11月10日 報恩寺「鳴虎図」と聚楽第の足跡めぐり
11月10日(土)のらくたび京都さんぽは、
秀吉伝説が伝わる
特別公開の
鳴虎図を
報恩寺で見学し、
同じく
特別公開の
浄福寺も訪れながら、
秀吉ゆかりの
聚楽第の足跡をたどりました。
出発は地下鉄の鞍馬口駅。
まずは
妙覚寺へと向かいました。
門前の桜も綺麗な妙覚寺の表門は、
聚楽第の裏門を移築したものともいわれています。
くぐり戸が二つあるのが特徴ですよ。
妙覚寺からは
小川通を南へ。本法寺の前にはかつて流れていた
「
小川(こかわ)」跡にかかっていた橋も残されています。
一帯は綺麗な井戸水も手に入りやすかったため、
表千家・裏千家の茶室もあります。
そして「
鳴虎図」が特別公開されている
報恩寺へ!
12年に1度、寅(とら)年の正月三が日にしか公開されない絵が見られるのです。
鳴虎図は非常に繊細なタッチで描かれていました。
秀吉がこの絵を所望して聚楽第に持ち帰りましたが、
夜に吠えて眠れず、寺に返したといわれています。
報恩寺は「
撞かずの鐘」でも知られています。
現在は大みそかの夜に撞かれていて、幻の音色を聞くことが出来ます。
堀川通では
イチョウも黄色く色づいていました。
イチョウの下は公園になっていて、
もうじき黄金色の絨毯になりますね。
こちらは
山名宗全の邸宅跡。
応仁の乱で東軍の細川勝元と対峙した西軍の本拠地で、
それゆえ一帯が「
西陣」と呼ばれています。
幾多の大火をくぐりぬけ、
焼けずの寺で知られる
本隆寺では、
いけばな展が行われていました。しばし見学させて頂きました。
さて、今出川通を南へ渡って、
いよいよ
聚楽第の範囲へと入って来ました。
この道が北の端だそうですよ。
そして特別公開の
浄福寺へ到着です。
鮮やかな
赤門が印象的です。
浄福寺の本堂は最古の
違法建築といわれています。
江戸時代には建物の大きさを三間、すなわち約5.4mまでに
規制する
三間梁規制がありました。
しかし、法要などのために多くの人が入れる場所が必要だった浄福寺は、
外観は別棟のようにして中はこっそりつなげて広くしたそうです。
方丈の天井に張られた龍の絵は、
真下で手を叩くと「び~ん」と響く
鳴き龍です。
他にも、住職による
絵解きもあって、楽しませていただきました。
さて、浄福寺を後にして、再び
聚楽第の跡をたどります。
こちらは
濠跡が見つかった付近で、石碑が立っています。
さらには聚楽第にあったという
梅雨の井へ。
現在は住宅地の中に隠れるようにあります。
そして聚楽第の
濠跡に立つとされる
松林寺。
境内は辺りよりも土地が低なっています。
今回は聚楽第推定地の南端・
丸太町通で解散となりました。
聚楽第跡は今は住宅地ですが、僅かながら
痕跡が残されていて、
何気ない風景でも先生の解説があると「なるほど」と思えます。
報恩寺と浄福寺の
非公開文化財も
素晴らしいものばかり。個人的には報恩寺の小さな
千体地蔵尊に感動しました。
今回も多くの方にご参加いただきまして、ありがとうございました。
ご案内 / らくたび代表・山村 純也
受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥
関連記事