
織りの町「 西陣 」ひみつの桜めぐり


紫式部のお墓にお線香を手向け、西陣の桜をめぐり歩きました。

4月3日(水)
平安貴族がこよなく愛した春景色
車折神社と絶景の天龍寺・枝垂れ桜


知る人ぞ知る桜スポットをめぐりながら、天龍寺、さらには嵐山公園へ!

4月4日(木)
心静かに愛でる隠れた桜の名所
伏見&深草の古刹を彩る桜


混雑知らず、静かな深草エリアをのんびり散策。山門と桜がすてきです。

4月5日(金)
桜景色はまさに絶景かな、絶景かな!
南禅寺・黒谷・吉田山の桜めぐり


青空のもと、満開の桜のトンネルの下を歩きました。あぁ、絶景かな~!

4月5日(金)
イヤホンガイドで春らんまんの夜桜さんぽ
桜月夜 こよひ逢う人みな美しき


イヤホンガイドの案内を聞きながら、夜桜見物へ。感動の風景が広がっていました。

4月6日(土)
らくたびガイド講習生によるモニターツアー
とっておきの東山・桜さんぽ


春の嵐のなかでの開催。お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。

4月7日(日)
王朝の香ゆかしい嵯峨野めぐり
「 千代の古道 」から大覚寺へ


当日まで秘密にしていた「 とっておきの桜スポット 」は大好評でした。

4月8日(月)
「 桜 」と「 椿 」が競演する東山めぐり
哲学の桜並木道を歩いて椿の名所・霊鑑寺へ


桜、椿、どちらも満開!おしゃべりにも花が咲いた楽しい散策となりました。

4月9日(火)
ひみつの桜ミステリーさんぽ♪
行き先は当日のお楽しみ!


ガイドが真冬に歩いて探し回った「 秘密の桜コース 」をご紹介しました。

4月10日(水)
桜花に華やぐ伏見桃山城
お城の桜と史跡めぐり


青空に映える桜とお城。花吹雪も舞ってこれぞニッポンの風景です。

4月11日(木)
西行桜が咲き誇る勝持寺と
「 洛西の春日大社 」大原野神社へ


桜と新緑、国宝の仏像拝観・・・さらには名物・草餅もついてお腹いっぱい?!

4月12日(金)
山桜に霞たなびく大原の里
おつう伝説の里をめぐる


のどかな里山で桜さんぽ、昼食、桜染め・・・大原を満喫した一日となりました。

4月13日(土)
圧巻!紅枝垂れ桜のトンネルを歩く
半木の道から社家と上賀茂神社へ


「 待っていたよ~ 」と言わんばかりに、斎王桜が満開の装いでお出迎え!

4月14日(日)
白峯神宮の妙技・奉納蹴鞠見学と
雨宝院の遅咲きの桜を訪ねて


蹴鞠をゆっくりとご覧いただいたあと、西陣の隠れ桜を探しに行きました。

4月15日(月)
京都の春の最後を彩る仁和寺「 御室桜 」へ
仁和寺・平野神社「 桜 」と地蔵院「 椿 」
 


ついに最終日!京都の桜のフィナーレを飾るのはやっぱり御室桜!

なんとか、最終日まで桜を堪能することができ、よかったですface02
開花は早まったものの、桜もよく頑張ってくれましたICON59
あの春の嵐に耐えてくれるとは・・・京都の桜は気丈ですねicon21icon10

らくたびスタッフ・ガイド一同、ご参加いただきました皆さまと
美しい花を楽しませてくれた京都の桜たちICON144に心よりお礼申し上げます。
ありがとうございましたICON61

                                    らくたびスタッフ・ガイド一同  


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2013年01月14日

1月6日(日) 新春のご利益 「 七福神めぐり 」

2013年最初の京都さんぽは・・・
らくたび会員さま限定企画 ≪ 新春のご利益 七福神めぐり ≫ 
なんと!徒歩(10㎞)と電車を使って一日で 「 都七福神 」すべてを参拝しよう!
というびっくり企画。

ご案内は らくたび代表 若村 亮

集合は近鉄・東寺駅。参加者は15名さま+スタッフ3名。
金運、健康、商売繁盛、長寿・・・ご利益をたっぷり授かりに、いざ出発。
果たして・・・時間内に全員ゴールなるか・・・?!

① 【 東寺 ・ 毘沙門天 - 七福即生 - 】



こちらには平安京の入口・羅城門に祀られていた毘沙門天がお祀りされています。

参拝後は、一気に地下鉄で北上し、松ヶ崎駅へ。

松ヶ崎の住宅街を散策しながら・・・

② 【 妙円寺 ・ 大黒天 - 開運招福 - 】

笑顔の大黒天さまがお迎えです。見ているだけで福がいただけそう~(笑)

松ヶ崎の大黒天から歩いて約2km、比叡山の麓に位置する 赤山禅院 へ。

③ 【 赤山禅院 ・ 福禄寿神 - 延寿福楽 - 】

平安京の鬼門封じのお寺として信仰されているお寺。
初めて訪問された方も多くいらっしゃいました。

ここからは叡山電車と京阪電車を乗り継いで神宮丸太町駅で下車し、
京都御所の南に位置する革堂( 正式寺名 : 行願寺 ) へ大移動。

④ 【 行願寺 ・ 寿老人 - 不老長寿 - 】

境内には七福神の石仏が勢ぞろい!こちらでは健康を長寿を祈願しました。

ここまでかなりの距離を歩いてきましたので、「 もし、歩くのが大変な場合は
昼食場所までタクシーを利用していただいても・・・ 」とご提案したところ、皆さま、
「 大丈夫です! 」とのこと。 

革堂から宮川町まで本日最長距離となる約2.5kmをおしゃべりしながら散策。
「 京都さんぽに参加するようになってからホンマ足が強くなったわ~ 」
「 今年最初の散策やし、頑張るわ 」
「 わいわいしゃべりながらやったら案外歩けるもんやな 」


【 町家カフェろじうさぎ 】
七福神めぐりにふさわしい、縁起を担ぐ 特別ランチ をいただきました。

やさしい味わいの白味噌雑煮が疲れた体を癒してくれます。
かやく御飯もおいしく焚けていて、おかわりをされる方が続出(笑)
ろじうさぎさん、ありがとうございました~。
( カフェろじうさぎ : 公式HP http://ameblo.jp/cafe-rojiusagi/
ここまで約8kmを歩いた体をゆっくり休めたあとは、午後の散策へ!

⑤ 【 恵美須神社 ・ ゑびす神 - 商売繁盛 - 】

「 もう定年退職しているから、らくたびの繁盛を祈願しておいたわ 」と
言ってくださった方も!わぁぁ~、ありがとうございます♪

さらに南へ歩いて約10分、六波羅蜜寺の弁財天を参拝へ。

⑥ 【 六波羅蜜寺 ・ 弁財天 - 福徳自在 - 】

弁財天のお使いは「 へび 」であることから、一年の招福も祈願しました。

ここまでで「 六福神 」をお参りし、残すはあと1つ!
最後は宇治・萬福寺の布袋尊。京阪電車で一気に黄檗 へ。

⑦ 【 萬福寺 ・ 布袋尊 - 諸縁吉祥 - 】

総門・三門を抜け、境内を進んで行くと・・・

笑顔満点の布袋さんが、私たちを迎えてくれました。
皆さま、おめでとうございます~!ここがゴールです。

参拝をした七社寺でいただいた御宝印もずらりとそろいました!


なにより、15名さまがそろってゴールできたのがうれしい~♪
そろって記念撮影です。

「 疲れたけど達成感がある 」「 なんとも “ らくたびっぽい散策 ”やったわ 」
「 一日で回ろうと思ったら可能なんや~ 」「 ひとりやったら絶対に途中で
あきらめたけど、みんなと一緒やったし完歩できた! 」などのご感想を
いただくことができました。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございます。
皆さまにたくさんの福が舞い込む、幸多き一年となりますように・・・

                            ご案内 / らくたび代表 若村 亮
                          受付・添乗 / らくたびガイド 五島 千恵
                   受付・添乗・レポート文 / らくたびスタッフ 森 明子
                             写真  / 若村・五島・森  


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2012年12月30日

12月22日(土) 柚子の里「水尾」へ 名物・鶏すきで忘年会

12月22日のらくたび京都さんぽは、保津峡駅からの送迎バスで、
柚子の里・水尾を訪れ、清和天皇陵へと足をのばし、
柚子湯にも入り、皆さんと鶏すきを囲んで忘年会を行いました。


この日の集合はJR保津峡駅
普段なかなか降りる機会のない駅で、
なんと橋そのものが駅になっているのです。
一駅隣りが、嵯峨嵐山駅とは思えない程、山あいにあります。


さて、送迎の車に揺られて山道をおよそ4kmで、
いよいよ水尾の里に到着です。


まずは、鶏すきを頂く直八さんへ。
こちらで、清和天皇陵へ参拝する組と、
先に柚子風呂に入る組とで分かれました。


水尾の里からは、愛宕山にも登ることが出来ます。
愛宕山への案内板もありました。
かつては水尾の女性が(しきみ:ハナ)を売りに
ここから険しい山道を登って行ったのです。


水尾には柚子畑も広がっていますが、
なんと!柚子には太いトゲがあるんです!
トゲに刺さらないよう、柚子の収穫には熟練の技がいるそうです。


その柚子畑の合間から清和天皇陵への参道が伸びています。


一旦、水尾川の谷へと下りて行きます。
水尾には「きれいな水が湧くところ」の意味があり、
その名に違わぬ美しい川が流れている里です。


清和天皇陵への参道は、
鞍馬山のつづら折れの参道を彷彿とさせる険しい道のり。
数ある天皇陵の中でも5本指に入る難所ではないかと、
個人的には思っています(笑)
足元が悪い場所もあり、ゆっくりと登って行きました。


