2009年10月25日

亀岡祭見学と日本最大の保津川下り

亀岡祭見学と日本最大の保津川下り

インターネットの検索サイトで「全国の祇園祭」を探してみると、
日本列島の北から南までたくさんの「祇園祭」が見つかります。

その詳細を見てみると京都の祇園祭と同様に疫病退散を願ったものから、
家内安全、五穀豊穣、商売繁盛、はたまた、豊漁を祈願したものまで!!

10月25日のらくたび京都さんぽはそんな祇園祭のひとつ 「丹波の祇園祭」
称される亀岡祭が行われる京都府亀岡市を散策しました。

実は亀岡市は私が生まれてから5歳まで住んでいた町です。
しかし、集合場所のJR亀岡駅は“国鉄時代”に行ったきり。
のどかなその時代の記憶しかない私は到着してビックリ。
素敵な駅舎に変わっているではありませんか!
浦島太郎になった気分で京都さんぽがスタートしました。

亀岡祭見学と日本最大の保津川下り

まずは亀岡祭が行われている町の中心部へ向かいます。
亀岡祭鍬山(くわやま)神社 の祭礼です。

この鍬山神社の創建は非常に古く和銅2(709)年に遡ります。
神社略記では「亀岡盆地が湖であった頃、大巳貴神(大国主命)が
神々を集め、鍬(くわ)で山峡を切り開くとこれが保津峡となり
肥沃な農地が生まれた。人々はこれに感謝し神様をお祀りした。」
と記されています。 

この頃にもお祭はあったようですが、時代の流れとともに神社は荒廃。
江戸時代に水害や飢饉が続いた時、町民たちは
「氏神様を大切にしなかったからに違いない」と考え、
この頃に現在の形のお祭が復活したようです。

丹波の祇園祭と呼ばれてはいるもののその発端は全く異なることに
驚きました。しかし山鉾が鉾町にズラリと並ぶ壮観な様子は
京都の祇園祭と同様で影響を受けていることは間違いありません。

亀岡祭見学と日本最大の保津川下り

「ヨイヨイ、エンヤラヤー」の掛け声で三輪山を先頭に、
翁山鉾、羽衣山鉾が動き出しました。鉾の上を見てみると
お囃子を奏でているのは子供達です。女の子も参加しています。
京都の祇園祭よりもアップテンポなお囃子も聞こえます。

また八幡山鉾の鉾の上からはかつて京都の祇園祭もそうであったように
厄除けの粽(ちまき)が授与されていました。
幸運にも手にすることができたので見てみると……
「蘇民将来之子孫也」 と書かれた護符が!
「やっぱりな~」と参加者一同納得。

町内では屏風飾りだけでなく甲冑飾りの展示も行われており、
城下町の風情を楽しみながら鉾町を後にしました。

亀岡祭見学と日本最大の保津川下り

国の有形文化財に指定されている料理旅館 楽々荘
お食事をいただいた後は明智光秀が築いた 亀山城跡 へ向かいました。

「亀岡」のお城なのに「亀山城」?ちょっと不思議ですよね。
山村先生のお話によると、明治までは「亀山藩」だったのが
廃藩置県の時に三重県の亀山との混同を避ける為に「亀岡」と
改称したそうです。なるほど……。

亀山城の跡地は現在は宗教法人の所有となっており、
受付で見学手続きの後、石垣を見せていただきました。
お城といえば京都の二条城しか思い浮かばない私にとって
高くそびえる石垣は驚きでした。
ここから明智光秀は本能寺へと向かって行ったのですね。

そしてこの石垣、当時のものも一部は残るものの、
多くは法人の手によって再建されたものと聞いてさらにビックリ。
現在でも清掃、植栽などの維持管理をされているそうです。
でも、この石垣、なんだか昔に見たことがあるような気がするなぁ……

亀岡祭見学と日本最大の保津川下り

この後一行はJR亀岡駅に戻り、希望者は保津川下りへと向かいました。
保津川は慶長11(1606)年京都の豪商・角倉了以が
丹波地方の物産を京都へ運ぶために開削した川です。
400年前は産業水路だったその川は現在では
亀岡と嵐山を結ぶ日本一の観光川下りの名所となっています。

3時30分、船旅がスタート。船頭さんのお話を聞きながら
船は峡谷を進んで行きました。
途中に見られる、かえる岩、ライオン岩、ミッキーマウス岩、
などの岩めぐりも楽しみのひとつです。

しかし、景色に見とれて油断をしていると水しぶきが飛んでくるので、
タイミングよくシートで避けなければなりません。
紅葉が始まった木々や7月の京都さんぽで登頂した愛宕山を眺めていると
トロッコ列車が通過しました。保津川下りとトロッコ列車、
お互いに手を振りあい、写真を撮りあい、楽しいひと時となりました。


亀岡祭見学と日本最大の保津川下り

そして午後5時、嵐山に到着。参加者の皆さんと
「今日は1日よく遊んだ!」と大満足しながら家路につきました。

家に帰って母にすっかり変わった亀岡の様子を話しながら
亀岡祭の粽を見せると、ここで母から予想もしなかった真実が
明かされたのです!なんと、亀岡祭を行う鍬山神社は
私自身のお宮参りと七五三参りに行った神社だったそうです。

大急ぎで古いアルバムを取り出し、七五三の写真と
鍬山神社の写真と合わせて見てみると……確かに同じ社殿がありました。

そう言われてみれば、遠いかすかな記憶の中で、
不二家のネクター(桃のジュース)を飲みながら
何か行列を見た思い出が……母は一言「それが亀岡祭やん!」。

そして幼い頃、戦国時代好きだった父に連れられて
亀山城跡に行っていたことも判明。やっぱり!!

この日の京都さんぽは歴史あるお祭を見学し、
明智光秀という歴史上の人物をたどる散策のはずだったのですが、
思いがけず「私自身の歴史をたどる散策」となっていたようです。
とても感激しました。皆さんも自分の歴史をたどる旅に出てみませんか?
記憶には残っていなくてもきっと感じる何かがありますよ。

そんな大切なことを教えてくれた京都さんぽとなりました。
らくたびの皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。


文/らくたび会員 森明子様  写真/らくたび会員 岩崎守男様・坂田肇様







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Posted by らくたび  at 14:27 │Comments(0)その他

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