2012年09月10日

9月1日 比叡山「横川」へ慈覚大師「円仁」ゆかりを訪ねて

9月1日(土)のらくたび京都さんぽは、
ロテル・ド・比叡フランス料理を堪能し、
ダイヤモンド社から出されている
慈覚大師円仁と行くゆかりの古寺巡礼 比叡山の歩き方」の一部を
らくたびで執筆している出版記念として、
慈覚大師「円仁」ゆかりの延暦寺・横川を訪ねました。




集合は、出町柳駅。ロテル・ド・比叡さんの送迎で、
バスに分乗して一気に比叡山へと向かいます。


標高が高くなるにつれ、壮大な琵琶湖の眺めが広がってきました!



ロテル・ド・比叡に到着すると、
早速レストランでフランス料理のコースが始まります。



彩りも鮮やかなお料理は、味も文句なしです♪
窓からの眺めもよく、遠くへ旅行に来たような気分。
皆さまで素敵な時間を過ごせました。





じっくりとフランス料理を堪能した後は、
再びロテル・ド・比叡さんのバスで延暦寺の横川へと向かいます。
それにしてもやはり比叡山は少し涼しい♪
実は気候が北海道と変わらないんです。



さて、横川慈覚大師・円仁によって開かれた修行地で、
延暦寺の中でも宗教的な雰囲気が残る場所です。
若村先生に資料を解説して頂きながら、じっくりと巡ります。


延暦寺は数多くの宗教者を出していきました。
親鸞道元らの人生を描いた看板の前でも、
先生の分かりやすい解説が光ります!


横川の中心となる横川中堂は、朱色が鮮やかな舞台造り。
円仁が乗った遣唐使船を表しているのだとか。




横川中堂には、円仁作と伝えられる
聖観世音菩薩像がお祀りされています。

若村先生の詳しいお話を聞いてから堂内へと入ると、
これまで訪れた時にはわからなかった発見もありますね。




ちなみにこの方が慈覚大師・円仁です。
15歳で比叡山に登り、伝教大師・最澄に師事。
その後、最後の遣唐使船で唐に渡り、帰国すると天台密教を大成しました。


こちらは閻魔大王が裁きをする場面。
若村先生の迫真の解説に皆がひきつけられました。


緑の美しい山道を歩いて・・・


元三大師・良源の住居跡と伝わる元三大師堂へ。
四季にわたって法華経が論議されたところから四季講堂とも呼ばれます。


元三大師といえば、角(つの)大師と呼ばれるこのお姿。
二本の角を持つ痩せた鬼は疫病神を追い払った時のお姿とされ、
現在でも厄除けの信仰を集めます。


こちらは元三大師の御廟
お坊さんのお墓ですが鳥居が立っているのも面白いですね。


こうして横川をぐるりと一周。最後は根本如法塔を眺めて、
横川を後にしました。


帰りもロテル・ド・比叡さんのバスで、出町柳駅まで送迎して頂きました。
途中の峰道では、車を止めて美しい琵琶湖の風景を見せて頂きました。
お心遣いに感激です!



今回は、ロテル・ド・比叡でフランス料理を堪能し、
緑に包まれた横川では円仁元三大師の足跡を求めて、
じっくりと散策しました。

自力で横川へ行くのはなかなか大変ですが、
今回は出町柳から送迎バスで行くことが出来、
若村先生の詳しい解説で、充実した散策だったのではないでしょうか。
ご参加頂きまして、ありがとうございました。



                                  ご案内 / らくたび代表・若村 亮
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


Posted by らくたび  at 00:09Comments(0)比叡山エリア

2010年05月04日

雲母坂から比叡山登山へ 阿闍梨道を訪ねて

らくたびのゴールデンウィーク恒例行事といえば“山登り”です。
これまで稲荷山(2009年)、醍醐山(2007年)、大文字山(2006年)、
高雄~嵐山(2006年)などを歩いてきました。
2010年は満を持して東山三十六峰の第一峰
比叡山(標高:848m)
に挑戦です。

