2月5日(日) 平家ゆかりの地を訪ねて & 長講堂と平等寺

らくたび

2012年02月10日 12:00



2月だというのに小春日和のような絶好の散策日和となりました
鴨川も清々しく美しいですね〜。


京阪電車・清水五条駅で集合し、まずは五条大橋へ。

平安京の時代、五条通りは現在の松原通りにあたり、
豊臣秀吉が方広寺大仏殿創建の際、通りの名称を変更し、
天正17年( 1589 )に ここに橋を架けたそうです。

その五条橋、正保2年( 1645 )に石橋に架け替えられ、
その時の擬宝珠( ぎぼし )が現存しています!
西の方角から二つ目の擬宝珠です、よく見ると「 正保二年 」の文字が


「 京の五条の橋の上・・・♪ 」 と口ずさむことも度々
牛若丸と弁慶が出会った橋としても有名で、その五条大橋の西詰めの
公園に御所人形のようにふくよかで愛らしい石像があります。


河原町五条の交差点を南下し、
源氏物語の光源氏のモデルとされる源融ゆかりの地・河原院跡を経て、
市比賣神社に到着。


女人守護のご利益で厚く信仰されている
市比賣神社( いちひめじんじゃ )は、桓武天皇が平安京の市場に
創建されたという由緒あるお社です。
現在は『 女人の神様 』ということで女性の参拝者が絶え間なく
お越しになります。

こちらは平安時代の歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残る
天之真名井( あめのまない )
絵馬を掛け、天之真名井のご神水を飲んで手を合わせると、
心よりの願い事が一つだけ叶うと伝えられています。
写真の赤いモノは「 姫みくじ 」、ぎっしりと納められていますね♪


『 京の冬の旅 』( 〜3/18 )で特別公開されている長講堂へ。


源平争乱の平安末期の権力者・後白河法皇の邸宅・元六條御所に営んだ
持仏堂をはじめ、法皇の持念仏であり臨終仏( しんじゅうぶつ )であった
阿弥陀三尊像や、通常一年に一度・法皇忌のみ開帳される後白河法皇像が
特別公開されいます。

平家の栄華を象徴する東山七条の後白河上皇の御殿・法住寺殿。
源平争乱期、木曾義仲の軍勢によって襲われ( 法住寺合戦 )、
上皇は命からがら逃げ延び、以後上皇は長講堂に移り生涯を終えた。

私自身このエピソードをらくたび京都講座で学んでから、
一度は拝観したいと思っていたお寺のひとつでした。
法皇が自身にゆかりある人々を弔うために書かれた『 過去現在牒 』は
とっても貴重な宝物で必見です!

駒止地蔵 ( こまどめじぞう ) と呼ばれる平 清盛にまつわる伝承が残る
蓮光寺を経て、京の世継地蔵・上徳寺へ。

※駒止地蔵の伝承。
平清盛が駒( 馬 )で六条河原にさしかかった時、急にその場から
動かなくなり、その地を掘ってみると地中から地蔵が出てきた
ことから駒止地蔵( こまどめじぞう ) と呼ばれるようになったと
伝えられています。

ここ上徳寺は慶長8年( 1603年 )に徳川家康が建立されました。
お寺の歴史はもちろん立派ですが、こちらは『 京の世継地蔵さん 』
として慣れ親しまれています。

上徳寺・地蔵堂

江戸時代の初め、子供を亡くし悲しむご夫婦が、世継ぎ誕生を願って
御堂に籠もり祈願したところ、その夢枕に地蔵が現れ
「 我を石に刻み祈念せよ 」というお告げ受け、このお地蔵さんを刻み
厚く祈念した。そうすると見事に世継ぎに恵まれた!、
ということから世継地蔵として世に知られる様になりました。

堺町通りを北上し、おどろおどろしい伝承が残る・鉄輪井戸( かなわのい )から、
夕顔の碑へ。
源氏物語・第4帖の舞台となったのがこの辺り。


「心あてに それかとぞみる白露の 光そへたる 夕顔の花」

と、扇にこの詩をしたためるたことから物語は始まります。

山村先生は石碑を前に、この詩の意を唱え、それにまつわる伝承を
わかりやすく解説してくださり、参加者皆さんはとっても喜んで
おられました。

そして真宗佛光寺派・本山 佛光寺 です。

春になると枝垂れ桜が美しく、この辺りの憩いの場となります


旧五条通( 現在の松原通 )を少し上がったところ鎮座するお社は、
花咲稲荷社( はなさきいなりしゃ )。江戸時代初期の俳人・歌人である
松永貞徳の屋敷内に祀られていた稲荷神が現存しています。


サクラの花を好んだ松永貞徳が邸宅を花咲亭と称したことから、
花咲稲荷社と呼ばれ今も地域の人々の信仰厚く守られているそうです。

本日もうひとつの『 京の冬の旅 』で特別公開されている
平等寺にやってきました。


平安時代よりこの地にあり高倉天皇が命名した平等寺は「 因幡薬師 」
と呼ばれ、庶民の信仰に支えられてきました。
創建当初より祀られている” 防災ずきん ” をかぶったご本尊薬師如来は
「 日本三如来 」のひとつでもありめずらしい仏様です。


高倉天皇に愛され、平清盛の娘の恋のライバルでもあった
小督ゆかりの寺宝が公開されており、参加者の皆様は興味深く
拝見しておられました。

そして最後に訪れたのは、
新玉津嶋神社( にいたまつしまじんじゃ )です。
創建は鎌倉時代の初期に、藤原定家の父である藤原俊成が、和歌山の
玉津嶋神社の神様を勧請し自宅に祀ったのが由来だそうです。
ということからこの辺りに藤原俊成の大きなお屋敷がありました。


あの松尾芭蕉さんもこの新玉津嶋神社を訪れて、北村季吟の弟子に
なったんだそうです。知らずに通ると見過ごしそうになるお社ですが、
一流の文化人が暮らした松原通り界隈の隠れた史跡です。

今回の散策は、駒止地蔵さん、世継地蔵さん、そして因幡薬師さん、
そして花咲稲荷社に新玉津嶋神社。
どこも観光地京都にありながらも派手さはなく、京の洛中に浸透した
史跡ばかりを訪れました。


京都のご案内に精通した” らくたび ”らしい散策でした。
参加者30名、皆様に満足していただけたと思います。

参加者の皆様、ありがとうございました!
そしてご案内の山村先生、お疲れさまでした!

この洛中の路地裏めぐりとほぼ同じ内容の散策を
こちら「 らくたびガイドと歩く京都めぐり♪ 」でご案内しています。
今回参加出来なかったあなた、ぜひご参加くださいね

              ご案内 : らくたび代表 山村 純也
              写真 : らくたび会員 新田 久美子様
              文 : らくたびレポーター 奥村




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