なんとか皆様無事に清和天皇陵へと到着。
若村先生からの解説にも熱が入ります。
清和天皇は、水尾天皇とも呼ばれ、
清和源氏の祖としても知られています。


ただ、武士の祖先らしい荒々しさは無く、学問を愛した天皇。
30歳で出家して各地を回り、
この水尾を終焉の地と定めたのです。


さて、再び来た道を戻って、直八さんへ。
いよいよお待ちかねの鶏すきの登場です!
お野菜も新鮮で、鶏もとてもおいしく、皆さん大満足でした。


こちらは柚子湯
柚子の香りが口の中に広がっていきます。


デザートのシャーベットも口当たりがよく美味でした^^


今回は、柚子風呂にも入らせていただきました。
冬至と湯治をかけ、柚子風呂に入るのは
「融通がきくように」との意味があるそう。
実際に、血行促進の効果があるので、体の芯まで温まります。


皆さまで、和気あいあいとお話をしながら時間を過ごし、
お土産も買ったりしながら、水尾の里を後にしました。



今回は普段はなかなか訪れる機会のない水尾の里で、
美味しい鶏すきを頂き、柚子風呂にも入って、
清和天皇が過ごした場所の雰囲気も感じ取ることができました。

まるで、遠くへと旅行へと来たような気分です(笑)
今年最後の、京都さんぽ。2012年の締めくくりとして、
京都の奥深さを発見できる散策だったのではないでしょうか。

本年も、多くの皆様にご参加頂き、本当にありがとうございました。
2013年も、らくたびでは数多くの企画を行って参ります。
皆さまと一緒に京都の魅力を感じられるコースが揃っていますので、
来年もどうぞよろしくお願い致します!




                                  ご案内 / らくたび代表・若村 亮
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


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2012年11月04日

10月27日 国宝五重塔の海住山寺と聖武天皇ゆかりの恭仁京

10月27日(日)のらくたび京都さんぽは、
特別公開の五重塔などが見られる海住山寺
観音座像が見られる現光寺、下鴨神社縁の地でもある岡田鴨神社
かつての都・恭仁京跡などをめぐりました。


集合はJR加茂駅
春には岩船寺や浄瑠璃寺へと訪れた際にも集合した駅で、
今回は反対側の海住山寺などを巡っていきます。



最初は、珍しい座像の十一面観音を拝むことができる現光寺
海住山寺の末寺で、今回は特別に拝観させていただけました。
が、残念ながら写真がありません。ごめんなさい!
現光寺からはタクシーに乗り込んで岡田鴨神社へと向かいました。


下鴨神社の御祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、
葛城山から「岡田の鴨」に至った後に、
鴨川をさかのぼって賀茂の地に鎮まったとされます。
その岡田の鴨の由緒を伝えるのが岡田鴨神社です。


さらにタクシーで海住山寺へと向かいます。
海住山寺でひと際目を引くのはやはり五重塔
現光寺に引き続いて、住職の方からご説明いただきました。



塔の高さは17mで、東寺(高さ55m)や八坂の塔(46m)の
大きさに慣れてしまうと小さくも見えますが、
実は歴史はより古く、数ある五重塔の中でも唯一鎌倉時代の五重塔
国宝に指定されています。
特別公開では、五重塔内部に安置されている
四天王像などを見ることができました。



この後、本堂内でご本尊を間近で拝見し、
素晴らしい寺宝の数々を見させていただきました。



本坊からの楓の風景は、私も個人的に大好きな眺め。
もうじき真っ赤に染まる様子を想像するのも楽しいですね。


境内には見晴らしの良い場所もあります。
ずいぶんと高いところへとやってきました。


境内を散策して五重塔の前に再集合。
よく見ると屋根が6層あるように見えますが、
一番下は「裳階(もこし)」と呼ばれる飾り屋根です。



さて、海住山寺の境内から山道を進んで行くと、
解脱上人・貞慶の墓があります。海住山寺は貞慶によって復興され、
今年は800年御遠忌に当たります。


海住山寺からの下り道はヘアピンカーブの続く急傾斜!
前と後ろで手が振れるくらいの高低差がありましたよ(笑)




途中、加茂の街並みを見渡せる場所もありました。



海住山寺から下りきると、そこには綺麗なコスモス畑が広がっていました。


そんなコスモスに囲まれて遺跡が残るのが恭仁京(くにきょう)跡
奈良時代の聖武天皇は、藤原広嗣の乱が起こった際に旅に出て、
最後の滞在地であるこの地が都に定められました。
その後も、紫香楽宮・難波宮と放浪をつづけた天皇で、
恭仁京が都であったのも短い間でした。


恭仁京跡は、後に国分寺として活用され、
その石碑や七重塔の礎石も残されています。


それにしてもコスモスが綺麗!
ということで、皆さん写真撮影です(笑)


かつての都を偲びながら、長閑な道を歩き
最後は木津川の橋を渡ってJR加茂駅へと戻りました。



今回は普段なかなか訪れる機会のない南山城の社寺をめぐりました。
特に海住山寺は、美しい五重塔に楓のお庭、
抜群の眺望など魅力にあふれていました。
山村先生に縁の地ということもあって、
解説もここでしか聞けないものがあったと思います。

コスモスも綺麗で癒しの空気もありました。
今回も多くの方にご参加いただきまして
本当にありがとうございました。



                                  ご案内 / らくたび代表・山村 純也
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


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2012年05月11日

2012年4月29日 仏像の宝庫 南山城を訪ねて 


4月29日(祝)のらくたび京都さんぽは、南山城の名刹と点在する石仏巡りに
出かけました。昨年は台風で延期となりましたが、この日はお日様が顔を出して、
絶好の散策日和に!参加者も40名を数えて大盛況でスタートしました!

まずはJR加茂駅からバスで岩船寺へ。行きのバスがいっぱいなるほどの
たくさんの方にお越しいただきました。岩船寺は創建が奈良時代という古刹。
境内は美しい新緑に包まれていました。石楠花も咲いて、絵になる風景が
広がっています。

岩船寺では、立派な阿弥陀如来像を拝観することができますが、なんと!
平等院よりも古い時期に作られた仏像です!1000年以上も前から信仰を集めた
立派な仏様を、今も間近で見られることに感動しますね。
お堂の中ではお寺の方にご説明いただきました。

お弁当タイムは岩船寺にて。お寺の方のご厚意で境内の休憩場所を使わせて
いただけることになりました。自然の中で頂くお弁当は、とてもおいしく感じます(笑)

岩船寺の三重塔は2003年に化粧直しをされて、鮮やかな朱色で輝いています。
塔をよく見てみると…!

塔を支える天邪鬼(あまのじゃく)さんがいらっしゃいます。四隅それぞれで、
お顔も違っているんですよ。

お腹も膨れたところで、深い歴史と美しい緑に包まれた岩船寺を後にして、
いよいよ当尾(とうの)の石仏巡りへと出発です!途中、こんなに大きな岩も
ありました!八帖岩と呼ぶそうです。

石仏巡りで最も有名な、笑い仏(わらいぼとけ)の前に到着。
山村先生が熱弁中~!

仏様のお顔が笑っているようですね~!仏様が傾いていますが、実物が
傾いているんですよ。今から700年ほど前に彫られたもので、以来ずっと人々を
笑顔で見守ってこられたのですね。隅々までとても美しく残っていました。

道中、次々に仏様が現れます。それぞれの由来を山村先生がご説明。
からすの壺 二尊と呼ばれるこちらの石仏。一見、仏様がお一人しか見えま
せんが、実は岩の横を覗くと…!

地蔵菩薩がいらっしゃいます!先生の解説がないと見過ごしてしまいそうな
位置にあります。すごく狭い場所にあって「どうやって彫ったのだろう?」と疑問が
わきますが、当時は今とは周りの地形が違っていたのでは、とのことでした。

先生が対岸の大きな仏様を解説中です!「あそこですよ」と、教えていただかないと、
見過ごしてしまいそうな場所にあります。

実際にはとても大きな仏様ですが、離れているので小さく見えます。
皆さん、カメラをズームにして撮影されていました。

私もズームで撮ってみました。丈六の阿弥陀様で、およそ2.5mもある大きな仏様です。
風格がありますね!

歩き慣れない道も、先生や大勢で歩くと軽やかです!京都の賑わいもよいですが、
長閑な山里の風景にも癒されました。

石仏巡りも終盤へ。道は昇り坂へと変わって、ゆっくり浄瑠璃寺を目指します。
が … 、、、途中で横道へと入り、知る人ぞ知る、浄瑠璃寺奥ノ院へと山道を向かって
行きます。やや険しい道のりのため、先に浄瑠璃寺へ向かう組にも添乗がつき、
別行動になりました。私は奥ノ院組へ。山道を進んで行き、小さな橋も渡りました~。 

歩くこと10分ほどで奥ノ院に到着!解説をする山村先生。
左手にお不動様が見えていますが・・・


急に山道を登りだした先生!!いったい何が!?

実は、今立っているお不動さんは近年になって作られたもの。当初の石仏は
後ろの岩だったのです!摩耗や岩が崩れたことによって下からでは見えにくいため、
先生が軽快なフットワークで駆け登り「こちらです!」と指し示してくれました。
参加者も興味津々です。

私も登ってきました。手前の岩にお不動さんの上半身が、後ろの岩にその下が
描かれています。岩が上下に割れて落ちてしまったそうです。

来た道を戻って、最後はいよいよ浄瑠璃寺へ!
こちらは九体の阿弥陀如来像が残るお寺として知られています。

お寺の方に、歴史などをご説明いただきました。境内の西には阿弥陀堂
東には薬師如来を安置する三重塔があり、それぞれが向かい合って、
境内全体が浄土の世界を現しています。

こちらが東の浄瑠璃世界。薬師如来がいらっしゃいます。

こちらは西の極楽世界。阿弥陀如来がいらっしゃいます。

この後、ご本堂やお庭を散策し、バスに合わせて解散となりました。
阿弥陀堂内の9体の阿弥陀様は優しいお顔で、900年前とは思えないほどの
荘厳さ、何より9体も並ぶのは圧巻でした。境内の新緑もとても美しく、華やかな
浄土の世界を垣間見ることができました。

今回の京都さんぽでは、普段はなかなか行くことができない山間の古刹を訪れ、
石仏も盛りだくさんで見ることができました!

