2009年04月25日

長岡天神つつじ祭と細川ガラシャを訪ねて西国街道を歩く



今日4月25日は「長岡天神つつじ祭と細川ガラシャを訪ねて西国街道を歩く」
と称して、京都市街地を離れた、京都の西南にある長岡の地の散策です。

3月中旬の早咲きの桜から始まり、ひと月にわたった
京都の桜のシーズンもようやく終わり、新緑の季節になりました。
天気も好天がずっと続き、今日も爽やかな散策日和になるかと思いきや、
どういう訳か雨となってしまいました。

が、雨にも負けず、阪急長岡天神駅から、先ずは
長岡天満宮に向かってスタートです。



西へ10分ほどで、 長岡天満宮 に到着です。
道路に面した階段を登ると、目の前に、大きな八条ヶ池が広がり、
池の周囲と池の中央を向こうに渡る中堤の周囲に、
真っ赤な、本当に真っ赤な キリシマツツジ が満開でした。

京都の寺院のお庭のツツジのイメージと言うと、周りとの調和の美しさ
という感じですが、ここのツツジは「これでもか」と
自己主張をしています。
特に、中堤の両側に、道を挟む様に繋がっているツツジは、
人の身の丈以上の大きさがあり、樹齢130-150年あまりの見事なものです。

池の名前は、江戸時代初期、桂離宮を造営した八条宮智仁親王が
灌漑用に作った溜池という事に由来します。
皆さん、ひとしきりツツジの写真を撮った所で、中堤を通り、
天満宮本殿に向かいました。



天満宮ですので、祭神は菅原道真公です。大宰府に左遷される折、
「我が魂、長くこの地に留まるべし」と都との別れを惜しんだと言われ、
別名「見返り天神」とも呼ばれてます。
道真の没後、家臣たちが聖廟を建てた事に始まるそうです。
しかし本当に菅原道真にまつわるエピソードは多いですね。
平成19年には、境内に紅葉庭園「錦景苑」が完成し、
この新緑の時期もなかなか綺麗でした。
秋は、もっと素敵だと思いますね。



先ほど来た道を戻り、阪急線を越えて、JR長岡京駅の手前まで
やって来ました。一面に「長岡京」、もう一面に「西国街道」と彫られた
道標が有りました。
そうです。今私たちが歩いているこの地は、平安京遷都の直前の
わずか10年間ですが、都が置かれた 長岡京 の跡地です。
ここから、南へ西国街道が延びています。

西国街道は、京都の東寺に始まり、下関までの山陽道です。
西国街道の道沿いは、なかなか情緒有る町並みに整備されていました。



勝竜寺城公園 に到着です。ここは戦国時代、細川藤孝(幽斎)の子の
細川忠興に明智光秀の娘の玉(後の細川ガラシャ)が輿入れをし、
3年間の新婚時代を過ごした場所だそうです。

又、この城は父光秀が秀吉と天下分け目の合戦「天王山の戦い」の際に、
明智軍の拠点の城でもありました。
織田信長の薦めによるこの結婚は、美男美女のだれもが
羨むカップルの誕生で、公園内には幸せな時代の忠興とガラシャの像が
立っています。

が、結婚して4年後の天正10(1582)年、本能寺の変が彼女の運命を変えます。
父の親友細川藤孝は父明智光秀に味方せず、父光秀は豊臣秀吉に敗れて死に、
明智家の家族も全員死亡しました。
そして関が原の前哨戦、西軍の石田三成は大阪の細川屋敷に居るガラシャを
人質として捕らえようと屋敷を包囲しますが、ガラシャは部下に胸を衝かせ
38歳の短い一生を終えます。

ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
ガラシャ辞世


逆臣の娘として世間の冷たい視線を浴び、夫細川忠興の
異常とも思える嫉妬心に苦しみ、最後はキリスト教に救いを求めた
ガラシャの辞世のこの歌は、か弱く愛らしい細川玉では無く、
何か開き直った強い意志の細川ガラシャを連想させる気がいたします。



長岡京市では、勝竜寺城跡を綺麗な公園として再建し、また、城の前の
通りも「ガラシャ通り」と名づけて、細川ガラシャゆかりの地として
観光に力を入れている様です。

先ほど行った長岡天満宮にある八条ヶ池の八条宮智仁親王は
細川幽斎から和歌の「古今伝授」を受けた人です。
この2人にゆかりの有る場所が、お互い近くに有るのも歴史の妙ですね。



この後、 神足(こうたり)神社 に参りました。神足、難読地名ですね。
JRの駅名も1995年8月までは「長岡京」ではなく「神足」でした。
西国街道に神足駅時代の駅名板が残されていました。
神足神社は、桓武天皇が「天から神が神足村の池に降り立ち、
宮中を襲おうとした悪霊を退散させた」という夢を見られて、
この神を祀る社を創建したと伝えられています。

