2010年03月28日

隨心院「はねず踊り」と醍醐の花見



今年度最後の京都散歩スペシャルツアーは、随心院「はねず踊り」と
醍醐の花見です。集合は地下鉄東西線の小野駅改札口に午後1時です。

今回初めてお眼にかかかる方の多さに驚きました。
らくたび散歩にも変革の波が押し寄せているようです。
正にチェンジなのでしょうか。(笑)

山村さんからの事前情報によると、醍醐の桜は絶好の見ごろを迎えている
とのこと、太閤さんの気分が味わえそうで、とても楽しみです。



随心院に向かう途中の道端に大きな 榧の古木 があります。

その昔、小野小町に想いを寄せる深草少将が求愛したところ、
「百夜、通い続けたら晴れて契りを結ぶ」と約束されたそうです。
その日数を榧の実で数えていたのですが、九十九日目で
途切れてしまって想いが果たせなかったという伝説があります。
この目の前の大きな榧の木を見ていると、深草少将の気持ちが
伝わってくるように思います。

榧の古木をあとに、随心院へ向かいます。このあたりは
車道と歩道の区別がなく、かつ自動車の往来の激しいところです。
歩いていると後ろの方から「車が来ま~す、左によってくださ~い」
と大きな声が聞こえてきました。
振り返ると先日「らくたびガイド講座」を修了されたM.Iさんです。
早速の実践に頭が下がります。ありがとうございます。



随心院 では、「はねず踊り」の舞台が屋外にセットされていました。
「はねず」とは、「薄紅色」のことです。
境内の梅園には沢山の梅の木があります。
満開の時期が過ぎていたのですが、梅の花が少し残っていました。
この梅の花の色が「はねず色」といわれる色です。



さあ、 「はねず踊り」 がはじまります。

「出演は地元小学校の4年生から6年生だそうです。
静かで可憐な京都ならではの、古風で優雅な踊りです、お楽しみください」
とのアナウンスがあり、踊りがはじまりました。

この踊りは、長らく途絶えていたのだそうですが、昭和48年、復活を願う
人々の声にこたえて、古老の記憶をたどりながら甦ったのだそうです。

はねず色の衣装をまとった踊り手の身振り手振りに春を感じます。
最後まで踊りを満喫したかったのですが、時間のこともあり
ご本尊にお参りをしました。

本堂でご本尊の如意輪観世音菩薩坐像にお参りしていると大粒の雨が
降ってきました。通り雨でしょうが屋外での踊りは出来なくなり、
急きょ本堂前で演ずることになったようで、
踊り子さんの晴れ姿がお気の毒ですね。


境内には、小野小町の 化粧井戸 があり、小町が朝夕
この水を使っていたのでしょう。さしずめ「美顔の化粧水」
といったところでしょうか。
また、深草少将をはじめとして、当時の貴族から小町に寄せられた
千束の文を埋めたといわれる 文塚 がひっそりと残されていました。


随心院をあとに、住宅街の中を抜けて世界文化遺産の醍醐寺に向かいます。
この桜の観光シーズンの真っ只中だというのに、
このルートには観光客らしき人の姿は見当たりません。



途中、 醍醐天皇陵 を案内していただきました。
醍醐天皇といっても、イメージが浮かばない方は、
菅原道真を大宰府に流した天皇と思っていただければいいですよ
と言う説明に参加者から「お~~」という納得の声が上りました。

この御陵は、醍醐寺が昔から管理をされていることなどから、
醍醐天皇の御陵にまず間違いないでしょうとの説明がありました。



朱雀天皇陵を案内していただいたあと、醍醐寺の塔頭の一つである
理性院 に立ち寄りました。ここは、2007年5月4日の「京都さんぽ」で
上醍醐を訪れた際に立ち寄ったお寺です。

アルバムを開いてそのときの様子を見てみると、
本日説明していただいたように、藤棚の花がとても綺麗だったことと、
赤いよだれかけをまとった沢山のお地蔵さんが印象に残っています。
ここは、醍醐寺の穴場の一つです。

残念ながら、上醍醐の西国第十一番札所・准胝堂は、
2008年8月24日未明の落雷で焼失してしまいました。



醍醐寺 の仁王門の辺りは桜がいっぱいですが、
まだ満開には至っていないようです。

特別史跡・特別名勝の 三宝院 の表書院から見る庭園は、
豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して、自ら基本設計をした庭で、
桃山時代の華やかな雰囲気が感じられます。

庭の中心に位置し、阿弥陀三尊を表しているといわれ、
また歴代の武将に引き継がれていることから「天下の名石」
といわれている「藤戸石」があります。

この華やかな庭園をカメラに収めたかったのですが、
撮影全面禁止と言うことでした。

このほか、奥宸殿にある「醍醐棚」は、修学院離宮の「霞棚」、
桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」といわれています。



続いて寺に伝わる数々の国宝、重要文化財などが収納されている
霊宝館 へ向かいます。「准胝堂」の火災のようなことを考えると、
こうした施設は必要なのでしょうが、やはり本来のお姿で
拝見できるに超したことはないですね。

こちらの敷地の一番奥に立派な桜があると山村さんからお聞きしていたので、
楽しみにして行ってみると、ありました、ありました。
京都で一番大きな、立派な しだれ桜 です。周りにも沢山の桜があります。
この肌寒い気候のお陰か、今年の桜の時期は長く続きそうで、
十分に桜を満喫できる年になりそうです。


地下鉄醍醐駅に向かう途中、また本格的な雨が降ってきました。
桜さん、この雨に負けず、長く咲き続けて楽しませてくださいね。
山村さん、ご参加のみなさん、お疲れ様でした。
ありがとうございました。 
 

