2010年05月04日

雲母坂から比叡山登山へ 阿闍梨道を訪ねて

らくたびのゴールデンウィーク恒例行事といえば“山登り”です。
これまで稲荷山(2009年)、醍醐山(2007年)、大文字山(2006年)、
高雄~嵐山(2006年)などを歩いてきました。
2010年は満を持して東山三十六峰の第一峰
比叡山(標高:848m)
に挑戦です。

集合は叡電・出町柳駅。ここから叡電に乗り
比叡山の登山口となる一乗寺駅まで向かいます。
今では秋の紅葉の名所となっている修学院・一乗寺エリアですが、
かつてはこの辺りも比叡山延暦寺の境内地でした。
当時の天台宗がいかに大きな勢力を誇っていたのかが伺えます。

一乗寺下り松は室町時代、宮本武蔵と吉岡憲法の一門の
決闘の場となった所です。
そしてここから比叡山に続く道が本日のルートとなる
雲母坂(きららざか)です。その名前の由来には諸説あるものの、
都からこの辺りを見ると雲が覆い、雲が生じるように見えたことから
雲母坂と呼ばれるようになったとのこと。
また都からの勅使(ちょくし:天皇のお使い)が歩いたことから
「勅使坂」「表坂」とも呼ばれていました。
 


坂を登りつめたところにある曼殊院の参道には
見事な新緑のトンネルが続き、お寺の白壁と相まって
爽やかな5月の風景を演出してくれていました。

しかし・・・!!散策気分はここまでです。いつの間にやら
比叡山の登り口に到着しており、普段は遠目で見ている比叡山が
すぐ間近にそびえ立っています。
山村先生からコースの案内をしていただき、いよいよ登山道に入りました。

山に入ってしばらくの間は、人が一人やっと通れるくらいの
細い道が続きます。「道を作った」というよりは
「人が歩いて踏みしめたところが道になった」という感じです。
山村先生より「歩き初めの道が一番大変です。上へ行くほど
歩きやすい道になります。」と教えていただいた通り、
登り始めの30分が一番大変でした。
 


この雲母坂は平安時代から比叡山に向かう僧侶や勅使が登った坂であると同時に、
京の都と近江を結ぶ交通の要所でもあったことから、
古来より幾多の戦陣が開かれた場でもありました。
南北朝時代には南朝方の千種忠顕(ちぐさただあき)ら数百人が
この坂で戦死されたそうです。
また比叡山で最も厳しい修行である千日回峰
(せんにちかいほう:7年間計1,000日をかけ、決められた道を歩いて修行をする)
をされている阿闍梨(あじゃり)が歩く行者道も歩きました。


そして、出発から約2時間半後、ケーブル比叡駅に到着。
ここでお昼休憩です。
美しい景色を眺めながら楽しいお弁当タイムとなりました。

午後の道は午前中とは比較にならないくらい歩きやすく、
緑の山々やヤマザクラ、ミツバツツジの花を見ることもできました。
そして景色のいい所で記念撮影。参加者のKさんより
教えていただいた比叡山でのお約束、山村先生の「比叡山!」
の掛け声とともに参加者一同が声をそろえて「ひえぇぇぇ~」
楽しい記念撮影となりました。
 


さらに歩みを進めると鎮護国家の石碑に到着。
平安京の鬼門(北東)に位置し、1,200年の長きに渡り
都を鎮護してきた比叡山延暦寺は伝教大師最澄によって
開創されて以来、浄土宗や浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗を
興した高僧を輩出するなど、日本仏教会に大きな影響を与えてきました。

ここからは延暦寺の寺域に入ります。都会とは違う、
清らかな空気に包まれて歩いていると、そろそろ、ゴールかな・・・?
皆さんの期待が高まります。あっ、阿弥陀堂が見えてきました。
ついにゴールです!!


参加者24名&山村先生、全員そろって無事に到着することができました。
阿弥陀堂の前には枝垂れ桜が私達のゴールを祝福するかのように
可憐な花を咲かせてくれていました。
そしてこの後、延暦寺の中心となる根本中堂を参拝し、
この日の京都さんぽは終了となりました。


雲母坂から比叡山は確かに大変な道のりでしたが、
実際に自分の足で歩くことができて本当によかったと思います。
平安京ができる以前から若き最澄は自らこの山に入り、
民衆救済の方法を探し求めたのかと思うと、
その偉大さを改めて感じることができました。

参加者の皆さん、山村先生、本当にお疲れ様でした。
さて、来年はどこの山に登りましょうか・・・??

