隨心院・勧修寺花めぐりと山科散策

らくたび

2008年06月08日 12:24



今日6月8日の「京都さんぽ」は、平安時代からの古刹である隨心院、
勧修寺をメインにした南山科散策です。
忠臣蔵の大石内蔵助ゆかりの岩屋寺も訪ねます。

直前までの天気予報は雨でしたが、晴れました。少し蒸し暑い中、
地下鉄小野駅から総勢20名で出発です。

駅名から解る様に、この辺りは古来、小野郷と呼ばれ小野妹子や
小野篁など小野氏が栄えた地であります。
今向かってます隨心院は、その小野氏の中でも一番の有名人である、
あの絶世の美女 小野小町 の屋敷跡と伝えられてます。



2、3分歩いて、大きな木の傍で立ち止まりました。
最初のチェックポイントの様です。小野小町にまつわる伝説の中で、
最も有名な話が「深草少将の百夜通い」です。

無骨で純粋な深草少将が小野小町に一目惚れをしました。

小町は「百夜通って下さるなら、貴方の人になりましょう」と応じたのでした。

その夜から、少将は深草の里から山科の小町の屋敷へ通い始めます。
そして九十九日目の雪の夜、すっかり体を弱くした深草少将は
小町の屋敷に行く途中で力尽きてしまったのでした。

悲しんだ小町は、少将が通った証に置いていった榧(かや)の実を、
少将が通った道に植えたのでした。


今私たちが見ている木が、その榧の木です。
私はこういう話が大好きです。単純に信じましょう。



5分で 隨心院 に到着です。この隨心院は遅咲きのはねずの梅で
有名なお寺で、毎年3月の最終日曜日には観梅と地元の少女らが舞う
はねず踊り を観に多くの人で賑わいます。

ところで、このはねず踊りで歌われる深草少将の話は、
上に書いたのと随分結末が違っています。

少将は九十九日目、雪がひどいのを理由に代人をたてます。
ところが小町に代人を立てたことがバレてしまい、
少将は振られてしまいます。


・・・いや少々(少将)興ざめですね。

隨心院は正暦2年(991)年、仁海僧正が建立した曼荼羅寺に始まる
真言宗のお寺で、本尊の如意輪観音や快慶作の金剛薩捶坐像などを
ゆっくり拝観する事ができました。

小野小町ゆかりの史跡も多く、化粧の時に使った井戸・化粧井戸や
多くの貴公子から送られたラブレターを埋めた文塚、そして、
老年の小町の姿を彫ったという卒塔婆小町像など、
興味深く見学しました。

それにしても、なぜあの卒塔婆小町像のような老衰像を
作ったのでしょうか? 
昔の人は小野小町をどういう風に捉えていたのでしょうか?



隨心院を後に10分ほど西へ行くと 勧修寺 です。
勧修寺は醍醐天皇が母の藤原胤子(いんし)の菩提を弔うために
昌泰3(900)年に母方の実家である宮道弥益(みやじいやます)宅に
建立したので始まりで、ここには狩場のロマンスとして、
以下の様な話が伝えられてます。

藤原冬嗣の孫で藤原高藤(たかふじ)が山科の地に鷹狩に来て
雨宿りに泊まったのが、土地の郡司である宮道弥益の屋敷でした。

ここで、高藤は弥益の娘の列子(たまこ)と一夜の契りを結びます。
6年後、再びこの地を訪れた高藤は、列子との間に可愛い女の子
(胤子)が出来ていた事を知り、列子を嫁に迎えます。
胤子は後に宇多天皇に嫁ぎ、醍醐天皇を生んだのでした。

日本版シンデレラ。寺では「玉の輿(こし)に乗る」という言葉も
ここから出たと伝えてます。

えぇ……一寸待って下さい。玉の輿の話って、
西陣の八百屋の娘の「お玉」さんが、徳川三代将軍家光の側室になり、
五代将軍綱吉の生母になった話の事じゃなかったのですか?
この山科の地にも玉の輿伝説が有ったのですね。でも何となく
「お玉」さんの方が、玉の輿という感じに合う様な気がしませんか?

先日、北野天満宮の近くの立本寺に行った際、幽霊子育飴が
売られているのにビックリしました。玉の輿伝説と同じ様に
「幽霊子育飴」の話も複数箇所に有るそうです。先入観や固定観念って
意外と心の中にしっかりと根を張っている様ですね。

また、紫式部は藤原高藤の玄孫(げんそん:ひ孫の子)にあたり、
源氏物語ゆかりの地でもあります。紫式部は列子の事をヒントにして、
明石の君の話を書いたとも言われてます。



勧修寺は花の寺として有名です。庭園は氷室池(ひむろいけ)を
中心にした池泉舟遊式庭園で梅、桜、杜若、睡蓮、蓮など
四季の花に彩られ、平安時代の趣を今に伝えております。

今日は睡蓮は今ひとつでしたが、花菖蒲が咲き誇ってました。
皆さんゆっくりと庭園の美しさを堪能されてました。



勧修寺から 岩屋寺 へは、ちょっと長い行程で黙々と歩きます。
忠臣蔵の大石内蔵助が、討ち入りの前一年余りを暮らしたのが、
岩屋寺が建つこの地です。
本堂の下段境内に結構広い隠棲宅跡が有りました。
堂内には四十七士の位牌と木像が祀られており、又内蔵助の遺品や
浅野内匠頭の肖像画も置かれてます。

風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん
―(辞世)浅野長矩 ―

じぃーんときます。案内をして下さった女性の方の説明は
大変おもしろく楽しい時間でした。
この後、大石神社に立ち寄り、最後は平安時代の武将で
征夷大将軍になった坂上田村麻呂の墓を見て椥辻駅で
解散となりました。今日廻ったお寺は、どこも伝説や縁起、
由緒などに多くの話が有り、花や庭園の美しさと相まって、
京都を学ぶ楽しさを、改めて感じた次第です。


文・写真/らくたび会員 坂田肇様

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