2012年02月12日
2012年2月12日 普茶料理と萬福寺

2012年2月12日(日)の京都さんぽは、黄檗宗大本山・萬福寺参拝と
普茶料理をいただく企画です。
ご案内は、らくたび代表 若村 亮
集合はJR黄檗駅。参加者は38名様。
12時に皆さまおそろいいただき、(ご協力ありがとうございます

【 普茶料理 白雲菴 (ふちゃりょうり はくうんあん) 】
普茶料理は萬福寺を創建した隠元(いんげん)禅師によって中国から
伝えられた精進料理。「普」とは「あまねく」の意味があり、招いた人(主人)と
招かれた人(客人)、分け隔てなく、一緒に楽しく食卓を囲むお料理です。
「精進料理」ですから、動物性の食材は使わずヘルシーに調理されており、
また、一般的な中華料理と同じく、大皿に色鮮やかに盛り付けられたお料理を
取り分けていただきます。
では、さっそくいただきましょう!
「きれいやね~」
「これ、何の野菜かわかる?」
「これ、食べた??」
始めてテーブルを囲んだ方とも、自然に会話が弾みます。これぞ、普茶料理!
わいわい、賑やかなひと時となりました。
食事後は、若村による≪ 禅宗ミニ講座 ≫を開講。
臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、の日本三禅宗の歴史や特徴などを学びました。
お腹いっぱい、しっかり勉強(?)した後は・・・いよいよ、萬福寺へ。
【 萬福寺 】
江戸初期、中国からやって来られた禅僧・隠元禅師が徳川将軍家から
土地を与えられ創建された黄檗宗・大本山の萬福寺。
仏像、建築、習慣・・・すべてを中国の様式にあわせて造られたため、
日本の寺院とは異なる中国風の雰囲気に満ちています。
若村 : 「萬福寺に初めて来たという方??」
参加者さま : 「はーい」
大勢の方が初めてのご参拝のようです。
山門には隠元禅師の書かれた「黄檗山」「萬福寺」の額が掲げられています。
では、ご本尊にお参りを・・・
萬福寺の本尊は弥勒菩薩。ただ、姿がちょっと変わっていて、布袋さんの
姿をしておられます。中国では「布袋さんは弥勒菩薩の化身」と考えられて
いるそう。笑顔がとってもステキですね。
萬福寺には「仏像ファン」の間では超人気の仏さまもいらっしゃります。
それが、こちら「韋駄天 (いだてん)」
ハンサムですね~。しかも足が速いらしく、釈迦さまの遺骨が盗まれた時、
自慢の足で追いかけたとか。それが「韋駄天走り」の語源になってます。
へぇぇぇ~。それにしても、男前さん

こちらの大きな魚は、食事や儀式の時間を知らせるためのもの。
木魚の原型となりました。大きい!
「いつも見ている京都のお寺と全然違うね~」
中国風情溢れる萬福寺をたっ~ぷりご覧いただきました。
次に向かったのは・・・【 宝蔵院 】
こちらでご覧いただくのは、我が国の活字文化の原点となる明朝体の
版木「鉄眼版一切経」
かつて経典は手書きで書き写されていましたが、時代の流れのなかで、
次第に誤字脱字が発生し、経典の正しい意味が伝わらなくなったため
鉄眼禅師が版木にされたもの。これにより、正しい教えを伝えることができる
ようになりました。すごい功績ですよね~。
版木の数は・・・なんと6万枚!!建物いっぱいに並んでいます。
これらの版木は国の重要文化財に指定されていますが、今でも使用されて
いる現役の文化財。職人さんの作業風景も見学させていただきました。
彫刻された版木の美しさ、数、そして職人さんの作業風景・・・
初めてご覧になる方が多く、「いいもの見せてもらったわぁ~」と大変
楽しんでいただけたよう。
その後、JR・京阪の黄檗駅まで戻り、この日の京都さんぽは終了と
なりました。
「普茶料理を前から食べてみたかったからよかった」
「宇治は平等院、三室戸寺は行ったことがあったけど、萬福寺は初めて
行けたのでよかった!」
「版木が素晴らしかった」・・・など、それぞれにお楽しみいただけた様子。
よかったです。
ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。
また、京都さんぽでお会いできる日を楽しみにしています!
ご案内/らくたび 若村
受付・添乗・文・写真/らくたび 森
2012年02月10日
2月5日(日) 平家ゆかりの地を訪ねて & 長講堂と平等寺