文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 岩崎守男様・真紀枝様
  
タグ :比叡山登山


Posted by らくたび  at 17:34Comments(0)比叡山エリア

2010年05月03日

平城京遷都1300年記念!平城京跡見学と美仏を訪ねて

一年ぶりの 『 らくたび in 奈良 』 、そうです!、『 ならたび 』 です!

昨年は、東大寺→春日大社と王道コースでしたが、
今年はなんといっても平城遷都1300年ということで、イベントが行われている
平城宮跡に行きました。
近鉄電車・大和西大寺駅で集合だったのですが、駅に着くとそこは……
人!、人!、人~!! 
さすが遷都1300年を記念するイベントが行われているだけありますね。
駅から約15分ほど歩いたでしょうか、見えてきました! 広大な緑の芝生、
そして、すでにここからイベント会場の平城宮跡なんですね。
とにかく広さに驚きです。





この敷地内を近鉄電車が走っているんですよ~。
そういえば奈良に向かう車内から、遠くに朱雀門が見えてますよね。
あたり前ですが、電車が通るたびに遮断機が降りて、
人の通行がストップするんです。
これぞ奈良、といった風景です(笑)



平城宮跡には二つの大きな建物があります。
ひとつは 『 朱雀門 』 で、1998年に再現されたものです。
そしてもうひとつは、今回当時の建物を再建された『 大極殿 』 です。
当時は天皇の即位式や外国使節との面会など、国家的な重要儀式のために
使われた建物だったそうです。この大極殿がメインなんですが、
長蛇の列で待ち時間が1時間とも、2時間とも・・・、
さすがにこれは待てません。今度各自で訪れるとしましょう。



会場マップを見ていると 【 第一次大極殿 】 と印がありますが、
恥ずかしながら 「 なんのこと? 」 状態の私。
なんでも大極殿は、 【 第一次 】 と 【第二次 】 があったそうです。
先ほどの大極殿は 【 第一次 】 で、後に再建されたのが 【 第二次 】 です。
現在は再建されていませんが、 【 第二次大極殿跡 】 として基壇のみが
残されています。ここから見る景色もキレイですよ♪ 
遠くに青々とした若草山が印象的でした!

さて、この後は一般的な観光なら東大寺へ、となるのでしょうが。 
私たちは『 らくたびさんぽ 』 ですからね~、ちょっとディープな散策へと
至ります(笑)。



訪れたのは法華寺。奈良時代に日本総国分尼寺として建立されたという
立派なお寺です。奈良時代の権力者であった藤原不比等の邸宅跡に、
聖武天皇 (東大寺大仏さんを建てられた天皇です )のお妃様である光明皇后が
伽藍を設けられたことが始まりとされています。
その由緒から御本尊の国宝の十一面観世音菩薩像は光明皇后のお姿を刻んだと
されています。それはもう美しく優しいお顔立ちの観音様でした。
季節折々の花が咲く境内では、ミニコンサートが開かれており、
ほのぼのとした雰囲気に包まれていました。

そして次は特別公開されている十一面観音菩薩立像にお会いするため
海龍王寺へ。こちらも光明皇后ゆかりの寺院です。
皇后が自ら刻まれた十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師が
刻まれた観音様です。腰をクネっとひねったようなフォルムが美しく、
すっと伸びたしなやかな腕がまた奇麗。すばらしい観音様でした。
そしてもうひとつ驚いたのは、西金堂内に建つ五重塔! それも国宝!!
天平時代の建築技法を現在に伝える貴重な文化財だそうです。
4メートルと五重塔としてはミニチュアサイズですがほんとに精密に
作られていることに感動しました(笑)

海龍王寺を後にして、ここで一時解散。
数名の方は各自お帰りになりましたが、ほとんどの参加者は駅に向かいました。
その道中、いくつかの古墳に遭遇。



知らずに見ると「 林と池 」なんですが、なんとこれが古墳!奈良というところは
普通にあのような風景を見ることができるんですねぇ。
そして第52代の平城天皇 (へいぜいてんのう )の陵墓がありました。
平安京時代の天皇の陵墓がこちらにあるんですね。知ってはいたけれど
実際に目にするとちょっと変な気がしました。帰路に平城宮跡の北側を歩いていると
大極殿が見えてきました。こちらから見える広々とした芝生の先にある大極殿も立派でした~。



奈良はどこも広々としていますね。京都とは違いなんとなくのんびりとした気持ちになります。
京都と奈良、どちらも歴史があり興味深い町です。
個人的には奈良の仏像にはまりそうです(苦笑)

みなさま、次回の【 ならたび 】が楽しみですね。
らくたびさま、楽しい奈良の企画を期待していま~す。

                                        文:らくたび会員 奥村 成美 様
                                        写真:らくたび会員 鴨田 一美 様
  


Posted by らくたび  at 17:42Comments(0)奈良エリア