天気にも恵まれて新緑も美しく、長閑な景色はどこもかしこも癒しのオーラに
満ちているようでした。ちょっと険しかった山道も、皆さんで歩けばこそ、乗り切ることが
できたのではないでしょうか。
参加者の皆様、ご参加いただき本当にありがとうございました!


                               ご案内/らくたび代表 山村純也
                      受付・添乗・文・写真/らくたびレポーター 吉村晋弥  


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2012年03月11日

3月11日(日)東日本大震災・復興チャリティーさんぽ


3月11日、東日本大震災から1年を迎えたこの日、1日も早い復興を願って
「 今こそ前へ、1歩、2歩、散歩 ~歴史深い室町通を北から南へ~ 」
と題したチャリティーさんぽを実施しました。

ご案内は らくたび代表 若村 亮

この日のご参加は31名さま。

地下鉄・北大路駅をスタートし、室町通をひたすら南下し、
京都駅までの約7㎞を散策します。長い道のりですが、完歩目指して
いざ、出発!


【 足利将軍・室町第跡 】
室町3代将軍・義満が 花の御所 と呼ばれる邸宅を建てたのがこの付近。
その邸宅が 室町通 に面していたことから、 室町幕府室町時代
呼ばれることに。こんな細い通りが日本の歴史に名を刻んでいるのです。



【 福長神社 】
小さいながらも平安時代からの歴史を持つ神社。
もともとは水の神さまとして宮中にお祀りされたのが、豊臣秀吉の
聚楽第内のお社になり、聚楽第の取り壊しとともにこの地に。

見過ごしてしまいそうな神社に、なんと奥深い歴史が!驚きです。

【 富岡鉄斎邸跡 】
幕末から明治、大正にかけての日本画家・富岡鉄斎の邸宅跡。


【 清和院ならびに土御門内裏跡 】
平安末期、鳥羽・崇徳・近衛の3代の天皇が約30年にわたって
住まいしたところ。ちょうどNHK大河ドラマ『 平清盛 』で鳥羽上皇が
話題になっていますので、興味深いスポットです。


【 護王神社 】
室町通から少し東にあり 足腰守護のご利益 で厚く信仰される
神社。この日の完歩と足腰健康を祈願してちょっと寄り道です。

祭神・和気清麻呂が足のトラブルにあった時、イノシシがあらわれ、
助けてくれたという伝説があることから、狛犬ならぬ 狛イノシシ の姿が!


【 京都御苑 】
さらに寄り道をして、京都御苑へ。こちらの門は普段は閉ざされて
いたのが、江戸時代の火災で扉が開いたことから、熱を加えると口を
開けるハマグリに例えて 蛤御門 と呼ばれるようになりました。


御苑はかつては200を超えるお公家さんの邸宅が建ち並んでいたところ。
明治に天皇やお公家さんが東京へ移られ、荒れ果てていたのを整備して
現在は国民公園として親しまれています。


今年は遅れ気味だった梅の花も咲き始めていました。

この日はロングさんぽになりますので、お菓子もご用意!
皆さん、お菓子を食べて頑張って~!


ここで2時46分、1年前に地震が起きた時刻となり、参加者の皆さんと黙祷。
また、復興を願って京都市立第三錦林小学校(左京区)の生徒・保護者の
有志が、大文字山に人文字で「大」の文字を現わす様子を見守りました。



再び室町通に戻って・・・
【 旧二条城跡 】
織田信長が室町幕府の第15代将軍・足利義昭の居城として築いた
城跡。現在は平安女学院中学・高等学校になっています。

室町通をはさんで左右両側に建つレンガの建物が 平安女学院
なんと・・・私(らくたび 森)の母校です!


6年間も通いながら、そんな歴史的な地であったとは、当時は
まったく知らず!

懐かしの学び舎周辺を京都さんぽで歩けるとは嬉しいですね。

【 三井越後屋跡 】
三井越後屋、つまり 三越の発祥の地 です。


まだまだ、歩きますよ~!
この辺りの室町通は、私たちがイメージする呉服屋さんが並ぶ通りに。
北から同じ道を歩いてきたことで、ひとつの通りも、場所によって随分と
役割が異なることに気が付きます。


【 祇園鉾町 】
山伏山、菊水鉾、鉾の辻・・・
4ヶ月後には 祇園祭 で大賑わいになっていることでしょう。楽しみですね。




五条通を横切ると、京都駅ビルが見えてきて、皆さんの足取りも順調に!
さぁ、あと少し頑張りましょう!


【 東本願寺 】
いよいよ、ゴールの東本願寺に到着~。お疲れさまでした。

7㎞というロングさんぽとなりましたが、皆さん無事に完歩することが
できました。おめでとうございます!皆さんのお顔にも達成感が!

この日、皆さまからお預かりした参加費は日本赤十字社を通して
すべて復興への義援金とさせていただきます。
そして、今後もさまざまな形で支援を続けて参りたいと思いますので
どうぞよろしくお願い致します。
ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

                      ご案内/らくたび代表 若村 亮
                    受付・添乗/らくたび代表 山村 純也
                      文・写真/らくたび 森 明子  


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2012年03月10日

3月4日(日) 青谷梅林の梅の花と知られざる城陽の里を歩く


この日の散策は、京都市内から少し足を伸ばして、城陽市へ!
そして城陽市は山村先生の地元なんですね〜face01
さあ、先生のディープなご案内が始まります。

まずは、駅からすぐのところにある城陽市内唯一で地元でも評判の
蔵元・城陽酒造さんへ。
この日は「 蔵開きまつり 」が催されていました。


振舞い酒もいただき、お祝い気分満載でした〜ICON64


よさこい踊りのようなパフォーマンスが行われていてとっても賑やか!


おっ、売店の中には『 らくたび文庫 』も売ってましたよ!
新酒や梅酒、酒粕などのお買物も楽しかったですね〜。


さあ、お祭りをたっぷり楽しんで、いざ散策へ出発!

土壁のある古い町並を歩き、
到着したのは 中天満神社( なかてんまじんじゃ )です。


創建年代は古くてはっきりとしたことは不明とのことですが、社殿の
一番古い棟札が慶長11年( 1606年 )であることから、それより以前に
創建されたと言われています。


天満神社というくらいですから、もちろんご祭神は、菅原道真公です。
境内にはちゃんと神使の牛さんもいらっしゃいますよ。


この中天満神社周辺には黒土古墳群があり、この神社も古墳の一部で高台にあります。


ここから城陽の市内が一望できるんですね〜icon12


そして、このすぐ側にある龍福寺へ。

龍福寺は、慶長12年( 1607年 )に僧侶の曇誉(どんよ)が創建したのが
始まりと伝えられています。何度が火災で焼失していますが、近年としては
大正12年(1923年)に再び火災で焼失、しかし翌年に再建され、
現在にいたっているそうです。


本殿には立派なお雛様と、お釈迦様のご入滅を忍ぶ涅槃図が飾れてました。


境内に建つこちらの豊川稲荷神社は、大正12年の火災の後、再び火災を
出さないようにという願いを込めて建てられたとか。商売繁盛、家運隆盛の
ご利益もあるそうです。


さていよいよ青谷梅林・梅まつり会場に到着です。
栽培面積、生産量とも府下一を誇る梅園にある約1万本もの梅がお出迎えです。


しか〜し!
みなさんもご存知かと・・・今年は梅の開花が遅れているとは聞いていましたが、
なんと見事に咲いてない!!

これだけは仕方ないですよね〜、自然のことですから。
人間の都合だけで考えちゃあいけませんよねICON49

ご参加いただいた皆さまには、
「 仕方ないよ〜 」とお優しいお言葉をいただきました。
おまけに「 満開のときに来なアカンなぁ 」というお言葉までicon06
さすがは らくたび のお客様です、皆さまお優しい〜ICON35


梅の花が咲いてないことは残念でしたが、個人で来ることがないであろう城陽市を
散策できて良かったなぁ、と思いましたICON65

参加者の皆さま、ほんとに雨の中お疲れさまでした!
来年またリベンジ出来たらいいですねface02


              ご案内 : らくたび代表 山村 純也
              文&写真 : らくたびレポーター 奥村

  


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2011年09月11日

大好評!江戸たび★ 鴎外荘ランチと上野散策&寛永寺へ


2011年9月11日(日)
≪第2弾★江戸たび!≫が開催されました。

前回は1年前に皇居に残る江戸城の史跡散策を行い(詳しくはこちら )大好評!

第2弾の今回は・・・

「森鴎外ゆかりの鴎外荘昼食懇談会と
         上野散策から徳川将軍家の菩提寺寛永寺へ」


ご案内はもちろん らくたび代表・若村 亮ICON59

毎月、東京や千葉で京都学の講師(詳しくはこちら )をさせていただいており、
今回の企画には講座の受講生様、関東方面在住のらくたび会員様、
なんと関西のらくたび会員様がご参加くださいました。
総勢35名の一行が京成上野駅をスタート。

まず向かったのは、上野といえばココ!
【西郷隆盛像】

西郷さんは幕末に幕府征討軍参謀として、幕臣・勝海舟と会談し、江戸城の
無血開城を実現へと導いた方。銅像は明治31年 に建てられました。
連れている犬は 「ツン」ICON167 という名前だそう。
犬の名前は考えたことなかったなぁ(笑)
これからは、【西郷隆盛・ツン像】と呼ばないと!