2月だというのに小春日和のような絶好の散策日和となりました

鴨川も清々しく美しいですね〜。

京阪電車・清水五条駅で集合し、まずは五条大橋へ。
平安京の時代、五条通りは現在の松原通りにあたり、
豊臣秀吉が方広寺大仏殿創建の際、通りの名称を変更し、
天正17年( 1589 )に ここに橋を架けたそうです。
その五条橋、正保2年( 1645 )に石橋に架け替えられ、
その時の擬宝珠( ぎぼし )が現存しています!
西の方角から二つ目の擬宝珠です、よく見ると「 正保二年 」の文字が


「 京の五条の橋の上・・・♪ 」 と口ずさむことも度々

牛若丸と弁慶が出会った橋としても有名で、その五条大橋の西詰めの
公園に御所人形のようにふくよかで愛らしい石像があります。

河原町五条の交差点を南下し、
源氏物語の光源氏のモデルとされる源融ゆかりの地・河原院跡を経て、
市比賣神社に到着。

女人守護のご利益で厚く信仰されている
市比賣神社( いちひめじんじゃ )は、桓武天皇が平安京の市場に
創建されたという由緒あるお社です。
現在は『 女人の神様 』ということで女性の参拝者が絶え間なく
お越しになります。
こちらは平安時代の歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残る
天之真名井( あめのまない )。
絵馬を掛け、天之真名井のご神水を飲んで手を合わせると、
心よりの願い事が一つだけ叶うと伝えられています。
写真の赤いモノは「 姫みくじ 」、ぎっしりと納められていますね♪

『 京の冬の旅 』( 〜3/18 )で特別公開されている長講堂へ。

源平争乱の平安末期の権力者・後白河法皇の邸宅・元六條御所に営んだ
持仏堂をはじめ、法皇の持念仏であり臨終仏( しんじゅうぶつ )であった
阿弥陀三尊像や、通常一年に一度・法皇忌のみ開帳される後白河法皇像が
特別公開されいます。
平家の栄華を象徴する東山七条の後白河上皇の御殿・法住寺殿。
源平争乱期、木曾義仲の軍勢によって襲われ( 法住寺合戦 )、
上皇は命からがら逃げ延び、以後上皇は長講堂に移り生涯を終えた。

私自身このエピソードをらくたび京都講座で学んでから、
一度は拝観したいと思っていたお寺のひとつでした。
法皇が自身にゆかりある人々を弔うために書かれた『 過去現在牒 』は
とっても貴重な宝物で必見です!
駒止地蔵 ( こまどめじぞう ) と呼ばれる平 清盛にまつわる伝承が残る
蓮光寺を経て、京の世継地蔵・上徳寺へ。
※駒止地蔵の伝承。
平清盛が駒( 馬 )で六条河原にさしかかった時、急にその場から
動かなくなり、その地を掘ってみると地中から地蔵が出てきた
ことから駒止地蔵( こまどめじぞう ) と呼ばれるようになったと
伝えられています。
ここ上徳寺は慶長8年( 1603年 )に徳川家康が建立されました。
お寺の歴史はもちろん立派ですが、こちらは『 京の世継地蔵さん 』
として慣れ親しまれています。
上徳寺・地蔵堂

