2013年01月20日

1月13日(日)三十三間堂 柳のお加持と通し矢 馬町界隈巡り

1月13日のらくたび京都さんぽは、
三十三間堂にて頭痛に効くとされる柳のお加持
新春の風物詩・通し矢を見学し、豊臣秀吉のゆかりのスポットも巡りながら
戦争の歴史が残る馬町界隈を散策しました。


集合は川端七条。三十三間堂の通し矢は午前中から行われていて、
競技を終えた学生さんたちとすれ違いました。


この日は、三十三間堂無料開放されて、柳のお加持も行われています。
境内は多くの人で賑わっていました。


柳のお加持は、頭痛持ちだった後白河上皇にちなみ、
7日間祈祷された法水を、柳の木で参拝者の頭にかけて頂けます。
実際、柳の木には鎮痛作用もあるそうですよ。


お堂の外では通し矢も行われています。
江戸時代の紀州藩と尾張藩のメンツをかけた
競い合いの話も面白いですね。(写真は昨年の通し矢です)


通し矢では、20歳の新成人およそ2000人が矢を射て、
午後は午前の予選を通過した方の決勝戦が行われています。
多くの方が見に来られるため、写真を撮るのは大変ですが、
雰囲気を感じることはできました。


三十三間堂に続いて法住寺へ。
新春恒例の大根焚きも行われ、
後白河法皇の座像なども公開されていました。


三十三間堂の南側には、豊臣秀吉が建てた太閤塀が残されています。
大仏のあった方広寺の境内は、実はここまでありました。


同じく秀吉ゆかりの智積院の境内へ。
秀吉が亡くした鶴松を弔うために建てた祥雲禅寺が前身です。


参拝をして、境内奥へと抜けて行きました。


京都女子大学の建物の間を通って渋谷街道を少し上り、
小松谷の正林寺へ。平清盛の嫡男・重盛の邸宅が
この辺りにあったといわれています。


本堂前は、保育園の運動場と一体化していますが、
この日は参拝させていただけました!


正林寺を後にして、馬町界隈へ。
戦時中には、まさにこの辺りに爆撃がありました。
かなりの被害は出ていましたが、情報統制が行われて
あまり大きな騒ぎにはならなかったそうです。


東大路を越えて、京都らしい細い路地も抜けて行きます。


こちらは住宅街の中ですが、実は方広寺の北の端
道の端を覗きこむと、土台の大きな石垣が残っていますよ。


そして方広寺の大仏殿跡の公園へ。
何度も作りなおされた大仏も、今は京都から姿を消しています。


ただ、豊臣家滅亡のきっかけとなった大きな鐘は残っています。
「国家安康」「君臣豊楽」の鐘銘は有名ですね。
ちなみに重さは約83トンで、知恩院よりも重い鐘です。


方広寺のとなりには豊国神社
伏見城の遺構と伝わる唐門が見事です。


豊国神社の前は正面通。耳塚が残ります。
周りの玉垣は歌舞伎役者さんが奉納されたそうです。



さて、今回は京阪七条駅で解散となりました。
三十三間堂界隈は、京都らしい見どころや歴史が
たっぷりと詰まっていて、歩きがいのある地域。

通し矢柳のお加持の賑わいから、
人知れず残る秀吉時代の痕跡まで、密度の濃い散策だったと思います。
今回も多くの方にご参加いただき、ありがとうございました。


                                  ご案内 / らくたび代表・山村 純也
                          受付・添乗・文・写真 / らくたびレポーター・吉村 晋弥


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Posted by らくたび  at 18:34 │Comments(0)七条エリア

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