2013年04月10日

4/9 桜ミステリーさんぽ 

ただ今、実施中の【 とっておきの桜さんぽ 】( こちらも後半突入!
本日は「 桜ミステリーさんぽ 」に行って来ました。

今年は予想をはるかに上回る早さで桜が開花し、桜も絶望か・・・face07
と心配したのですが、まだまだ楽しめましたよ~♪

集合は京阪・東福寺駅。ここから桜ミステリーさんぽへLet's go !
【 東福寺 臥雲橋 】

「 桜さんぽ 」ですが、新緑がきれいなので、いきなり寄り道!
鮮やかな緑に思わず歓声が上がるほどの美しさ!
こちらでは「 東福寺に桜の木が少ないワケ 」をご紹介。

【 ひみつの桜 】


よかった~!花が咲いている!安心しましたface02
よく見ると、まだつぼみもあります。近くに大きな樹木が多いので
この辺りは少し気温が低いのかもしれません。
私がこの桜の木に出会ったのは1月中旬のこと。
偶然見つけて一目ぼれした木です。「 皆さんにも見ていただきたい!」って
思っていたので、ホントよかったです。

【 しだれ桜も満開 】

こちらも心配していましたが、がんばって残ってくれていました。
ヒラヒラと風に花びらが舞う風景が映画のワンシーンを見ているよう。

【 京都タワーを借景に・・・ 】

散策中 「 桜 × 新緑 × 京都タワー 」のコラボレーションで写真が
撮れる場所を参加者の皆さんと発見!

【 めずらしい花や木もありました 】

1本の桃の木から白、ピンク、赤の花が咲いています。
まさに「 おどろき、桃の木 」 face08

1本の枝だけ花が残っている不思議な桜の木。
日当り?風の関係?参加者の皆さんと「 おもしろいね~ 」と。

新緑が眩しい境内で、見事に紅葉している木が!
こちらは新芽が赤く、日が経つごとに、黄色、緑と変化する種類です。

こんな感じで、和気あいあいとおしゃべりしつつ、無事、ゴール!
とっても楽しい散策となりました。

正直なところ、予定していた桜はすでに落花し、花をご覧いただけなかった
ところもありました。予定より早い、いや、早過ぎる桜の開花を恨めしく
思ったりしました。でも、その代わりに出会えた花も、たくさんあったのだと
思います。人も自然も、一期一会なんですね。

解散場所の東山七条からは各自で帰るはずだったのですが、
「 お別れするのがお名残り惜しいな~ 」ということで、結局、皆さんで
さらに歩き、京都駅でお別れとなりました。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。
来年、「 あのすごい桜 」のリベンジツアーをしたいですね!

                                らくたび 森 ICON144  


Posted by らくたび  at 00:54Comments(0)七条エリア

2013年01月20日

1月13日(日)三十三間堂 柳のお加持と通し矢 馬町界隈巡り

1月13日のらくたび京都さんぽは、
三十三間堂にて頭痛に効くとされる柳のお加持
新春の風物詩・通し矢を見学し、豊臣秀吉のゆかりのスポットも巡りながら
戦争の歴史が残る馬町界隈を散策しました。


集合は川端七条。三十三間堂の通し矢は午前中から行われていて、
競技を終えた学生さんたちとすれ違いました。


この日は、三十三間堂無料開放されて、柳のお加持も行われています。
境内は多くの人で賑わっていました。


柳のお加持は、頭痛持ちだった後白河上皇にちなみ、
7日間祈祷された法水を、柳の木で参拝者の頭にかけて頂けます。
実際、柳の木には鎮痛作用もあるそうですよ。


お堂の外では通し矢も行われています。
江戸時代の紀州藩と尾張藩のメンツをかけた
競い合いの話も面白いですね。(写真は昨年の通し矢です)


通し矢では、20歳の新成人およそ2000人が矢を射て、
午後は午前の予選を通過した方の決勝戦が行われています。
多くの方が見に来られるため、写真を撮るのは大変ですが、
雰囲気を感じることはできました。


三十三間堂に続いて法住寺へ。
新春恒例の大根焚きも行われ、
後白河法皇の座像なども公開されていました。


三十三間堂の南側には、豊臣秀吉が建てた太閤塀が残されています。
大仏のあった方広寺の境内は、実はここまでありました。


同じく秀吉ゆかりの智積院の境内へ。
秀吉が亡くした鶴松を弔うために建てた祥雲禅寺が前身です。


参拝をして、境内奥へと抜けて行きました。


京都女子大学の建物の間を通って渋谷街道を少し上り、
小松谷の正林寺へ。平清盛の嫡男・重盛の邸宅が
この辺りにあったといわれています。


本堂前は、保育園の運動場と一体化していますが、
この日は参拝させていただけました!