神社のすぐそばに、勝龍寺城の「空堀」「土塁」跡が残っています。
とにかく歴史のある神社です。途中で止むかと淡い期待を持ってましたが、
雨はとうとう止みませんでした。

この後、西国街道を歩いた際にチェックしていました町屋喫茶で、
参加者一同歓談のひと時を過ごし、本日の京都さんぽは終了となりました。


文・写真/らくたび会員 坂田肇様


  


Posted by らくたび  at 11:36Comments(1)西山~長岡エリア

2009年04月19日

吉野太夫花供養と遅咲きの原谷苑&御室の桜



私が初めて原谷苑の名前を耳にしたのは、もう5年程前のことでしょうか?
「とにかく桜がすごくきれいだから行ってみるといいよ」と
何度も勧めていただき「今年こそは」とは思うものの、
ついつい行けない春を続けていました。

そして迎えた今年の春、「行きたい」という私の思いが通じたのでしょうか。
当初の年間計画には入っていなかった原谷苑へ行く京都さんぽが
いつの間にやら追加されているではありませんか!!

大喜びで参加した『吉野太夫花供養と遅咲きの原谷苑&御室の桜』の様子を
紹介しましょう。



集合はいつもより早めの10時に鷹峯の源光庵前です。
この日はお隣の 常照寺 で吉野太夫花供養が開かれるとあって
ここへ向かうバスも大混雑していました。

二代目吉野太夫は持って生まれた美貌に加え、人情厚く、芸能にも秀でた
江戸時代の伝説の名妓で、その魅力は当時の人々の憧れとなっていました。

そんな吉野太夫が眠る常照寺では毎年桜の咲くこの時期に
追善供養が行われるのですが、私達はそこへ向かう島原の太夫道中行列を
源光庵前の路上で見学しようというわけです。

10時20分に道路が封鎖されるとお付の女の子と傘持ちの男性を従えた
太夫さん の登場です。高下駄を地面に擦りながら足を八の字に出して歩く
「内八文字(うちはちもんじ)」と呼ばれる独特の歩き方で源光庵を出発。

あでやかな太夫さんの移動と共に待ち構えていた大勢のカメラマンも
大移動です。常照寺の門前は見物客でいっぱいでしたが、
私達は比較的のんびりと見学することができました。

そうそう、この太夫道中の様子はかわいい「忍者犬」も
見学していました(笑)



鷹峯 は桃山・江戸時代の芸術家である本阿弥光悦が移り住み工芸集落
(光悦村)を築いた地であり、光悦寺、常照寺といった
日蓮宗のお寺が並ぶ所です。 円成寺 (岩戸妙見宮)もその一つで、
平安時代に北方守護として信仰されていた妙見菩薩をお祀りするお寺
として江戸時代に本満寺の日任上人により再興されました。

紅葉の隠れ名所ということですが、この日は新緑がまぶしい境内に
ウグイスの声が響きわたっていました。

さて続いては 原谷苑へと向かいます。途中の長坂口は周山を経て
若狭に抜ける街道口でかつては鯖街道と並ぶメインルートだったそうです。
「ここから原谷苑まで約2キロ 30分」の看板が出ています。
さぁ、頑張りましょう。

道沿いには細い川が流れていて、立てられた看板を見ると
「天神川」と書かれていました。
へぇ~、こんな所から続いていたんですね。



北山杉がきれいに並ぶ道を抜け、コンビニでお弁当の買出しをし……
ついに 原谷苑 に到着です。

原谷苑といえば入苑料が「時価」、つまりその時の花の開花状況に
よって変動することでちょっと有名な所です。
最高では1,500円位になるそうですが、この日の入苑料は800円。

「これって花の見頃は過ぎてるってこと?」と思ったのですが、
中に入ってびっくり!!苑内には八重枝垂桜、醍醐桜、御室桜、
御衣黄、普賢像などの桜を中心に、山吹、雪柳、ボケ、芍薬、
石楠花、ミツマタ、利休梅、ドウタンツツジ……
などなどが咲き乱れまさに百花繚乱!