では、これより上野恩賜公園の中へと進んでいきます~face01

【上野恩賜公園

寛永2(1625)年、徳川家康、秀忠、家光公の3代にわたる将軍の帰依を受けた
天海大僧正(てんかいだいそうじょう)によって、徳川幕府の安泰と万民の平安を
願ってこの地に「東叡山寛永寺」が建立されました。
実はこの地は江戸城の鬼門(東北)にあたります。平安京遷都の時、桓武天皇の
帰依を受けた最澄が開いた比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門(北東)に位置し、
朝廷の安穏を祈る鎮護国家の道場であったことにならってこの地に寛永寺が
建てられました。しかし、幕末の戦乱で焼失。大正13年に宮内省を経て東京市(当時)に
下賜されたことから「恩賜」の名が付いています。当初は、寛永寺社殿と霊廟、
東照宮、それに境内のサクラを中心にした公園だったそうですが、その後、博物館や
動物園、美術館などが建てられ、現在は文化の薫り高い公園として親しまれています。

【清水観音堂】

こちらは京都の清水寺を模した舞台造のお堂で、寛永8(1631)年、天海大僧正に
よって建立されました。本尊も京都の清水寺から恵心僧都作の「千手観音像」(秘仏)を
迎えてお祀りしているそう。東京在住の参加者様から「京都の清水寺は行ったけど、
上野にも清水さんがあったとは~!」
という声が(笑) 「比叡山」や「清水寺」など
京都と江戸の深いつながりを感じます。

【不忍池・弁天堂】

天海大僧正が琵琶湖・竹生島 になぞらえて、不忍池(しのばずいけ)に中之島を築き、
お堂を建立されました。本尊・八臂大辯財天は、竹生島の宝厳寺からお迎えしたもの。

不忍池ではボートに乗ることもできるようですが、参加者さまから「ここでボートに
乗ったカップルは別れるという伝説がある」
と教えていただきました。
あっ、京都では「嵐山でボートに乗ると・・・」って言われています(苦笑)

そろそろお腹も空いてきたなぁ・・・
お待たせしました~! 「水月ホテル鴎外荘」にて昼食です。


旅館・ホテルの料理部門100選に毎年選ばれているお料理を楽しく、美味しく
いただきました!また、ホテルの敷地内には、森鴎外が『舞姫』を執筆した旧居が
残されており、現在でも食事や宴会などで貸し会場として利用ができるそう。
内部の見学をさせていただきました。


お腹も満たされたところで、再び散策へ。

危篤に陥った徳川家康が「魂が末永く鎮まる所を作ってほしい」と家臣・藤堂高虎と
天海大僧正に遺言し創建された「上野東照宮」、寛永16(1639)年 に再建された
「旧寛永寺五重塔」などを見学。


【お化け灯籠】
戦国武将・佐久間勝之が上野・東照宮に 寛永8(1631)年 に奉納した高さ6mの
石灯籠。あまりの巨大さから「お化け灯籠」と呼ばれています。

京都・南禅寺、名古屋・熱田神宮の大灯籠も勝之の奉納で、これらを合わせて
「日本三大灯籠」と呼ぶそう。
皆さん「えっ・・・?! 南禅寺にそんな大きな灯籠あったっけ?」と疑問顔ICON45
ありますよ~。石川五右衛門が「絶景かな~」と上からの眺めを称賛した三門の
真ん前に!今度はぜひとも、灯籠を探しに京都へお越しくださいね。

【上野大仏】
寛永8(1631)年 に初建された上野大仏は幾度か火災の被害を受けましたが、
その度に復興されました。しかし、関東大震災により首が落ち、第二次大戦時には
軍の供出によって胴体を徴用。現在は顔のみが残っています。


【東京国立博物館】
明治5年 に創設された 日本最古の博物館。通称「トーハク」
収蔵品の総数は国宝87件、重要文化財622件を含め、なんと11万件を超えるそう!
現在「空海と密教美術展」が開催されており、京都から東寺、仁和寺、醍醐寺などの
仏さま達が「江戸たび中」です。

最も格式の高い大名屋敷の姿を残す「旧因幡国・池田屋敷・表門」、明治期の
ルネサンス様式の建物が美しい「国際こども図書館」など、建築ウォッチングも
楽しみました。


そして、いよいよ、本日のゴールへ
【寛永寺】

寛永2(1625)年、徳川家康・秀忠・家光の帰依を受けた天海大僧正により、
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門( 東北 )にあたる
この地に建立。広大な境内地を有し、やがて徳川将軍家の菩提寺となり
歴代将軍の霊廟も造営され、格式・規模において我国最大級の寺院として
その偉容を誇りました。しかし、幕末の戊辰戦争で伽藍の大部分を焼失。
さらに明治政府によって境内地は没収に。
しかし 明治12年、寛永寺の復興が認められ、現在地に根本中堂が再建されました。
伝教大師作・本尊・薬師如来は、戦争の中に運び出されて現在の根本中堂に
安置されています。

その後、6名の将軍が眠る「徳川家霊廟」、徳川最後の将軍・徳川慶喜の墓、
などを見学し、日暮里駅にて終了となりました。

この日は最高気温34℃と非常に暑い日でしたが、京都と江戸の情報を交え
ながらの、とても楽しい散策となりました。

参加者様からの、多くのご要望にお応えして・・・
らくたび・若村は「江戸たびは半年に1回開催します!」と高らかに宣言ICON59

次回は春の江戸ICON144を歩く予定です。しかし、行先は・・・決まっておりませんICON46

江戸の皆さま、おススメの散策コースがございましたら、どうぞ情報提供お願いします。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。
次は京都でお会いできることをスタッフ一同楽しみにしております。
 
                             文・写真/らくたび 森 明子  


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2011年06月30日

城南宮・人形流しと茅の輪くぐり+鳥羽離宮ゆかりの安楽寿院

6月30日(木)京都さんぽ
「城南宮・人形流しと茅の輪くぐり+鳥羽離宮ゆかりの安楽寿院」
開催されました。この日は地下鉄・竹田駅に集合をして鳥羽を散策です。
このあたりは今から920年ほど前に白河上皇によって鳥羽離宮
造営されたところ。

平安京から南へ約3キロのこの地に造られた、東西1.5㎞、南北1.0㎞の
広大な敷地に、御所、お堂、庭園、をはじめ、貴族・役人の邸宅、仏所まで
建ち並び、その様子は「都遷りがごとし(平安京が移ってきたようだ)」
だったとか。高速道路が走る現在の姿からは、とても想像できませんね。

白河上皇によって造営が開始された鳥羽離宮は、白河上皇の孫・鳥羽上皇の
時代にほぼ完成。そんな鳥羽上皇が営んだ御堂に始まるのが安楽寿院です。

こちらでは鳥羽上皇の念阿弥陀三尊像を特別拝観しました。
この仏さまは、長らく鳥羽上皇の御廟に安置されていた「秘仏」であったこと
から、とてもきれいなお姿を留めておられました。

続いて、鳥羽離宮にゆかりのあった上皇の御廟めぐりです。
まずは、鳥羽上皇の皇子・76代近衛天皇陵

立派な宝塔が建っています。
「前からこの塔は何かな~と思ってたんや!」と参加者のFさん。
疑問が解決したと喜んでおられました。
この近衛天皇が17歳という若さで急逝されたため、その後継者をめぐって
争ったのが「保元の乱」。
この乱で敗れた崇徳天皇は讃岐に流され無念の死を遂げ、その無念は天高く
舞い上がって怨霊になり・・・と崇徳天皇の怨霊伝説に繋がります。

続いて、第74代鳥羽天皇陵。こちらも大きな御廟ですが、もとはもっと大きく、
さらに幅8mのお濠で囲まれていたんだとか。

そして、第72代白河天皇陵。白河天皇といえば、三不如意(白河天皇の思い
通りにならかった3つ)「賀茂の水、サイコロの目、比叡山の法師」が有名です。

でも、これ以外はなんでも思うままになった=それほどの権力者であったということ。
また、この白河上皇が熱心に足を運ばれたのが「熊野詣」であり、その時に旅の安全を
祈願されたのが、次に向かう城南宮です。

「城の南を護る」という意味を持つ城南宮

こちらのご利益は・・・
1.方除け
平安京遷都の時に、「城(=平安京)の南を護る」ためのお社であり、
鳥羽離宮ができてからはその鎮守社であったことから。
2.安産・子育て
安産・子育ての神さまである神功皇后をお祀りすることから。
3.交通安全
歴代上皇が熊野詣に向かう時、旅の安全を祈願したことから。

この日は1年のちょうど半分にあたる日であることから、
前半年の罪や穢れを祓い、残り後半年の無病息災を願う「夏越祓(なごしのはらえ)」
行われていて、皆さん一緒にお参りをしました。

まずは、茅の輪を「8の字に3回」くぐります。何回くぐったか数えておいてくださいね。

「あれ?今、2回だよね?」とIさん
「3回くぐったよ!」とGさん
Iさん&Gさんコンビはいつも明るい笑いでいっぱいです。

続いて人形(ひとがた)流しへ。
人の形をした紙に自分の罪・穢れを移し、流れる小川に流します。

「主人と息子の分もお願いしておくわ!」とFさん。優しいお母さんですね。



「あっ、私の人形が石で止まった~!」
大丈夫、神社の方がちゃんと棒で助けて流してくれます。

流れていく人形を見ていると、とてもすっきりした気持ちになりました。

また、城南宮には名水も涌いています。暑かったので水分補給も
させていただきました。

駐車場には7/1~7/7にくぐることができる「車用のジャンボ茅の輪」
スタンバイ!