江戸時代の初め、子供を亡くし悲しむご夫婦が、世継ぎ誕生を願って
御堂に籠もり祈願したところ、その夢枕に地蔵が現れ
「 我を石に刻み祈念せよ 」というお告げ受け、このお地蔵さんを刻み
厚く祈念した。そうすると見事に世継ぎに恵まれた!、
ということから世継地蔵として世に知られる様になりました。
堺町通りを北上し、おどろおどろしい伝承が残る・鉄輪井戸( かなわのい )から、
夕顔の碑へ。
源氏物語・第4帖の舞台となったのがこの辺り。

「心あてに それかとぞみる白露の 光そへたる 夕顔の花」
と、扇にこの詩をしたためるたことから物語は始まります。
山村先生は石碑を前に、この詩の意を唱え、それにまつわる伝承を
わかりやすく解説してくださり、参加者皆さんはとっても喜んで
おられました。
そして真宗佛光寺派・本山 佛光寺 です。

春になると枝垂れ桜が美しく、この辺りの憩いの場となります


旧五条通( 現在の松原通 )を少し上がったところ鎮座するお社は、
花咲稲荷社( はなさきいなりしゃ )。江戸時代初期の俳人・歌人である
松永貞徳の屋敷内に祀られていた稲荷神が現存しています。

サクラの花を好んだ松永貞徳が邸宅を花咲亭と称したことから、
花咲稲荷社と呼ばれ今も地域の人々の信仰厚く守られているそうです。
本日もうひとつの『 京の冬の旅 』で特別公開されている
平等寺にやってきました。

平安時代よりこの地にあり高倉天皇が命名した平等寺は「 因幡薬師 」
と呼ばれ、庶民の信仰に支えられてきました。
創建当初より祀られている” 防災ずきん ” をかぶったご本尊薬師如来は
「 日本三如来 」のひとつでもありめずらしい仏様です。

高倉天皇に愛され、平清盛の娘の恋のライバルでもあった
小督ゆかりの寺宝が公開されており、参加者の皆様は興味深く
拝見しておられました。
そして最後に訪れたのは、
新玉津嶋神社( にいたまつしまじんじゃ )です。
創建は鎌倉時代の初期に、藤原定家の父である藤原俊成が、和歌山の
玉津嶋神社の神様を勧請し自宅に祀ったのが由来だそうです。
ということからこの辺りに藤原俊成の大きなお屋敷がありました。

あの松尾芭蕉さんもこの新玉津嶋神社を訪れて、北村季吟の弟子に
なったんだそうです。知らずに通ると見過ごしそうになるお社ですが、
一流の文化人が暮らした松原通り界隈の隠れた史跡です。
今回の散策は、駒止地蔵さん、世継地蔵さん、そして因幡薬師さん、
そして花咲稲荷社に新玉津嶋神社。
どこも観光地京都にありながらも派手さはなく、京の洛中に浸透した
史跡ばかりを訪れました。
京都のご案内に精通した” らくたび ”らしい散策でした。
参加者30名、皆様に満足していただけたと思います。
参加者の皆様、ありがとうございました!
そしてご案内の山村先生、お疲れさまでした!
この洛中の路地裏めぐりとほぼ同じ内容の散策を
こちら「 らくたびガイドと歩く京都めぐり♪ 」でご案内しています。
今回参加出来なかったあなた、ぜひご参加くださいね

ご案内 : らくたび代表 山村 純也
写真 : らくたび会員 新田 久美子様
文 : らくたびレポーター 奥村
2012年02月09日
2月3日(金) 節分祭で招福除災

2月3日(金) 節分まつりをめぐる京都さんぽが開催されました。
ご案内は私、らくたび 森 です。
「京都の年中行事のなかで好きな行事は?」と聞かれたら「節分!」と
答える節分好き