文・写真/らくたび会員 鴨田一美様
  


Posted by らくたび  at 13:18Comments(0)山科~醍醐エリア

2010年03月22日

滋賀遠征!!石積みのある門前町・坂本を訪ねて



京都を離れてお隣の滋賀県を散策する、初の「滋賀さんぽ」です。

すぐそこまで比叡山の裾野が広がる城下町 坂本
京都の町中とはまったく異なる風情は、どことなく格式が感じられます。
それはきっと駅から日吉大社に続く穴太積(あのうづみ)という石垣と
白壁が続く町並みのせいでしょう。

穴太積とは、石塀などに独特の技法を使ったな石積みのことで、
加工しない自然のままの石が積まれた石堀は見事で凛とした美しさです。

坂本は、比叡山と深い繋がりのある町で、
現在でもゆかりの寺院が多く建ち並んでいます。
日吉大社に至る参道に並ぶ多くのお寺は、全て比叡山の僧侶が
天台座主の許しを得て住み込む隠居坊である里坊(さとぼう)です。



その中でも、高い格式を誇る 滋賀院門跡 を訪れました。
この滋賀院は延暦寺の本坊で、江戸時代末期まで天台座主の居所でした。
院内はとても広く、狩野派の襖絵や、立派なお輿や、鎧兜を拝見しました。
私的に感動したのは、比叡山延暦寺で今も灯し続けられている
『 不滅の法灯 』 がこちらにもあったこと。
延暦寺西塔の釈迦堂で灯してあった灯籠をひとつ外して
こちらに移してこられたそうです。
その1200年以上も灯っている灯火を間近で拝見できたのは嬉しかったです。



そしてこちらにも 涅槃図 が飾られていました。
お釈迦様の入滅の悲しみを表す涅槃図。
「生きとし生ける物 全ての悲しみ」というだけあって、
こちらの涅 槃会にはなんと魚(鯉?)までもが描かれていました!
そして慈眼大師の御廟である慈眼堂がある境内の墓地には、
桓武天皇・後水尾天皇・徳川家康・紫式部・和泉式部など
多くの供養塔が祀られています。



さあ、次の目的地は、平安京の表鬼門である 日吉大社 です。

ここ日吉大社は、およそ2100年も前に創祀され、全国に3800社もの
系列神社がある総本宮です。

確かに境内はとっても広く、そして古い!
これが歴史の深さの証しなのでしょう。京都好きの私たち(?)にとっては
「 平安京の表鬼門 」 というのに興味あり!
京都御所の猿が辻・幸神社・赤山禅院、そして比叡山から日吉大社と、
厄除の社として平安京を守っています。



そして、もちろんこちらにも神様のお使いである
お猿さんが祀られています。
こちらでは「神猿(まさる)」と呼ばれています。

そして、なんと生きている本物のお猿さんもいます!
自然の山猿もそうですが、なんと檻に入ったお猿さんまでいるのです。
さすがは日吉大社ですね。 

4月には山王祭という勇壮なお祭りが行われます。
境内にある神輿収蔵庫に展示してある御神輿は桃山時代から
江戸時代に作られた豪華なものです。実際に山王祭で担ぎだされます。
お祭りの最後には琵琶湖上の唐崎沖にて御神輿への献納祭が行われる
という湖国ならではの約1300年の歴史があるお祭りです。



 たっぷりと日吉大社の歴史にふれた後は、明智光秀と一族の
菩提寺である 西教寺 を訪れました。

歴史は古く聖徳太子の創建と伝えられています。
荒廃していた頃もありましたが、慈恵大師良源上人が復興し、
念仏の道場としました。現在も不断念仏の道場とされており、
私たちが僧侶の方のお話を伺っている間もずっと心地よい静かな
鉦の音が堂内に響き渡っていました。
本堂は総欅造りで、京都のお寺には見られないずっしりとした
重みのある趣が見られました。ご本尊は定朝様式・丈六の
阿弥陀如来座像(平安時代作)でとても立派です。



客殿庭園は小堀遠州作の美しいお庭です。
歴史はもちろんのこと、拝見するものは皆素晴らしかったです。



最後に明智光秀と西教寺のお話を山村先生からたっぷりと伺いました。

織田信長の比叡山焼き討ちの際に西教寺も焼失しました。
そのとき坂本城の城主となった光秀は、西教寺の檀家になり、
復興に力を注ぎました。今の西教寺があるのも光秀の力があったからこそです。

信長を討ち、歴史ではあまり良い印象を持たない方も多いと思いますが、
光秀にとって生涯のパートナーは内室の煕子(ひろこ)様
ただ一人だったとか。ほかの女性には目もくれず
生涯ただ一人の女性を愛し続けた光秀。今もその奥様とともに
この西教寺に祀られています。とっても女性目線なお話ですが、
山村先生のお話の中で最も心をうたれました(苦笑)

城下町・坂本をたっぷりと散策しました。
京都とはまた違った深い歴史のある町です。でもどこかで必ず
京都と繋がる歴史があります。歴史って奥深いですが、
知れば知る程おもしろいですね!

滋賀院門跡・日吉大社・西教寺と、いずれも通年一般参拝可能です。
今回参加されなかった方も、ぜひ一度訪れてみてください。
きっと新しい発見があります。
そして京都との繋がりを見いだした時には感動があります。

今回参加されたみなさま、少々いつもよりよく歩きましたが、
大満足の散策でしたね。お疲れさまでした!

山村先生、次回の「滋賀さんぽ」を楽しみにしています!


文/らくたび会員 奥村成美様  写真/らくたび会員 鴨田一美様・坂田肇様

  
タグ :滋賀坂本


Posted by らくたび  at 18:07Comments(2)滋賀エリア