青空に映えてとても美しい花々を堪能することができました。



お昼を過ぎちょうどお腹も空いてきたところで次に向かったのが
宇多天皇陵 です。

宇多天皇は平安中期に菅原道真を起用し藤原氏を抑えて
安定した国づくりをした第59代の天皇です。

そんな宇多天皇が眠っておられる御陵の前をちょっと拝借し
お弁当タイムとなりました。
この日は大変暑かったのですが(最高気温:27度)
木々に囲まれた天皇陵は涼しく、しばしほっこり……

ここから下山する道からは洛西方面をきれいに見渡すことができました。



そして最後に到着したのが先程の宇多天皇が創建された 仁和寺 です。
世界文化遺産にも登録されており国宝・重文の建造物や寺宝も
数多くありますが、この日のお目当ては御室桜。

境内にある約200本の桜は遅咲きの桜として昔も今も変わらず
愛されています。
遅咲きなので本来ならばこの頃に満開になるずなのですが、
4月に入ってからの気温上昇に桜もちょっと勘違いしてしまったのか(?)
残念、散ってしまって見られない……(涙)

と思っていたら、ありました、ありました!1本だけなのですが
満開の桜が!わぁ~、という歓声と共に今年最後のお花見です。



ここでこの日の京都さんぽは終了。
この御室桜が今年の見納めとなったわけなのですが、
寂しい気持ちと共になんだかホッとした気持ちもありました。

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
  『古今和歌集』在原業平
 

(世の中に桜がなければ、春に「桜はいつ咲くのか?」
「風雨で散ってしまわないか」と心乱されることはないだろうに……)      

これは以前らくたび京都講座で教えていただいた歌ですが、
知らず知らずの間に私もこの心境だったのでしょうね。
3月15日の京都さんぽで見た安倍晴明のお墓前の桜に始まり
この日までの1ヵ月。早い開花宣言にヒヤヒヤし、桜だよりや
週間天気予報をチェックしてはどこに行こうかと思案し、
雨が降れば心配し、気温が上がればこれまた心配し…… 
そんな毎日を送っていました。
でもそれがとっても幸せな1ヵ月間でもありました。

ここまで私を楽しませてくれた桜とそんな桜を守り育てていらっしゃる方々、
一緒に楽しんで下さったらくたび仲間さん、スタッフさん、
ありがとうございました。
来年もハラハラ・ドキドキの「全然穏やかじゃない春」を過ごしたいものです。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 奥村成美様


  


Posted by らくたび  at 11:07Comments(0)大徳寺~鷹峯エリア

2009年04月12日

京都三奇祭やすらい祭見学と西陣の隠れ桜めぐり



咲き誇る京都の桜が見頃を迎えたこの日、京都さんぽが開催されました。
今回は京都三奇祭のひとつやすらい祭と西陣の桜散策がメインです。

北大路通りに面した大徳寺南門に集合した一行は
さっそくやすらい祭が行われている 玄武神社 へと向かいます。



やすらい祭は今宮神社が有名ですが今回訪れた玄武神社、川上大神宮でも
実施されています。平安時代、花の散る頃になると疫病が流行り
人々を苦しめました。飛散する花とともに疫病が流行ると信じた人々が
疫病を鎮め無病息災を祈願したことに始まったのがやすらい祭です。

境内には無病息災のご利益があるとされる 風流傘 がありました。
やすらい踊りが始まる前にちゃんと入ってきましたよ。
これで病気になることはないでしょう。



やすらい祭を見学後はいよいよ西陣の桜散策へと向かいます。

最初に立ち寄ったのが 水火天満宮 です。境内にある2本の紅枝垂れ桜が
満開でした。観光客は少なめなのでゆっくりと眺めることができます。

さらに境内には登天石と呼ばれている石があります。
非業の死を遂げた菅原道真ゆかりの石で、道真の死後都で起こる雷雨を
鎮めるために師である法正坊尊意僧正が宮中に向かう途中、
鴨川が急に溢れ出し数珠をひと揉みすると川が2つに分かれ
この石が現れたそうです。石の上には道真がいて、やがて天に
登っていったそうです。その後は雷雨がおさまり、僧正が持ち帰り
供養して 「登天石」 と名付けられました。



続いては日蓮宗の寺院である 妙覚寺妙顕寺 です。
妙覚寺にも見事な紅枝垂れ桜があります。時より吹く風で桜が散っていくのが
とても風情がありますね……

妙覚寺の山門は聚楽第の裏門を移築したといわれており、
梁の上には兵を伏せておく空間があるのが特徴です。

妙顕寺は京都で初めて建立された寺院で関西法華宗の根本をなす寺院です。
この妙顕寺の満開の桜をバックに参加者全員で記念撮影です!!



