2010年07月11日

蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

7月11日の京都さんぽは、花園駅に13:00に集合しました。蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

時折、地面を叩く雨脚の激しさに戸惑いながら、法金剛院、妙心寺の法堂・浴室、
最後に妙心寺の塔頭退蔵院にてお抹茶をいただきました。蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺 
 

 関西花の寺第十三番札所として知られている法金剛院は、
双ヶ丘の東に位置し、景勝地であった為、天長7(830)年頃には、右大臣・清原夏野の山荘が建てられました。後に「天安寺」になり、第74代鳥羽天皇中宮・待賢門院璋子が、荒廃した天安寺を大治5(1130)年に白河法皇の菩提を弔う為に復興し、寺名を「法金剛院」としました。

蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺


多幸多難な人生を歩んだ待賢門院は、魅力的な麗人だったようで、白河法皇の猶子(養子)から、鳥羽天皇の皇后となり、崇徳天皇、後白河天皇の生母となりました。しかし、待賢門院を庇護した白河法皇が崩御すると、運命は一変。美福門院との政権争いやわが子である崇徳天皇と後白河天皇の対立が生じ、やがて貴族社会の終焉と武士の台頭を本格化させました(保元の乱・平治の乱)。波瀾万丈な生涯だったのですね!蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

 法金剛院の本尊・阿弥陀如来坐像(重文)は、平安後期の大仏師・定朝の流れを汲む院覚の作で、古くは、平等院、法界寺とともに定朝の三阿弥陀と称されてきました。また十一面観世音菩薩(重文)は坐像のお姿で、さらに四本の手を持つ姿も他にあまり例がない珍しいものです。この仏殿で如来と菩薩の違いや九品来迎印や施無畏・与願印などを若村先生から教えてもらいました。
   
 「蓮の寺」と称される法金剛院の庭園には数多くの鉢植えや睡蓮があり、蓮荷が雨水にうたれながら、背筋を伸ばして佇む姿は優美で、待賢門院が極楽浄土をこの世に現すために作庭したのが頷けます。平安時代の滝石組の遺構である「青女の滝」は880年前の人工の滝とは思えない、清楚でたおやかな滝石組でした。
                          
滝の近くには、待賢門院堀河の歌碑があります。

    ~長からん心もしらず黒髪の 
                 乱れてけさは物をこそ思へ~  


何とも妖艶な歌ですね。待賢門院堀河は、待賢門院の落飾に殉じて出家した歌人で、
崇徳天皇や西行と歌のやり取りがありました。蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

 さて、庭園内を自由に散策した後は、妙心寺へ向かいます。妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山で、康永元(1342)年に関山慧玄が創建し、四季折々の花が咲く花園離宮を禅寺に改めたことに始まります。全国に約3500の関係寺院があり、教団運営が安定していることから「妙心寺の算盤面」と称され、現在も境内に46の塔頭がある事・・・等の説明がありました。南総門の案内板の大きかったこと!!
蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

法堂(重文)は、明暦2(1656)年に建立されたもので、鏡天井(つり天井)には“狩野探幽法眼守信筆”と記された「八方睨みの龍」が描かれています。想像上の龍は、口は鰐・髭は鯰・角は鹿・全体としっぽは蛇・鱗は魚・爪は鷲や鷹・目は牛を参考にしたとか!鋭い眼差しで、法堂に入るものを見据えています。建立に使用した大木を運搬する道として「丸太町通」と名付けられたお話も興味深かったです。蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

 梵鐘(国宝)は紀年銘文のあるものでは日本最古のもので、698年に鋳造されました。黄鐘調(おうじきちょう)鐘とも言われ、吉田兼好の『徒然草』の中に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし・・・」とあり、法堂内に保管されています。現在は、テープにて音色が楽しめました。法堂外から、梵鐘の模造品の鐘の音と開山堂の鐘の音が聴こえ、三種類の鐘の音を聴くことが出来ました。
蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

 また撞座(つきざ)と言われる鐘をつく時に木(撞木)が当たる部分は、高い位置にあるものほど時代が古いとされています。これからは、撞座も見ましょう!

