2008年09月14日

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

今日9月14日は旧暦の8月15日、そう 中秋の名月 です。
私たちの「京都さんぽ」のゴールの平野神社でも「名月祭」と称して、
雅楽、日本舞踊などが催されます。

平野神社へは、平安京の北端であった一条通り沿いに史跡を見つつ
西へ西へと行く事になります。さあ、烏丸今出川から出発です。
一筋南へ下って右折し、武者小路通へ入っていきます。

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

室町通の交差点に 福長神社 があります。
水の神としての信仰が篤く由緒ある神社だったそうですが、今では
本当にひっそりと忘れられた様な感じがします。
多分町内の方が、大切に維持されているのでしょう。

ちょっと西へ進むと 乾向地蔵尊 です。縁起やご利益は解らないのですが、
乾(いぬい)は北西の方角「戌(いぬ)と亥(い)の間の方角」を表しており、
今の御所から見て北西に有るという事が名前の由来の様です。
同じ様に巽(たつみ)も南東を示すという事です。

わが庵は都の巽しかぞ住む…

という歌も有りましたね。

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

新町通をちょっと上ルと左手が 霊光殿天満宮
社名は、菅原道真が大宰府に左遷された際、天から一条の光とともに
天一神・帝釈天が降臨したとの伝説によるそうです。

元誓願寺通りを西に行くと狩野永徳の祖父の 狩野元信邸跡 の石碑です。
狩野家は代々この屋敷に住んだそうです。

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

細い路地を下って、武者小路通りに出ました。通りの名から解るように、
ここには三千家の一つである武者小路千家の 官休庵 があります。
千宗旦の次男宗守が開いた茶室で、宗守は武者小路千家を起こす前は
讃岐高松松平家に茶の指南役として仕えており、「官を休んで庵を開く」
という意味から官休庵と称したそうです(へええ・・・その1) 
 
油小路通りを下り千家十職の一つ茶碗師の樂家と 樂美術館 の前を通り、
前面に裸体のレリーフがある超斬新な 旧京都中央電話局西陣分局舎
過ぎて北へ右折し一条通りに戻ってきました。

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

角に小野小町雙紙洗水遺跡と彫られた石碑があります。
前の南北の道が 小町通り です。ここには、こういう話が残されてます。

この辺りで平安時代の昔、歌会が催されました。常日頃、小野小町を
快く思っていなかった大友黒主は小町を懲らしめてやろうと
一計を図ります。小町が歌を書いた紙の上に加筆し、歌会の席上で
「この歌は万葉集の盗作である」と小町を糾弾したのでした。

ところが、さすがと言おうか、小町は少しも動揺せずに
“これは黒主が加筆したものだから、未だ墨が完全には
乾ききってはいない筈”と考え、歌が書かれている和紙を、
汲んだ井戸の水にそっと浸したのでした。
結果は想像の通り、黒主が加筆した部分は水に溶け出してしまい、
黒主は大変な恥をかかされたのでした。


伝説ですが、もしこういう話であったならば、黒主の策略は
余りにも幼稚ですし、それを皆の前で暴露した小野小町という
女性は、私にはとても恐ろしい女性に思えてしまいます。

この辺りには、宮本武蔵との決闘で有名な吉岡一門の道場が
有ったとか。昔この付近には松が沢山植わっていたそうで、
つまり“一条下り松”がいつのまにか“一乗寺下り松”と変化し、
詩仙堂の近くの一乗寺が決闘の場所となってしまった
という話があります。(へええ・・・その2) 

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

小松帯刀(たてわき)寓居参考地は、大河ドラマ「篤姫」で
有名になった小松帯刀が、この地にあった近衛邸の別邸を借りて
住んでいたのではないかと考えられる事から、石碑が今年(2008年7月)
建てられました。幕末の状況って案外解ってない事が多い様です。

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

さていよいよ 一条戻橋 です。何かただならぬ魔界の雰囲気を感じさせる
名前ですね。名前は、平安時代、文章博士の三善清行(きよつら)の
葬送の列がこの橋にさしかかった時、修業先の紀州熊野から
急遽かけつけた息子の浄蔵が棺に取りすがって

「お父さん、生き返ってください」

と必死に祈った所、俄かに空が暗くなりむっくりと父の清行が生き返った
という伝説に由来するそうです。

それ以来、出征する兵隊さんは、必ず生きて日本に、京都に
戻って来れる様にと、この橋を渡って戦地に赴いたそうです。但し、
結婚で嫁ぐ花嫁さんは決してこの橋を渡ってはいけないそうです。
出戻りになっては困りますからね。
いやよく出来た話ですね。私はすごく面白い話と思いますが。

しかし、今私たちが見る橋は、何とお粗末というか橋らしくない
と言うか。昔は下を流れる堀川も十分な川幅があり、一条戻橋も
その名に違わず立派な橋で有ったかと想像力で補って下さい。

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

堀川通りを渡ると、 妖怪ストリート までは、一直線です。
大将軍八神社のある大将軍商店街に入りました。ここが近頃話題になっている
妖怪ストリートです。
ここで言う妖怪とは、器物の妖怪である付喪神(つくもがみ)の事です。
商店街の店先にはその店をアピールする様々な姿の妖怪が立っていて
客の目を楽しませてくれます(?)。

百鬼夜行ゆかりの一条通と平野神社名月祭

そろそろ、平野神社の名月祭が気になってきました。北野天満宮を通って、
平野神社 に着いた頃は、すっかり辺りは暗くなり、舞台では丁度、
日本舞踊が始まる所でした。空には美しい名月がその姿を見せています。

来年の中秋の名月は10月3日の土曜日だそうです。らくたびさん、
来年も又「名月観賞ツアー」の企画をお願いします。

参加の皆さん、お疲れ様でした。
らくたびさんならではの路上散策ツアーでした。


文/らくたび会員 坂田肇様  写真/らくたび会員 鴨田一美様・坂田肇様



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Posted by らくたび  at 12:37 │Comments(0)西陣~北野エリア

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