正林寺を後にして、馬町界隈へ。
戦時中には、まさにこの辺りに爆撃がありました。
かなりの被害は出ていましたが、情報統制が行われて
あまり大きな騒ぎにはならなかったそうです。


東大路を越えて、京都らしい細い路地も抜けて行きます。


こちらは住宅街の中ですが、実は方広寺の北の端
道の端を覗きこむと、土台の大きな石垣が残っていますよ。


そして方広寺の大仏殿跡の公園へ。
何度も作りなおされた大仏も、今は京都から姿を消しています。


ただ、豊臣家滅亡のきっかけとなった大きな鐘は残っています。
「国家安康」「君臣豊楽」の鐘銘は有名ですね。
ちなみに重さは約83トンで、知恩院よりも重い鐘です。


方広寺のとなりには豊国神社
伏見城の遺構と伝わる唐門が見事です。


豊国神社の前は正面通。耳塚が残ります。
周りの玉垣は歌舞伎役者さんが奉納されたそうです。



さて、今回は京阪七条駅で解散となりました。
三十三間堂界隈は、京都らしい見どころや歴史が
たっぷりと詰まっていて、歩きがいのある地域。

通し矢柳のお加持の賑わいから、
人知れず残る秀吉時代の痕跡まで、密度の濃い散策だったと思います。
今回も多くの方にご参加いただき、ありがとうございました。


                                  ご案内 / らくたび代表・山村 純也
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
  


Posted by らくたび  at 18:34Comments(0)七条エリア

2011年09月26日

9月17日(土)文化の秋に美の国宝探訪へ 仏像・建築・絵画

9月17日(土)
「 文化の秋に美の国宝探訪へ 」 が開催されました。

●智積院・大書院内 長谷川等伯・久蔵筆「 国宝 楓図・桜図 」(複製)


文化の秋!
この日はたっぷりと 仏像・建築・絵画 と、京都を代表する国宝をめぐりました。

京阪七条駅から出発〜。
川端通りを北へむかい、正面通りを東へ進みます。

このあたりは豊臣秀吉ゆかりのスポットでもあり、この正面通りも秀吉が建てた方広寺・大仏殿の正面にあたることから名付けられた古くから残る通りです。

こちらは、豊臣秀吉の数少ない史跡のひとつ「 耳塚 」
朝鮮出兵で多くの方が犠牲になった負の遺産ですが、現在では文化財に指定されています。
みなさん、若村先生の深い歴史のお話を熱心に聞いておられました。


そして本日最初の『 国宝・豊国神社の唐門 』です。


天下人・豊臣秀吉を祀るこの神社の唐門は、伏見城の遺構。
現在は西本願寺、大徳寺の唐門とともに『 国宝三唐門 』の一つとされています。


天皇家・菊の御紋と豊臣家・桐紋が配されるきらびやかさ、左甚五郎作と伝わる彫刻がとても豪華で国宝にふさわしい堂々たる構えに、一同感動〜。


続いて、方広寺へ。
かつて秀吉が建てた大仏殿がありましたが、現在は諸堂と梵鐘を残すのみ。
今回は鐘楼に入り豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘をじっくりと見学しました。

その後、秀吉の史跡・方広寺の巨大な石垣を横に見ながら三十三間堂へと進みます。

三十三間堂では
『 御中尊・千手観音坐像 』『 風神・雷神と二十八部衆 』と圧巻の仏像群!
そして120メートルもある世界一長〜い木造建築の 『 本堂 』
と多くの『 国宝 』を堪能しました!