この日の散策は、訪問社寺の節分スケジュールに合わせて、
12時30分に百万遍の交差点を出発しました。
京大キャンパスを横切りながら、吉田神社に向かっていると
参加者のMさまが「京大の中を歩いたのは初めてです」と。
そうですね、なかなかキャンパス内を歩く機会ありませんよね~。
さて、京大キャンパスを抜けると、吉田神社の参道が目の前ですが、
辺り一帯はたくさんの出店で大賑わい!
【 吉田神社 本殿 】
吉田神社の節分祭は、室町時代からの伝統を誇る京洛の一大行事。
毎年、2月2日~4日の3日間で約50万人もの参拝者が訪れるそう。
また参道・境内に所狭しと並ぶ800店もの出店も人気です。
境内には参拝者の方が持ち寄った古いお札が積み上げられ、3日の
午後11時~焚き上げの神事が行われます。そして、この炎の煙が
天に届く時…待ち焦がれていた春(立春)が訪れるというわけ。
また、もうひとつ、この神社の名物となっているのが…
≪抽選券付き福豆≫ 豪華景品がズラリと並びます!
1等はなんと、、、トヨタのヴィッツ

皆さん、当たるといいですね~(笑)
この日の境内はホント賑やか!お祭りムード満点です!
【 山蔭神社 】
吉田神社を創建した藤原山蔭をお祀るお社です。
実はこの藤原山蔭さん、日本で最初に食材に味付けをした方ということで
「料理の祖」として料理関係者から信仰されています。
ここで私たちも、「お料理の腕の上達」と「これからもおいしいお料理がたくさん
食べられますように!」と祈願をしました(笑)
【 大元宮 】
吉田神社が室町時代の戦乱で荒廃したあと、復興に尽力した吉田兼倶が
当時の日本中の神さまを一同に集めたところで、その数、3132柱!
(※神さまは「柱:はしら」と数えます)
ここにお参りをすれば、日本全国の神社に参拝したのと同じご利益が
あるのです。
厄塚で厄を落とし、3132の神さまからご利益をたっぷりいただきました。
「私は河内国やわ」、「息子の住んでいる所の神さまにお参りしとくわ」、
「私は、母と兄と娘と…」 皆さん、お忙しくお参りされました。
吉田神社を後にした一行は、宗忠神社でこぶ茶のご接待を受け、ホッと一服。
さらに歩みを進め、続いての節分スポットに到着。
【 須賀神社 】
こちらは「懸想文(けそうぶみ)」の授与で人気急上昇中の神社です。
懸想文は今でいうラブレター

入れておくと… 着物が増え、美人になり、良縁に恵まれる!と京の女性たちが
買い求めたもの。また、この懸想文を売っておられる方の姿がちょっと珍しい。
昔は庶民は文字が書けなかったため、あまり裕福ではないお公家さんが
アルバイトとしてラブレターの代筆をしていました。ただ、お公家さんは
アルバイトをしていることがバレてしまっては困る…ということで、変装を
しておられたというわけ。
皆さんには懸想文を、人知れず、ひっそりとお求めいただきました(笑)
また、境内では、節分限定のお菓子も販売されていました。
さて、須賀神社で良縁祈願をしたあとは…最後の節分スポットへ。
【 平安神宮 】
15時から境内で繰り広げられる「鬼の舞い」と「福豆まき」を見学しました。
神社の境内に鬼が侵入してきて…
我が物顔に暴れまわります。
しかし、豆をまかれて退散!
鬼を演じておられるのは、狂言の茂山社中の方なので、躍動感たっぷり。
まるで舞台を観ているよう!
そして、鬼が無事に退散したあとは、「鬼は外~」「福は内~」の元気な
掛け声とともに福豆まき♪
平安神宮の豆まきは、境内も広く、数も多いので、皆さんゲットできました。
(なかには「7個もらった」という方も!)

ここでこの日の京都さんぽは終了となりました。
少々寒さは感じたものの、ワイワイとおしゃべりの花が咲き、終始和やかな
散策となりました。
節分が終わるといよいよ新しい年の到来です。
この一年が皆さまにとって福多き年となりますように…
ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。
案内・文・写真/らくたび 森 明子
受付・添乗/らくたびガイド 冨田 啓子
写真/らくたび会員 五島 千恵様
※ご協力ありがとうございました