2008年09月21日

閑臥庵京普茶料理と神秘なる砂曼荼羅の特別拝観



秋と言えば芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋といろいろありますが、
でもやっぱりこれでしょう「食欲の秋」。

という訳で、2008年9月21日のらくたび京都さんぽはおいしい京料理を求めて
地下鉄鞍馬口駅を出発しました。



すでにお腹は空いていましたが、まずは 上御霊神社 へ。
ここは桓武天皇による平安京遷都の際に非業の死を遂げられた
早良親王らをお祀りする神社です。

御霊を祀ることによりその怨霊を鎮め、都の繁栄と安寧が
願われたそうです。また門前にある石碑が示す通り、11年間にわたり
京都のお寺や神社を焼き尽くした応仁の乱(1467~1477年)
発端の地でもあります。



通りを挟んで向かいにお店を構えていらっしゃるのは 水田玉雲堂
平安時代に疫病退散を願って供えられたお菓子を復元し、500年位前から
唐板(からいた)を販売されています。シンプルな味とサックリした
食感に若村先生いわく「好きな人は好き(ちなみに私は好きな人)」。

まだの方はぜひ一度お試し下さい。境内は木々も豊かで紅葉の隠れ名所
ということですので、これからの季節にピッタリですね。

続いて寺町通りを上り 西園寺 へ。ここで若村先生が教えて下さったのが
境内にある鐘の側面に残る穴。さて、何でしょう?

答えは・・・・・・

第2次世界大戦中、不足する鉄や銅を補う為にこのお寺の鐘が提供されました。
幸い溶かされる直前に終戦を迎え、難を逃れたのですが、その溶かす前に
鐘の成分を調べる為に開けられた穴だそうです(こんなこと京都さんぽで
ないと教えてくれないです)。

京都を知ると言えば、歴史上の大きな出来事や立派な建物などだけに
とらわれがちですが、こんな小さな穴にも歴史は刻まれているのですね。



すぐお隣の 天寧寺 は「額縁門」としてすっかりおなじみです。
この日は比叡山もきれいに見えました。
以前講座で「京都検定のテキストの写真に映っている南国風(?)の木は
現在は切られてありません」と教えていただきましたが、
それに気付いたってすごい観察力ですね。確かにありませんでした。



そしてついにお待ちかねの 閑臥庵 (かんがあん)に到着です。こちらは後水尾法皇が夢枕に立った父の言葉に従い、
黄檗宗のお寺として開山されました。
ここでは後水尾天皇も召された 普茶(ふちゃ)料理 がいただけます。



普茶料理は中華風の精進料理。動物性のものは一切使わず、お豆腐、
野菜など季節の食材を油を巧みに使って調理されます。

もともと「普茶」という言葉は「広く茶を施す」意味があり、お料理を通して
人と人が親睦を深め、互いの労をねぎらうことが目的となっています。
このことからお料理は大皿で盛られ、取り箸を使わず各自のお箸で
取り分けるといったスタイル。
私達がテーブルについた時には最初のお料理が並んでいました。

それでは、いただきま~す!!

彩りも鮮やかなお料理を見て楽しみ、食べて楽しみ。
「きれいやね」「こんな調理方法があるんやね」と初めてお会いした方とも
自然に会話が弾みます。これぞ普茶料理。
和洋が調和したお部屋から眺める庭もとてもきれいでした。



ゆっくりお食事を楽しんだ後は、チベット僧によって作成された
砂曼荼羅を拝観しました。砂曼荼羅とは大理石を砕いて着色した粉(これが砂)
を使って仏様の住む世界を描いたもの。説明なしで見るととても砂には見えません。
そのくらい細かく描かれています。

チベットでは何らかの祈願をする際、その成就を願う儀式の中で
砂曼荼羅が作成されます。ただ驚くのは、作成後すぐに「破壇式」が行われ
その砂は川に流されてしまうのです。

今回こちらでは後水尾法皇の御供養と世界平和の願いを込めて、
5人の僧が10日がかりで2点作成されたのですが、1点はその習わしに従い
その日のうちに壊され、砂はチベットへと持ち帰られたそうです。
「なんともったいない」と思いますが、壊すという行為にも「形あるものは
いつか壊れる」という仏様の教えが表現されているのです。

大理石を砕いているためかキラキラと光沢を放つ砂曼荼羅の
神秘的な美しさにしばしうっとり。日本とは異なるチベットの仏教文化に
触れることができたところでこの日の京都さんぽは終了となりました。

今年の1月に発表されて以来、この日の講座を楽しみにしていた私。
心もお腹も大満足の一日となりました。
最後に参加者の皆さんを代表してらくたびさんにお願いします。

「おいしものを食べる講座は、来年からもっと回数を増やして下さい!!」


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 鴨田一美様
  


Posted by らくたび  at 13:42Comments(0)御所~下鴨エリア

2008年09月14日

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭



今日9月14日は旧暦の8月15日、そう 中秋の名月 です。
私たちの「京都さんぽ」のゴールの平野神社でも「名月祭」と称して、
雅楽、日本舞踊などが催されます。

平野神社へは、平安京の北端であった一条通り沿いに史跡を見つつ
西へ西へと行く事になります。さあ、烏丸今出川から出発です。
一筋南へ下って右折し、武者小路通へ入っていきます。