音色の余韻にひたりながら浴室「明智風呂」へ向かいます。浴室(重文)は、天正15(1587)年、密宗和尚(明智光秀の母方の叔父)が光秀の志納金で浴室を設け、お経をあげながらお風呂に入られたことから明智風呂と呼ばれていますが、実際に明智光秀は浴室を使用していません。また、風呂敷の語源は蒸気を出す板敷きの隙間に直接肌が触れないように敷いた布をさすとのことです。衣類を包んだり、今では、多方面に大活躍の代物。  

 仏殿(重文)で、午後3時の時報を聞きました。鐘の音を聞く事でひとつずつ煩悩が減って行くこと、鐘を撞く事で時間を知らせる役割があったことを知りました。「時」とは、寺が日時を知らせると書くとか。なるほど!納得です。
蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺
 三門(重文)は、三解脱門を意味し、空門・無相門・無願門の三つの悟りの境地をあらわし、この門を通ると、浄土へ至るとされています。毎年、6月18日には懺法会が営まれ、内部を参拝出来ます。皆さん!忘れないで下さいね~!





 本日、最後に訪れるのは、妙心寺塔頭のひとつ、退蔵院です。退蔵院は、応永11(1404)年、妙心寺第三世無因宗因を開山として、波多野重通が創建しました。退蔵院は、方丈、大玄関がともに重要文化財で、さらに、日本の水墨画初期の代表作である、如拙の「瓢鮎図(ひょうねんず)」(国宝)があります。公案と言われる参禅者への課題「如何にして瓢箪でなまずを獲るか?」を禅問答も含めて描きあげたユニークなものです。現品は、京都国立博物館に寄託され、複製品が飾られています。解説がないと多分理解出来ないと思います!

蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺 蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺












庭園は、水墨画の流れに大和絵の技法を取り入れた狩野元信作庭の枯山水庭園「元信の庭」と、中根金作氏による昭和の名庭「余香苑」があります。前者は、枯滝・蓬莱山・亀島・蓮の鉢植えがある優雅な庭園で、石組みに風格がありました。後者は、三段落ちの滝が流れ落ち、細部に至っては入り口の門には瓢箪となまず、お抹茶と瓢鮎菓子をいただいた大休庵には、瓢箪をかたどった窓がありました。庵からも美しい花々がゆっくり眺められます。蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺 

 若村先生の梅の実が熟す頃の雨を「梅雨」と言うのです・・・等、
七夕と雨にまつわるお話に耳を傾けました。時間がゆったり流れる感じです。
蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺



帰り際に、水琴窟の澄んだ音色で癒されながら、退蔵院を後にし、各自、帰路に着きました。
梅雨明けは、もうすぐ!雨の中ご参加された皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。
蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺蓮が咲く法金剛院の極楽浄土と厳粛な禅風を受継ぐ妙心寺

《参考文献》
らくたび文庫 009嵐電ぶらり各駅めぐり 妙心寺
014京の仏像NAVI 如来・菩薩
015京の庭 NAVI 池泉庭園編 退蔵院・法金剛院
016京都スタァ名鑑 女性編 待賢門院 美福門院
037京の神さま仏さま 仏さま編 臨済宗 等

               執筆:らくたび会員/岩崎 真紀枝様   写真:らくたび会員/岩崎 守男様                   


同じカテゴリー(妙心寺~花園エリア)の記事画像
10月9日(日)御室仁和寺と幻想の世界へ誘う梵燈の東林院へ
早朝の蓮観賞と花園散策
同じカテゴリー(妙心寺~花園エリア)の記事
 10月9日(日)御室仁和寺と幻想の世界へ誘う梵燈の東林院へ (2011-10-17 11:32)
 早朝の蓮観賞と花園散策 (2008-07-20 11:05)

Posted by らくたび  at 00:00 │Comments(0)妙心寺~花園エリア

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。