こちらは三十三間堂の東にある法住寺
来年の大河ドラマにも登場する・後白河法皇ゆかりのお寺です。
早くもドラマの予習かな〜(笑)


最後に訪れた智積院では、安土桃山時代の絢爛豪華を伝える長谷川等伯・久蔵筆『 国宝・楓図・桜図 』に魅了されました。
収蔵庫にセッティングされている録音テープも良かったですが、それを補足する若村先生の解説が絶妙でしたよICON59

そしてこの頃には雨がシトシト。
「利休好みの庭」と伝えられる庭園に雨が落ち、しっとりとした風情を演出してくれました。


縁側で座する方、書院の奥で座する方、それぞれ庭園が美しく見えるお好みのポイントで、若村先生の説明を聞きながらゆっくりとお庭を鑑賞しました。


この界隈は らくたび で様々なテーマでツアーが開催されますが、何度訪れても新しい発見があり、奥深い魅力があります。
もちろん初めてお越しになった方は感動の嵐だったことでしょう♪

多くの『 国宝 』に触れて、
喜びいっぱい、感動いっぱい、文化の秋にふさわしい一日になりました。

ご参加いただいたみなさん、
お疲れさまでした & ありがとうございました!

                          文・写真/らくたび会員 奥村なるみ


〜次回の京都さんぽのお知らせ〜

10/9(日)15時30分スタート
   「御室仁和寺と幻想の世界へ誘う梵燈の東林院へ」

夏の夜さんぽとは、また違った風情のある夕暮れ時の京都さんぽになること間違いなし!
格式ある門跡寺院・仁和寺では、国宝・阿弥陀三尊像などを鑑賞し、
梵燈や古瓦にろうそくが灯り、幻想の世界となる妙心寺塔頭・東林院を訪れます。

ご案内はらくたび講師の若村です。

くわしくは こちら をどうぞ。

また、こちらも好評実施中!
〜らくたびガイドと歩く京都めぐり〜

おかげさまで大好評!!
★10月〜11月 毎週日曜日 午前10:00 京都駅スタート
  親鸞聖人750回大遠忌に賑わう 東本願寺と西本願寺 

前回大好評だった『 路地裏散策 』の第2弾!
★10月〜12月 毎週日曜  午後13:30 地下鉄今出川駅スタート
  必勝・開運・旅行安全・・・を願って!西陣路地裏散策

お手数ですが詳細はお電話にてお問い合わせください。
電話番号:075-257-7321(9:00~18:00)

ご参加をお待ちしております!

  


Posted by らくたび  at 22:00Comments(0)七条エリア

2008年01月13日

新春の風物詩 通し矢と柳のお加持



時折みぞれが散らつき、今年一番の寒さかなと思える中、
京阪七条駅前からスタートしました。
今日のポイントは新春の風物詩、三十三間堂の
「柳のお加持」「通し矢」の見学を中心に、
東山七条近辺に点在する豊臣秀吉ゆかりのスポットを巡ります。
最後に穴場の庭園の見学もあり、盛り沢山のコースです。
まずは川端通を少し上がって正面通りを右折し、東に進みます。



京都の通りの名前って、本当に色々おもしろいですね。
「天使突抜通り」や「不明門(あけず)通り」など、
なかなか意味の解らない、しかし歴史の重みを持った通り名が多々ありますが、
この「正面通り」も初めて聞いた時は“え?何の正面なの?”と必ず自問して、
でも答えが解らないと言う類の通り名でしょうか。

この通りをまっすぐ東に行くと、かつて豊臣秀吉が建てた方広寺があり、
そこには奈良の大仏をしのぐ大きさの大仏がありました。
その前の通りなので「正面通り」なのですと、
聞けば誠に解りやすい名前の付け方なのですが、
大仏も方広寺も無い現代の私達にとっては、
パズルみたいな通りの名前です。



5分くらい歩くと正面通りは終りです。眼の前は明治になってから
この地に再建された豊臣秀吉を祀る 豊国神社 です。
創建時の建物は、徳川家康によって破壊されました。
伏見城からの移築の国宝の唐門はさすがに立派で、
桃山時代の匂いが濃厚に感じられます。



