2009年08月08日

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

長い梅雨がようやく明けた途端、真夏の暑さです。16時というのに
強烈な西日が照りつける中を、南座前から出発し、先ずは 建仁寺 に寄りました。

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

建仁2(1202)年栄西によって開創された京都最古の禅寺です。
京都五山の三位の寺格、開山の栄西は日本へ最初に茶を紹介した人物、
国宝の「風神雷神図屏風」を所有など、見所満載のお寺ですが、
他の五山の寺が皆京都の街中から一寸離れた場所に
位置しているのに対し、ここ建仁寺は北が祇園、西が宮川町と
二つの花街に接していると言うのが面白いですね。

しかし、そこは禅寺、境内は落ち着いた雰囲気に包まれています。
山村さんから沢山の建仁寺の歴史に関する話しが有りましたが、
ここでは一寸面白かった「龍図」の話を紹介します。

禅寺に「龍図」は付きものですが、建仁寺の龍は二匹の龍が描かれた
「双龍図」で、又、爪の数が普通日本の龍は三本であるのに対し、
ここの龍は五本の爪を持つ「五爪の龍」であります。

五爪の龍は中国の皇帝しか使うことが許されてなかったそうですが、
それは昔の話、現在はそのような取り決めはなく、誰でも自由に
描くことができるという訳で、実は建仁寺の龍図は
2002年に小泉淳作氏により描かれたものです。

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

六道珍皇寺は建仁寺のすぐ南に有りますが、ちょっと東の 安井金比羅宮 へ寄りました。
崇徳上皇に絡む、なかなかややこしい歴史を持つ神社ですが、
なんと言ってもここは“縁切り”のご利益で有名です。

境内には縁切りの願いを記した絵馬が沢山吊るされ、
「縁切り・縁結び碑」の表面には願い事を書いたお札が山の様に
ビッシリと貼られて、ちょっと異様な感じです。

この碑にはスマートな人が通れる位の穴が空いており(私は無理)、
縁切りだけでは無粋という訳か、表から穴をくぐって縁を切り、
次に裏からもう一度くぐって良縁を結ぶというのが作法だそうです。

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

今日の目的地の 六道珍皇寺 に来ました。
京都には普段は殆ど人が来ないのですが、ある時だけ大勢の人で
賑わう寺社が有って、ここ珍皇寺は、まさにそういうお寺です。

お盆の前の8月7日から10日にかけて、ご先祖様の霊を迎える
「六道まいり」 という行事が行われます。
高野槙を買い求め、水塔婆に先祖の戒名を書いてもらい、
お迎えの為の「迎え鐘」を引いて撞きます。
高野槙の葉で水塔婆に水をかけて供養すると、槙の葉に乗って
先祖の霊が家に戻って来ると言われてます。

そして、8月16日に「五山の送り火」でご先祖の霊を、又あの世に
送り戻すというのが、京都でのお盆のしきたりとなってます。
今日も沢山の方々が参られてました。
庶民に綿々と続く歴史というものを感じました。

珍皇寺のもう一つの顔が小野篁の「冥土通い」伝説です。
平安時代の官僚であり歌人でもあった小野篁は、昼は朝廷に仕え、
夜はこの珍皇寺に有る井戸をつたって地獄に行き、
閻魔大王を補佐する仕事をしていたと伝わります。

境内には、閻魔大王の像と並んで、小野篁の像が有りますが、
長身で彫りの深い偉丈夫だった小野篁とは、
正にこういう人物であったであろうと思わせる立派な像です。
東に葬送の地である「鳥辺野」に続くこの辺りは「六道の辻」と
呼ばれ、この世とあの世の境界にあたると言われてきました。

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

すぐ近くの 西福寺 の横には「六道の辻」の石碑が建っており、
西福寺ではこの時期に限って「檀林皇后九相図」や「地獄絵」を公開しています。

九相図とは人が死んでウジが湧き、白骨化して最後は土に帰る有様を、
九段階の絵に描いたものです。絶世の美人であった檀林皇后も、人間最後は
皆同じく土に帰るという事を言っているのですが、リアルですよ。

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

またこの辺りに 轆轤(ろくろ)町 という町名が有りますが、
これは元は髑髏(どくろ)から来たのではとも言われてます。
とにかく“死”と切り離せない場所がこの地なのですね。

真夏のナイトツアー 六道まいりと陶器市散策

珍皇寺を後にし、 六波羅蜜寺 を経て 五条坂 に出ましたが、
今通ってきた辺りは、平安末期の平家絶頂期には平氏の屋敷が
5000以上甍を連ねた場所だそうです。

平家は都落ちの際に、六波羅一帯を全部焼き払ったため、
何も遺構は残ってませんが、現在の町名の幾つかにかつての平家一族が
確かにこの地で栄華を極めた証拠として残ってます。

写真の「門脇町」は、平教盛(清盛の弟)の屋敷が
惣門の脇に有ったので、この名が付いたそうです。
平家滅亡後の鎌倉時代に西国と朝廷の監視所として設置された
「六波羅探題」もこの地に有りました。
数年前までは学校の敷地内にその石碑が立ってましたが、
今は学校は再建中で石碑も確認できませんでした。

が、六波羅探題という名前は広く知られた名前なので、
再建後に又石碑を建てて貰いたいですね。
私も、数年前に初めてここが六波羅探題の有った場所です
と教えて頂いた時は、妙に感激した記憶が残ってます。
何も遺構は無くても、石碑一つで充分という場所も有りますよね。

この後、五条坂を 陶器祭 を見ながら 若宮八幡宮社 まで行き、解散となりました。
が、凄い暑さの中での散策だったので、大半の方は、解散後も集団で
ビールが飲める屋台の場所まで行き、歓談の一時を過ごして
今日の散歩は終了となりました。

京都の歴史と伝統・習わし、そして伝説までぎっしり詰まった
中身の濃い六波羅の散策でした。


文・写真/らくたび会員 坂田肇様





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