次なる目的地の雨宝院へ向かう途中小川通りにある茶道の家元、
表千家・裏千家 に立ち寄ります。
立ち寄るといっても中へ入ることは勿論できません。

山村さんの説明によれば表千家の裏にあるため裏千家と名付けられたとか。
さらに、裏千家の茶室今日庵は宗旦が清巌和尚という人物の
「懈怠比丘不期明日」(懈怠の比丘明日を期せず)の意に感じて命名したそうです。

長谷川等伯ゆかり本法寺を通り抜け雨宝院を目指します。



雨宝院 の本尊は大聖歓喜天で、別名を西陣聖天とも呼ばれ
親しまれています。さらに本堂前にある桜は歓喜桜と呼ばれており、
御室桜と同じ種類で八重桜です。開花時には御室桜同様根元から花をつけます。



最終目的地の 平野神社 に到着です。
平野神社は言わずと知れた京都随一の桜の名所です。
境内には50種類、400本もの桜があり比較的長い期間桜を楽しむことができます。

16時過ぎに平野神社に到着しましたが、この時間でも多くの花見客で
賑わっていましたね。
本日の京都さんぽは平野神社で解散です。解散後、参加者の皆様は
カメラ片手に賑やかな境内を楽しまれていました。

晴天(汗ばむ程の陽気……)に恵まれた今回の京都さんぽ。
非常に満足できた桜散策となりました。


文/らくたび会員 森田和宏様  写真/らくたび会員 奥村成美様 
 

  
タグ :京都西陣


Posted by らくたび  at 10:52Comments(0)西陣~北野エリア

2009年04月04日

琵琶湖疏水の散歩道と白河院と六勝寺 +祇園の宴



小雨降る中、京阪・神宮丸太町駅を出発しました。
川端通りからすぐの所にある 琵琶湖疏水 の桜並木がお出迎えです!



その桜並木沿いに歩き、夷川水力発電所、鳥羽上皇の御願寺・得長寿院史跡、
近衛天皇の御願寺・延勝寺史跡を巡り、 みやこめっせ に到着しました。



みやこめっせの地下1Fに、今は亡き白河上皇が創建された
法勝寺の復元模型が展示されています。
そこで若村先生より詳しい説明をしていただきました。

模型であっても、やはり実際に目で見ながらお話を聞くとわかりやすく、
その当時の壮大なスケールをイメージできました。
今は美術館や公園、そして平安神宮と、市民が憩う岡崎界隈に
「八角九重塔」という巨大な塔が建ち、多くの寺院が建ち並んでいた
当時を思い浮かべると、ワクワクしました。



琵琶湖疏水では、雨の中でも優雅に十石船が運航されていました。
雨は本降りとなってきましたが、岡崎ゾーンから南禅寺界隈へ
まだまだ散策は続きます。

この南禅寺界隈の中でも、隠れた桜の名所である 野村碧雲荘
残念ながら私たちが入ることは出来ませんが、嬉しいことに
紅枝垂れ桜が前の道を彩ってくれるのです。
この日はまだつぼみでしたが、あと数日で開花し
素晴らしい光景が見られることになるのでしょう~。



そして、 南禅寺 に到着。立派な三門と満開の桜は絵になります……
雨の中でも見事ですねぇ。絶景かなーっ、絶景かなーっ! です(笑)



水路閣を経由し、金地院の前を通り、 蹴上インクライン へ向いました。
琵琶湖疏水に至る傾斜鉄道の廃線跡は、京都の近代遺跡でもありますが、
このシーズンは桜スポットとして観光名所となっています。
確かにこのシーズンはキレイですね。雨の中でも十分楽しめました。

インクラインを少し登ると公園があり、そこにはハンサムでカッコいい
田辺朔郎博士像 がさっそうと立っています。都が東京に移り
衰退しそうになった京都がここまで発展したのは、琵琶湖疏水事業が
あったからこそ、と言っても良い程の大規模で困難な事業でした。

その総責任者であった田辺朔郎博士の像を見ているだけで、
沸々と闘志が湧いてくるような気がしました!

最後に石仏・義経大日如来を参拝して、解散となりました。
ほぼ満開の染井吉野桜は、しっぽりと雨に濡れ美しかったです。
本降りとなってしまった雨の中のツアーでしたが、
いつもの如く内容の濃いツアーでした。


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お昼の京都さんぽに続いて、夜には祇園花見小路にある 料亭・美登幸 さんで
夜桜の宴が行われました。美味しい京料理に舌鼓、芸妓さん、
舞妓さんと楽しい一時を過ごすことができました。

芸妓さんの舞は艶やかで。舞妓さんの舞は愛らしく。
“憧れのお茶屋さん遊び”も拝見できて楽しかったです。
お酒もほどほどなのにすごい盛り上がり方!
最後には芸妓、舞妓さんとのツーショット写真を撮っていただき、
皆さん大満足の宴でした~。

らくたびさんの企画でないとこのような体験は出来なかったでしょうね。
ありがとうございました。


文/らくたび会員 奥村成美様  写真/らくたび会員 坂田肇様・奥村成美様


  
タグ :京都舞妓


Posted by らくたび  at 10:42Comments(0)岡崎~吉田山エリア