豊国神社にお参りしてから、北側にある豊臣氏滅亡のきっかけとなった
「国家安康 君臣豊楽」の銘が入った 方広寺 の鐘を見学しました。
観光客に文字を見え易く、という事でしょうか。
この文字の箇所だけが無造作に白くチョークか何かで塗られているのが、
歴史を変えた重要な鐘なのに、案外と雑に扱われている様で、
少々驚きです。
この辺り一帯の広大な地が方広寺の敷地だったそうですが、
今では巨大な石垣と、巨大な鐘だけが本当に寂しく残っているだけです。
鐘楼から少し東に行った所に、大仏殿跡地がありました。
発掘調査の結果、ここに奈良の東大寺大仏殿を上回る
巨大な建物が有った事が確認されたそうです。
ここなら民家もビルも建ってませんので、
大仏殿が再建されたら嬉しいのですが、お金の面で無理でしょうね。



南に下って本日のハイライトの 三十三間堂 に着きました。
「柳のお加持」と「通し矢」で大勢の人が来ていますし、
露店も出て大層賑やかです。

「柳のお加持」は三十三間堂を建立した後白河法皇の頭痛平癒に由来する行事で、
私は初めての経験です。
これだけ多くの人にどういう風にして「お加持」を施すのかが興味ありましたが、
答えは簡単でした。
本尊の千手観音坐像の前で縁側に出て、合掌しながら前へ進むと、
お堂の前に立っておられたお坊さんが、参詣者の頭に、
加持祈祷した浄水を柳の枝でぱっと振りかけて終わりです。
ベルトコンベア方式(?)ですね。

しかし、いつもこの多数の仏像の迫力には圧倒されます。
1000体の千手観音像を作るというのは、正にビッグプロジェクトです。
現代では彫刻や絵画というと、個人で作品を作り上げるという世界
という風に思えますが、このプロジェクトX「三十三間堂の1000体仏像製作」は、
強力なリーダーと彼に従う大勢の仏師の力から生まれた訳です。
過去の日本の芸術家には、芸術家としての技量だけでなく、
強いリーダーシップを発揮できる能力も重要な要素だったのだ
とも考えたりもしました。



「通し矢」は、60m先の直径1mの的を競射するもので、
振袖に袴姿の新成人も参加し、華やかさが漂っていました。
江戸時代には、お堂の長さ一杯の120mの距離を
一昼夜に何本通すかを競う競技が人気で、
最高記録は紀州藩の和佐大八郎がうちたてた8,133本だそうです。
昔の人の体力、精神力に脱帽です。



三十三間堂の東を南に下ると、三十三間堂の南大門と太閤塀です。
南大門は方広寺の南門でした。という事は、ここより北は
全部方広寺の敷地内だった訳で、方広寺の大きさが想像されます。

東大路通りを渡ると智積院です。
国宝の障壁画で有名ですが、ここも秀吉と家康ゆかりの寺です。
ここには秀吉が長子「鶴松」の供養の為に建てた祥雲禅寺がありました。
秀吉の死後、家康は、秀吉から滅ぼされた紀州根来寺智積院の
僧玄宥に智積院再興の為この地を与えたのでした。
家康の秀吉に対する強烈な感情を感じた私でした。
智積院の北側にある妙法院の国宝の庫裏を外から見学し、
最後のスポットに向かいます。



さて、期待の穴場の庭園は、驚いた事に妙法院の北側にある
武田病院の中にありました。
積翠園 という名の、大きな池がある立派な庭です。
ここは、あの平清盛の長男であった平重盛の住居跡と言われています。
平家の遺構は殆ど何も残っていない京都市内ですが、
池が残っていたのですね。春になると、病院の患者さんたちは、
この池の周りを散策されるそうです。
800年ほど前の庭園と、現代が共存している素敵な場所でした。



この後、妙法院前で今日のツアーは解散となりましたが、実はこの後、
有志諸氏と妙法院の横の坂道を豊臣秀吉の眠る 豊国廟 まで登って来ました。
500段あまりの長い階段を上った頂上に、その豊国廟はありました。
私にとっては、この長い長い階段を登ったという達成感が、
今回のツアーのひとつの思い出となって残っていくと思われます。


文/らくたび会員 坂田様

  


Posted by らくたび  at 15:18Comments(0)七条エリア