雲母坂から比叡山登山へ 阿闍梨道を訪ねて

らくたび

2010年05月04日 17:34

らくたびのゴールデンウィーク恒例行事といえば“山登り”です。
これまで稲荷山(2009年)、醍醐山(2007年)、大文字山(2006年)、
高雄~嵐山(2006年)などを歩いてきました。
2010年は満を持して東山三十六峰の第一峰
比叡山(標高:848m)
に挑戦です。

集合は叡電・出町柳駅。ここから叡電に乗り
比叡山の登山口となる一乗寺駅まで向かいます。
今では秋の紅葉の名所となっている修学院・一乗寺エリアですが、
かつてはこの辺りも比叡山延暦寺の境内地でした。
当時の天台宗がいかに大きな勢力を誇っていたのかが伺えます。

一乗寺下り松は室町時代、宮本武蔵と吉岡憲法の一門の
決闘の場となった所です。
そしてここから比叡山に続く道が本日のルートとなる
雲母坂(きららざか)です。その名前の由来には諸説あるものの、
都からこの辺りを見ると雲が覆い、雲が生じるように見えたことから
雲母坂と呼ばれるようになったとのこと。
また都からの勅使(ちょくし:天皇のお使い)が歩いたことから
「勅使坂」「表坂」とも呼ばれていました。
 


坂を登りつめたところにある曼殊院の参道には
見事な新緑のトンネルが続き、お寺の白壁と相まって
爽やかな5月の風景を演出してくれていました。

しかし・・・!!散策気分はここまでです。いつの間にやら
比叡山の登り口に到着しており、普段は遠目で見ている比叡山が
すぐ間近にそびえ立っています。
山村先生からコースの案内をしていただき、いよいよ登山道に入りました。

山に入ってしばらくの間は、人が一人やっと通れるくらいの
細い道が続きます。「道を作った」というよりは
「人が歩いて踏みしめたところが道になった」という感じです。
山村先生より「歩き初めの道が一番大変です。上へ行くほど
歩きやすい道になります。」と教えていただいた通り、
登り始めの30分が一番大変でした。
 


この雲母坂は平安時代から比叡山に向かう僧侶や勅使が登った坂であると同時に、
京の都と近江を結ぶ交通の要所でもあったことから、
古来より幾多の戦陣が開かれた場でもありました。
南北朝時代には南朝方の千種忠顕(ちぐさただあき)ら数百人が
この坂で戦死されたそうです。
また比叡山で最も厳しい修行である千日回峰
(せんにちかいほう:7年間計1,000日をかけ、決められた道を歩いて修行をする)
をされている阿闍梨(あじゃり)が歩く行者道も歩きました。


そして、出発から約2時間半後、ケーブル比叡駅に到着。
ここでお昼休憩です。
美しい景色を眺めながら楽しいお弁当タイムとなりました。

午後の道は午前中とは比較にならないくらい歩きやすく、
緑の山々やヤマザクラ、ミツバツツジの花を見ることもできました。
そして景色のいい所で記念撮影。参加者のKさんより
教えていただいた比叡山でのお約束、山村先生の「比叡山!」
の掛け声とともに参加者一同が声をそろえて「ひえぇぇぇ~」
楽しい記念撮影となりました。
 


さらに歩みを進めると鎮護国家の石碑に到着。
平安京の鬼門(北東)に位置し、1,200年の長きに渡り
都を鎮護してきた比叡山延暦寺は伝教大師最澄によって
開創されて以来、浄土宗や浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗を
興した高僧を輩出するなど、日本仏教会に大きな影響を与えてきました。

ここからは延暦寺の寺域に入ります。都会とは違う、
清らかな空気に包まれて歩いていると、そろそろ、ゴールかな・・・?
皆さんの期待が高まります。あっ、阿弥陀堂が見えてきました。
ついにゴールです!!


参加者24名&山村先生、全員そろって無事に到着することができました。
阿弥陀堂の前には枝垂れ桜が私達のゴールを祝福するかのように
可憐な花を咲かせてくれていました。
そしてこの後、延暦寺の中心となる根本中堂を参拝し、
この日の京都さんぽは終了となりました。


雲母坂から比叡山は確かに大変な道のりでしたが、
実際に自分の足で歩くことができて本当によかったと思います。
平安京ができる以前から若き最澄は自らこの山に入り、
民衆救済の方法を探し求めたのかと思うと、
その偉大さを改めて感じることができました。

参加者の皆さん、山村先生、本当にお疲れ様でした。
さて、来年はどこの山に登りましょうか・・・??

文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 岩崎守男様・真紀枝様

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