2009年11月08日

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

本日の散歩集合は、JR伏見稲荷駅、午後1時。
天候は晴れ、11月というのに「暑い」という言葉の似合う一日でした。

私にとって始めてお目にかかる参加者が多かったことに驚きました。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

まずは 大橋家庭園 苔涼庭(たいりょうてい) に向かいます。
ここは、個人のお宅ですが、昭和63年に京都市の名勝に
登録されています。現当主の曾お爺さんの大橋仁兵衛氏が
隠居のために作った家(庭)だそうです。明治の終わりから
作り初めて、大正2年に完成したお庭で、もうすぐ100年になります。

このお庭には、大きな特徴が二つあります。その一つは
京都一古い水琴窟です。昭和50年ごろは、全国で7つ8つ
残っていただけなのですが、テレビに取り上げられるようになり、
その後増えたようです。

最近とみに有名になった妙心寺の退蔵院の水琴窟より
古いものだそうです。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

もう一つは、燈籠の多さです。 この庭は、仁兵衛氏と親戚筋にあった
七代目・小川治兵衛(植治)の設計で作られた庭です。

ただ、仁兵衛氏は石燈籠集めが趣味で、このお庭に12基もの
燈籠が配されています。 「苔涼庭」という名称は、
鮮魚元請をしていた仁兵衛が、親交のあった各地網元の
『大漁』を祈念して名付けたと伝えられています。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

伏見稲荷大社 は、秦氏の一族により和銅4(711)年に創建され、
平成22年に鎮座1300年を迎えます。また全国4万におよぶ
稲荷神社の総本宮です。五条通から南側が伏見稲荷大社の氏神で、
北側が八坂神社の氏神になります。

キツネとお稲荷さんは同一視されたりしますが、
あくまでキツネは「神の使い」だそうです。
キツネは米を食い荒らすネズミを捕ることから、
五穀豊穣と関係しているとか諸説があるそうです。

伏見稲荷と言えば すずめの丸焼き が有名です。
すずめはお米を食べる害鳥なので、それを食ってやろう
というのが、発端らしいのですが、みやげ物店に「すずめ」
の姿がありません。すべてウズラのようです。

「最近は屋根瓦の家が減って、すずめが巣を作りにくくなって
その数が減った」というテレビ報道を見たことがあります。
またすずめは、中国からの輸入に頼っていましたが、
昨今の農薬問題のあおりを食って、入らなくなった
とか聞いたことがあります。それでウズラになったのでしょうか。

私には、いくら美味しくても、あの身近にいる
可愛いすずめを食べるのは忍び難いです。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

お火焚祭 (おひたきさい)は、今年一年間の収穫に感謝する行事で、
伏見稲荷大社のものは全国一のスケールということで、
立ち上る炎に圧倒されます。

本殿裏手の斎場に3基の火床を設け、神田でとれた稲のわらを燃やし、
恵みをもたらしてくれた神を山に送ります。

その際、全国から寄せられた約10万本の願い事が書かれた
「火焚き串」を焚き、神楽女の神楽舞が行われます。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

稲荷大社から住宅地の狭い道を南に向かって歩いていくと、
右手に ぬりこべ地蔵 があります。

病気を「塗り込める」ことから「ぬりこべ地蔵」といわれるように
なったそうです。傷口をふさぐ、特に歯痛平癒にご利益があるといわれ、
歯痛が治った人はお堂の格子にお礼の塗り箸を結びつける
という慣わしがあります。6月4日の「虫歯の日」には法要が行われます。
釘抜き地蔵(石像寺)とセットでお参りすると更にご利益があるそうです。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

更に南に進むと、左手階段の奥に 石峰寺 の中国風(竜宮造り)の
赤い総門が見えます。

黄檗宗の寺院で、山号は百丈山(ひゅくじょうざん)。
本尊は薬師如来で開山は黄檗六世 千呆性案禅師
(せんがいしょうあんぜんじ)によって創建された寺です。
黄檗宗の禅寺らしく、全体に質素で本堂へ続く龍の背の鱗を表す
平石の参道が印象的です。
また本堂では、「卍くずし」を見ることが出来ます。

ここでは、門前に住んでいた伊藤若冲が奉納した五百羅漢が有名です。
伊藤若冲(1716~1800)は、錦の青物屋の生まれで、
23歳で家督を継いだのですが、絵を描くこと意外に趣味がなく、
39歳で家督を弟に譲りました。

五百羅漢は、釈迦誕生より涅槃に至るまでの一代を物語る
石仏群になっています。 「天上天下唯我独尊」と姿を示す
釈迦誕生仏から始まり、出山釈迦、二十五菩薩来迎石仏や
十八羅漢石仏、釈迦説法の群像、托鉢修行の羅漢の群像、
釈迦涅槃の場面、賽の河原と続いていきます。

毎年9月10日には、若冲忌が開催されています。
没後200年の2000年ごろから、若冲ブームが続いています。
私が伊藤若冲を知ったのは、テレビ番組の「なんでも鑑定団」
だったと記憶しています。若冲と言えば鶏の絵という先入観があります。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

日蓮宗妙顕寺派 深草山(じんそうざん) 宝塔寺
平安時代に藤原基経(もとつね)により創建された真言宗極楽寺が前身です。
京都で布教活動を行っていた日蓮宗日像(にちぞう)上人が、
極楽寺住職の良桂(りょうけい)と出会い、数日に渡り論争をしました。
良桂は日像に感服し、宗派を日蓮宗に改めるとともに、
寺名を宝塔寺としました。多宝塔(重要文化財)は市内最古の多宝塔で、
一層目は行基(ぎょうき)葺き、二層目は本瓦葺きで、
永享10(1438)年以前に建立されたものです。

日蓮宗寺院本堂の特徴として、一般観光客は本堂に上ることが
出来なくて、檀家だけが上って使えるとのことです。そういえば、
日蓮宗の寺院の本堂は普段すべて障子が閉められていますね。

京都における日蓮宗の布教活動が凄かったため、
天台宗などからの迫害を受け、応仁の乱に匹敵する被害が出ました。
このことが原因となって、日蓮宗の檀家が多かった
西陣の技術者などは堺へ逃れ、ここで南蛮文化に触れ
多くの文化を吸収し、その後京都に戻ったそうです。

京都といえば碁盤目の街づくりがイメージされますが、
このあたりは、他宗派から攻められる恐れがあるため、
道路が迷路になっていたそうです。今もその面影が残っています。

伏見稲荷お火焚祭見学と伏見の隠れ寺めぐり

こちらが 茶椀子(ちゃわんこ)の水 の碑です。
都に住む茶人が宇治川の水をくませて茶の湯に用いていました。

ある時、いつものように宇治橋まで水をくみに行った使いの者が、
この近くで水をこぼしてしまいました。仕方なく使いの者は、
このわき水を持ち帰り知らぬ顔をしていました。
主人はいつもの水と違うことに気付き、問いつめました。
使いの者は恐る恐る一部始終を話したところ、
しかられるどころか「宇治川の水に勝る」とほめられ、
その後は宇治までの遠出の労が省けたという伝え話が残っています。
きっと若冲さんも、このわき水で喉を潤していたのでしょうね。


文・写真/らくたび会員 鴨田一美様



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Posted by らくたび  at 14:54 │Comments(0)東福寺~伏見稲荷エリア

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