室町通の交差点に 福長神社 があります。
水の神としての信仰が篤く由緒ある神社だったそうですが、今では
本当にひっそりと忘れられた様な感じがします。
多分町内の方が、大切に維持されているのでしょう。

ちょっと西へ進むと 乾向地蔵尊 です。縁起やご利益は解らないのですが、
乾(いぬい)は北西の方角「戌(いぬ)と亥(い)の間の方角」を表しており、
今の御所から見て北西に有るという事が名前の由来の様です。
同じ様に巽(たつみ)も南東を示すという事です。

わが庵は都の巽しかぞ住む…

という歌も有りましたね。



新町通をちょっと上ルと左手が 霊光殿天満宮
社名は、菅原道真が大宰府に左遷された際、天から一条の光とともに
天一神・帝釈天が降臨したとの伝説によるそうです。

元誓願寺通りを西に行くと狩野永徳の祖父の 狩野元信邸跡 の石碑です。
狩野家は代々この屋敷に住んだそうです。



細い路地を下って、武者小路通りに出ました。通りの名から解るように、
ここには三千家の一つである武者小路千家の 官休庵 があります。
千宗旦の次男宗守が開いた茶室で、宗守は武者小路千家を起こす前は
讃岐高松松平家に茶の指南役として仕えており、「官を休んで庵を開く」
という意味から官休庵と称したそうです(へええ・・・その1) 
 
油小路通りを下り千家十職の一つ茶碗師の樂家と 樂美術館 の前を通り、
前面に裸体のレリーフがある超斬新な 旧京都中央電話局西陣分局舎
過ぎて北へ右折し一条通りに戻ってきました。



角に小野小町雙紙洗水遺跡と彫られた石碑があります。
前の南北の道が 小町通り です。ここには、こういう話が残されてます。

この辺りで平安時代の昔、歌会が催されました。常日頃、小野小町を
快く思っていなかった大友黒主は小町を懲らしめてやろうと
一計を図ります。小町が歌を書いた紙の上に加筆し、歌会の席上で
「この歌は万葉集の盗作である」と小町を糾弾したのでした。

ところが、さすがと言おうか、小町は少しも動揺せずに
“これは黒主が加筆したものだから、未だ墨が完全には
乾ききってはいない筈”と考え、歌が書かれている和紙を、
汲んだ井戸の水にそっと浸したのでした。
結果は想像の通り、黒主が加筆した部分は水に溶け出してしまい、
黒主は大変な恥をかかされたのでした。


伝説ですが、もしこういう話であったならば、黒主の策略は
余りにも幼稚ですし、それを皆の前で暴露した小野小町という
女性は、私にはとても恐ろしい女性に思えてしまいます。

この辺りには、宮本武蔵との決闘で有名な吉岡一門の道場が
有ったとか。昔この付近には松が沢山植わっていたそうで、
つまり“一条下り松”がいつのまにか“一乗寺下り松”と変化し、
詩仙堂の近くの一乗寺が決闘の場所となってしまった
という話があります。(へええ・・・その2) 



小松帯刀(たてわき)寓居参考地は、大河ドラマ「篤姫」で
有名になった小松帯刀が、この地にあった近衛邸の別邸を借りて
住んでいたのではないかと考えられる事から、石碑が今年(2008年7月)
建てられました。幕末の状況って案外解ってない事が多い様です。



さていよいよ 一条戻橋 です。何かただならぬ魔界の雰囲気を感じさせる
名前ですね。名前は、平安時代、文章博士の三善清行(きよつら)の
葬送の列がこの橋にさしかかった時、修業先の紀州熊野から
急遽かけつけた息子の浄蔵が棺に取りすがって

「お父さん、生き返ってください」

と必死に祈った所、俄かに空が暗くなりむっくりと父の清行が生き返った
という伝説に由来するそうです。

それ以来、出征する兵隊さんは、必ず生きて日本に、京都に
戻って来れる様にと、この橋を渡って戦地に赴いたそうです。但し、
結婚で嫁ぐ花嫁さんは決してこの橋を渡ってはいけないそうです。
出戻りになっては困りますからね。
いやよく出来た話ですね。私はすごく面白い話と思いますが。

しかし、今私たちが見る橋は、何とお粗末というか橋らしくない
と言うか。昔は下を流れる堀川も十分な川幅があり、一条戻橋も
その名に違わず立派な橋で有ったかと想像力で補って下さい。



堀川通りを渡ると、 妖怪ストリート までは、一直線です。
大将軍八神社のある大将軍商店街に入りました。ここが近頃話題になっている
妖怪ストリートです。
ここで言う妖怪とは、器物の妖怪である付喪神(つくもがみ)の事です。
商店街の店先にはその店をアピールする様々な姿の妖怪が立っていて
客の目を楽しませてくれます(?)。



そろそろ、平野神社の名月祭が気になってきました。北野天満宮を通って、
平野神社 に着いた頃は、すっかり辺りは暗くなり、舞台では丁度、
日本舞踊が始まる所でした。空には美しい名月がその姿を見せています。

来年の中秋の名月は10月3日の土曜日だそうです。らくたびさん、
来年も又「名月観賞ツアー」の企画をお願いします。

参加の皆さん、お疲れ様でした。
らくたびさんならではの路上散策ツアーでした。


文/らくたび会員 坂田肇様  写真/らくたび会員 鴨田一美様・坂田肇様
  


Posted by らくたび  at 12:37Comments(0)西陣~北野エリア