「車は8の字にくぐりませんよね(笑)」とTさん。一同爆笑!
(車は1回通り過ぎるだけでOKです)

その後、城南宮の門前名物「おせき餅」で一服し、鳥羽離宮跡公園に向かい
この日の散策は終了となりました。

大変暑い中での散策となりましたが、参加者の皆さま、お疲れさまでした。
皆さまにとって、2011年の後半がより楽しく、より元気な日々でありますように!
また、お会いできる日を楽しみにしておりま~す。

                              ご案内・文・写真/らくたび 森
                                受付・添乗員/富田

~次回の京都さんぽのお知らせ~
7月10日(日)『親鸞の歩き方』出版記念第3弾!
  若き親鸞の足跡をめぐる東山散策
 ( 詳細は こちら ) をご案内します。
ご案内はらくたび講師の若村です。

若村より見どころを一言!
「本願寺発祥の地・崇泰院を訪れます。吉水カフェでのお茶タイムもお楽しみください♪」
皆さまのご参加お待ちしています。

~今後の京都さんぽの予定~
★7月10日(日)
  若き親鸞の足跡をめぐる東山散策( 詳細は こちら )
★7月12日(火)
  鉾の曳初めと山鉾町上ル下ル( 詳細は こちら )
★7月16日(土)
  祇園祭 宵山の夕べ ( 詳細は こちら )
★7月23日(土)
  鴨脚家庭園特別見学と下鴨神社御手洗祭( 詳細は こちら )
★7月25日(月)
  安楽寺かぼちゃ供養と夏の旅特別公開・大寧軒( 詳細は こちら )

~らくたびガイドと歩く京都めぐり~
★7月~9月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 
  ( 詳細は こちら )
★7月~9月 毎週日曜  午後13:30 四条京町家スタート
  祇園祭を受け継ぐ山鉾町めぐりと信長の最後の地・旧本能寺へ
  ( 詳細は こちら )
  


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2010年12月19日

らくたび大忘年会「京町家でほっこり湯豆腐」



12月19日(日)、四条京町家で「らくたび大忘年会」が開催されました。



私が京町家に着いたときは、らくたびのSさんが忙しそうに準備のまっ最中でした。
和服にまっ白な割烹着姿が、ものすっごくステキでした。



参加者の多くは、本日開催された「京都さんぽ」から引き続き参加された方です。
21人で、4つの丸いちゃぶだいを囲んで満員の盛況でした。

本日のメイン料理は 湯豆腐 。

京都の豆腐が美味しいのは、水のうまさにあるとよく言われます。
今回提供していただいたお豆腐は、京都で有名なものばかりです。
スタッフの皆さんが各店舗に足を運ばれ、入手されたものばかりで、
中には早くから並んで買ってくださったものもあるとか、
ありがとうございます。

このように複数の有名豆腐を一度に味わえる機会というのは、
そうあるものではありません。



本日のテーマが「利き酒ならぬ、利き豆腐」ということでしたね!!
湯豆腐で食した豆腐は、北野天満宮門前の とようけ屋山本
嵯峨豆腐の 森嘉 、堺町通万寿寺下ルの庶民的で伝統ある
久保田豆腐店 のお豆腐でした。

鍋に全ての豆腐を一度に入れるのではなく、一鍋ごとに
各店のお豆腐をいただきました。
それぞれ違った香りや舌触り、食感、風味などを味わい、
それぞれの特徴を体感させていただきました。
いずれ劣らぬ名品で納得のいく味わいを堪能することができました。



また、変わり豆腐もいただきました。

食したのは、 賀茂とうふ近喜 の「赤おぼろ豆腐(甘みのある薄桃色の汲出し豆腐)」、
黒ごまの入った「みかげ」、そして抹茶で紋様を描いてあり、
ほのかに抹茶の香りの漂う上品な絹ごし豆腐「緑雨」。
とようけ屋山本 の「本柚子豆腐」、「青紫蘇豆腐」。
どれも個性のある味、香りを楽しませていただきました。

最後に、デザートは 京とうふ藤野 の「豆乳プリン」。
冷たく冷やされていて、牛乳で作った本物のプリンより、
アッサリとしているのにコクがあり、とてもきめ細かく、
その美味しさにびっくりしました。
このお店は、錦市場にもあることは知っていたのですが、
「豆乳プリン」は知りませんでした。
今度行った時は、忘れずに買いたいと思います。





本日のテーマが「利き酒ならぬ、利き豆腐」といううたい文句のはずだったのですが、
やっぱり出ました 銘酒 の数々。

下戸の私でも知っている銘酒はもちろんのこと、高級でレアな日本酒を
次から次と出していただきました、らくたびさんありがとうございました。



またIご夫婦から、 五辻の昆布 のとびっきり美味しいおつまみを提供していただきました。
これも皆さんの間を一巡り、ありがとうございました。



さあ、お開きかというタイミングで、野菜ソムリエのGさんから、
「利き酒でなく、利き豆腐でもない、利き○○○」。
その名前は「フジ、王林、ジョナゴールド、紅玉、秋映」。
これらも、我々が普通食するときは、一度に一種類を食べるのが普通ですが、
このように数種類を一度に食べることは、まずありません。
食べ比べるとそれぞれの特徴がはっきりと感じられますね。

答えは、利きリンゴでした。

「秋映(あきばえ)」というのが聞き慣れなかったのですが、
今、長野県一押しのリンゴだそうです。
どれも個性のある美味しいものばかりでした。ご馳走様でした。



このような数々の初体験をしながら、満腹で閉会となりました。
遠方から新幹線で来られた方も、帰りの時間を気にしながら、
ほんとに楽しい一時を過ごすことが出来ました。

らくたびスタッフの皆さん、ありがとうございました。
新年会は、「また湯豆腐を囲もう」と言う声があちこちら聞こえてきました。


文・写真/らくたび会員 鴨田一美様


  


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2010年10月31日

≪初の東京開催≫江戸たび★江戸城の史跡散策と東京ランチ♪ 

2010年10月31日(日)らくたび京都さんぽ「江戸たび」が開催されました。
洛(らく=京都)を旅(たび)するらくたび、初の東京進出です!

前日(10月30日)より少々季節外れの台風14号が東京に接近しており、
お天気が心配されましたが、なんとか回復!
皇居前にある大正11年創業の東京會舘のレストラン シェ・ロッシニにて
優雅なランチタイムのあと、江戸城跡の散策となりました。

ご案内はらくたび代表の若村です。

京都で二条城のご案内は何度もさせていただいていますが、
江戸城のご案内はこの日が初めて!少々、緊張してる・・・?!





江戸城は長禄元(1457)年に太田道灌が江戸に築いたことに始まります。
天正18(1590)年に徳川家康の居城となり、以後、明治を迎えるまでの270年の
長きに渡り、徳川幕府の居城となりました。ここに徳川15代の将軍さま達が
暮らしておられたというわけです。



徳川将軍家の時代が終わりを告げた明治元年(1868年)10月に皇居となり、
翌2年(1869年)3月に明治天皇が千年余りの間お住まいであった京都から
この地に移られ、現在に至っています。

皇居内には、天皇皇后両陛下のお住まいである御所を始め、諸行事を行う宮殿、
宮内庁関係の庁舎、などがありますが、その一角、皇居東御苑は無料で開放されており、
大都会のオアシスとして広く親しまれているそうです。
苑内には江戸城当時の石垣なども残っているとのこと。楽しみです。

では、「江戸たびご一行のご入城~!」 





大手門は江戸城の正門にあたります。正門なのでとっても重要。
攻め込んできた敵を封じ込められるように、枡形になっているそうです。へぇぇぇ~。



高くそびえる石垣が徳川家の権威を今に伝えています。



番所を超えると見えてきたのは江戸城・本丸で唯一現存する富士見櫓(ふじみやぐら)
天守閣の焼失後は天守閣の代わりをしていた時代もあったとのこと。

かつての江戸城の本丸及び、二の丸を中心としたエリアは現在、東御苑となっています。
その面積は約21万平方m!!広~い!。




天守閣跡にやってきました。見晴らしがいいですね~。


寛永15(1638)年3代将軍・家光の時代に高さ51メートル、五層の天守閣が建てられたのですが、
明暦3(1657)年 の火災により天守閣を含め建物の多くが焼失しました。

再建も検討されましたが、幕府の重臣で4代将軍・家綱の叔父にあたる保科正之が
「戦国の世の象徴ともいえる天守閣はもはや時代遅れ、物見のためだけしか用をなさず、
むしろそれよりも城下の復興を優先させるべき」
と提言したことにより、再建は断念されたとのこと。
「天守閣が再建されなかったこと」、それほど平和な時代であったことを物語っています。

天主台からは東京の高層ビル群を見ることができました。


江戸城本丸は表、中奥、大奥に三大別されるそうです。政務を執る公の場所が
将軍の私的な居住空間が中奥、ここでは小姓、近習など、男性だけが将軍に奉仕していました。
そして一番奥が御台所(将軍の妻)を筆頭に、年寄(女中の重役)、奥女中など
総勢3000名もの女性が暮らした世界、大奥があったそうです。

そして、ここでらくたびではすっかりおなじみ「お玉さんのシンデレラストーリー」をご紹介。
私ももう20回ぐらいこの話を聞きましたが(笑)、本場・大奥で聞く「玉の輿ストーリー」は
感慨深いものが(?)ありました。 ここが大奥跡です。



こちらは二の丸庭園。かつては小堀遠州の作といわれる庭園があったそうですが、
二の丸御殿の焼失とともに失われてしまいました。
現在の庭園は明治になってから東御苑の整備をした時に、残されていた9代将軍・家重の時代の
庭の絵図面をもとに復元されました。とっても気持ちいいですね。



こんなお庭が無料で見学できるなんて、素晴らしい!

