嵐山の伝説めぐりと嵯峨大念仏狂言+お松明

らくたび

2009年03月15日 17:51



冬のひところと比べると日も随分と長くなり、スタートの17時でもまだまだ明るく、
こんなところからも春の訪れを感じながら嵐電・嵐山駅を出発しました。



最初に向かったのは 長慶天皇嵯峨東陵
初めて聞いたお名前ですが第98代の天皇で南北朝時代の南朝の天皇だそうです。
南北朝時代といいますから、さぞや激動の時代を生きられたことでしょう。

すぐ南隣には 安倍晴明のお墓 があります。そちらへ向かう途中で山村先生が
「今日は皆さんに安倍晴明からプレゼントが届いています」とおっしゃったので
「えっ?何かなぁ?」と期待を膨らませて行ってみると……
なんと桜の花が咲いていました。
もちろん桜の花を見るのはこの春初めて!う~ん、心憎い演出ですね。

安倍晴明は平安時代の陰陽師。当時、天道をつかさどっていた賀茂氏に
弟子入りしそこで才能を開花させた後、村上天皇・花山天皇・一条天皇・
藤原道長などの元で様々な事を予知した伝説を残しています。

墓碑の中央にはおなじみの「五芒星(ごぼうせい)」が刻まれていました。



次は渡月橋のたもとから少し歩いた所にある 小督塚 へ向かいました。

『平家物語』の中で悲恋の女性として描かれている小督局。
平清盛により高倉天皇との仲を裂かれ、この地に身を潜めていたところを
高倉天皇の側近であった源仲国により見つけ出された場面は

峯の嵐か松風か、訪ぬる人の琴の音か
駒引き止めて立ち寄れば、爪音高き想夫恋


という歌にもなっています。琴の名手・小督の演奏とそれを聞き分けた
笛の名手・源仲国。
昼間の賑やかな時間帯ではなく静かな夕暮れにあらためてこのお話を
聞くことで、小督の奏でた琴の音を普段よりも少し身近に
感じることができました。



続いては竹林が美しい小道を通り抜けて 野宮神社 に到着しました。
こちらはかつて伊勢神宮に仕える皇女が伊勢に向かう前に
身を清めた場所です。境内を囲む小柴垣と黒木の鳥居の様子は
『源氏物語』の「賢木」の帖にも書かれています。

縁結びの神様として普段の境内は大盛況ですが、さすがにこの時は
私達だけ。光源氏が秘かに六条御息所を訪ねた心情を
思い浮かべてみるには、このくらいの静けさがいいですね。



落柿舎 (らくししゃ)は松尾芭蕉の高弟であった向井去来が晩年を過ごしたところです。
「庭の柿を売ろうとしたところ、その夜の大風ですべて実が落ちてしまった」
というのが落柿舎の名前の由来です。
“売ろうとした柿が落ちてしまった”なんていうちょっとマイナス的な出来事を、
あえて遊び心に変えてしまうところがいかにも俳人らしい!

辺りに広がる田園と茅葺屋根の草庵が嵯峨野のひなびた風情を
演出してくれているのですが……
あらら、なんと修復中でした。まぁ、残念がっても仕方がない。
「今しか見られない光景が見られてよかった」ということにしておきましょう……



そしてこの後、 清凉寺(嵯峨釈迦堂) へ向かいました。
この日は 嵯峨大念仏狂言お松明式 が行われています。

到着したのが大念仏狂言の始まる5分前。すでに座席は満員で立ち見する人、
鐘楼の台に座る人などで溢れていました。

嵯峨大念仏狂言は京都の三大念仏狂言の一つで、
狂言面をつけて演じられる無言劇です。
円覚上人が鎌倉時代に仏教の教えをわかり易く広めるために
始めたそうです。
「釈迦如来」「愛宕詣」「羅城門」など20演目ほどあるらしいのですが、
この時間は「土蜘蛛」が上演されました。
源頼光に命ぜられて渡辺綱と平井保昌が土蜘蛛退治をする物語です。

昨年の秋、私が偶然通りかかった時に練習をしておられた演目でした。
地道な練習や保存活動の上でこうして伝統は守れているんですね。
境内には屋台も立ち並び、美味しそうな匂いもしています。
近所の子供達もとっても楽しそう!
この地で代々親しまれている行事だということを感じました。



狂言を鑑賞した後は20時半からのお松明式を見学しました。
これは五山の送り火・鞍馬の火祭りに並ぶ京都三大火祭りの一つで
京都に春の到来を告げる行事です。お釈迦様が入滅し荼毘にふされた様子を
境内に立てられた高さ7メートルの大きな松明で表しているそうです。

本堂で法要が営まれた後、僧侶が松明の周りを練り歩き、
長い(ホントに長い)竹竿の様なもので松明に火が灯りました。
松明は3基あり、それぞれが早稲(わせ:稲の中で早く実を結ぶ品種)、
中稲(なかて:早稲と晩生の間で実を結ぶ品種)、
晩生(おくて:比較的遅く実を結ぶ品種)に見立てられ、
かつてはその燃え方で稲作の豊凶を占っていたといいますから、
民衆の暮らしに密着した行事であることがここからもわかります。

点火直前に周辺の屋台の方たちがテントの屋根に水をかけたり、
濡れタオルを被せたりしておられるのを見て
「まさか、ここまで火の粉は飛んでこないやろ~」と思っていたのですが、
点火されるや否や勢いよく燃え上がり、火の粉が舞い散ってきました。

私は初めは張り切って前で見ていたのですが、熱と火の粉が怖くなって
どんどん後ずさりしてしましました。
らくたびレポーター仲間の鴨田さんが火の粉に負けずに撮影された
写真がこちらです。



五山の送り火の印象からか、もっとじっくりと燃える様子を想像していましたが、
実際には7分程で燃え尽きました。何でも見てみないとわからないものですね。
これでこの日の見学はすべて終了です。

今まで夜にこの辺りを歩くことがなかったので気がつきませんでしたが、
清凉寺の境内から星がとてもきれいに見えたことが印象に残っています。
嵐山の山々や川の流れ、静かな竹林、田園風景、人々が集うお寺、
きれいな星空……そんな昔からの風景が守られている嵐山・嵯峨野だからこそ、
ここにまつわる伝説や伝統行事が今も生き生きとしているのだということを
五感で感じることができた京都さんぽとなりました。

ナイトツアーもいいもんですね。ぜひ今後も実施して下さい。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 鴨田一美様


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