集合は叡電・出町柳駅。ここから叡電に乗り
比叡山の登山口となる一乗寺駅まで向かいます。
今では秋の紅葉の名所となっている修学院・一乗寺エリアですが、
かつてはこの辺りも比叡山延暦寺の境内地でした。
当時の天台宗がいかに大きな勢力を誇っていたのかが伺えます。

一乗寺下り松は室町時代、宮本武蔵と吉岡憲法の一門の
決闘の場となった所です。
そしてここから比叡山に続く道が本日のルートとなる
雲母坂(きららざか)です。その名前の由来には諸説あるものの、
都からこの辺りを見ると雲が覆い、雲が生じるように見えたことから
雲母坂と呼ばれるようになったとのこと。
また都からの勅使(ちょくし:天皇のお使い)が歩いたことから
「勅使坂」「表坂」とも呼ばれていました。
 


坂を登りつめたところにある曼殊院の参道には
見事な新緑のトンネルが続き、お寺の白壁と相まって
爽やかな5月の風景を演出してくれていました。

しかし・・・!!散策気分はここまでです。いつの間にやら
比叡山の登り口に到着しており、普段は遠目で見ている比叡山が
すぐ間近にそびえ立っています。
山村先生からコースの案内をしていただき、いよいよ登山道に入りました。

山に入ってしばらくの間は、人が一人やっと通れるくらいの
細い道が続きます。「道を作った」というよりは
「人が歩いて踏みしめたところが道になった」という感じです。
山村先生より「歩き初めの道が一番大変です。上へ行くほど
歩きやすい道になります。」と教えていただいた通り、
登り始めの30分が一番大変でした。
 


この雲母坂は平安時代から比叡山に向かう僧侶や勅使が登った坂であると同時に、
京の都と近江を結ぶ交通の要所でもあったことから、
古来より幾多の戦陣が開かれた場でもありました。
南北朝時代には南朝方の千種忠顕(ちぐさただあき)ら数百人が
この坂で戦死されたそうです。
また比叡山で最も厳しい修行である千日回峰
(せんにちかいほう:7年間計1,000日をかけ、決められた道を歩いて修行をする)
をされている阿闍梨(あじゃり)が歩く行者道も歩きました。


そして、出発から約2時間半後、ケーブル比叡駅に到着。
ここでお昼休憩です。
美しい景色を眺めながら楽しいお弁当タイムとなりました。

午後の道は午前中とは比較にならないくらい歩きやすく、
緑の山々やヤマザクラ、ミツバツツジの花を見ることもできました。
そして景色のいい所で記念撮影。参加者のKさんより
教えていただいた比叡山でのお約束、山村先生の「比叡山!」
の掛け声とともに参加者一同が声をそろえて「ひえぇぇぇ~」
楽しい記念撮影となりました。
 


さらに歩みを進めると鎮護国家の石碑に到着。
平安京の鬼門(北東)に位置し、1,200年の長きに渡り
都を鎮護してきた比叡山延暦寺は伝教大師最澄によって
開創されて以来、浄土宗や浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗を
興した高僧を輩出するなど、日本仏教会に大きな影響を与えてきました。

ここからは延暦寺の寺域に入ります。都会とは違う、
清らかな空気に包まれて歩いていると、そろそろ、ゴールかな・・・?
皆さんの期待が高まります。あっ、阿弥陀堂が見えてきました。
ついにゴールです!!


参加者24名&山村先生、全員そろって無事に到着することができました。
阿弥陀堂の前には枝垂れ桜が私達のゴールを祝福するかのように
可憐な花を咲かせてくれていました。
そしてこの後、延暦寺の中心となる根本中堂を参拝し、
この日の京都さんぽは終了となりました。


雲母坂から比叡山は確かに大変な道のりでしたが、
実際に自分の足で歩くことができて本当によかったと思います。
平安京ができる以前から若き最澄は自らこの山に入り、
民衆救済の方法を探し求めたのかと思うと、
その偉大さを改めて感じることができました。

参加者の皆さん、山村先生、本当にお疲れ様でした。
さて、来年はどこの山に登りましょうか・・・??

文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 岩崎守男様・真紀枝様
  
タグ :比叡山登山


Posted by らくたび  at 17:34Comments(0)比叡山エリア