庭園内には、全国の都道府県の木が植えられています。京都は…北山杉



広い苑内を約2時間かけて、楽しいおしゃべりをしながらじっくりと散策をし、
江戸たびは終了となりました。

東京にお住まいの方も「楽しかった~」と江戸の魅力を再発見をしていただけたご様子。
大好評にお応えして(?!)、第2弾も開催します!!どうぞご期待下さい。

初の江戸たび、ご参加下さった皆さま、ありがとうございました。
また、開催にあたり、江戸に不慣れな私たちのために、江戸情報を提供してくださった皆さま、
ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

                                          写真:らくたび会員 松山哲也様
                                              らくたびスタッフ 森
                                          文  :らくたびスタッフ 森  


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2009年10月25日

亀岡祭見学と日本最大の保津川下り



インターネットの検索サイトで「全国の祇園祭」を探してみると、
日本列島の北から南までたくさんの「祇園祭」が見つかります。

その詳細を見てみると京都の祇園祭と同様に疫病退散を願ったものから、
家内安全、五穀豊穣、商売繁盛、はたまた、豊漁を祈願したものまで!!

10月25日のらくたび京都さんぽはそんな祇園祭のひとつ 「丹波の祇園祭」
称される亀岡祭が行われる京都府亀岡市を散策しました。

実は亀岡市は私が生まれてから5歳まで住んでいた町です。
しかし、集合場所のJR亀岡駅は“国鉄時代”に行ったきり。
のどかなその時代の記憶しかない私は到着してビックリ。
素敵な駅舎に変わっているではありませんか!
浦島太郎になった気分で京都さんぽがスタートしました。



まずは亀岡祭が行われている町の中心部へ向かいます。
亀岡祭鍬山(くわやま)神社 の祭礼です。

この鍬山神社の創建は非常に古く和銅2(709)年に遡ります。
神社略記では「亀岡盆地が湖であった頃、大巳貴神(大国主命)が
神々を集め、鍬(くわ)で山峡を切り開くとこれが保津峡となり
肥沃な農地が生まれた。人々はこれに感謝し神様をお祀りした。」
と記されています。 

この頃にもお祭はあったようですが、時代の流れとともに神社は荒廃。
江戸時代に水害や飢饉が続いた時、町民たちは
「氏神様を大切にしなかったからに違いない」と考え、
この頃に現在の形のお祭が復活したようです。

丹波の祇園祭と呼ばれてはいるもののその発端は全く異なることに
驚きました。しかし山鉾が鉾町にズラリと並ぶ壮観な様子は
京都の祇園祭と同様で影響を受けていることは間違いありません。



「ヨイヨイ、エンヤラヤー」の掛け声で三輪山を先頭に、
翁山鉾、羽衣山鉾が動き出しました。鉾の上を見てみると
お囃子を奏でているのは子供達です。女の子も参加しています。
京都の祇園祭よりもアップテンポなお囃子も聞こえます。

また八幡山鉾の鉾の上からはかつて京都の祇園祭もそうであったように
厄除けの粽(ちまき)が授与されていました。
幸運にも手にすることができたので見てみると……
「蘇民将来之子孫也」 と書かれた護符が!
「やっぱりな~」と参加者一同納得。

町内では屏風飾りだけでなく甲冑飾りの展示も行われており、
城下町の風情を楽しみながら鉾町を後にしました。



国の有形文化財に指定されている料理旅館 楽々荘
お食事をいただいた後は明智光秀が築いた 亀山城跡 へ向かいました。

「亀岡」のお城なのに「亀山城」?ちょっと不思議ですよね。
山村先生のお話によると、明治までは「亀山藩」だったのが
廃藩置県の時に三重県の亀山との混同を避ける為に「亀岡」と
改称したそうです。なるほど……。

亀山城の跡地は現在は宗教法人の所有となっており、
受付で見学手続きの後、石垣を見せていただきました。
お城といえば京都の二条城しか思い浮かばない私にとって
高くそびえる石垣は驚きでした。
ここから明智光秀は本能寺へと向かって行ったのですね。

そしてこの石垣、当時のものも一部は残るものの、
多くは法人の手によって再建されたものと聞いてさらにビックリ。
現在でも清掃、植栽などの維持管理をされているそうです。
でも、この石垣、なんだか昔に見たことがあるような気がするなぁ……



この後一行はJR亀岡駅に戻り、希望者は保津川下りへと向かいました。
保津川は慶長11(1606)年京都の豪商・角倉了以が
丹波地方の物産を京都へ運ぶために開削した川です。
400年前は産業水路だったその川は現在では
亀岡と嵐山を結ぶ日本一の観光川下りの名所となっています。

3時30分、船旅がスタート。船頭さんのお話を聞きながら
船は峡谷を進んで行きました。
途中に見られる、かえる岩、ライオン岩、ミッキーマウス岩、
などの岩めぐりも楽しみのひとつです。

しかし、景色に見とれて油断をしていると水しぶきが飛んでくるので、
タイミングよくシートで避けなければなりません。
紅葉が始まった木々や7月の京都さんぽで登頂した愛宕山を眺めていると
トロッコ列車が通過しました。保津川下りとトロッコ列車、
お互いに手を振りあい、写真を撮りあい、楽しいひと時となりました。




そして午後5時、嵐山に到着。参加者の皆さんと
「今日は1日よく遊んだ!」と大満足しながら家路につきました。

家に帰って母にすっかり変わった亀岡の様子を話しながら
亀岡祭の粽を見せると、ここで母から予想もしなかった真実が
明かされたのです!なんと、亀岡祭を行う鍬山神社は
私自身のお宮参りと七五三参りに行った神社だったそうです。

大急ぎで古いアルバムを取り出し、七五三の写真と
鍬山神社の写真と合わせて見てみると……確かに同じ社殿がありました。

そう言われてみれば、遠いかすかな記憶の中で、
不二家のネクター(桃のジュース)を飲みながら
何か行列を見た思い出が……母は一言「それが亀岡祭やん!」。

そして幼い頃、戦国時代好きだった父に連れられて
亀山城跡に行っていたことも判明。やっぱり!!

この日の京都さんぽは歴史あるお祭を見学し、
明智光秀という歴史上の人物をたどる散策のはずだったのですが、
思いがけず「私自身の歴史をたどる散策」となっていたようです。
とても感激しました。皆さんも自分の歴史をたどる旅に出てみませんか?
記憶には残っていなくてもきっと感じる何かがありますよ。

そんな大切なことを教えてくれた京都さんぽとなりました。
らくたびの皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 岩崎守男様・坂田肇様




  


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2009年10月04日

バスツアー ご開帳めぐりと観月の夕べ



金曜日までの雨がウソのような快晴に恵まれたこの日、
らくたび初のバスツアーが開催されました。

今回は 西国三十三観音霊場の御開帳巡り大覚寺の名月観賞 をまわる
盛り沢山の内容です。40名を超える参加者が集まりいざ出発です。
因みに西国三十三の内今回巡礼するお寺は下記の四箇寺です。

①第十四番: 長良山 園城寺(三井寺) 御本尊:如意輪観世音菩薩
②第十三番:石光山 石山寺 御本尊:如意輪観世音菩薩
③第十番: 明星山 三室戸寺 御本尊:二臂千手観世音菩薩
④第二十番: 西山 善峯寺 御本尊:十一面千手観世音菩薩



一番目の目的地は滋賀県大津市にある 園城寺 です。
「三井寺」 と呼んだ方が馴染みがあるかもしれませんね。

これは天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、
「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに
由来します。天武天皇より「園城」の勅願を賜った事から、
「長良山 園城寺」が正式な寺名となります。
三井寺の由来となった霊泉は金堂横の阿伽井屋で今も湧き出ています。
「ボコボコッ!!」と湧き出る音を聞くことができ
とても不思議な感じがします。

如意輪観音が祀られている観音堂は境内の南端に位置しており、
琵琶湖を見渡せる絶好の場所に造営されています。



続いて訪れたのは 石山寺 です。東大門を入り本堂へと続く階段を昇ると
目の前に大きな岩が目に飛び込んできます。

これは硅灰石(けいかいせき)と呼ばれる岩で寺名の由来にもなっており
天然記念物に指定されています。
御本尊が安置されている国宝の本堂には紫式部が『源氏物語』を執筆した
「源氏の間」があり音声による案内を聞く事が出来ます。



石山寺拝観後は待ちに待った昼食。
石山寺門前名物の しじみ飯 をいただきました。
しかし、しじみが門前名物だとは初めて知りました。
ご飯やみそ汁等でしじみを心ゆくまで堪能しました。



お腹も一杯になったところで一行は宇治の 三室戸寺 を目指します。
この三室戸寺は四季を通じて色々な花を楽しめるのが大きな特徴でしょう。
参道横の五千坪の庭園にはツツジやシャクナゲ、紫陽花が植えられており
本堂前には蓮もあります。更に本堂前には「勝運祈願の宝勝牛(牛玉)」があり、
この宝勝牛がくわえている牛玉に触れると勝運に恵まれると言われています。
因みに私は訪れる度に触れています(笑)。

本尊は一尺二寸(約36cm)ととても小さな観音様です。
内々陣まで入れば間近でその御姿を拝見する事ができます。

三室戸寺を後にした一行は次なる目的地である善峯寺を目指します。
京滋バイパスを使い大山崎へ向かう途中伏見区・宇治市・久御山町辺りを
横切ります。今は一面農地になっていますが、この地には昭和16年まで
「巨椋池」 と呼ばれる府内最大の淡水湖がありました。
四神相応の南の朱雀の地形状のシンボルにもなった池です。
全て無くなった訳ではなく、京都競馬場の馬場の中央にある池が
かつての巨椋池の名残だと言われています。
最近では生態系の調査等も行われたそうですよ。

善峯寺へ向かう途中もそうですが、ガイドの山村さんや若村さんは
我々の為にず~っとお話をされています。
各目的地での説明は勿論ですがバスに乗っていても行程上にある
歴史スポットやエピソード等途切れる事はありません。
全てが「へぇ~」と頷かされる内容ばかりで、聞いていて
益々お二人の魅力に引き込まれてしまいました。



そうこうしている間に 善峯寺 へ到着です。
善峯寺の最大の見所は樹齢600年とされている長大な枝を伸ばす
遊龍松と呼ばれる天然記念物の松です。

応仁の乱で荒廃してしまいましたが、徳川五代将軍綱吉公の生母・
桂昌院が再興されました。因みに桂昌院は「玉の輿」の語源になった
人物でもあります。境内奥にある開山堂やけいしょう殿からは
京都市内が一望できるビュースポットがあり、訪れた時間は
西日を浴びた京都市内がとても綺麗でしたね。
春の桜、秋の紅葉が見事なお寺でもあります。



ここでガイドが山村さんから若村さんへバトンタッチし、
最終目的地である大覚寺へと向かいます。
このバスツアーでは京都のカリスマガイドである山村さん・若村さんという
二大ガイドが聞ける贅沢なツアーとなりました。
走り出してから数分後……若村さんから突如会員の森さんが
マイクを持つことにっ!!森さんは自身のお膝元である
洛西の魅力について大原野神社や地元のディープなスポット等を
慣れた口調で紹介。サプライズな出来事で参加者一同は
大盛り上がりとなり、森さんは見事この大役を果たされたのでした。



そして、バスはいよいよ嵐山へと入ってきました。
大覚寺 へ到着した頃には日もすっかり沈んでいました。
大沢池 のほとりから大覚寺境内へ入りここで山村さんの説明があり
終わった途端、計ったように見事な月が昇り始めました。

お寺の方の話ではここ数年では見たこともない程の名月だとか。
大沢池の水面に映る月がとても幻想的な雰囲気へと誘っていきます。
時を忘れて見事な名月を観賞する人。カメラに収めようと
しきりにシャッターを切る人と楽しみ方は人それぞれです。

しかし、一日の終わりで疲れた体にはとても心地良い
癒しとなったのではないでしょうか。

本日のバスツアーはこの大覚寺で終了し京都駅で解散となりました。
今日は本当に天気に恵まれ、三井寺や石山寺からの琵琶湖の眺めや
大覚寺での名月観賞、更には四箇寺もの御本尊拝見と
とても満喫したツアーとなりました。
今後もこのような企画を期待し家路についた私でした。


文/らくたび会員 森田和宏様  写真/らくたび会員 鴨田一美様・坂田肇様 他 


  


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2009年09月06日

アサヒビール大山崎山荘美術館とサントリー山崎蒸留所



京都駅からJRで15分、大阪との府境に位置する京都府乙訓郡大山崎町は、
古くから交通の要所として栄え、万葉の歌にも詠まれた名水の里。

また「山崎の合戦」で名高い天王山を擁する歴史的価値の高い町です。
さらに……かつて私の祖母が住んでいた町でもあり、私にとっては
ホームタウンも同然。
この日のらくたび京都さんぽはそんな山崎周辺を散策しました。


出発はJR山崎駅。最初は 関大明神社 に向かいました。
ここは今でいう都道府県が「摂津国」「山城国」であった頃、
その境界の関所が設けられていたところです。のちに関所が廃止され、
その跡地に神社が創建されました。

といっても現在でもここが京都府と大阪府の境界で、この神社は大阪府。
らくたび京都さんぽ初の大阪進出です!!
この日の私たちは難なく“国境越え”ができましたが、
昔は都への出入口として重要な関所となっていました。
平安末期、平家一門もここを越えて西国へ都落ちをしたそうですが、
どんな気持ちでこの地を歩いたのでしょうか?
「もう二度と戻れない」覚悟か、「必ず戻ってくる」決心か・・・?
神社の横には「従是東山城国」の石標が立っていました。



大阪府に進出した一行は昔の面影が残る西国街道を西へと進み、
天王山の麓に建つ サントリー山崎蒸留所 へ到着しました。

今からさかのぼること80年あまり、現サントリーの創業者である
鳥井信治郎氏が日本初の国産ウイスキー製造に乗り出した
“日本ウイスキー誕生の地”です。

私が子供の頃、夏になると“サントリーまつり”というものがあり、
親族総出の大イベントとなっていた懐かしい記憶がよみがえってきました。
こちらの蒸留所見学は試飲もできるとあって大変人気があり、
休日は予約でいっぱいだとか。



ガイドさんの案内で見学がスタートしました。
説明によると、鳥井氏がここをウイスキーづくりの地として選んだ理由は
ズバリ“水”。桂川、宇治川、木津川が合流し、この3つの川の水温の違いから
絶えず霧が発生し、平野と盆地に挟まれた独特の地形からは清らかな水が
こんこんと湧き出るまさに理想郷だったからだそうです。

鳥井氏はここで「日本人の繊細な味覚にあうウイスキーをつくりたい」と考え、
世界の蒸留所では見られない様々な創意工夫に取組んでこられました。
そのひとつがズラリを並んだ蒸留釜。釜の形や大きさを変えることで
ウイスキーの元となる原酒に多彩な香りや味が生まれるそうです。
へぇ~、職人技ですね。

そして見学後はお待ちかねの試飲タイム。「山崎12年」「白州12年」の
飲み比べを楽しみました。



この日の気温が高かったせいか、それともウイスキーで温まったためか……
かなり熱い中、再び「山城国」に戻り、離宮八幡宮を見学後、 妙喜庵 前に到着です。

こちらには茶道を究めた千利休が創作した茶室・待庵(たいあん)が現存し
国宝にも指定されています。利休もこの茶室で山崎の名水を使って
お茶を点てていたのですね。

ちょっと余談ですが……私が子供の頃大好きだったメニューに
「山崎のおばあちゃんの家で食べるおうどん」というものがありました。
沸かしたお湯に粉末のうどんスープを溶かし、麺を入れただけの
シンプルなものなのですが、同じものを京都市内の我が家で作っても
明らかにおいしさが違ったのです。
祖母いわく「山崎は水がおいしいから」。利休のお茶と私のうどん体験。
まったく異なるようですが、どちらもシンプルなものだからこそ、
そこに水の違いが現れるのかもしれません。

ここからJRの線路越しに見えるのは天正10(1582)年
羽柴秀吉と明智光秀による天下制覇をかけた戦い「山崎の合戦」
の舞台となった天王山です。川と山に挟まれた特徴的な地形から
「天王山を制した軍が勝利する」と考えられ戦が繰り広げられました。

このことから「天王山」という言葉が一世一代の大勝負の代名詞として
使われるようになったそうですが、この町から一つの日本語が生まれた……
よく考えたらすごいことですよね。



さて、サントリーの次はアサヒビール。芸術の秋にふれてみようと
アサヒビール大山崎山荘 へと向かいます。

この山荘はもとは大正から昭和にかけて活躍した実業家・加賀正太郎氏の
別荘として建築されました。その後、時代の流れとともに
荒廃が著しかったものを平成になってアサヒビールの当時の社長
(アサヒスーパードライがヒットした時の社長さんだそうです)
により修復整備が行われ、現在では安藤忠雄設計の新館と合わせて
美術館として公開されています。

加賀氏は若き日に訪れたイギリスで眺めたテムズ川の流れの記憶から
ここ大山崎を山荘建設地に選んだそうです。敷地内に自ら設計した別荘の
建築状況を見るための塔まで造ったこだわりよう。
美術館を鑑賞した後で立ち寄った喫茶室のテラスには
当時と変わらない壮大な風景が広がっていました。



ここで京都さんぽは終了となりましたが、この日の散策を通して
山崎の地形、気候、地下水といったあるがままの自然が
いかに重要な役割を果たしてきたのかを知ることができました。

また子供の頃と今では同じ場所に立っても見えるものが
随分と違うことも新たな発見でした。
「もう何回も行っているし」とわかったつもりになるのではなく、
これからも現場に足を運ぶことで、その時、その時に感じることを
大切にしていきたいなぁ……と思いました。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 鴨田一美様


  
タグ :京都大山崎


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2009年07月31日

愛宕山の千日詣とご来光遥拝



伊勢へ七たび熊野へ三たび愛宕様へは月参り

これは京都に伝わることわざで
「生涯のうちに伊勢神宮へは7回、熊野三社へは3回、愛宕(あたご)神社へは
毎月お参りしましょう」という意味です。
伊勢が7回、熊野が3回、に対し「愛宕神社は月参り」ですから……
寿命を60才としても720回。いかに厚く信仰されていたのかがよくわかります。

2009年7月31日(金)のらくたび京都さんぽはそんな愛宕神社の
千日詣り(せんにちまいり) に行ってきました。



「祇園祭が終われば京都に夏がやってくる」と言われる様に
7月31日といえば本来なら夏真っ盛り!のはずです。
しかし、今年は梅雨明け宣言もまだ出ておらず、この日の降水確率は
90パーセント、天気予報は「雨ところにより雷雨」。
集合場所の嵐電嵐山駅ではいつもの京都さんぽ前の和やかムードとは異なり
心配そうな声も聞こえます。この日の参加者は17名+山村先生の計18名。
22時過ぎ、愛宕山の入口となる清滝口へ向けてバスに乗り込みました。

ここでちょっと愛宕神社と千日詣りについてご説明をしましょう……
平安京の西に位置する愛宕山(標高924m)は東の比叡山と並ぶ
王城鎮護の山と考えられ、山頂に建つ愛宕神社には都を
火災から守るように火伏せの神様がお祀りされました。

その信仰は現代にも続いており京都の多くの家庭では台所など
火を使うところに「阿多古祀符火廼要慎(あたごしふひのようじん)」
と書かれた火災除けのお札が貼られています。

そんな愛宕神社では毎年7月31日夜~8月1日早朝にかけて
「千日詣り」と呼ばれる神事があり、この日に参拝すると
千日分のご利益があるとされています。
毎年一万人規模の参拝者があるとは聞いていましたが、
まさかこの私が行くことになるとは……人生わからないものです。



23時、表参道の最初の鳥居前に到着。ここが入口となり
左手には「自分で上り、自分で下山する他、手段はなし」
と書かれた案内板が立てられています。そう、この山には
自動車道やロープウェーは通っておらず、上り始めたら
最後まで自力でなんとかするしかないのです。気持ちを引き締め出発です。
愛宕神社までの距離は4.2km、この距離だけを聞くと
それほど大変なことのようには思えません。

しかし……スタート直後、私達の前に立ちはだかったのは階段地獄。
暗闇の参道には電球が灯されているものの先が見えない、
しかも不揃いで登りにくい階段が長々と続きます。
入口から山頂までには4つの休憩所が設けられているのですが、
第1休憩所までがとにかく遠い。
ここで参加者の皆さんのペースに合わせて
3チームに分かれることになりました。



不安と疲れの中、とても励みになったのはすれ違う参拝客同士が
声を掛け合っていたことでした。
これから上を目指す私達に下りてきた方が「おのぼりやす」と声を掛けてくださり、
私達は「おくだりやす」と返します。
たったこれだけのことなのですが、元気な若い子達の「おのぼりやっすっ!!」、
かわいい子供の「おのぼりやすぅ~」、外国からの参拝者の「オノボリヤス」。
たくさんの方に元気を頂きました。

なんとか第1休憩所へたどり着き、次は第2休憩所を目指しましたが、
この区間も結構きつい……かなり激しい雨が降った後らしく、
汗とぬかるみと木の雫でもうぐちゃぐちゃ状態でした。
第2休憩所から第3・4休憩所の道は平坦なところもあり、
ここまでの苦難を乗り越えた自信もあって比較的順調に進みました。



しかし、突然現れたのは「壺割坂(つぼわりざか)」です。

ここで思い出したのは5月の京都さんぽで茶摘みに行った時のこと。
茶畑のご主人吉田さんが江戸時代は宇治茶を愛宕山に貯蔵し、
それを江戸の幕府に献上していたというお話をして下さったのですが、
この坂道があまりにも困難であった為、運んでいた茶壺が
割れたことから「壺割坂」の名前が付いたという話です。
「こんな所に茶壺を持って来たら、そりゃ、割れるわ・・・」と納得。
遠い宇治と愛宕山が結びついたことに感激しつつもうひと頑張りです。

そしてようやく迎えた第4休憩所。
「さぁ、あと一息!」と思ったのですが、ここでまたしても階段地獄。
ひたすら続く長い階段を歩いては休み歩いては休み……
夜中の3時20分、4時間半に及ぶ長い長い激闘を制し
ついに愛宕神社へ到着することができました。

先に到着していた第1、第2グループの皆さんが温かく迎えてくだった事、
そして無事にたどり着けたあの感動はきっと忘れることはないでしょう!



神社の参拝と1時間ほどの休憩の後、ご来光は無理ということで
早めに下山することとなりました。歩き始めてしばらく……
朝の5時、夜明けの時間です。木々の合間に霧が立ち込め、
静かな山内にヒグラシの高く美しい鳴き声が響き渡り、
空が少しずつ明るむその光景はとても神々しいものでした。

そして登りの時は暗くて良く見えなかったのですが、
泥だらけになったぬかるみ、励ましあって登った石段、
私達を泣かせた階段地獄、御殿に見えた休憩所、
一つ一つを見るたびに「良く頑張ったよな~」と
お互いの健闘を称え合う事ができました。
3グループに分かれてはいても参加者18名みんなが
同じ苦労を共有していたのですね。



そして朝の7時過ぎ、8時間前にスタートをきった鳥居前に18名そろって
凱旋することができました。
大変なことも多々ありました。
でもこうして全員が無事に登頂・下山できたこと、それが何よりも
嬉しく思います。

参加者の皆さんが「個人だったら絶対に途中で諦めていた」
「頑張った自分を久しぶりに見た」そんな感想を言っておられたのが
とても印象に残っています。

私もこれから愛宕山を見るたびにこの京都さんぽのことを
懐かしく思い出すに違いありません。

参加者の皆さん、声援を送ってくださったらくたび仲間の皆さん、
山村隊長・隅田リーダー、本当にありがとうございました。
私が愛宕神社で授かってきた1,000日分のご利益は
みんなで山分けしましょうね!!


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 岩崎守男様
  


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2007年09月02日

職人技を間近に!初秋の京菓子づくり



京菓子職人の精鋭で結成された京菓子講師倶楽部から
笹屋吉清の保木さん、かぎ隆三の石川さんの2人の講師をお招きし、
京菓子づくりをご指導いただきました。



まずは「こなし」による京菓子作りを教えていただきました。
「こなし」とはこし餡に小麦粉と餅粉を混ぜて蒸したもの。
へらを駆使して菊や桜、桔梗づくりに挑戦します。
こなしは色など工夫次第でさまざまな形に姿を変える、魔法のような生地。
それゆえなのか、講師や受講者の方が作ると可憐な花になるのに、
私の手から生まれるものは、まるでアメーバのような物体。。。嗚呼。



次は、生地を網目で漉したそぼろ状の「きんとん」。
栗と餡をくるみ、「いがぐり」に挑戦。秋ですね~。



みなさん真剣な表情!やわらかいので、つぶれないようにそっと、
というのがポイントです。これはなんとかクリア!



その他、 こなしを板状にのばして羽のような切り目をつけ、
餡をくるむと白鳥に。首のあたりに赤色のこなしをちょんと足すと、
白鳥が鶴に早がわりです。



次は・・・お店では出来たてのアツアツをいただける機会って
なかなかないので、蒸し菓子「黄味しぐれ」です。
ピンクと黄緑と白の生地を使って、みなさん思い思いのデザインに仕上げます。
ちなみに私は目、目、口、ほっぺをつけて「にこちゃんマーク」
にしてみましたが、蒸しあがると見事、顔が割れてしまいました。
火を通した後、生地はどう変化するか、ということも考えて作るのも、
和菓子作りの大事なポイントなんですね。
さて、蒸しあがったばかりの「黄味しぐれ」は、アツアツふわふわ。
その食感ににんまりしながら、もりだくさんの講座が終了しました。



作った京菓子は箱に入れてお持ち帰り。みなさん、お上手です。
まるでお店で買ったみたいですね~。

多数のご参加をいただき、ありがとうございました。
お疲れ様でした!
  
タグ :京都京菓子


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2006年06月24日

京菓子職人に学ぶ 水無月と京菓子づくり


京菓子職人の精鋭で結成された京菓子講師倶楽部から三省堂小倉の知公さん、
笹屋吉清の保木さん、かぎ隆三の石川さんの3人の講師をお招きし、
6月30日の夏越祓にちなんで水無月作りを教えていただきました。


まずは、水無月の由来についてのお話を伺った後、
作り方をご指導いただきました。
水無月粉と砂糖をぬるま湯で混ぜて蒸し、小豆を乗せてさらに蒸すという
意外と簡単な工程でした!



蒸している間、「こなし」による京菓子作りを教えていただきました。
「こなし」とはこし餡に小麦粉と餅粉を混ぜて蒸したもので、
色や形などに工夫を凝らすことで季節の花々など
さまざまな意匠の美しい和菓子に姿を変えます。
熟練の職人さんの手元から瞬く間に菊や朝顔などの
美しい和菓子が出来上がっていきます。
その技の素晴らしさにはもちろん、朝顔には水の雫のように
透き通った寒天をあしらうといった、京菓子に込められる“粋”に
参加者からは感嘆のため息が聞こえてくるばかりです。


例えば菊(写真左)は白いこなしの内側からピンクに色づけた
同じこなしの生地が透けるように練りこんで、
ほのかに紅くやわらかな色合いを演出します。
関東のものと比較した京菓子ならではの
“はんなり感”についても語っていただきました。



デモンストレーションの後はいよいよ参加者が作る番です。
ヘラ使いの練習を何度かした後、いよいよ本番。表情は真剣そのものです。
朝顔と菊を作りました。
参加者のみなさん、同じものでもそれぞれの個性が
出来上がったお菓子にあらわれるのが興味深い点でした。



その後、「きんとん」も教えていただきました。
生地を網目で漉して細いそぼろ状にし、餡を包みこみます。
手で持っているうちに柔らかくなってしまうのでスピードが肝心ですが、
それでいて丁寧に作業しないとせっかくのきんとんがつぶれてしまう
というところが難しいものです。
さらに、京菓子講師倶楽部さんからの大サービスで
わらび餅まで教えていただきました。
作りたてのとろけるようなわらび餅をちょっとずつ味見させてもらい、
「美味しい~♪」と、みなさん満面の笑みです。



そうこうしてるうちに水無月も蒸しあがり、持ち帰り用の箱に詰めました。
講師の方が作ったお菓子もおみやげにいただいて、
こんなにたくさんになりました!!
写真左上から、時計回りに「水無月」、 「きんとん」、こなしの「菊」、
「朝顔」、 「桜」、「わらび餅」です。

季節感たっぷりの水無月と京菓子。
京都が誇る伝統を支える職人さんの技を間近に
見て、触れて、充実した2時間となりました。

ご指導くださった京菓子講師倶楽部の講師のみなさま、
どうもありがとうございました!
そして、会員のみなさま、ご参加くださいましたこと、
嬉しいご感想をいただきましたことに感謝いたします。
どうもありがとうございました!!

今後も季節にそった様々な企画を創っていきたいと思いますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

  


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